第一次接近遭遇
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自らも名乗り、涙をぬぐった魔王──
ミザリーは、はたと気が付いた。
『魔王たるもの、目の前にだれがいようとも〝お客人〟には
威厳を示さなければその名に恥を
塗ってしまいますよ』とアズから
言い含められていたことを思い出したのだ。
そのための口上も練習していた、
今がまさに披露するときである──!
ローブに手をかけると大仰に
脱ぎ去って見せ、ミザリーは高らかに謳い始めた。
「よくぞ参られた、勇ましきものよ!
余は魔王ミザリーなり、恐るべき神への反逆者。
余に服従せよ、さすれば永遠を与えよう。
もし従わぬというのなら、死すら生ぬるい。
無限の絶望と屈辱を授けようぞ!」
びしり、と目の前の男へ指を突きつけて見事に
決めて見せた。
お気に入りの黒を基調とした
戦闘用ドレスを纏っていることもあり、
なおさら気分が高揚していた。
うむ、我ながら上出来だ! ここが
玉座ならなおのことよかったがな。
得意げな笑みを浮かべて男がどのような反応をするか待つ。
許しを請うか、最後まで
抵抗を続けるのか……。
「……」
「……」
──心地よい風が吹きわたり、小鳥が歌い、
遠くに人の営みを示すように細い煙が立ち上る。
──空からの日差しも気持ちの良い、穏やかな昼下がりだった。
「……おい?」
あまりの反応の遅さに痺れを切らしたミザリーは、
男──ロインと名乗った者に話しかける。
もしや自分の口上に感激し
声が出せないでいるのかとも思い、顔を見つめて
いると、何事かつぶやいているようだった。
「……ね、ね……」
「ね?」
初対面の相手にね? とは
ずいぶんなれなれしい男だ、
と憤慨した瞬間─
「姉ちゃァァァァんッ!!!」
男は叫びながらこちらに突進してきた!
「あびゃああああ!?」
完全に想定外の動きに
面食らったミザリーは、
男を張り飛ばそうと手を伸ばしたが
男はすばしっこい動きで難なくそれを躱すと、
更にこちらへとびかかってきた!
「会い゛だがッだよ゛お゛姉ぢゃァァん!!」
「あびゃああああああああ!!?」
姉ちゃァァァ……
あびゃあああ……
どことも知れない大地に、
情けない叫びが延々(えんえん)とこだましつづける。
しばらくしてようやく男が落ち着いてきたようで
泣き声が鼻をすする音に変わり、ミザリーは
げっそりしながらも好機と捉え、
その体を引き剝がした。
「なんなのだ貴様っ!? わけのわからないことを言うな、
余が貴様の姉だと!? ……いや泣こうとするな、
話くらいは聞いてやるからな? だから泣くな?」
再び顔をゆがめたのを見て、ミザリーは慌てて言い足した。
また泣かれてはこちらの身が持たない……。
「姉ちゃん、何言ってるのさ。
俺だよ、ロインだよ? 助けに来たんだよッ……!」
男の、「ロイン」の返事にミザリーは首を傾げた─
ロイン。
その名前にはなぜか聞き覚えがある。
それも一度聞いただけというようなものでなく
日常的に耳にしていた気がするのだ。
だがこの男とは初対面に違いない、
その矛盾に頭がこんがらがってくる。
いったいなんだというのか。
「んむぅ……」
だが、その悩みは中断されることになる。
ふと目を向けるとロインの背後、
澄んだ青空に煙が立ち上っている─
それは先ほどと同じだが、位置が違う。
明らかに先ほどよりこちらに近づいてきているのだ。
「……なんだ?」
「どうしたの姉ちゃん?」
ミザリーの様子に気が付いたロインが背後を振り返り、
同じく煙を目にしたようだ。
さらにミザリーは気が付いてしまった。
足元の木材と金属を組み合わせた謎の橋、
─見ればここはずいぶんと高いところまで組み上げてあるようだ─
それが足に伝わるほどに振動しているのだ。
ミザリーが知る限り、
移動しながら煙を噴き上げる存在などなく、
また橋を姿も見えない状態でここまで震わせるなど、
どう考えても並みの存在ではない。
─そんなものが、今こちらに迫りつつある。
「……っ!」
ミザリーは戦慄した。
ここがどこかも知らぬ場所で、
得体のしれない相手と
一戦交えるなど、
正気の沙汰ではない。
だが安全に逃げられる方法も場所もわからない─
「姉ちゃん。今来てるあの煙の下にいるの、姉ちゃんの敵?」
唐突に尋ねてきたロインに驚くが、
ミザリーは動揺を悟られないよう、
努めて冷静に答えた。
「さて、わからないな。貴様の敵かもしれないぞ?」
「そうなんだ」
ロインは一言そう答えると、
腰に下げた剣を抜き放った。
「じゃあ俺の敵なのは確定だね」
その答えにミザリーはぎょっとした。
まさか戦うつもりなのか、
相手がなにかもわからないというのに。
だがその姿に奇妙な高揚感を
覚える自分もいた。
なにもわからない相手─
だからこそ気が昂る。
何も知らないからこそ暴いてやりたい。
ミザリーは無謀と知りつつも、
その答えに便乗することにした。
「では、余も加勢してやろう。
足手まといになるなよ?」
「任せといてよ、結構やるようになったんだ俺」
ミザリーはドレスの懐に入れていた
戦闘用籠手を取り出して手にはめる。
─そして、ついに〝それ〟は現れた。
赤褐色の大地を引き裂きながら
橋の上をこちらに向かって爆進してくる。
その巨体は大熊を優に超え、
大きな一つ目を輝かせながら
こちらをにらみつけてきた。
「足も無ェのにとんでもねェ速さだ!!」
「油断するな、来るぞ!!」
迎え撃とうとする2人は武器を構える。
その両手には当然武器が握られている─
──それゆえに、〝それ〟のあげた耳をつんざくような
吠え声に、対処ができなかった。
「うぁぁぁっ…!!」
「ぐァッ……耳がッ!!!!」
2人は思わず耳を抑えよろけてしまい──
〝それ〟の突進が直撃した2人は、
上空へと大きく跳ね飛ばされた。
『───っ!!!!』
そのまま2人は宙を舞い、
下へ下へと落ちていく。
やがてその姿も見えなくなり、
液体が跳ねる音だけが響く。
──そして、
その様子を見ていた小さな影が、
2人の落ちた場所へと駆け寄っていくのを、
空で遊ぶ小鳥たちだけが見ていたのだった。
ミザリー「この日のためにうんと練習してきたのに…」
ロイン「ごめんなさい姉ちゃん…」