読書の時間
「この棚以外は、わしの趣味だ」
鼻メガネのおじいちゃんは、そう言って一番手前の本棚をぽんぽんと叩いた。資料を取り出したのもその棚だ。
「趣味?」
「わしはもともと冒険者ギルドに勤めておってな、昔から冒険者どものグチやらやらかしやら武勇伝やら聞くのが好きでな、そのうちそれを書き留めるようになった」
三冊の本がテーブルの上に置かれる。
「身内にだけ見せていたんだが、いつの間にか評判になってな。自分の話を書いてくれというやつまででてきて、気がつけばこの有様だよ」
おじいちゃんは元の席に戻りながら、肩をすくめた。彼の文机の上には筆記用具と紙の束が積まれている。おじいちゃんはペンを取りながら、
「そして今も増えている」
と、ニヤリと笑った。
「え、じゃあ、向こうの本棚の本って全部あなたが書いたんですか!? 冒険譚を?」
「まあ一部自分で書いてきた冒険者のものが混じっているが、そうだな。冒険譚というほど格好がいいものではないが、暇があるなら見ていくといい」
うわぁ。これはぜひ読みたい。いわゆる英雄っぽい人のお話はあるが、数があるわけではない。なんというか、おとぎ話風だし。それに比べてリアルな冒険者の話というのは、すごく興味がある。
ばっとコクシンを振り仰ぐと、苦笑しながら「いいんじゃないか」と言ってくれた。
「情報は私が読み込んでおくよ」
「い、いや、それも後で読む。ていうか、全員で読むよ。前情報は大事」
コクシンに限ってないと思うが、読み間違いとか覚え間違いなんてのはあったら困る。せっかく資料があるのだから、ちゃんと全員頭に入れておいたほうがいい。そうすればチェックもできる。
まあ、あとでね。
ということで、俺はいそいそと本棚へと足を運んだ。コクシンはとりあえず資料を読み込むようだ。ラダはミルコを抱えて後をついてきている。シュヴァルツは、俺のフードの中だ。
「ミルコ、絵があるのがいいなあ」
「奇特なやつが挿絵を描いたものがある。が、子供受けするかは分からんな」
棚の向こうからおじいちゃんの声。
自伝を書く才能がある人もいれば、絵を描く才能がある人もいたらしい。冒険者って本当にいろんな人がいるな。もしかしたら、おじいちゃんにはなんらかのスキルがあるのかも。じゃないとこの量を手書きでとか、すごすぎる。
背表紙には『○○の冒険』とか『△△大乱闘』みたいな心躍るタイトルがつけられていた。内容によってはある意味黒歴史だと思うんだが、がっつり人名が書き込まれている。
「『クロエとカヅリの愛の宿暮らし』……恋愛モノまであるのか」
引っ張り出そうとしたら、おじいちゃんから声が飛んできた。
「それは夜のあれこれしか書かれておらんから読まんほうがええぞ」
一瞬手が止まった。けど、引っ張り出したよ! これでいて中身成人ですし。あ、この世界的には今の俺でも成人か。人並みな興味はある。
ぺらり。ぺらり。……ぱたん。
うん。なんかもう、あれな声の乱舞でしかない。真ん中くらいを開いて数枚めくったけど、愛を叫ぶ二人の描写しか書いてない。無言でもとに戻した。ちなみにこれ、著者名がクロエだった。
「ミルコ、絵がついてるのがあったよ」
しゃがんで本を探していたラダが、ぱっと本を開いてミルコに見せた。ミルコは床にちょこんと座っている。
「ぴぇ」
妙な声を上げると思って本を覗き込んだら、たしかに絵ではあるが絶妙な怖さがにじみ出ている絵だった。魔物と冒険者が戦っている……場面だと思うんだが、人間の体はそこで曲がらんやろみたいな姿勢だし、魔物はどす黒いヘドロみたいに描かれている。文章を読むとドラゴンを相手にしているらしいのだが、どこがどうドラゴンなのか。
ミルコが固まってしまったので、ラダは「あれ?」みたいな顔をしながら本をしまった。いや、ラダはその絵に思うところはないの?
数冊中身を見ながらピックアップした。ゆっくり座って読もう。ラダとミルコはまだ決めかねているようだ。挿絵を描いてくれたという人が、あの絵の人だけじゃないといいね。
一冊目、『まろやかなダンジョン飯』。冒険者がダンジョンで作って食べたご飯を紹介している。どうも食に一家言あるギルド職員が冒険者から聞き出した情報をもとに書かれてあるようだ。
食べられるドロップアイテムから、即席かまどの作り方、調理に使える草などがイラストつきで載っている。……このイラストは普通だな。
なかなか豪快な料理が載っている。ていうか、ダンジョン内とかで料理するのが俺だけじゃないと知れて一安心。見知らぬ調味料名が出てくるので、そのへんは後で手に入れたい。
二冊目、『今日のお悩み相談室』。これは相談を受けた職員と冒険者の対話形式で書かれていた。
パーティーメンバーとのいざこざ、憧れから恋への戸惑い、武器の性能選択。冒険者のお悩みもいろいろあるようだ。職員が親身になってアドバイスしているのが心強い。これ、どうやって書いたんだろう。
三冊目、『サイハクと仲間たち〜Sランクへの道〜』。Sランク冒険者の冒険譚だ。生い立ちからわりと詳しく書かれてある。徐々にメンバーが増え、一人を病気で亡くし、傷を抱えながらも進み続けるサイハク達。戦闘ありケンカあり恋愛もある、読み応え抜群の物語だった。
「ふぅ~」
読み終えて一息つく。鼻メガネのおじいちゃんの文章は字がきれいで読みやすい。挿絵はなかったけど、人物描写がしっかりあったので想像しやすかった。うっかり涙ぐんでコクシンにのぞき込まれたくらいだ。
「読み終えたのか?」
コクシンの言葉に頷く。そのコクシンの手元には俺が読み終えた『今日のお悩み相談室』の本があった。
「好きなの取ってきたらいいのに」
「いや、特にこういうのが読みたいというのはないから」
「じゃあ、これオススメだよ! めっちゃ臨場感あるし、勉強にもなる」
読み終えたばかりの本を手渡と、コクシンはタイトルに目を落として、「サイハク……」と呟いた。少し首を傾げながらもう一度呟く。
「あれ? 知ってる?」
「いや、どこかで聞いたことがあるような気がしただけだ」
「ふぅん。てか、ラダとミルコがいないんだけど」
今気づいたけど、二人の姿がないぞ。部屋の奥の方にいるのかな。キョロキョロすると、コクシンが答える。
「お腹がすいたと言って出ていった。外で何か食べてるんじゃないか」
「えっ、もうそんな時間? 二人だけで大丈夫?」
「ああ、ギルドの外じゃなくて、この部屋の外。ギルド内の食堂だから問題ないだろう」
渡された本をパタリと置きながら、コクシンは部屋の外を指さした。あまり本の内容に興味がないのか、あ、単に読むのに飽きてきてるのか。目元をぐりぐりしている。一心不乱に読んでいた俺に付き合ってくれていたようだ。
ここ、食堂付きの冒険者ギルドなんだな。一直線にここに来たので、そんな把握すらしていない。
「ごめんごめん。途中で声かけてくれたらよかったのに」
「かけた。返事は返ってきたけど……」
動かなかったんですね。本当にすみません。久しぶりの読書に没頭してしまった。コクシンは苦笑しただけで、なにも言わない。
「俺らもご飯にしようか。あ~ていうか、ここしばらく通いた〜い」
「はっはっはっ。気に入ってくれて何よりだ。わしがおる間はいつでも開いとるから、好きな時に来るといいさ」
本を返却しようと立ち上がると、おじいちゃんがそう言ってくれた。それはぜひともお言葉に甘えたいが、お金を稼がねばなりません。余裕ができたら、てか、資料見てないわ。いつの間にか資料は返却されていた。
「ありがとう。とりあえずご飯食べたらまた来るよ。さっきの資料見にね」
「はいはい。あ、そうだ。サイハクの話は続きがあるから探してみるといい」
「マジで。絶対探す」
本はサイハク達がSランクになったところで終わっていた。剣士であるサイハクと魔法使いとの微妙な距離感が気になる感じで終わってたんだよなー。恋になるのか友情のままなのか。そして最後に出てきた王女様! サイハクに興味持ってる感じだったんだよ。
「あ、思い出した」
ふいにコクシンがポンと手の平を打った。何気に似合わない仕草だな。
「サイハクって、隣国の昔の王様の名前じゃなかったっけ?」
「そうそう。冒険者から王にまでなった出世頭さ。まあ、数年で退位しちまったが」
おじいちゃんが合いの手を打つ。
ていうか、結婚してるー! 王女様とくっついたのっ!? 魔法使いの彼女はどうしたのっ。冒険は!?
さくっと結末らしきものを暴露されて内心がっくりする俺。い、いや、まだどんでん返しがあるに違いない。続きを読むまでは諦めんぞ。
「あ……」
今気づいた、というふうに、コクシンが俺を見下ろして固まった。
「なんか、すまない。聞き覚えがあって気になったから……。その、昔仲間内から聞いてな? ドラゴンと番になったっていう王様……あ……」
ドラゴンどっから出てきたのっ!? 一巻には影も形もなかったよ? 王女様はどうなったんだよ。王女様がドラゴンだったっていうオチなの?
ジトリと見上げると、もうしゃべりません! とばかりに、コクシンは自分の口を手で覆った。
「いいんだけどさ。ますます興味わいたし」
「そ、そうか。すまんな」
「とりあえずラダ達と合流しよう」
「ああ」
ふいに、バターン! と、資料室の扉が勢いよく開かれた。あっぶねぇ。中に開くタイプだから、もう少し前にいたら顔面強打してた。
「助けて、レイト! 人さらいにされるぅ!」
「は?」
飛び込んできたのは、ミルコを抱えたラダだった。彼の後ろからどやどやと人がなだれ込んでくる。何事だ。