ぽっちゃりエルフの信条
ぽっちゃりエルフはライモンという名前の元冒険者で、今は一人でフラフラしているらしい。
「里を出て冒険者になって一番感動したのが食事だったんだよ。エルフは長生きのせいか里では流行り廃りがあまりないんだけど、人間の町は数年で流行が変わるんだ。食もね。それが面白くてね、あちこちの町を訪れるうちに自分でも作ってみたり、食に関する知識を集めるようになったんだ」
宿を出て連れ立って歩きながら、もぐ、と、ライモンさんは口に放り込んだ揚げはちみつパンをかみしめた。ミートボールサイズの小さいやつで、食べ歩きに適している。ライモンさんは、俺たちにも勧めようとしたのか紙袋を差し出してきたが、不意に固まった。
「ライモンさん?」
「ちょっとごめんね」
眉をひそめたライモンさんが、くるっと踵を返した。さっき揚げはちみつパンを買った出店につかつかと歩み寄る。あ、ライモンさんヒール履いてる。アンクレットも見えるし、オシャレさんなんだな。
「ちょっと! これ、質の悪いはちみつ使ってるね!」
何事かと思ったら、クレームを入れに行ったようだ。
「小麦粉も古いものを使ってるね? これで安いなら私も別に文句は言わないが、他の店より高く売ってるってどういうことだい」
「な、なんだってんだいきなり! 変な言いがかりをつけないでもらえませんかね? うちは真っ当な商売をしてるんですよ!」
詰め寄られた店主は一瞬慌てたが、すぐにケンカ腰になった。
「真っ当だって!? 君の行為は他の店の信用まで失う、やってはいけない行為なんだよ!」
「う、うるせぇな! どこにそんな証拠があるっていうんだ! あんまり無茶言ってっと衛兵に突き出すぞ!」
「望むところだよ!」
え、えぇぇ。温厚そうなぽっちゃりエルフがいきなりヒートアップしちゃってるんですけど、これ、俺たちどうしたらいいの。
呆気にとられてぽかんと見やる俺たちの周囲で、通行人たちが足を止めていくので人垣ができつつある。
「止めたほうがいい?」
コクシンに聞いてみるが、彼は無言で首を横に振った。
「私たちが加勢したところで、騒ぎが大きくなるだけだろう」
「それはそうなんだけどさ。でもライモンさんの言ってることが本当なら、すごいよね。一口食べただけで気づくとか」
「個性を出した味付けだった、とかだったらどうする?」
ラダの言葉に、どうだろうな〜と首を傾げる。確かめてみたいが、揚げはちみつパンはライモンさんが持ったままなので、真実はわからない。食べたところで、小麦の古さとかわかるとも思えないが。
「あ。エルフのお兄ちゃんが勝ったみたい」
ミルコの言葉に店先に目を戻す。ライモンさんが店の裏に回っていて、なにか袋を掲げ持っていた。そのそばで店主が頭を抱えてうずくまっている。それで、あ、二人の制服着た人が駆け寄ってきたぞ。ライモンさんに向かってペコペコしている。
「ふ〜。すまないね、話の途中で。行こうか」
何事もなかったかのようにライモンさんが戻ってきた。手には揚げはちみつパンの入った袋。『食べられないわけではないし、食べ物に罪はないからね』と、顔をしかめながらも口に一つ放り込んだ。お残し厳禁が信条らしい。
「ライモンさんって、もしかして偉い人なんですか?」
「え? まさか。ただこの町には何度も来ているから、顔なじみが多いだけだよ。さっき駆けつけてくれたのは、商業ギルドの職員だね。あの子がまだ親の後をちょこちょこついて歩いていた頃からの知り合いなんだ」
「へ、へぇ」
ライモンさんいくつなんだろう。職員さん、どう見ても三十歳後半。ちょっと頭頂部がさみしくなってるナイスミドルだ。
きっと会うたびに、『昔はこんなにちっちゃくてね』とかやっちゃうんだろう。そしてそんな人がいろんな街にゴロゴロいるんだな、たぶん。お節介で顔の広い近所のおっちゃんポジション。
「いつも突っかかっているわけじゃないよ? でもねぇ、初めて食べる甘いおやつがぼったくり価格の他よりまずいものだったなんて、もし、そんな子どもがいたら、悲しいじゃない。誰もが皆、またそれを食べられるわけじゃないんだし」
「まぁ、そうですね」
お金があるなしにかかわらず、いつ命を落とすかわからない世界だ。初めて村から町に出て、初めてお菓子を食べ、帰り道に命を失うかもしれない。そのお菓子が粗悪品だったとしても、その人にとっては最上の甘味だった。なんてこともあり得るかもしれない。その人は知ることはなかったから悲しくも悔しくもないだろう。でも、ライモンさんは嫌なんだ。
「そう思うと放っておけなくてね。まぁ、たびたびこうやって店にケチを付けるもんだから、歓迎される町もあれば、敬遠される町もあるよ」
「敬遠って、いいことなのに」
ラダが呟くと、ライモンさんは苦笑した。
「いろいろあるのさ。人によっては、商売上何の問題もないし誰も何の不満も持ってないんだから放っといてくれ、ってね」
毒物を売っているわけではないし、混ぜ物をするのも、安く仕入れて高く売り利益を出すのも商人にとっては当たり前のことだってことかな。まぁ、この世界食品衛生法とかないしね。選べるほど店がない場所もあるし。
食に一家言あるライモンさんだからわかることであって、それが普通になっている町では余計な揉め事を起こしているだけに見えるんだろうな。
「それでも私は、みんなに美味しいものを食べてほしいと思うんだよ」
そんなことを喋りながらライモンさんが案内してくれたのは、この町で一番多くの香辛料を取り扱っているという店だった。
「あ、お帰りなさい。オーナー」
店の扉を開けると、十代のかわいらしい女の子がカウンターの奥から声をかけてきた。
「オーナー?」
ライモンさんを見上げると、
「ははは。少しばかり関与しているだけだよ。あちこち行くついでにね、仕入れルートをちょっとね。それにほら、私もここに来ると欲しいものがすぐに手に入るから便利」
と、はにかみながら笑った。
聞くと、知識と行動力を生かしていくつかの町に店を出しているそうで、その売り上げの一部と時々冒険者の真似事をして入るお金で生活費を賄っているのだとか。元冒険者と言っていたが、まだ登録証自体は有効らしい。ソロでCランク。お強い。
「うぇ、うぇいとぉ~」
こもった声が聞こえて振り向くと、ミルコが鼻を押さえて涙目になっていた。
「どうした?」
「は、はにゃが……」
「ああ、獣人の方にはここの香りは少々きついかもしれませんね。いちおう瓶詰めで保管したりしてはいるんですけど」
店員の女の子がミルコの言葉の後を続けた。
「あ~なるほど」
確かに店に入った瞬間に、さまざまな香辛料の香りが鼻を突いた。俺的にはスパイシーで腹の減る香りだけど、ミルコには嗅覚直撃で強すぎるんだろう。
「じゃあ、私が一緒に外に出ていよう。レイトは店を見たいだろう?」
どうしようと思ったら、コクシンがミルコを抱き上げた。
「コクシンもダメそう?」
「ダメと言うほどでもないが、さして興味はないから……いや、それを使った料理には興味があるが。ラダも見たそうだし」
困ったように答えるコクシンに言われてラダを見ると、目を輝かせて瓶の中を覗き込んでいた。香辛料は薬草とも通ずるからな。俺もロッカをよく料理に使うが、あれもともとは胃腸の薬になる薬草だ。
「わかった。じゃあ、ちょっとだけ外で待っててくれる? ん? あ、シュヴァルツも外がいいのな。はいはい、行ってらっしゃい」
フードが動いたと思ったら、シュヴァルツが出てきてコクシンへと移っていった。シュヴァルツにも香りがきつかったのかな。……っていうか、シュヴァルツの鼻はどこだろう? 体の下の口にそういう器官あるのか? 触手の方? まぁどうでもいいか。
一人と二匹を店の外に見送り、俺たちは改めて店内を見やった。棚いっぱいに大きな瓶が並べられていて、いろんな物が入っている。葉っぱや木の実、どう見ても石ころにしか見えないものや、干からびた小動物っぽいのまで入っていた。
店員の女の子とライモンさんがおすすめの香辛料を教えてくれる。一つ一つ説明しながら、瓶の蓋を開けて香りを嗅がせてくれるのが楽しい。が、だんだんと鼻が麻痺してきたのか、香りがよく分からなくなってきた。
「おやおや、いっぺんに紹介しすぎたね」
「口直しならぬ鼻直し、お茶でもいれましょうか」
「ああ、頼むよ。裏で楽しもう」
「はい。ではご用意いたしますね」
ぐしぐしと鼻をこする俺に気づいたのか、ライモンさんがそう切り出した。店の裏に小さな庭があって、常連客にはそこでお茶を出すのだそうだ。俺たちは初めてだがいいのかと思ったが、まだ話したいこともあるからと言われてお言葉に甘えることにした。
表からコクシンたちを呼び、裏庭に出る。アイアンテーブルとイスが置かれた庭には、香辛料となる草花が植えられていた。ミルコは大丈夫かと思ったが、外ということもあって平気そうだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
店員の女の子、ニャルフルさんが出してくれたのはまごうことなきハーブティーだった。甘くてさわやかな香り、これ前世で飲んだことある! 確かアップルミントだったかな。まぁ、もらいものだったけど。
ミルコとラダがクンクンしてから口をつけている。コクシンは俺が飲んだのを見てから、普通に口をつけた。シュヴァルツは座っている。
「美味しいですね。これもお店で売ってるんですか?」
俺がそう聞くと、「販売はしていないんですよ」とニャルフルさんは笑った。ニャルフルさんの手作りらしい。
ちなみに名前ににゃがついてるけど、別に猫系の獣人というわけではない。ハーフエルフらしい。耳尖ってないけど。
「それで、話って?」
「ああ、そうだね。ちょっと頼みたいことがあってね」
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