ロイン、その心の中で
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ロインは自宅の食卓で席についていた。
なぜか家の中は薄暗く、
ランプにも火が入っていない。
そんな中、姉ミザリーが厨房に立って
食事の準備をしており、
外からは父カルが薪を割る音が響いてくる。
俺も何かしなくちゃとロインは立ち上がろうとするが、
体が椅子にへばりついたように離れず、
どれだけ力を込めても立ち上がるはおろか
腰を浮かすこともできない。
──やがて料理が出来上がったようで
ミザリーが人数分の皿を食卓に置き、
外のカルを呼んで全員が席に着いた。
──さあ、みんなでご飯にしましょう──
──ああ、腹ペコだ──
ミザリーとカルは手に手に匙を持って──
何も入っていない空の皿を掬っては口に運ぶ。
どうしたの、2人とも何してるのさ。
ロインが口に出そうとした言葉は、
しかし声にはならず、
ただひゅうひゅうと喉が鳴るばかりだった。
──どうしたのロイン、ご飯食べないの──
ミザリーが話しかけてきても
ロインはしゃべることはおろか首を振ることもできず、
ただ見つめ返すことしかできない。
──それはもしかして、
こう思っているからかしら──
ミザリーが優し気に微笑みながら、
言葉を紡ぐ。
──〝私が私じゃない、
別人じゃあないか〟って──
その言葉が聞こえると同時に、
家の中は炎に包まれた。
燃える、何もかもが焼け落ちる。
かろうじて動く目を左にやると、
崩れ落ちる梁の向こうに
腹と背中を切り裂かれた父カルの姿が見え、
正面に戻せばそこにはミザリーが変わらず微笑んでいた。
──ロイン、あなたが助けてくれなかったから──
ミザリーはゆっくりと宙に浮かび、
その髪は燃え立つような真紅に染まり──
魔王の姿となった。
──余は、こんなさまになってしまったぞ──
その声が聞こえると同時にミザリーの顔がどろどろと溶け落ち、
中から村を襲った怪物の顔が現れる。
怪物はにやりと顔を歪め、
ミザリーの声でロインを嗤った。
──信じて、待っていたのにね──
ロインは目をつむることも逸らすこともできず、
ただ地獄のような光景を見つめていた。
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「……で、いつまでそうしてんだ?
嬢ちゃん」
「はっせん……はっせ……はっ!?」
その一言で現実に返ってきたミザリーは、
ああ、と答えて宿の中を見回した。
向かって眼前に亭主のいる受付があり、
右後ろには奥に通じているだろう扉がある。
左側は大きく開いた空間になっており、
食堂だろうか机を4脚の椅子が囲んでいる。
そのさらに奥には上へ向かう階段があった。
おそらく上の階が宿泊する場所になっているのだろう。
「……飯代もらってるからな、
まずは食っていくだろう?」
「む?う、うむ。お腹はとても空いているが……
そこに座ればいいのだろうか?」
ミザリーが椅子を指さすと、
亭主はこくりと頷いた。
「……ああ。
じゃあ用意するから待ってろ、
背中の兄ちゃんの分は一緒に出していいか?」
「む、そういえばこやつ全然目を覚まさないな……
うむ、たたき起こすので頼む」
「……あいよ」
亭主が奥の扉を開いて入っていくと、
ミザリーは近くの椅子にロインを下ろし、
自分も隣の椅子に腰を下ろす。
さて、起こすといったがどうしたものか……。
「先ほどからずっとうなされている様だからな。
無理に起こすとまずいかもしれない」
以前アズから
「眠っている人がうなされても無理に起こさないで上げてくださいませ、
人は時に悪夢の中でそれに打ち勝ち、
精神を安定させる必要があるのです」
と聞いたことを思い出したミザリーは、
では無理なく起こす誘導をしてみてはどうかと思い至った。
「例えばこやつの耳元で、
なにか気を強く持てるような何かを聞かせれば……」
ではこやつが一番入れ込んでいるものは
なんだろうかと考えるが、
おのずと答えは1つだけになった。
「余なのだよなぁ……」
正確には自分によく似た誰かなのだろうが、
ロインはそれをミザリーだと信じて疑っていないようだった。
ピントの小屋での一件を考えると、
それは既に過去のことかも知れないが。
「まあ、ダメでもともとだ。やってみるか」
ミザリーはよしと決心すると、
ロインの耳元に顔を近づけてひっそりと喋る。
「おい、起きろ」
だがロインは微塵も動かない。
言い方に問題があるのかと、
今度は優し気に言ってみる。
「……もう起きなさい」
すると、ロインがピクリと動いた気がする。
脈ありか、とミザリーは手ごたえを感じたが
これを続けるには1つ、
大きな問題があった。
「──想像以上に、恥ずかしいっ……///」
他人の耳元で「起きなさい」などということは
初めてであるし、
誰かに見られたらと思うと顔から火が出そうになる。
しかし亭主に起こすと言ってしまった手前、
もう後戻りもできない。
「っ……起きなさい、ロイン」
今度は名前を呼んでみる。
すると明らかに反応があり、「ぁ…」と小さな声も聞こえてきた。
もうこうなればやけっぱちである。
「姉」とさんざん言われてきたことを活用し、
最後の一言を告げた。
「……起きて、ロイン。私の、弟……」
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いつまでも続く目の前の惨劇は
ロインの目に焼き付いていた。
助けに来たはずのミザリーの一言で、
初めに声を聞いたときにミザリーだと気づけなかったこと、
怪物の赤子の姿を見ても「知らない」と言ったこと、
何度「姉ちゃん」と呼んでも違うと否定されたこと。
様々な思いが渦巻き、
ロインを内側から変質させていく─
〝──……〟
ふと、何かが聞こえた気がした。
それはほんのかすかだが声だったように思え、
ロインは耳をそばだてる。
〝──起きなさい……〟
ロインは信じられない気持ちになった。
それはいつも耳にしていた声、
暖かい包み込んでくれるような声、
さらわれ、助け出そうともがき、ようやくたどり着いたはずの声──
ロインは渾身の力で体を動かそうとすると、
首が自由に動かせるようになり辺りを見回す。
いまだ家は燃え続けており、血を流すカルと怪物のミザリー以外は誰もいない。
〝──起きなさい、ロイン──〟
今度はさらにはっきりと聞こえ、
家の出入り口の扉がひとりでに開いた。
外はまばゆい光で満ちており、
その中に1人の人影が立っている。
輪郭がぼやけているが、
声はその人影から聞こえているとロインは直感した。
とにかくあばれ、動かない体を無理やりに捻り声を上げようともがく。
──ぁ……──
喉から声が漏れ、
ロインは力の限り叫ぼうとする。
姉ちゃん待ってて、今行くから──
へばりついていた椅子が体から剥がれ、
出口へ向かっておぼつかないながらも一歩、
また一歩と踏み出していく。
〝──起きて、ロイン。
私の、弟──……〟
確信に変わった思いはロインの腕を動かし、
足を進め、どんどんと前進していく。
──その腕を、足をガシリと掴む者たちがいた。
──ロイン、お姉ちゃんを置いていくの──
怪物の顔でしゃべるミザリーの姿をした「何か」に、
ロインはいつの間にか手にしていた弓で何も言わず矢を放ち、
その頭を射抜いた。
──目覚めてどうなる。
あのミザリーは姉ではないかもしれないぞ、
この悪夢が現実になるぞ──
いつの間にかロインの顔となった父が、
足をつかんだまま懇願するように言った。
──ロインは「それ」に矢をつがえる。
「いいや行かなきゃ。〝姉ちゃん〟が待ってる」
ロインの答えに父は「……そうか」とだけつぶやくと、
やがてその手を離した。
ロインはもう振り返ることもなく、
家の外に広がる光の中へと、人影のもとへと歩んでいく。
その光は何もかもを包み込み、
やがてすべてが飲み込まれていった──
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ミザリー「……恥ずかしい、消えてしまいたい……」
ロイン「…ぁ、ね、ちゃ……」