脱出
ミザリーはしばらくの間
言葉を発することができなかった。
なぜだ、
なぜそんなことをキヅクは言うのか?
確かに自分とロインは赤の他人のはずだ、
それが姉弟だと言われたことにも驚いた。
しかしそれらがかすむほどに
聞かされたロインへの思いに固まった。
あれほどまでに姉を慕うロインに対して
ミザリーが思っていた感情が──
「余が……〝恋慕〟と〝殺意〟を
抱いていると……?」
「そうなの……
貴方があの男の人に抱いていた思いは、
恋焦がれる思いと、
すさまじいまでの殺意の2つ。
〝催眠〟状態で嘘はつけないから、
この2つの思いは間違いなく本物……
その中でも、殺意は本当にどす黒い
思いが混じりあっていたのよ……」
予想していた中に恋慕はあったが、
──それだけでもかなり衝撃的だが──
なぜ余がロインに対して殺意を抱くのだろうか?
ロインにはこの世界に来てから
助けられてばかりである。
だがいままでそんな思いを抱いたことも
衝動も感じたことなどない、
恋慕に至っても同様である。
自分が魔王であることが理由なのだろうか。
しかし〝催眠〟は本人の心の奥底を
覗き込む魔法としても有用であることは
ミザリーも知っていた。
相手の心を支配することで、
嘘偽りなく相手の心の内を
吐露させることができるのだ。
──だからこそ、
余計に信じることができなかった。
「なぜ余があやつに恋慕するのだ……?
感謝はしているが、
それ以上の思いはない。
だからこそ余計に殺意を抱く
理由もわからない……」
「……ねぇ貴方、
今まで住んでいたのは
〝魔王城〟っていうから、
お城なのよね?」
キヅクの質問に、
ミザリーはなぜそんなことを聞くのかと
思いながらも頷いた。
「うむ……
そうだが、それがどうかしたのか?」
「〝催眠魔法〟でできることは
あくまで情報を引き出すだけだけど……
聞く限り、
お城で過ごしたらしい表現はすごく少なくて
村で過ごしたとか、山に山菜を取りに行ったとか
そういう言葉が多かったのよね」
「なんだそれは……」
ミザリーはその言葉を否定しようとしたが、
なぜかその風景を自然と頭の中に
思い浮かべて困惑した。
想像の中の出来事にしては
妙に思い浮かぶ画が明瞭であり、
その思いが加速していく。
そんなことを考えていた最中に
後ろ側の客車の扉ががらりと開き、
ロインがトルションに肩を貸しながら
入ってきた。
「そら、おッさん!!
初めの客車まで戻ッてきたぞ、
もう少しだからな!!」
「はぁ……はぁ……
ありがとう、ございます……
ここから先、は……
1人で、行けます、よ……」
その姿にミザリーは肝をつぶした。
ロインは血まみれになっており、
トルションは息も絶え絶えという
明らかに無事とは言えない
見た目であり、
今の話をわきに置いておいて
キヅクと共にロインへと駆け寄った。
「どうしたのよこれ!?
お、おじさん大丈夫!?」
「お前も一体どうしたというのだ!?
全身血まみれで、どれだけの怪我をしたのだ!?」
「これは全部返り血だよ姉ちゃん!
だから俺は怪我とかはしてないんだ、
それよりも俺と一緒に戦ッてくれた
おッさんが背中刺されてヤバいんだ!!」
ロインの言葉にトルションの背中を見ると、
確かにじくじくと血があふれてきている
場所がある、
このまま放っておいてはまずいことになるだろう。
「とにかく、元のキカンシャまで
戻るしかなさそうだ!
お前は余を前まで連れて行ってくれたな、
その方法でトルション殿を
前まで連れていけるか!?」
「えッ、できないこともないだろうけど
でも姉ちゃんも重症だよ!?」
ロインの言葉にどうだろうかと
自分の体に聞いてみると、
まだ痛みはあちこちに残っているが
動くことに関しては支障は
内容に思えた。
「……うむ、
余は大丈夫だ!
お前はトルション殿を運んでくれ!
キヅク殿、そなたは自分の兄を
運ぶことはできるか!?」
「あたしの体なら、
たぶんできると思う!
いけるよ!」
ミザリーは頷き、
少しきしむ体に鞭を打って
先頭の機関車に向かって
全員で移動を始める。
すると、ちょうどそこに
ゼクルヴィッスたちが戻ってきた。
「ただいま戻りまし──
またどうしたんですか!?
今度は全身血まみれなうえに、
トルションさんの様子まで
おかしい!?」
「際しく話してる時間はねェ!!
おッさんと姉ちゃんが重傷だ、
とにかく俺たちの乗ッてきた
キカンシャまで戻るぞ!!
それとおッさんの伝言だ、
このキカンシャはぶッ壊すしか
ないらしい!!」
その一言でゼクルヴィッスは何かを察したらしく、
頷き返すと後ろに控えるカビネーと
もう1人に叫んだ。
「今の話を聞いたな!?
全員生存者を抱えて
この機関車から脱出する!!
残っているメイドは1人だ、
あとの2人は怪我をしている者を抱えて
俺たちの機関車まで戻れ!!」
『了解しました!!』
ロインはトルションを
やってきた自警団員に預けると、
自身はミザリーの元へと向かってきた。
「姉ちゃんは俺が運ぶ、
それでいいな!?」
「何言ってんスか、
あなたもすごい出血なんじゃないスか!?」
カビネーが驚いたように叫ぶと、
ロインは自分の服を指して言った。
「こいつは全部返り血だ!!
だから問題ない!!」
カビネーは答えあぐねていたようだったが
ロインの顔に気圧されたのか、
ため息をついて脇によけた。
「だめそうだったら言ってください、
すぐに代わるんで!!」
「馬鹿言え!
俺は体力には自信があるんだからよ!」
ロインはミザリーを背負い込むと
紐を腰に回して椅子を作って座らせる。
「こ、この紐の椅子
すり抜けそうで怖いのだが……!?」
「姉ちゃんがしッかり俺に
掴まッてくれたら大丈夫!!
……それとも俺は信じられないかな?」
その言い方にミザリーはぐっと言葉に詰まった。
そんな言われ方をされては信じるしかない、
少しばかりずるい方法だと思った。
「……お前を信じよう。
頼むぞ!」
「よッしャあ!!
任せといてよ!!」
俄然張り切りだしたロインに
現金な奴だとあきれ気味に吹き出すと、
ロインもつられたように笑った。
「姉ちゃん少しでも元気になッてよかッた!!
さすが姉ちゃんだね!!」
「そこは『さすが魔王だね』ではないのか?」
〝石炭〟を大量に積んだ場所を無事に通り過ぎ、
あとは機関車部分から飛び移るだけ──
「──おいあんた。
さッき何かあッたら運ぶのを
代わッてくれるッて言ッたよな?」
ロインがなぜかここまで来ておきながら、
ミザリーを下ろしながらカビネーに尋ねることに
ミザリーは疑問を抱いた。
「お、おい……
いったいどうしたのだ?」
「姉ちゃんごめん、
どうやら俺を追いかけてきた
熱狂的信者がいるみたいでさ」
ロインが頭上を見上げながら言った瞬間、
突然機関車全体を揺らす衝撃が走った。
「うおおっ!!?なんスか!!?」
「ど、どういうことだお前!?」
ミザリーがロインに問いただそうとすると、
機関車の屋根からぼたぼたと何かが
垂れているのが見える。
「オォォォォォォォォォォォ
マエダケハァァァァァァァァァ……
オレガ殺ォォォォォォォォォス!!!」
──怨嗟のような声と共に
機関車の屋根からぬらりと
血まみれの人の頭がのぞく。
その目は真っ赤に染まっており、
もはや人と呼んでいいものかわからない
存在が、そこにいた。
「な……なんだあやつは……」
「マジモンの化け物ッてやつかな。
俺が剣を折ッたッてしつこく
追い回してくるんだ」
そう答えるロインの顔にも
焦りの色が浮かんでおり、
明らかにまずい状況だということが見て取れた。
「アホ、お前もしかしてあやつと戦う
つもりではないだろうな!?
どう見てもまずい相手だとわかるぞ!?」
「だからこそだよ、
このまま放ッておいたら
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで
姉ちゃんまで襲うかもしれない!!
あいつはここでぶッコロす!!」
ロインはそう言い放ち、
ミザリーとカビネーの
背中を押した。
「先に行ッてて姉ちゃん!!
俺も後から追いかけるからッ!!」
「何を言っているのだ!?
お前も一緒に──」
ミザリーが手を伸ばすものの、
カビネーがその手を掴み
背負いこまれてしまった。
「な、なぜっ!?
今離れたらあやつは──」
「俺の直感スけど、
あいつには俺たちじゃ手も足も
出せないス!!
勝てる見込みが少ないなら、
被害を最小限にとどめるのが
俺たち自警団の仕事なんスよ!!」
カビネーはそう言い放つと同時に
機関車の横っ腹にしがみついて、
先へと進み始める。
その理屈はミザリーにも
理解はできた、
しかし納得することまではできず
あがこうとするも、
カビネーの力もすさまじく
全くびくともしなかった。
「……っロイン!!」
ミザリーは思わずロインの名を叫んだ。
「待っているからな!!
絶対に戻ってこい!!
でなければボコボコにしてやるからな!!」
その一言にこたえるかのように
機関車が激しく揺れ、
カビネーは機関車の先端まで大急ぎで
たどり着くと、
貨車に向かってめいいっぱい飛んだ。
「うおおーーーーっっ!!!!」
「ロインーーーーーーっ!!!」
視界から機関車〝ブルゴーニュ・アレゲニー〟が
離れていく。
そしてカビネーが乗ってきた貨車に
着地した瞬間、
背後の機関車から大きな衝撃音が
とどろいたのだった。
ゼクルヴィッス「何が起きたんだ……!?」
トルション「ごほっ……ああ……
お兄さん……」