部屋の探索とお楽しみ
ロインを2号室に追い返すことに成功したミザリーは、
同じく部屋を出る亭主を呼び止めた。
「すまないが亭主殿、
受付でも聞いたと思うが余らは初めてここに泊まる。
なのでもし他にも使い慣れていないものがあったなら、
また尋ねてもいいだろうか?」
「……ああ、おれは大体1階の受付にいるからいつでも来い」
「うむ、承知した。感謝するぞ」
鷹揚に頷いた亭主に
「やはりいい人だな」とうれしくなったミザリーはうむと
頷いてその背中を見送った。
賑やかだった部屋が1人だけになるとやることも
特にない、だがロインと同じように1号室を少し調べてみるべきかも知れない。
「ふむ、と言っても調べられそうなのは……」
部屋の中を改めてみてみると、
ベッドは壁に作りつけになっており動かすことは
出来そうもない。
中央の机や椅子も装飾もない単純な
つくりであり特に変わったところもない。
「……そういえば窓を調べていなかったな」
窓に歩み寄り閉じられている雨戸を左右に押し開くと、外は夜遅くということも
あり明かりがついているのは少数の家だけだった。
その分空には星が輝いており
幻想的な風景が広がっている。
「ここは細い路地のなかに建っているが、向かいの建物は低いのだな」
おかげで夜空がよく見えるのだろう。
今は暗くてよく見えないが、明るければ
町の様子もある程度見えるかもしれない。
さっそく明日の朝にでも開けてみよう。
「ふむ、窓はこれくらいだろうか?」
雨戸を閉めると、雨戸の真ん中あたりに
金具に引っ掛けるだけの簡単な鍵がある。
それをかけて振り向いたミザリーは、再び部屋を見回した。
「あとはこの箪笥くらいだな」
1号室内に入ったときにも目に入っていたが、
後回しにしてしまった箪笥に近寄る。
ただの宿であるならば中身は空で、手荷物などを入れるのだろうが
あいにく何も持っていないミザリーは特に用もなかったので開けなかった。
上に両開きの戸が、
下に何段かの引き出しが付いている箪笥の前に立つと、
ミザリーはまず上段の両開きの戸を開けた。
「……なんだ、これは?」
中には上のほうに渡された棒があり、そこに奇妙な形のものがぶら下がっている。
中空になった“丁”の字のような形をしており、
先端が曲がって棒に引っ掛けられる
様になっている。
いくつもあるところからすると複数個使うのが普通なのだろう。
「さっそく聞いてみるものが増えたが、今日はもう遅いしな。
明日にするとしよう」
戸を閉めてから次は下段の引き出しを開けてみる。
しかしこれといった発見もなく、
最後の引き出しを開けても何も入っていなかった。
「こちらは空振りか……まぁよしとしよう」
とにかくできることはすべてやった、となれば後は寝るだけだが当然その前に
やりたいことがある。
「では、〝しゃわあ〟とやらを使ってみるか!」
昼間に川に落ちたというのなら当然汚れているはずで、
身を清めて寝られるならありがたいことこの上ない。
その割には宿に着くまでピントも汚れの話はして
いなかったのだが、
それはそれとして湯の雨は体験してみたいのだ。
「ふふふ……♪」
ドレスの背中のリボンをほどき、
結ばれていた紐をほどくとドレスを脱いでしゃわあ室へと入る。
この部屋のランプも扉を開くと勝手に点くようで、
何をしなくとも部屋の中が明るいことに今気が付いた。
「相変わらずすごいな……
余の城にも持ち込めないだろうか?この技術」
そうつぶやきながら布を脇に寄せて、
右の〝はんどる〟を回して水を出す。
冷たい水が傘から噴き出して床を濡らしていくが、
床の一部が盛り上がっていることで
そこから先は濡らさないようになっている。
そして床に落ちた水は中央に空いた
穴から流れていくようで、穴には金属製の網が被さり
物が落ちないようになっているようだ。
「本当によくできているな……」
感心しながら今度は左〝はんどる〟を回す。
少し回しただけでは湯が少ないようで少しずづ回していくと
だんだんと水から湯気が立ち上るようになってきた。
手を差し出してみると、暖かい湯が手のひらに打ち付ける。
ああ、なんという……。
「で、では入るぞ、入るぞっ!!」
誰に言うでもなく確認しながら湯の雨の中に入ると、
何とも言えない心地よさが全身を包み込んだ。
先ほどあったかい滝と思ったが、それを上回るものだ。
滝に打たれて心地よくなるものはそれなりにいるかもしれないが、
おそらくこれは10人に尋ねれば10人が心地よいと答えるだろう。
湯に浸しただけの布で体を拭くのも気持ちがよかったが、
これを知ってしまってはもう戻れそうもない。
それほどまでにこの感覚は極上のものだった。
「ああ……なんと気持ちがいいのだろう……」
しばらくの間しゃわあに打たれていたが、
体をこするものがないなとあたりを見回す。
と、布に隠れて気付かなかったが壁にほんの小さな台があり、
そこに桃色の固形物が置かれている。
何だろうかと手に取ってみると、濡らすことで
ぬるぬるとし、試しに手をこすってみると泡が立った。
「おお、石鹸か。助かる」
手に付けた石鹸の匂いをかいでみると、
華やかな香りが漂ってくる。
魔王城の石鹸は良く泡立つがここまでいい匂いはしなかった。
全身にこすりつけてくまなく汚れを落とすとしゃわあで泡を洗い流す。
湯で体を流しただけとは段違いにさっぱりしたミザリーは、
もうしばらく湯を浴び続けることにした。
「……もう少し熱くしても、いいかもしれないな」
ふと好奇心が生まれて左の〝はんどる〟に手が伸びる。
回しすぎるとロインが言っていた通り火傷してしまうだろうからと、ほんの少しだけ回す。
しゃわあの温度が上がり体を包む湯気が多くなったが、
その分心地よさも増した。
「ふう、このあたりでやめておこう」
しゃわあを浴びている間は気持ちよさに体をゆだねるだけなので、
必然今日のことを考える時間ができる。
アズが玉座の間に女たち──ロインの村からさらわれた
という娘たち──を連れてきたところから始まり、「魔王様より」の言葉で立ち上がる
様に言われてその通りにすればアズが胸を刺して斃れ、
その瞬間にはるか上空に飛ばされ、ロインと出会い、
化け物に跳ね飛ばされ、
介抱してもらったピントに宿賃をたかる始末……。
「激動過ぎないか今日……厄日か?」
ため息をつきながらミザリーは、
「……それに加えてあの夢だ」
と口にした。
空を飛んでいく夢、にも拘わらず恐ろしさだけが体に残るあの奇妙な夢。
たかが夢だと思ってしまえばそれまでなのだが、ミザリーにはなぜだかあれは
ただの夢ではないと思えた。
あれはあまりにも実感のあるもので経験といった方が正しく、
全く身に覚えがないことを除けば、それはまさに「記憶」だった。
「むぅ─……」
ミザリーはしばらくの間考え込んだ。
暖かいしゃわあのおかげで体を冷やすことも
なく、いやむしろだんだんと頭がぼんやりしてきて──
「あ、あびゃあぁぁぁー……?」
そのあとのことはぼんやりとしか覚えていない。濡れた体をなんとか〝たおる〟で
拭き、ふらふらとベッドへ向かう。
机の上にあった水差しから水を1杯カップで
飲んでそのままベッドに倒れ込み──
「むにゃ……」
──そのまま泥のように眠った。
ロイン「うーん…あそこ、まだ行ッてねェな……」
ミザリー「むにゃむにゃ……」