亡霊の草原を歩く
ふらふらと酔っ払いのように進んでいくエルフの後をついていく。俺の隣をコクシンが歩き、前をアリス、後ろをラッカが歩いた。
目の前に広がる光景もあれだが、聞き慣れない鳥のような鳴き声や、もろに人間の泣き声が聞こえたりして、聴覚もやばい。ちなみに嗅覚はさほどでもない。
「コクシンはこういうの平気?」
見慣れないものに目を奪われキョロキョロしている俺に比べ、コクシンは落ち着いていて周囲に気を配っているように見える。ただいつもより俺との距離は近い。
ちらっと俺の方を見て、コクシンは「一人では通りたくはないが」と小さく笑った。
「それは頼もしい」
「いざとなったら、レイトを抱えて走るから安心しろ」
「いや、抱えてくれなくても。てか、そのために妙に近くを歩いてんの?」
「……そうとも。別に気味が悪いからじゃないぞ」
気味悪いんだ……。
まあ、だよね。鼻歌混じりに歩いている前後の人達がどうかしてるんだよね。
「あ。いたぞ、骨喰リスだ」
後ろを歩いていたラッカが、つんつんと俺の肩を突いた。指さされた方を見ると、岩の上で何かがちょろっと動いたように見えたが、遠すぎてよくわからなかった。
「暗すぎて全然見えないんだけど」
ごく近い周囲は明かりの魔法で見えているが、ちょっと油断をすると、一番前を行くエルフの姿が闇に溶け込んでしまう。
空を見上げると、いちおう二つの月はあった。それでも暗く思えるのは、雰囲気の問題だろうか。
「そうか? まあそのうち慣れるだろ。ほら、行ってみようぜ」
今度はラッカが先導を始める。特に異は唱えずコクシンとアリスもついてきた。
「っていうか、あのエルフさん行っちゃったけど」
エルフは俺達が立ち止まっても気にすることなく、というか気づきもせず、ふらふらと行ってしまった。
「いい、いい。幽霊ってあんなもんだよ。案内してくれるって言っときながら、途中で飯食べ始めるやつや、自分はどこに向かってるんだと聞いてくるやつがいるからな」
ああ、よくあるやつ。自分の部屋に行って、さてなに取りに来たんだっけ? ってなるやつだろ。あるいは冷蔵庫開けて、あれなに取ろうとしたんだっけ、まあいいや、プリン食お。ってなるやつ。
え? ならない? なるなる。そのうち。
今は大丈夫だけど。たぶん……。
まあそれはともかく、幽霊たちは自由気ままですぐに目的を見失う質らしい。
「幽霊って飯を食うのか?」
コクシンがそう聞いた。そういやそうだな。
ラッカは何かを持つような仕草をして、もぐもぐと口を動かした。
「食べないと思うぞ。こうやって、食べてるような動作をするだけだ」
エアモグモグか。
「生きてるときの習慣に引っ張られんのかなぁ。誰もいないところに向かって、剣を教えてるやつもいたっけ」
「そうか。ここにはいろんな人間がいるんだな」
しんみりとコクシンが頷いた。
そう。見た目は幽霊というかゾンビだけど、彼らは彼らなりに生きてるんだな。アンデッド消滅薬を使うのはちょっと気が引けてきた。
「おっ、危ないぞっと」
不意にラッカが大きく横に動いた。と思ったら、腰のナイフを抜いていた。
『ぎゃあああ!』
耳をつんざくような声を上げながら、斧を振りかぶってきた幽霊が真っ二つになった。斬られた場所がキラキラしているのは、光属性のナイフのせいか。幽霊は黒いもやもやになって散ってしまった。なにも残っていない。
「びっくりした。いまので死んだのか?」
ラッカは周囲をうかがってから、ナイフをしまった。
「たぶん?」
「たぶんって」
「ふふ。この場所っておかしいのよ」
肩をすくめるラッカのあとをアリスが継いだ。
ちなみに骨喰リスがいた岩に着いたが、もうどこかに行ってしまったのか、姿は見えなかった。
「おかしいって?」
「こういう場所を放置してるわけないでしょ。何度も大規模な除霊が行われたらしいけど、幽霊が全然減らないんですって。除霊が始まるとみんなどこかに行っちゃって、手を引くとまたウロウロし始めるそうよ」
「えぇぇ」
「まあ、結局は夜に立ち入らなければ問題ないってことで落ち着いてるらしいわよ」
『あたし達みたいなのは入っちゃうけどね』と、アリスは楽しそうに笑った。慣れればライバルが少ないいい狩り場なのだそうだ。
なんだろう。幽霊を引き寄せる何かがあるのかな。ただの戦場跡ってだけじゃないのかも知れない。幽霊が幽霊を呼んで、ここは幽霊の居場所になっているのかな。ということは、他の場所からふよふよ来てたりするんだろうか。
「お。いたぞ。次はあそこだ」
言いながらラッカが俺の頭を突いた。ぺしっとコクシンがその指をはたき落とす。ツンツン。ぺしっ。ツンツン。べしっ。
なにか琴線に触れたらしい。頭上でしょうもない攻防が繰り広げられている。ちょっと、俺しんみりしてるんだから!
「あなた達なにやってるの? 逃げちゃうわよ」
そうだそうだ。えーと、骨喰リスはと。
岩の上で、上半身を起こして毛繕い中の小動物、じゃなくて魔物がいた。茶色の毛で、体より長い尻尾を抱えてわさわさしている。それだけなら可愛い仕草だ。
魔物らしく手足の爪が長くて凶暴そうだが、何よりその頭が奇怪だった。
体は普通に毛に覆われているのに、頭は白くツルンとしている。毛がないどころか皮膚もない。アリスが骸骨みたいと言っていたが、まさしく頭蓋骨が載っかっているようだ。
虚ろに空いた大きな眼窩。妙に長い二本の前歯。顔はまったく可愛くなかった。
「ほら。捕まえてみ」
え。いきなり実戦なの? やって見せてくれるとかはないのか。ってまあ、所持武器が違うんだから、やり方も違ってくるか。
「えぇと、じゃあ……」
とりあえず、捕まえる方向でいこうかな。膝をついて地面に魔力を通す。うん。この距離なら十分に捕らえられるだろう。
骨喰リスはこちらには気づいていないようだ。くしくしと小さな手で顔を洗う仕草をしている。長い爪が当たらないようにしているのは器用だ。
「えいっ!」
ボコッと骨喰リスの周囲の土が盛り上がった。ピクッと顔を上げるが、もう遅い。土の杭が鳥かご状に伸びて繋がり骨喰リスを閉じ込めた。
「おおっ」
ラッカが驚いたような声を上げた。ふふん。俺もやればできる子なのだよ。どうよ? と後ろにいるラッカとアリスを振り返った。が。
「あっ」
コクシンの嫌な声に、はっと骨喰リスに目を戻す。
シパーン!!
お尻をくいっと上げた骨喰リスが尻尾を振り回す。それだけで俺の鳥かごはあっけなく壊れてしまった。なぜだ。これでもだいぶ強化したんだぞ、以前より。まだ足りないってのか……。
骨喰リスはちらっとこっちを見たあと、にやぁっと笑った。いや、威嚇のために口を開けだけなのかもしれないが、笑われている気がしてならない。
一昨日おいでとばかりに踵を返そうとした骨喰リスが、コクシンの一振りで発生した風の刃により『ぴぎゃっ』と声を上げながら跳ねた。ふわさっと尻尾が落ち、骨喰リスはわめきながら暗がりに走り去っていく。
「あ、やべ……」
コクシンが珍しく慌てたような声を上げた。うーん。あれは痛い。尻尾って生えたりしないかな、トカゲみたいに。
「ははは。残念だったな。まあ、目的の尻尾は取れたんだからいいじゃないか」
トコトコと歩いていって、ラッカが尻尾を拾ってきてくれた。だらんとした尻尾は、もちろんトカゲの尻尾みたいにピクピクしたりはしていない。渡されたそれは、アリスに触らせてもらったものと同じくしっとりつややかな毛並みだった。
「実際に見ると、ちょっと罪悪感あるな」
あの骨喰リスは長く生きてはいられないだろう。見目のいい尻尾を持ってしまったがために、殺されてしまう骨喰リス。前世でのアフリカゾウやサイを思い浮かべてしまう。だが、ここは違う世界。魔物は倒されてしかるべき存在な生き物だ。こんなふうに考える俺のが珍しいんだろうな。
「私が持っておこうか?」
マジマジと切り口を眺めている俺に、コクシンが少し身をかがめて聞いてきた。
「いや、大丈夫」
今さらである。肉のために狩ったり、金のために狩ったりするのとなんの違いがあるというのか。
「ていうか、コクシンも欲しい?」
「うん?」
コクシンが尻尾と俺を見比べる。
「ラダも入れて三人でおそろいとか。あ、ミルコも欲しがるかな? 付ける場所がないような気がするけど、だったらシュヴァルツだけのけ者っていうのも可哀想だよね」
むむ、と、顎に手を当てる俺に、コクシンは大きく頷いた。
「いいな、おそろい。みんなの分用意しよう!」
「お、やる気だね。でも、そんなにゲットできるものでもないんだよね?」
イエーイとコクシンと手を合わせたあと、ラッカに聞いてみる。あと四つとか、手にできるもんなのか。アリスが持っているのもそれくらいの数だ。いつから集めてその数なのか。
「うーん、運は良ければ集められるだろうけど、あいつら基本的に一匹でいるからな。今晩中は難しいんじゃないか」
「じゃあ、何日か粘ってみる?」
えぇ、コクシンそんなに欲しいの?
「二人の仕事の邪魔しちゃだめだよ」
「骨喰リスに関しては問題ないだろう。あとは幽霊に私の剣が効くかどうかだけど」
「あ、そういやいちおう風属性なのか、それ」
コクシンの剣は魔石によって風属性が付与されてるんだっけ。それに、今のところ襲ってきた幽霊はさっきの斧のやつだけだ。意外といけるんじゃないだろうか。
「お。じゃあ、こっから別れて探索してみるか? ナイトスネークはお前らじゃちょっとやばいかもだけど、こっちから手を出さなきゃ平気だし、足が速いのは骨喰リスぐらいのもんだから、いざとなったら走って逃げろ」
そんなわけで、ここから二手に分かれることになった。