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 今日はシフトが入っている日だった。

先日とは違い、裏口から店内に入る。

入ってすぐのところには倉庫の扉。

ここに掃除用具や予備の道具器具を置いてあり、常温保存できる食材なども貯蔵している。

倉庫を通り過ぎて突き当りにあるのは更衣室兼控室だ。

六畳ほどの部屋の中央にはテーブルとそれに合わせて椅子が置かれ、奥の壁際にはロッカーが並んでいる。


部屋の内鍵をかけてから『真宮』と書かれたネームプレートのあるロッカーを開ける。

中に荷物を置いて手早くお店の制服に着替え始めた。

エデンの制服は所謂メイド服だ。

とは言っても秋葉原にありふれているような萌えを意識したものではなく、正統派のもの。

スカートはミモレ丈で品がよく、ノーカラーの襟元はぴしりと綴じられ、胸元辺りまで白いレースが装飾されている。

袖口はふんわりとパフスリーブになっていて可愛らしい。

真っ白なエプロンを腰に巻き付けたら完成。

このお店の雰囲気にマッチしたクラシカルデザインの制服が、私も紗梨もお気に入りだ。

角に置かれた全身鏡で身だしなみをチェックする。


肩甲骨ほどまである長さの髪は少し高めの位置で一つにまとめた。

壁に掛けられた時計を確認すると、シフトの時間までまだ少しある。

私と紗梨は同じ日にシフトが入れられていることも多く、ちょっとした空き時間などにはよくお喋りをして時間を潰している。

でも今日は一人。

話し相手もいない中一人で微妙な時間を過ごしていても仕方がない。

静脈式のタイムレコーダーに打刻をし、少し早めにホールに出ることにした。


ホールに出る手前、調度厨房にいた二人に

「おはようございます」

と声をかけた。

槙村さんと(たちばな)さん、基本はこの二人でお店を回している。

橘さんは唯一の男性スタッフで槙村さんと同じく定休日以外は毎日出勤だ。

三十代後半で奥さんと子供が一人いるらしい。

執事服風の制服の似合う理知的な雰囲気の人だ。

会釈をして通り過ぎてからホールに出ると、片付けられていないテーブルが目に入ったので、すぐに片づけに回る。


片付けた食器を洗っているとカラン、と音が聞こえてきた。

新しくお客さんが入って来たみたいだ。

すっと橘さんがホールへと出ていくと、すぐに注文を取って戻ってきた。

「ブレンドコーヒー一つです」

注文がコーヒーのみということは男性のお客さんだろうか。

女性客の場合、ドリンクの他にケーキやスコーンなどのお菓子の付け合わせを一緒に頼む人が多い。

他にもこのお店にはサンドウィッチなどの軽食のサイドメニューもある。

洗った食器を片付け終わると、コーヒーの芳ばしい香りが漂ってきた。


「真宮さん、コーヒーお願いしていいかな」

「はい、持っていきますね」

橘さんから淹れおわったコーヒーを渡され、卓番を確認してからホールに出る。

橘さんは私と入れ替わりでこれから少し休憩に入る予定だ。

L字に曲がった店内の、カウンターを出て右の壁際奥から二番目の席。

二人掛けのテーブルに座る学生らしき青年は、テーブルに教材を広げ何やら勉強しているようだった。


「おまたせしました、ブレンドコーヒーです」

空いている場所に置こうとすると、広げていた教材を少し避けてくれた。

静かにカップを置いて去ろうとすると青年から声がかかる。

「すみません、追加注文いいですか?」

「はい、どうぞ」

「サンドウィッチセットをお願いします」

「サンドウィッチセットですね、かしこまりました。すぐにご用意いたします」


軽く会釈をしてその場を去ろうとした時、ぱちっと目が合った。

接客時にお客と目が合うことなんて珍しくもない。

でも何故か、吸い寄せられたかのようにすぐには目を離せなかった。

目の前にいるのは普通の青年で、その双眸もこの国ではありふれた焦げ茶色をしているのに。

ピリッと電気が走ったような感覚を覚え、胸がさざめく。


「…あの、どうかしました?」

固まったままなかなか去らない店員を不審に思ったのだろう、首を傾げられてしまった。

「っすみません、失礼します」

恥ずかしさに慌ててその場をあとにする。

カウンター裏で注文を伝えた後そのまま仕事を続けたけれど、微量ながら感じた胸のざわめきは定時を過ぎても消えてなくなることはなかった。




 ちゃぽん、と水音が響く。

母が用意してくれた湯は入浴剤で緑に色づいていた。

爽やかなベルガモットの香りは、お気に入りのアールグレイとよく似ている。


今日のあれは何だったのだろう。

死角になっていたこともあり、運よく私の失態は槇村さんたちには知られずに済んだ。


焦げ茶色の瞳、それよりも数段明るい色の柔らかそうな少し癖のある髪。

どこにでもいる特に珍しくもない容姿だった。

ぼんやりと思い浮かべながら、両手で湯を掬っては流す。

ピリッと走った衝撃を思い起こした。


一目惚れなどではない、と思う。

そもそもそんな経験がないし、恋というものもよくわからない。

父以外の男の人ともほとんど関わってこず、高校もわざわざ女子高を選んだくらいには苦手な存在だ。

それもこの容姿のせい。

一方的に馴れ馴れしくされたり、しつこくされたりと男の人に対していいイメージがない。


それなのに何故かあの時は、気になって目が離せなくなってしまった。

確かに悪くはない顔立ちだったとは思うけれど、そんなことに興味を示したことなど一度もないのだ。

じんわりと広がる電撃に混じって、このふわふわするような、もやもやするような…。

ふうーっと長めに息を吐く。

思考を放棄したくなって、身体を緑に染まった湯船に更に沈めた。


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