誰だ、名前つけたの!
じっとこちらを見下ろす、ネコ科の瞳。獰猛な爪先が岩を掴んでいる。ハッハッと荒い呼吸をしている口元には、がっつり牙が見えた。
ただし。もっふもふ。そして牛柄。
顔だけ見るとヤバい。大きさもヤバいな。体高は俺より確実に大きい。なのに、全体的な印象がチグハグで、反応に困る。
動いた魔物がすとんと静かにこちら側に降りてきた。コクシンが俺を後ろにかばうように動く。剣は抜いていない。圧はあるが、敵意は感じられない。
「あれ、どう見てもこの辺の魔物じゃないよね?」
小声で聞くと、コクシンは小さく頷いた。
「グランドラードブラックケナガトットラントキングパンサーだな。話を聞いたことはあるが、見たのは初めてだ」
待って。いま呪文言った? 色々突っ込みどころがある名前だけど、パンサーでいいのね? もっふもふだけど。しなやかな体見えないけど。
「白黒だけど?」
「変異種だろう。そういうのをテイムしている冒険者がいると聞いたことがある」
「ええ、いつの間に。っていうか、だから大人しく座ってるのか」
俺たちがこそこそ話をしている間、なんちゃらパンサーはお座り状態でこっちをじっと見ていた。俺と目が合うと、仰け反るように顔を上げた。首元に、キラッとなにか金属片が見えた。
「タグ?」
「ギルド証か」
「あ、なるほど。テイムした魔物にも付けるんだ」
たしかにパッと見たときにテイムされていると分からないと、討伐されてしまいかねない。ただし、こいつのは毛の中にタグが埋もれてしまっているので、あまり意味がない。
「がう」
一声鳴いたパンサーは、ゆっくり腰を上げて踵を返した。少し進んでこっちを振り返る。
「ついてこいってことか」
どうする?とコクシンを見上げる。少し考え、「行こう」と頷いた。
「テイマーが近くにいないのが気にかかる。普通あまり離れないんだがな」
「へぇ。よく知ってるね」
俺たちが歩き始めると、パンサーは先導するように先を行きはじめた。時折振り返っては、小さく「がう」と鳴く。「早く来い」と言っているのか、「こっちだよ」と言っているのか。向こうは確実に俺たちの言葉を理解しているようだが、あいにく俺には聞き取れない。
「衛兵だった頃、テイマーが仲間にいたんだ」
「へー、初耳」
「鷲の魔物をテイムしていた。長時間契約者と離れていると、不具合が出てくるらしい。だから、長距離の偵察に飛ばすのは嫌がっていたな」
「ふぅん」
ある程度の制約はあるんだ。
「がう」
いつの間にかパンサーは切り立った山を登り始めていた。器用に岩から岩へと跳び移っていく。コクシンと顔を見合わせて、俺たちも岩を越えていく。ロッククライミングよろしく岩にへばりついていると、上の方で「ギィ」という声が聞こえた。顔を上げると、ネズミの魔物が首を掻っ切られて下の方へと落ちていった。「ふんす」とパンサーが鼻を鳴らしている。露払いしてくれているらしい。
ちょっと後悔している。俺だけ運動量が多いんですけど。何なのこの凸凹地帯。
「がうがう」
ようやくパンサーが止まってくれた。岩と岩の隙間に前足を突っ込み、こっちを見て「がうがう」と鳴く。
警戒しながら近づき、前足が差し込まれていた隙間を覗き込んだ。
「あ、人だ」
そこには、うまいこと隙間に挟まってしまっている女の子の姿があった。多分彼女がテイマーかな。ボブカットでまだ10代だろうと思われる。大きな怪我をしているようには見えないが、意識がないのかピクリともしない。
ちょっとー、また死体ってことはないだろうな。あれ、テイマーが死んだらテイムしていた魔物はどうなるんだろうな。いやいや、そんな不謹慎なこと考えてる場合じゃなかった。
俺があらぬことを考えていた間に、コクシンが声がけをしていた。だがやっぱり反応がない。
「く~」
そばにお座りして小さく鳴くパンサー。うんうん、心配だね。今なんとかするからね。とはいったものの、コクシンが這いつくばって手を伸ばしても届かない。体は途中でつっかえそうだ。俺が行くしかないね。
「どうするんだ?」
とりあえず、体の小さい俺なら彼女のもとまで降りられる。ロープで括って持ち上げてもらおうか。いや、変に引っ張ると危ないよな。えーと。
「あ、そうだ。土魔法で持ち上げてみよう」
「土で?」
コクシンが首を傾げるが、やって見せたほうが早い。ズリズリと岩の隙間に降りていく。女の子をまたぐような位置で止まった。
「ちょっとゴメンね」
首筋にそっと手を当てる。温かいしちゃんと脈を感じる。よしよし、生きてるね。確認したあと、横向きにだらんとなっている女の子の腹の辺りの隙間に手を伸ばした。
「土よ、出ろ!」
別に言わなくてもいいんだが、なんとなく雰囲気で。
柔らかめをイメージした土が、もりもり出てくる。女の子は地べたに横になっていたのではなく、途中で引っかかっていた形だ。なので下の隙間を埋めるように土を出し続ける。ぐっと女の子の体が動いた。
「まだまだ!」
ぐぐっと下から押し上がってくる女の子。ズリズリと俺も上に移動しつつ、位置を変えながら土を追加する。土の中に土を出すという荒業だが、特に問題なく発動している。魔力は、うん、形作ってないからか平気だな。
「レイト!」
コクシンの声とともに、指先が俺の頭に触れた。もう少し。嵩上げしまくったあと、女の子の上半身をうんしょと抱き上げて起こす。あ、いい香りとか思ってませんよ。コクシンにバトンパスして、ふい~と汗をぬぐう。
俺もズリズリ上がり隙間から顔を出すと、パンサーが首元のマントを咥えて引きずり上げてくれた。こりゃどうも。でもちょっと怖かったです。あ、舐めるのは勘弁してください。舌、舌ザラザラなんでっ!
「で、様子はどう?」
俺がコクシンに話しかけると、パンサーはハッとしたように女の子の傍らへと戻った。心配そうに覗き込み、鼻面を手にスリスリ寄せる。その優しさをさっきの俺にも欲しかった。常備しているラダ製の初級回復薬をグビッとしとく。頬の痛みが引いた。
「大きな怪我はないようだが。意識が戻らんな」
頭とか打ってるとヤバいな。でもここに意識が戻るまでとどまるわけにも行かない。コクシンに背負ってもらうしかないな。と思っていたら、パンサーが寝そべって俺たちになにか訴えだした。
「乗せろって?」
「がう」
いや、大きさは十分だけど、大丈夫?
戸惑っている間に、パンサーは女の子の下に自ら潜り込もうと、ぐりぐりし始めた。揺さぶられても起きる気配がない。しょうがないか。
「で、縛り付けたらいいのかな」
「がうー」
俺に鼻を寄せ、コクシンに鼻を寄せ、それから体をひねって自分の背に鼻を寄せる。
「え、3人乗れんの?」
「がう」
頷きはしないが、キリッとした顔でこちらを見るパンサー。顔はパンサーなんだよなぁ。体はもっふもふなのに。
1番前に女の子、コクシン、俺の順でまたがる。コクシンは俺を1番前にしたがったが、怖いから嫌です。ジェットコースターとか、顔伏せてたからね、俺。何が楽しいんだって言われた記憶がある。浮遊感は好きなのよ。
もっふもふめっちゃ気持ちいい。思ったより柔らかくて、またがるとちょっと体毛に沈み込む感じになる。
ところでこれ、パンサー走ったら落ちない? 毛に掴まってるだけなんだけど。パンサーとかって、走るとき結構背中しなるよね。しかも岩山降りるんだよ?
だがすっくと立ち上がったパンサーは「大丈夫!」とでも言いたげに一声鳴くと、びょーんと大きく跳んだ。風を切って飛んでいく俺たち。コクシンの背中にしがみつきつつ、俺は驚愕していた。
こ、こいつ、飛んでるぞ!?




