知らないロインと謎の女中
女性の恐怖の視線から逃れたミザリーは、
深呼吸を何度もすることで
ようやく息が落ち着いてきた。
その間にロインが隣で女性と話をしているが、
その空気は険悪そのものである。
しかし今のミザリーに、
その間に割り込むだけの勇気はなかった。
なぜこの男はあの怖気のする視線に
耐えることができたのだろうか、
──そもそもこの男は何者なのか。
考えてみれば、
ロインのことをミザリーは
よく知らなかった。
知っていることと言えば、
ミザリーを姉として慕うこと、
ミザリーと同じ世界の住人であること、
姉を救うために長く旅をして、
仲間と共に魔王城にたどり着いたこと、
そこから少なくとただものではないこと。
ミザリーとは味覚の感性が似ているのか
宿の食事の感想もよく合っていたこと……
魚を捌くのが上手いこと──
「……むーぅ?」
……前言撤回しなければならない、
初めてあった者相手でここまで詳しいなど
そうはないだろう。
ではミザリーは何に対して
不安を感じているのか。
それはおそらく、
自分の知らないロインの一面を
見たからなのだろう。
ロインが専門店の女性の視線に同じように
すくみ上っていたのなら、
ここまで不可思議な気持ちには
ならなかったかもしれない。
奇妙なことだが、
ロインがミザリーとは
〝何かが根底から違う〟ことに
自分は怯えているのだと、
ミザリーは今気が付いた。
「……姉ちゃん、大丈夫!!?」
「あびゃっ!?」
それゆえに、
何度もこちらに呼び掛けていたのだろう
ロインの言葉に、
ミザリーはびくりと体が震えることを
止めることができなかった。
「どうしたの姉ちゃん!?
ホントに大丈夫!?」
「あ、ああ……
もんだいない、
問題は、ないぞ……」
何とか普通に受け答えをしようとしても、
専門店の女性とロインを目の前にして
ミザリーの声は震えていた。
「でも声が震えて……
もしかしてこのアマが怖いの?
それなら今すぐ排除して……ッ!!」
「──それはっ、やめてくれっ……!」
腰の剣を引き抜くさまを
止める声にも覇気はなく、
すがるような声でミザリーが叫ぶと、
ロインはこちらを見てから
困ったように眉を下げた後、
「わかッたよ姉ちゃん」と言って
剣を鞘に戻した。
「けど、何かあッたら言ッてね。
俺全力で姉ちゃんの力になるから」
「……うむ、ありがとうな……」
ロインに礼を述べてから
ミザリーは女性に目を移した。
今しがたロインが剣を引き抜こうと
したというにもかかわらず、
顔色一つ変えずにニコニコと笑う
女性の姿にうすら寒いものを感じたミザリーは、
話しかけることをためらって
ロインに説明を求めた。
「……それで、何か話して
わかったことはあるか?」
「うん。
青い服の髪の毛が薄い男なら
さッきまでいたらしいんだけど、
修理を頼んでもう店を出たらしいよ」
「なるほど、入れ違いか」
となれば、すでにどんなお店かも見た以上
ここに長くとどまることもない。
「……よし、
このお店にいる理由はもうないな」
「うーん、そう、かな?」
つぶやくように言葉を口にしたミザリーは、
ロインの声にそうかと答えて
ぐいぐいとロインの背中を押して
お店の外へと向かう。
いまだにロインに対しての
妙な感情はあるが、
それでもこの専門店には
あまり長居はしたくなかった。
しかし出入り口に立ったミザリーは
思わず振り返り、
お店にやって来た時の一言を
訂正しようと勇気を振り絞って
女性に話しかけた。
「先ほどはすまなかった!
このお店に寄ったのは
人を探していたからで──」
「ああハイ~!!
そのお話ならお連れの男性から
聞いておりますよ~!!
こちらこそ申し訳ありませんでした~!!」
女性のにこやかな謝罪の声に
ミザリーは、しかしなぜかよくないものを感じて、
軽く頭を下げて足早にお店を出た。
「どうしたの姉ちゃん?
やっぱりあの女ににらまれたのが
堪えてるんじゃ……」
「……いや、それはだな……」
それも理由の1つではあるが、
ミザリーはロインに
本心を話すべきか迷った。
もしもここで、
〝お前とは何かが違うと思った〟
と言ったらどうなるか。
「それは当然だよ」と
普通の答えを返してくれるだろうか。
「俺が違うなら姉ちゃんを俺に合わせる」
とでも言ってとんでもない行動に移りはしないか。
どちらかといえばロインのほうが
ミザリーに合わせようと正気を疑う行動を
取りかねない気がするが、
それが一番怖いので考えない様にする。
ゆえに、ミザリーが答えられたのは
ただ一言だけだった。
「……なんでもない……
気にしなくていい……」
屋台のところまで戻ってくると、
〝タルタルフィッシュ〟は
すでに片付けられた後だったが
少年が所在なさげに立っていたので、
ミザリーたちは青い服の店長の
行方らしき情報を伝えた。
「そうですか……
すでに専門店からは
出たあとでしたか……」
少年は顎に手を置いて
何か考え事をしていたが、
やがてミザリーたちに目を向けた。
「まだ戻ってはいませんが、
見てきてくださって
ありがとうございます……
今夜のうちには戻るでしょうから
慰労会で待ってみます……」
「そうか、すまないな。
こんな情報しか持って帰れなかった……」
ミザリーが顔を伏せると、
少年はあたふたとしながら
お礼を言った。
「いえ、そんなことは……!
見てきてくれただけでも
本当に感謝してるんです……!
そうだ、
周りで片付けを終えた屋台の人から
早速話が聞けたんで、
それだけでもお礼代わりに……!」
「やるじャんよお前ェ!!
姉ちゃん、聞いておこうよ!!」
屈託なく笑うロインの姿に
どう答えたものか迷っていたミザリーは、
とにかく今は頷いておくことにした。
「まずはお向かいの
〝スイートマッシュ〟さんから……
3日前の朝方に、
市場をうろついていたフードの
連中を見たそうなんです……
その時は何とも思わなかったそうですが、
人を襲うような人たちだって話すと
とっちめて自警団に突き出すべきだったって
悔しがってましたよ……」
「それはまた、
喧嘩っ早そうな人だな……
手練れの様子だったから、
あまり手は出さないように
伝えておいてくれないか?」
ミザリーの忠告に、
少年は「伝えておきます……」と頷いた。
「ほかには〝チリポテト&ナゲット〟さんが
気になる情報を言ってましたよ……」
「気になる情報ねェ?
大したことなかッたら
どうしてやろうか」
「……まぁ、とにかく話してくれ」
突っ込まれなかったロインがこちらを
ちらりと見た気がしたが、
ミザリーは気付かなかったふりをして
話の続きを促した。
「はい……
それが、お2人が見たっていう
化け物と同じかは分かりませんが、
昨日のお昼ごろに休憩してたら、
線路の上を見たこともない
赤い機関車が走っていくのを
見たんだそうです……」
『キカンシャ?』
またも聞きなれない言葉に
ロインとそろって声を上げると
少年は頷いて続けた。
「機関車は蒸気で走る
大型の動力車です……
後ろに何台も貨物をつないで
走れるように、
とてつもないパワーを
持っている車両なんです……」
「うーむ……?
わかるような、
わからないような……」
「大体からそのすちーむッて
熱を伝えるだけじャねェのかよ?」
説明をしてもらっても
よくわからずに聞き返してしまうが、
少年もそれに対して首を傾げていた。
「ええ……
そう言われても
僕らとしてはあるのが当たり前で、
この説明も通りすがりの
人から聞いただけなんです……」
「うむ、そうか。
ありがとう、とにかくその
〝キカンシャ〟とやらの
目撃があったのだな」
話がこじれる前に礼を言ったミザリーは、
この短時間でここまで話を聞いてくれた
少年に感心していた。
もし自分たちだけで話を聞いていたら、
ここまでの話を聞くだけでも
1日以上かかったかもしれない。
そう考えれば少年の協力には
感謝しかなかった。
「うむ、
大変助かった。
今聞けるのはほかには
あるだろうか?」
ミザリーが尋ねると、
少年は考えるそぶりを見せる。
「関係ない話かもしれませんが、
それでよければ1つ……」
「あれ?なんかそういうのに関する
話をどッかで……」
「……〝些細な情報が実は大事な点だった〟
というあれだな」
首を傾げるロインに
ミザリーがピントの言葉を思い出しながら言うと、
「それだ!!」と明るい笑顔をこちらに向けた。
まだ少しばかり気になりはするが、
こうしているとまた元の関係に
戻れるような気がして、
ミザリーはぎこちないながらも微笑んだ。
「では、頼めるか?」
ミザリーが話の続きを求めると、
少年は頷いて話し始めた。
「今日の朝からの個人的な感想ですが──」
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少女は大通りを当てもなく走り続けている。
しかし意味もなく走っているのではなく、
それは背後に迫る者たちからの逃走だった。
息が上がり、限界が近づいてくる。
このままでは追いつかれてしまうのも
時間の問題だった。
事実背後からは人を押しのけて
追ってきているのだろう、
人の怒った声や小さな悲鳴が
聞こえてきている。
少女は最後の力を振り絞って駆け、
目の前に見えた深紅の〝何か〟に、
飛びついたのだった──
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「いつもなら見かけるフリカッセ家の
お手伝いさんたちの姿を、
今日は全く見かけないんですよ……」
「ふむ?フリカッセ家とは──」
ミザリーがそこまで口にした瞬間に
背中に大きな衝撃が走り、
「誰だてめェッ!!」というロインの叫びで
何者かが背中に飛びついてきたということに
ミザリーは気が付いた。
「あびゃあ!!?
なんだ、なんなのだ一体!?」
慌てて背中の人物を引きはがして
振り返ると、
そこには女中の姿に身を包んだ
少女の姿があった。
少女は息を荒げていたが、
顔を上げるとミザリーの目を見て
絞り出すような声で叫んだのだった。
「──お願いでございますッ
どうか私を
助けてはもらえないでしょうかッ!?」
ミザリー「背中痛い……」
ロイン「大丈夫姉ちゃん!?このアマがァ……!!」
少年「うわぁ、ちょっと……!ここで暴れないでください……!」