出立
チチチっと遠くで鳥の鳴き声がした。見上げると抜けるような青空が広がっている。雲ひとつない。蜘蛛は見えるけど。飛行型の蜘蛛が風に乗って飛んでいた。ここから見えるって、どれだけデカいんだろう…。
「レイト。良かったのか、本当に」
コクシンの声に、意識を戻す。
「まぁ、魔法鞄は魅力的だし、楽はできるんだろうけどね。ズルズル続いちゃうような気がするし」
カッポカッポと3人揃って馬に揺られている。
ヴォラーレの街を出てきた。食堂でのあれこれの翌日、1日かけて出立の準備をし、ついでに出会った知り合いに挨拶もしといた。急な出立に驚かれはしたが、冒険者とはそんなもんだろうと止められはしなかった。そして今日、朝の開門と同時に街を離れた。
コクシンが言っていたのは、冒険者ギルドに寄ったときに、ニルバ様に声を掛けられたことだ。あれこれあったあの遺跡の、放置されていた2つをもう一度調べ直すらしい。一緒に行かないかと誘ってもらったのだが。
「まず出てくるのが魔法鞄なのか?」
「だって、やっぱり魅力的だよ。肉詰め放題」
「肉詰め放題…」
呆れたようにコクシンが繰り返す。大多数の人が、それはあの貴重な魔法鞄の使い方として間違っていると言うだろう。だが俺にはそれこそが大事なのだ。新鮮な肉、大事。まぁあと、魔物の持ち帰りに便利とかもあるけどね。
ニルバ様は悪い人じゃないし、話すのは楽しい。御者さん強いし、護衛として雇ってくれるならポイントもお金も入る。ただなぁ。せっかく街を出る気でいたのに、ズルズルと居着いてしまいそうだ。
「好きなときに好きなことを。それが俺のモットーだからね。やっぱりこの形態が楽でいいよ」
今朝街を出てから、もうすでに2回ほど道草を食っている。ご飯用にウサギ追い掛けてと、見知らぬ果実を見つけての寄り道だ。他人がいるとこうはいかない。コクシンもラダも「早く行こう」とか急かさないし。
「レイト、レイト! これすごい甘い!」
隣のラダが手に持っている果実を見せてくる。トゲトゲした見た目はいまいちな実。さっきもいできたやつだ。
「だから甘いって言ったろ。気を付けろよ」
「分かって…あ、来た! これは僕のだよ!」
ぶんぶん手や顔を振り始めたラダからちょっと離れる。ラダの周りに虫が集りだした。
「大丈夫か、あれ」
「忠告はしたよ。それでも食べるって言ったのラダだもん」
ラダが食べているのは、めっちゃ甘い果実だ。ただその香りに引き寄せられて虫が集まる。鑑定したらそう出たので、俺は手を付けなかったんだけど、ラダはチャレンジした。わざわざ虫除けの薬まで塗りたくったのに、あのザマだ。逆にスゴイ。
「美味しかったぁ。見て、レイト。手に付いてくる」
虫と格闘しつつ、食い切りやがった。いい笑顔でラダが手を振ると、果汁に濡れた手に虫がぶんぶん付いていっている。ラダって意外に虫は平気らしい。俺はあの羽音がだめだ。
「早く手を洗えよ。そのうち刺されるぞ」
「分かってるよ」
ジャバっと水を出すが、ラダが出せる水の量では洗いきれないようだ。しつこく付いてくる虫に、困ったようにラダが俺を見る。言わんこっちゃない。
「えいっ!」
馬を止めて、ラダに水をぶっかける。なにか甘ったるい香りしてるから、丸洗いしとこう。
「にぎゃあ!! せ、せめてお風呂出してー!」
「ええ、やだよ。こんな狭いとこで野営出来ないじゃん。今日あったかいから、そのうち乾くって」
「ひどい」
「レイト。あそこはどうだ?」
コクシンが張り出した岩の上を指差す。今俺たちが通っているのは、谷のようになっている場所だった。道が狭まっているので野営には向かない。
「野営すんの? てか、馬であそこまで登れる?」
「ちょっと見てくる」
さっそうとクロコに跨がり、斜面を登っていくコクシン。ズブ濡れのラダとそれを見送る。ひひぃんと、ラダの馬ツクシが鳴いた。見るとツクシにまで虫がくっついている。果汁こぼしたな。
「お前も丸洗いだな」
ラダに馬具を外させ、ツクシに水をかけて優しく洗っていく。
「僕と扱い違わない?」
「ラダのは自業自得でしょ。ツクシはとばっちり受けただけだもん、なぁ?」
ぶひひっとツクシが鼻を鳴らした。ラダには外した馬具を洗っとくように言う。タライを引っ張り出し、そこに水を貯めとく。
「魔力大丈夫?」
「これくらいなら平気。風呂は…ちょっと時間空けたらいけるかな」
「へっくし!」
「これみよがしにくしゃみとか」
「いやいや、今のは偶然!」
プルプルとラダが顔を振る。
「上は開けてる。野営した跡もあったよ」
コクシンが戻ってきた。しょうがないなぁ。
「先に行ってお風呂の準備してくるから、コクシンはラダと一緒に上がってきて」
「分かった」
「やったー」
ラダが手を上げて喜んでいる。まぁ、流石に丸洗いはやりすぎた。風邪引かれても困る…いや、回復薬で治るか。見晴らしのいい場所でのひとっ風呂も乙だよね。どうせなら露天風呂風に…魔力が保たんか。
ブランカと共に斜面を登る。よく見ると獣道になってるな。人を乗せたままの馬でも登れる。着いたのは崖の先に大きな一枚岩がでんとある、都合よく開けた場所だった。こりゃ人の手が入ってるな。
お湯を流すので、林ギリギリの場所にお風呂を設置する。たしかに見晴らしはいいが、これと言って見るべきものがないのが残念だ。どこを見ても森とか林だ。
「おお、すごーい」
ラダがタライを担いで上がってきた。その後ろにコクシンが2頭の馬を引いている。息を荒らげているラダは、岩の上から見る景色にはしゃいでいた。
「お湯入れちゃうから、2人は野営の準備ね」
「「分かった」」
ジャボジャボと手からお湯が出る。我ながら不思議な光景だ。一気に出せないものかと思ったのだが、生活魔法だとこの勢いでしか出せないようだ。まぁお湯が出るだけマシだ。沸かすとか、とてつもなく時間かかりそうだし。
「ラダー。入ったから、一番風呂どうぞ~」
途中で頭痛が来るかと思ったが、まだ平気みたいだ。魔力量増えてるのかな。
ラダがお風呂に入っている間に、夕食の準備と思ったがまだ時間的に早い。今日は串焼きにするつもりだから、下準備の時間はそんなにいらない。焚き火の準備はコクシンがやってくれている。俺は岩の上で大の字になって、ぽけらっと空を見上げた。
「いい天気だ」
ボーっとしているのがもったいないような天気だ。でもだからこそボーっとする贅沢な時間。
「レイト。寝てるのか?」
コクシンが覗き込んできた。目を開けると、小首を傾げた。
「具合でも悪いのか?」
「元気だよ。お風呂、先入っちゃってね」
「ああ」
頷くが、なにか聞きたそうにそこから動かない。俺は勢いをつけて上半身を起こした。
「次はどこに行こうねぇ」
行き先は決めずに街を出た。行き当たりばったり、たまに街道に標識があるから、それを見て決めようってことにした。2人は何も言わない。
「どこでも構わない。この3人で行けるなら」
コクシンのくさいセリフに思わず笑いが漏れた。なかなか思ってても口にはしないセリフだよね。すんなり言えちゃうところがコクシンだ。
俺は寂しいのかな。それとも不安なんだろうか。
「レイト、大変! 顔刺されてたみたいで腫れてきた! 回復薬ちょーだい!」
慌てたラダの声に振り向くと、お岩さんみたいになったラダがいた。笑っちゃいけないが笑ってしまう。よほど慌てたのか、マッパで騒いでいる。魔法鞄からラダ製の初級回復薬を取り出すと、コクシンが持って行ってくれた。
「ちょっと前まで一人で生きてくつもりだったんだけどなぁ」
ぐいっと伸びをして立ち上がる。空の色が変わり始めていた。ご飯の準備でもするか。
「レイト。なにか来る」
少し緊張したコクシンの声。
えーもー、今日はまったりしたいのにー。
 




