前途多難
大通りの騒ぎが聞こえない場所まで
逃げてきたミザリーたちは一息吐き、
冷や汗を拭う。
「ぜぇ、はぁ……
っ、だいぶ声が遠くなったな……
誰にも見咎められなかったところを考えるに
無事に逃げ切れたらしい……ふぅ」
「それならもう安心だね姉ちゃん!
いやー上手くいって良かッた!!」
ミザリーがこちらに笑いかけてくるロインの顔を睨んでやると
元気そうだったロインは途端に怯えた子犬のように小さくなる。
結果論として侵入してしまった家屋の主にも見つかることなく
あの場から脱出することができた、
だがその方法にあまりにも問題がありすぎた。
「他人様の世界に土足で踏み入った挙句に
大騒ぎを起こした挙句逃げ出すなどと……!
質が悪いにもほどがある!!」
「ごめんなさい姉ちゃん……」
しゅんと項垂れるロインにミザリーは
叩きつけるように叫んだ。
「しかし一番許せないのは、
それを止めることも代案を
出すこともできなかった余自身……っ!!
お前の姉の代理となるならば、
それくらいは出来なければならなかったのに……!!」
「そんな姉ちゃん!!
責任は全部俺にあるからッ!!」
あたふたしながらミザリーを何とか元気付けようと
ロインがいくつもの励ましの声を投げかけるが、
それでもミザリーの表情は晴れない。
ミザリーは足元に目を落とし
ロインは姉を励まそうと躍起になっていた。
──ゆえに、
2人が第三者の接近を許してしまったのは
仕方がなかったのかもしれない。
『Verzeihung』
「……む?」
「なんだ?」
聞きなれない言葉にそちらを向くと、
〝ブルーマン・ショップ〟で見た〝でにむ〟の服に似ている
上下揃いの服を着た3人の男が、
どこかどんよりとした目つきでこちらを見ている。
「こ、この世界の者たちか?
まさか先ほどの騒ぎが余らの仕業だと
見抜いて追いかけてきたのでは……!」
「だとしたら戦ッて口封じするしかないけど」
「だからその野蛮すぎる考えをやめろと!!」
相変わらず好戦的過ぎるロインの発言に
肝を冷やしたミザリーは、
男たちに頭を下げた。
「大変申し訳ない!!
不躾な連れが失礼なことを言ってしまったことを
深く謝罪させてもらえないだろうか?」
「Was Sagst du」
「Ich Verstehe überhauptnicht」
「Alles Geld Vorhanden」
『Ich werde es zurücklassen!』
「なんだ、何て言ッてんだこいつら?」
ロインが首を傾げるのと、
男たちが両の手を握り締めて
顔の横へ構えたのはほぼ同時だった。
「……何かまずいことになっていないか?」
「まァ、話し合う姿勢じャないのは確かだよね。
武器全部無くしちまッたのは失敗したなァ」
ミザリーとロインも戦闘態勢に入った瞬間、
男の1人がロインに殴りかかった。
「Bitte essen!」
「何言ッてんのかわかんねェよッ!!」
その拳を颯爽と躱し、
ロインは男の顔面に鉄拳を叩きこみ──
「ッッ痛ッ!?」
直後、手を抑えながら石畳を転げまわった。
「なっ!?一体どうした!?」
「……Was?」
「Was ist passiert?」
ミザリーが問いかけるが、
残る2人がこちらめがけて突進してくるのを見て
慌てて拳を繰り出そうとしたミザリーは、
ロインの反応にゼクルヴィッスを殴った時の事を
思い出す。
あの時まさに自分も似たような反応を
していなかっただろうか?
生身であるはずなのにまるで鋼鉄を殴った時のような
痛みと感触を思い出し、
寸での所で拳を止めたミザリーは
男が振りかぶってきた拳を
身体を逸らしてなんとか直撃を免れる。
「あ、危な──」
息を飲んだミザリーは、
だが咄嗟の判断ではもう1人の男までは反応しきれず、
体に組み付かれるのを許してしまった。
なんとか振りほどこうとするものの、
万力のような力で締め上げられ
抜け出すことはおろか身じろぎすら難しい。
「マズい、マズいマズいぞっ!!」
胴に回された腕がだんだんと狭められて、
満足に息ができなくなってくる。
更に先ほど殴りかかってきた男は
ミザリーが抵抗できないと見るや、
口角を上げながらミザリーへと手を伸ばし
ドレスの襟に手をかけた。
「く、うぅっ……!!」
「こ、の野郎が……ッ
姉ちゃんを離しやがれクソッタレ!!」
ロインは男に向かって突進し
その顔面に拳を叩きつけるが、
やはり男は堪えた様子すら見せず
その拳からは血が流れ辺りに飛び散る。
しかしそれでもロインは殴ることを止めず、
男もそれが煩わしくなったらしく
眉を顰めるのが見えた。
「Es ist nervig……
Bitte bleiben Sie unten」
面倒そうな顔で男が拳を振りぬくと、
その拳はロインの顔に直撃し──
文字通り、ロインは空を舞った。
「ロ──」
言葉が続かない。
面倒な奴ではあった。
煩わしく思ったこともあった。
──それでも、死んでしまえばいいなどとは
思うことはなかった。
何より先ほど、
姉が見つかるまで代わりを務めてやると聞いて、
泣きじゃくりながら喜んで──
そう思う間に、
ロインは壊れた人形のように
石畳の上に叩きつけられた。
「ロインっ!!!」
声をかければ
満面の笑みと共に返事をしてくるはずなのに
ロインの声は聞こえない。
「おい……
帰るのだろう?
元の世界に……
そう言いだしたのはお前だぞ……?
それなのに、
こんなところで斃れていいのか……!」
視界が滲んで見えなくなる
ロインにそこまで絆されているわけではないはずなのに
なぜこうも悲しいのだろう
いや
もしかしたら
家族を喪うということは
こういう感じなのかもしれない──
「目ぇ閉じて耳塞げぇぇぇっ!!!!」
誰かの叫び声が轟き、
足元に何かが転がってくる。
その声で現実に引き戻されたミザリーは
何のためにと一瞬考えたが、
今は従うべきと直感が告げ
訳も分からず目を閉じる、
しかし抱き着かれているせいで
腕を動かせずそれしかできそうもない……!
「Ja?」
聞こえたのは男の不思議そうな声で
刹那目を閉じてもわかる激しい閃光と
耳を塞がれたような感覚を最後に、
ミザリーは意識を手放すことになった。