心の薬
やがて涙も枯れたと思えるほど
泣き切ったミザリーは、
目を拭って亭主を見つめた。
「すんっ……
すまなかったな、
いつまでも泣いているわけには
いかない……
もう、割り切らなければ」
「……そうだな、嬢ちゃん。
あいつは敵だった、
人生にはそうやって割り切って
考えなきゃならねぇときは来るもんだ。
強く生きていきな」
亭主の慰めの、
しかし勇気づける言葉に頷いたミザリーは
感謝する、と言葉を添えて礼をした。
「姉ちゃん、いい感じに
元気出たところだけどごめんね」
ロインがミザリーに謝りながら断りを入れる。
何事かと動向を見守っていると、
ロインはカッと目を見開いて亭主を睨んだ。
「てめェさッきから何のつもりだ!
俺たちに助言でもしに来たつもりか!?
俺はほぼ武器を出し尽くしちまッたから
けん制したくてもできなくて
様子をうかがッてたけどよ!!
〝教会〟の関係者ならてめェも敵だろうが!!」
ミザリーはロインの言葉を咀嚼し
考え込み──
「──そういえばそうだったな!?」
素っ頓狂な叫び声をあげた。
寄り添うような言葉に甘えていたが、
一番最初に〝教会〟側の人間だとはっきり
明言していたことを思い出してミザリーは
亭主から距離を取る。
「……おいおい、今更過ぎるだろう。
俺は戦闘なんざできねぇよ、
うまい飯を食わせることが俺の
能力だからな」
「その飯で俺たちを上手いこと
操るようなことしてたんじャねェのか?
確かにあの飯は全部美味かッたけどよ、
今その話を聞きャあ警戒するなッて方が
無理だろうが!!」
ミザリーは心を槍で
つつき回されるような感覚に陥った。
今の今までそんなことを考えすらしなかった
自分が情けなくなり、
気分が奈落の底まで突き落とされる。
「……おい兄ちゃん──」
「何も言わせねェぞ?
どうせそう言いながら
姉ちゃんを懐柔するようなことを
言うつもりなんだろうが!!」
「……それなら最初からそうするさ。
とにかく今は隣を見てみな」
「あァ?」
怪訝な顔をしたロインの目がこちらを見る。
ミザリーはピントとは別の理由で
心に深手を負い、俯いていた。
「すまない……
余はお前が口にしたことを
考えもしなかった戯けものだ……
今でもまたあのご飯が食べたいなと
思うような大間抜けだ……
余を笑ってくれ……」
「姉ちゃん!?
いやそんなことないよ!?
俺もあの飯は間違いなく美味かッたッて
思うし、なんなら今でも食いたいのは
俺も同じだし!!
ね!?だから大丈夫だよ!!」
ミザリーの背中をさすりながら
ロインは必死に励まそうと言葉を尽くす。
しかしミザリーはそうされるたびに
自分が間抜けだとさらに自覚せざるを
得なくなっていく。
「すまない……すまない……」
「姉ちゃァァァん!?
ごめェェェん!!
俺が悪かッたよォォォォ!!」
亭主は「話が進まなくなった」という
顔をしてため息を吐くと、
懐に手を突っ込んだ。
「……嬢ちゃん。
そういう考えに陥る時は
たいてい美味い飯にありつけていないときだ。
そういや今日の昼飯は作り置きに
しちまったから、
暖かいもの口にしてねえんだろう?」
「……ぅ?うむ……
確かにそうだが……」
「それがどうしたッてんだよ?」
ミザリーとロインが怪訝な顔をしていると──
「……よっと」
亭主は懐から調理場を取り出した。
様々なことが起こりすぎて
幻覚を見ているのかと思ったが、
何度見ても目の前には調理場が存在しており
ミザリーは目をしばたたかせた。
「えっ……?
これは、いったい……」
「それがてめェの異能とやらッてわけか」
異能。
その単語をミザリーはどこかで
聞いたような気がして記憶を探り、
機関車の中でキヅクの兄から聞いたことを
思い出した。
「確か、不可思議な能力のことだったな……
うむ、自身への攻撃を相手にも返すなどという
妙な技を使うのだから、
これもそう考えれば……」
納得しかけたミザリーに
亭主は手を振って否定した。
「……ああ、こいつは異能じゃねえぞ?
こいつは〝ポケットキッチン〟っていう
持ち運びできる調理台一式だ。
残念だが〝教会〟の連中にしか
支給されないものだがな」
「それを俺たちに見せて
どうしようッてんだ?」
ロインが訝しげに尋ねると、
亭主はいたずら者がするような
笑顔をこちらに向けた。
「……〝実演〟ついでに
暖かいもんでも振舞ってやろうと
思ってな」
『えっ?』
亭主は虚空に手を差し出したかと思うと、
忽然と手が空中に消える。
そしてその手を引き出すと
その手には卵が握られていた。
「……これが俺の異能、
〝万能食糧庫〟。
どんなものだろうと食べられる物なら
際限なく、いくらでも入れられるうえに
劣化しねえし、どこでも取り出せる代物だ」
〝ポケットキッチン〟なるものの焜炉に火を入れて
卵を揚焼鍋に割って入れると、
木べらで手早くかき混ぜる。
手首を使って器用に揚焼鍋を返すと、
卵は丸く形を作り半月状になっていく。
亭主が再び手を差し出すと、
今度は細長い袋状のものを取り出して
卵を皿に移して焼き始めた。
「いい匂いがする……
これは肉だろうか?」
「おい、さッきのこれで
肉を出すのかよ!
これも人肉じャねェだろうな?」
「……確かに俺の食糧庫には
人間を入れられちまった。
だからピントはひらめいちまったんだろうが、
俺は使わねえよ。
何より人によっちゃあ匂いで気づく」
ミザリーはそれを聞いて串焼きの
出来損ないの燻製のような臭いを思い出して
げんなりした顔になった。
「……栄養が偏っちゃいるが、
今は暖かい飯ってことで
これで我慢してくれ。
俺がこの町に来る前に作った
ソーセージだ」
焼けた〝そーせーじ〟とやらを
卵の乗った皿に乗せると
空中からパンを取り出し、
フォークを添えて
ミザリーたちに差し出した。
「……まずは体に休息を取らせろ。
心が疲れている時も、
眠ることと美味い食事が薬になる。
さっきしたようにめいいっぱい
泣くこともな」
皿を受け取ったミザリーは
食べてもいいものかと思ったが、
漂ってくる卵と細長い袋に詰まった
肉の香りが鼻腔をくすぐる。
これは間違いなく美味しいものであると
体が反応し、
知らず知らずフォークで卵を掬うと
パンに乗せて口へと運ぶ。
サクリ、と口の中で音を立てたパンと
暖かい卵が口の中で旨味へと変わる。
冷たくなっていた心に
暖かい食事は染み渡り、
ミザリーは枯れたはずの涙が
再び滲んでくるのを感じた。
「美味しい……
ああ、美味しいなぁ……
暖かい、とても……」
「あァ、確かに美味いね。
やっぱりなんだかんだ言って
あんたの飯は美味いんだ」
ロインも食事を口に運び
口元が緩んでいる。
「お前、先ほど亭主殿を
ボロカスに叩いていなかったか?」
「姉ちゃんが食べるなら俺も食わなきャ
何か起きた時に対応ができないかもしれないし、
美味い飯に罪はないからね!」
「なんだそれは。
一緒に食べて痺れ薬でも盛られたら
一網打尽ではないか」
ミザリーは目に涙を浮かべながらも
ロインの言葉に笑う。
「……美味い飯を食えば
心は落ち着くもんだ。
この〝ポケットキッチン〟は
嬢ちゃんたちにやる。
小さい握りこぶし大の
大きさの球になるから、
平らな地面に向かって投げな」
使った揚焼鍋を洗い終えると
亭主は調理台の横にある小さなでっぱりを押す。
すると調理台は小さな球になり、
すっぽりと手の中に納まった。
「これを……余らに?
なぜそんなことを……」
「〝餞別〟のひとつだ。
持っていけ」
「餞別?そういえば俺たちは
どうやッて帰れば……」
ロインの疑問にミザリーも頷いた。
一体どういうことなのだろうか?
亭主はその場に座り込むと、
その問いに答えるように口を開いた。
「……そうだな。
じゃあ続きと行こうか、
この町の〝真実〟ってやつのよ」
ミザリー「もぐもぐ……」
ロイン「ガツガツ……ムシャ……」
亭主「……飯は逃げねぇよ。落ち着いて食え」