湖から出てきて湖に還る。
「ひぎゃ!」
俺が悲鳴を上げて仰け反るのと、水中から何者かがザバーっと出てきたのはほぼ同時だった。コクシンが竿を放り出して、その背に俺をかばう。ラダは…ラダは腰を抜かしてるな。
「あははは! ごめんごめん、ちょっとしたイタズラのつもりだったんだ。謝るから、剣は抜かないでくれ」
現れた男、いや女?が悪びれもなくそう笑う。大きく裂けた口と、丸く見開いた眼。濡れた髪を掻く手には水掻きがあった。
魚人族か。水棲活動に特化した人種。エラはないけど肺が発達してて長時間潜れるらしい。ついでに足は魚状じゃない。なんかフィンっぽい。いや、ペンギンかな。
「はー。びっくりした…」
ようやくドキドキが収まってきた。
コクシンも警戒しつつも、抜こうとした剣から手を放した。ラダは、だめだ、白目むいてる…。
「あー、なんか、ほんとにゴメンねぇ」
俺の視線を追った魚人族がバツが悪そうに笑う。
「いえ、よく気絶する子なので。それより、どうして出てきたんですか? 魚人族って滅多に人前に出てこないって聞いてたんですけど」
「ん? まぁね。でも生活のためにある程度の接触は持ってるよ。さしずめ俺は外交官ってとこだな」
「なるほど」
そりゃそうか。まるきり没交渉ってわけじゃないよな。
っていうか、男か。
「じゃあ、なんであんな登場の仕方を…」
コクシンはちょっと怒っているらしい。
「ああ。なんでかダンゴムシを放り込むやつがいてね」
「ふぉっ」
魚人族がニヤリと笑う。
「ダンゴムシ?」
コクシンは俺がミミズを使っていないことに気づいていない。
「珍しいんで、せっせと食ってたんだ」
いや、食うのかよ!ダンゴムシ。
「力加減間違って糸切っちゃったんだけどさ。どんなやつかと思って上がってきたら、ちょうどそこの子と目が合っちゃって。ちょっとこう、いたずらっ気が…」
大きくコクシンが息をつく。ようやく警戒を解いたらしい。
「レイト、餌はミミズだって言っただろう」
うわ。そっちか。
「ごめんて。ミミズ苦手で」
「私だって触りたくなかったよ」
「おうふ」
すんません。全然気づきませんで。だって普通に取ってたじゃんさ。嫌そうな顔してよ。
「それで、目当てのものは釣れたかい?」
魚人族の言葉に首を振る。
「トラントフィッシュ狙いなんですけど」
「ああ、あいつか。獲ってきてやろうか?」
「え、いいんですか?」
「いいよ。驚かしちまったお詫びだ。ちょっと待ってな」
そう言うと魚人族はきれいなフォームで湖に飛び込んでいった。
しかしこれ、俺たちの成果にしちゃっていいのかな。
首を傾げている間にコクシンがラダを叩き起こしている。
「はっ! なにか出てき…あ、あれ?」
気づいたラダがキョロキョロする。
「ラダ。驚くなとは言わないが、せめて気を失うのは止めろ。本当に襲撃を受けたときに倒れられたら、私たちも危険になる」
きついコクシンの言葉にラダが項垂れる。間違ってはいない。今まで道中さほどの危険はなかったが、これから先もないとは言えない。連れ出したのは俺たちではあるが、動ける状態で守りながら戦うのと、意識のない状態で守りながら戦うのは難易度が違う。いずれ庇いきれなくなってしまう。そうなればラダはどこかの街に置いていかなくちゃいけなくなる。
「わ、分かってるんだけどさ…」
膝に置いた手をモジモジ動かすラダ。もちろん、ラダだってわざとではない。治せと言われて治せるものでもない。これも慣れだと思うんだけどなぁ。
ばしゃーん!
不意に水音が響いた。一匹の魚がその体を煌めかせながら宙を舞っていた。弧を描いて落ちていくさまを、呆然と見やる。なぜ突然魚が…。
「だっはー!」
更に大きな水音ともに、さっきの魚人族が飛び出てきた。このへんもペンギンだな。宙でくるっと回って、びちゃんと着地する。格好いいけどそばにいる俺達まで水しぶき浴びてるんですが。
「お待たせ!」
大きく裂けた口で笑う。歯も俺たちとは違うなぁ。
ラダは、うん、大丈夫。目が零れそうに見開かれてるけど、意識はある。
「1匹で良かったか?」
「はい。ありがとうございます」
ビチビチしている魚を見やる。2メートル位の鯉みたいな魚だった。鱗が虹色をしていて、それが動く度にキラキラしている。装飾品に人気なのだそうだ。
しかし、このサイズをあの竿で釣れとか、ハードモードだな。
「でもいいんですか? これもお金になるんでしょう?」
いつまでもビチビチしているので、頭を抑えてエラの辺りに刃を刺し込む。びくんとなったあと、大人しくなった。鱗が大きいな。
「構わないよ。昔はそれも売れ筋だったんだが、うちの連中が値を吊り上げすぎてねぇ。君らみたいに冒険者に頼ることになっていったんだ。まぁこっちは水中花とか、真珠とか、俺たちにしか採れない売れるものは他にもあるからね。気にしちゃいないよ」
「真珠か。結構値が張るとは聞いたことがある」
コクシンの呟きに、口を歪める。
「あれは数が少ないからね」
なるほど。まぁうまく商売しているってことかな。あまりやりすぎると恨みを買いそうだけど、彼らにしか採れないというのも確かだし、少ないから価値があるのも確かだ。
ナイフの刃を鱗の隙間に入れる。パキッと案外簡単に剥がれた。剥がした鱗を日にかざすと、まるで万華鏡のようにキラキラといろんな色味を見せる。
「あ、僕もやるよ」
ラダが手を上げてくれたのでナイフを渡して任せる。あれはなにかの素材にもなるのかな。後で鑑定してみよう。魚人族に身を食べたことはあるのか聞いてみた。トラントフィッシュは腐肉が好きなのだとか。食うものに困ったとき以外は魚人族は口にしないようだ。腐肉食いかぁ。
どれどれ。
『トラントフィッシュ
淡水魚。体長2メートル〜4メートル。鱗は宝飾品として高値がつく。大きさより、色味で値が決まる。雑食であり、同族も餌とみなすほど食欲旺盛。腹痛を気にしなければ身は食べれなくはない。』
おおい、鑑定さーん! 腹痛覚悟で食えってか。しかも美味しいとは書いていない。こりゃ食べるのはなしだな。
鱗を剥ぎ、忘れずに魔石もゲット。うむ。小さいな。でも魚人さん曰く水属性が稀に付いているらしい。今回のには付いていなかった。
身や骨は残念だけど、湖にリリース…じゃなくて投棄しといた。すぐに水中が賑やかになった。え、怖いな。ピラニアみたいなのがいるのかな。魚人族すげーな。
「ニーナ!」
突然知らない声が聞こえた。振り向くと、男性が駆け寄ってきて、俺たちと魚人族の間に割って入る。
「彼女になんの用だ!」
なにか勘違いしてらっしゃいますね。というか、やっぱり女性だったの? いや、タンクトップみたいな薄着だし、胸もこうあるんだかないんだか…いやいや俺とか言ってたからついね!?
内心で誰にだかわからん葛藤を繰り広げているうちに、魚人族の彼女がむんずと男の襟首を掴んでいた。
「お前はもうここに来るなと言っただろうが!」
ひょいっと後ろに放り投げる。男は、見事な弧を描いて頭から湖にダイブしていった…。
えっと、今何が起こってるんでしょう。
 




