生活環境の違いってのが問題だ
「に、ニーナぁ!」
男がアップアップしている。泳げないらしい。どうしたもんかと魚人族のニーナさんを見やる。ニーナさんは大きなため息をついて、歩き出した。どぷんと水中に足から落ちる。と、すぐに男の傍らに浮かび上がった。
「にーにゃぁ」
縋りつこうとした男に裏拳をかまし、ヘッドロックでこっちまで引っ張ってくる。
ぺいっと投げた。ほんと軽々、水中の成人男性を片腕1本でぺいっと放り投げた。魚人族の筋力どうなってんの? しかも、水中で踏ん張れない状態のはずなのに。
べしょっと地上に帰還した男は、口から水草を垂らしついでに鼻水と涙も垂らしていた。
「うぅ~に、に、にゃー」
呻いてるんだか泣いてるんだか猫なんだか、とりあえずは無事のようだ。悲劇のヒロインのようなポーズで「はうぅ」とか言ってる。
ニーナさんは水中から出てこない。岸に寄り掛かるようにしながら、呆れたように言った。
「何度来られてもお前と番になる気はないぞ」
「そんな! どうしてっ」
「だから、何度も説明したろう。生活環境が違いすぎる。俺は一日の大半を水の中で過ごす。お前は泳げない。これでどうして一緒になろうというのだ」
「愛さえあれば」
「どうにもならん。そもそもお前に愛情など持ってないよ」
「はうぅ」
むごい。なんというか、潔くバッサリやられている。
っていうか、見てるのもあれなんで帰りたい。が、お礼は言っときたいし、どうしたもんか。
「ねぇ! 君はどう思う?!」
ぐりんと男が俺の方を見た。いやさっき話しかけんなみたいに警戒してたじゃん、巻き込まないで。
「あ、えっと、ニーナさん? お魚ありがとうございました! 帰りますね」
スルーしてニーナさんにペコリと頭を下げる。にぃっと彼女は笑って、
「それも持って行ってくれると嬉しいんだが」
とか、男を見ながら言う。もちろん男は涙をちょちょ切らせてにゃーにゃー言っている。
「どう見ても脈はなさそうだ。しつこいやつは嫌われるぞ」
そしてコクシンに止めを刺された。
「あ、あー、やっぱり、泳げないとだめなのかな?」
パタリと倒れた男を気遣いながら、ラダが首を傾げる。
「いいや。どうでもいい」
「じゃあ…」
「さっきも言ったが、生活環境の違いが大きいな」
ニーナさんは肩をすくめて、教えてくれた。
魚人族というのは生活の大半が水中だ。仕事も食事も団らんもイチャイチャも。たまの呼吸時と、睡眠時以外は水面に顔すら出さない。ちなみに寝るときはレレカタートルの縁を枕代わりにして寝るのだとか。そんなわけで、他種族と婚姻することは滅多にない。
滅多にない…ということは、あったことはあった。
人族に付いていき陸に上がった女性がいた。だが2日と持たず、帰ってきた。皮膚が干からびどうにもならなかった。
レレカタートルに住み着いた者もいた。だがタートルは建造物を造られるのを嫌がるので、野ざらしだ。しかも想い人は日に数回しか顔を見せない。何もすることがない孤島でひとり時間を潰す。徐々に心を壊してしまった。
真面目な魚人族にだって休みはある。時々やってきて、言葉を交わし時間を共有する。それだけで満足すれば問題ない。
「つまり、通い妻(夫)ならオッケーと」
「いや、レイト。言い方」
コクシンが眉をきゅっと寄せて渋い声で注意してくる。
「はははは。言葉にすれば簡単だが、なかなかそうもいかない。もっと、ずっとと、望みは増していくものだ。いずれ短時間しか会ってくれない相手に不満を抱くのだろう」
笑ったあと、ちょっと困ったようにニーナさんは首を傾げた。
「魚人族というのはな、夫婦間より家族、家族より集落のみんなとの時間を大事にする。2人きりがいいという人間にはなかなか理解できんだろうな」
まぁその辺は人それぞれだと思うが、生活環境も恋愛観も違うということだな。
「そもそも、その男が酔っ払って湖に落ちていたのを、助けてやっただけだ。なぜ俺に執着するのか、皆目見当もつかんな」
ニーナさんが肩をすくめる。
「だって、だってきれいだったんだ! 水の滴るニーナさんが! 力強く俺を抱き上げてくれて、大丈夫かと覗き込むその大きな瞳がキラキラと」
男が復活した。
「捏造するんじゃない。さっきと同じように放り投げただけだ。お前の心配などしていない」
なにかツンデレに聞こえてきた。でも大丈夫。彼女の顔には、男に対する興味の欠片もないように見える。なんならチラッチラ、コクシンを見ている。面食いのようだ。男は…うん、いろんなものに塗れてるからなぁ…。
「そんな! ひどいよ、ニーナ。俺は君のために…」
ガバリと男が立ち上がり、そして止まった。
え、なに? 君のために世界を壊すとかそういうやつ?
「君のために、頑張って仕事を探してるんだ…」
あ、湖のそばで働きたいとかそういう?
「何言ってるんだ。酔っ払って仕事サボりまくってクビになっただけだろう。俺のためとか何様だ」
だめだこりゃ。
しかし、困ったなぁ。ほっとくとストーカーになりそうだな。もうなってるか。んー…まぁ大丈夫か。ニーナさん強いし、なにか大きなことしでかしそうにも見えんし。いや、そういうやつに限って、
「ニーナ、一緒に…」
ゆらりと男が動いた。ニーナさんに近づき、
どぽんっ
…湖に落ちた。
だよねぇ。ニーナさん水中にいるんだもの。
「に、ににゃ、にー、た、たしゅけっ!」
ばっしゃばっしゃ暴れているが、ニーナさんは遠巻きに見ているだけだ。本当は泳げて、助けてもらうためにわざとかとも一瞬思ったが、本当に泳げないらしい。
「がぼがぼがぼっ」
いよいよ危なくなってきたところで、ニーナさんが鷲掴みこっちにリリースしてきた。
べしょべしょの男を見下ろし、途方に暮れる俺たち。
「一度衛兵に突き出したらいいんじゃないか?」
コクシンが言うのに、首を傾げる。
「罪状は?」
「迷惑行為」
「あ、そういうのでもいいんだ」
しかしなぁ。それで大人しく彼女を諦めるかな。
「ラダは?」
「え? う、うーん、こっぴどく振られる?」
「うん。もう振られてるな」
「そうだね」
どうしましょう。
と、困っていると救いの手が現れた。
「おらぁ! アホ息子ぉ!」
どら声にびくんっと男が跳ね起きた。
「お、オヤジィ!?」
割り込んできたのは、筋肉質なガッチリした体躯のザ・親父だった。男の胸ぐらをつかみ、引っ立てる。
「俺の紹介してやった木工屋を勝手に辞め、おまけに俺の名で借金かましたそうじゃねーか。えー?」
う、うわー。もう同情の余地がない。
「ち、ちがっ、向こうがクビに…」
「おぉん? 備品も勝手に売り飛ばしたそうだな。俺の面目は丸つぶれだよ。なぁ? どうしてくれんだ、アホ息子ぉ」
ていうか、親父怖いっす。
ぐらんぐらん男を揺する親父。そこではっと俺たちの存在に気づいた。
「お。わりぃな。話し中だったか?」
「あ、そうだ、オヤジ! 俺の彼女「彼女でも友達でもないよ」だ…よ」
「お、おう。なんか察したわ。わりぃな、うちのアホ息子が迷惑かけたみたいで」
被せるようにきっぱり否定したニーナさんに目を白黒させつつ、親父はすべてを悟ったようだった。
にゃーにゃー喚く息子を引きずり、時折げんこつを落としつつ、救いの手は去っていった。
「とりあえず、良かったね。ニーナさん」
「あ、ああ。なにか嵐のようだったな。でもスッキリした!」
清々しい笑顔をニーナさんが見せる。…本当に嫌だったんだな…。
 




