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わたし、あなたに、伝えなければならないことがあるのに。
首と手首を鎖に繋がれ、裁きの門の前に立たされる。
見知った上官が、私の名前と罪状を読み上げた。
この身に残された時間はあと僅か。
ゆっくりと目蓋を綴じ、最後の記憶を丁寧に手繰り寄せた。
次、の約束を結んだあの時を。
たった数日前のことなのに、もうだいぶ遠い日のことのように思えた。
その約束が果たされることは今後無い。
ごめんなさい
届くはずもない言葉を胸の中で呟いた。
最後に見た彼の笑顔を、私ははっきりと覚えている。
忘れることなんてできない、この身が朽ちようとも、きっと忘れることはない。
彼の姿を心の、そして頭の、奥の奥に刻みつける。
もう二度とあなたに会うことは叶わない。
最期の時が来た。
裁きの門の中央に背面で立たされ、堅牢な鎖を外された。
その鎖はもう、意味を為さないから。
苦しげな、悲しげな顔をした上官が私の前に立ち、そっと私の鎖骨のあたりを押した。
直後、真っ逆さまに私は落ちていく。
目の前には美しい空が広がっていた。
飽きるほど見ていた空だったのに、今までで一番美しく思えた。
澄み渡る碧に手を伸ばしながら、私はひたすらに落ちていく。
音も痛みもなく捥がれていく自身の翼が、伸ばした両の腕を撫で、舞いながら上空へと吸い込まれていった。
これは私の罪。
けれど、あなたを想ったことは微塵も後悔などしていない。
美しい碧に別れを告げ、私は再び目を綴じる。
先ほど刻みつけた姿を、また丁寧に思い浮かべた。
もう一度、あなたに会えたなら。
淡く叶わぬ願いを抱きながら、私はどんどん沈んでいく。
まだ捺されたばかりの焼印が、私の想いに反応したかのようにジリジリと痛んだ。
――――――――――
最近不思議な夢を見るようになった。
細かいことは覚えてはいないけれど、多分毎回同じ夢。
空の青と湖の碧。
そこに既視感を感じる女の人ともう一人、男の人。
何を話しているのかはわからないけれど、いつも二人で語らっている。
水面の碧のきらめきと重なって、男の顔も女の顔もはっきりとは見えない。
ただ目覚めるといつも、眩しいほど美しい碧のきらめきが、しばらく瞼の裏にこびりついて離れなかった。
梅雨が明け、ようやく太陽が燦々(さんさん)と照り付ける夏が来た。
とは言っても去ったのは厚い雲だけで、湿気は置いて行かれたままじっとりと暑い。
湿気がなければまだましなのに。
髪の毛が首に張り付くのが嫌で、梅雨が明けても引き続き髪の毛をまとめて生活している。
「おはよう、明日から夏休みだね」
校門が見え始めたところで声がかかる。
「おはよう紗梨、夏休みまであっという間だったね」
言葉通り、つい最近新入生が入って来たばかりな気がしていたけれど、あっと言う間に夏休みだ。
校内にはもう、わかりやすく初々しい子はいない。
「夏休み楽しみだね、半分バイトだけど」
「でもシフトほぼ一緒だし、バイトも楽しみだよ」
「もう、嬉しいこと言う」
明日から休みのせいもあってか、少しはしゃいでしまう。
バイト以外でも、紗梨と一緒に過ごす予定がいくつも入っている。
今日は終業式。
午前中に学校が終わるので、今日はそのまま早めのバイトだ。
紗梨ももちろん一緒に。
軽く賄と称したお昼ご飯を食べてから、給仕に入る予定である。
ふと過ぎる顔があって、少し頬が緩む。
「どうしたの?珍しく顔緩んでるけど」
「夏休みが本当に楽しみだなって、思ったの」
早く行こう、とごまかして教室への道を促した。
エデンに着くと、ちょうどお昼時だということもあり、それなりに人がいた。
すぐに給仕に入ったほうがいいのでは…と思ったけれど、槇村さんが「いいから座って」と言うので、お言葉に甘えて二人並んでカウンターに座った。
普通こういった飲食店での賄は、バックヤードで食べることが多いとは思うけれど、このお店では満席にならない限りはみんな食事をホール側で食べている。
すぐに食べられるようにと、二人同じくサンドウィッチを頼む。
私は定番の玉子サンドとツナサンド、紗梨はベーコンとチーズを挟んだものとフルーツサンドを頼んでいた。
ドリンクと一緒に運ばれてきたサンドウィッチがちょうど目の前に置かれた時、カランと入口のベルが鳴る音がした。
「あ、いつもの彼が来たみたいよ」
ちらっと入口のほうを盗み見た紗梨が、丁寧に教えてくれる。
その言葉を聞いて思わずどきりとした。
昨夜もメッセージのやり取りをしていたせいだ。
連絡先を交換したあの日から、毎日ではないけれど、それなりに頻繁にやり取りを重ねている。
私は連絡を取り合っていることをまだ、紗梨には言っていない。
「大学生も夏休みかな」
「さあ…大学生は期末テストを受け終えた順に夏休みに入るって聞いたよ」
「あら、詳しい」
「…槇村さんに聞いたの」
本当は慎本人に聞いたのだけれど、小さな嘘をつく。
何度も言葉を交わしているうちに、私は彼を下の名前で呼ぶようになった。
「早く食べて着替えよう」
「あ、そうだね。混んできたし、早めに入らなきゃ悪いね」
早く給仕に入らなきゃ悪い、というのも本当の気持ちだけれど、なんとなく、落ち着いて食べられないというのが本音だった。
おそらく今日も例の特等席に座ったであろう彼を気にしながら、いつもより早くサンドウィッチを食べ終えた。
『今日もバイトお疲れさま』
バイトが終わり、帰宅してから携帯を確認するとメッセージが届いていた。
慎だ。
『慎も大学お疲れさま。明日もテスト?』
『そうだよ、あと三教科残ってるんだ』
高校と違って大学はテストの日にちが教科ごとにバラバラ、二、三日では終わらないと言っていた。
『今日も何か勉強してたね』
『苦手な教科だから、念入りに取り組んでいるんだ』
するすると画面にメッセージが連なり、会話が何気なく続いていく。
もうだいぶ紗梨以外の人とのやり取りに慣れてきて、砕けた態度で接している。
そのなんてことのないやり取りが嬉しくて、つい表情が緩んでしまう。
紗梨に、そろそろ慎とのことを打ち明けようか。
昼間に緩んだ顔を指摘されたし。
別に隠しているわけではないけれど、気恥ずかしさが勝ってなんとなく、言えないままでいる。
私が彼の話をしたら、いったいどんな顔をするだろうか?
恋バナをしたこともないし、どう切り出すかも悩みどころだ。
夏休み入ってすぐ、数日後には紗梨と二人で出かける約束をしている。
少しだけ遠出をして、ついこないだ雑誌をめくっていたら見つけた、南国風カフェに行く予定だ。
…その日にさりげなく、切り出してみよう。
と、ちょっとした決意をしたすぐ後。
『明後日でテスト全部受け終わってやっと夏休みに入るんだけど』
するっと映し出される彼からの新着メッセージ。
『二人でどこかに出かけない?』
たったそれだけの文だったのに、目に入った途端、一瞬にして体中が熱を帯びた。




