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17

「二人とも、気をつけて帰りな」

槙村さんに見送られえ店を出る頃には、東側の空はすっかり橙に染まっていた。

今の季節は夜の訪れが早い、家につく頃には空全体が橙に染まっていることだろう。

今日はまだ時間が早いこともあり、迎えを呼ばずに来た時と同様、紗梨と並んで帰った。

ふふっと、歩いている途中で隣にいる紗梨が急に笑い出す。


「どうしたの?」

「いきなりごめん、さっき全部の記憶が戻ったばっかりだったからかな。今急に三人で悪戯してた時の事思い出して」

「あー、私達よく悪戯してたもんね、懐かしい」

釣られて思い出し、同じく笑う。

幼体期は幼馴染三人でよく遊んでいた。

覚えていないくらいくだらない悪戯をよくやっていたエマは、瑛茉の幼少期からは考えられないほど悪戯っ子だった。

エマとサリーとジュン。

幼体期の頃の三人の姿を思い浮かべた後、成長した姿の赤銅の髪の幼馴染がふと浮かんだ。

私に二度も忠告をくれたあの幼馴染。


「ねえ、そういえばさっきマリエルには聞きそびれちゃったんだけど、ジュンは私がいなくなった後どんな様子だったの?」

忠告を聞かずに罪を犯した私を告発したくらいだから、怒りを通り越して私に呆れかえっていたとは思う。

もしかしたらジュンの中で、私との縁は切られていたかもしれない。


「それがね、私エマの刑が施行されてからジュンには会って無いの。幼馴染なのに薄情かもしれないけど、エマがいなくなった後は私、人間になるための説得に必死だったから」

流石に裁きの門を通る許可は一度では貰えず、何度もアーミラとマリエルに頼み込んでいたらしい。

仕事も忙しかっただろうし、ジュンとは会うタイミングが無かったみたい。


「それじゃあ仕方ないね。元気にやってるといいけど」

「そうだね。ジュンのことだからきっと変わらずやってるよ」

幼体期こそ悪戯小僧だったけれど、仕事はそこそこ真面目にやるタイプだった。

社交性もあるし、それなりに上手くやってるだろう。

「もしかしたら仕事で下界に来た時に、私たちのこと空から見つけてるかも」

「それはあるかも」


神社等にあまり寄り付くことは無いし、空からじゃ豆粒同然ではっきり見えないことはわかっているけれど、そんな冗談を言って笑いあう。

もう一人の幼馴染にはもう会えないことがわかってたから、二人とも少し寂しかったのかもしれない。

あれこれと話しているうちに、あっと言う間に駅に着いてしまった。

紗梨と別れバスターミナルに向かうと、今日は丁度目的のバスが入ってくるところだった。

夕暮れ時なこともあり、人の多いバスに乗り込む。


丁度空いていた席に座ると、今日一日のことがずっしりと身体を覆う。

今日もとんでもなく情報量の多い一日だった。

膨大な量の記憶のこと、サリーのこと、マリエルのこと、刑の秘密。

昨日戻った記憶だって整理し切れてないのに、頭の中が凄く混雑している。

頭の中を覗いてみたら、物凄く片付けの苦手な人の部屋並みに情報が散らかっているに違いない。

今頃マリエルは慎の元へ暗示を解きに行っているだろうか。

暗示が解けたら、何かの拍子にシンの記憶が蘇ってもおかしくない。

そしたらきっととてつもなく混乱することは間違いないとして、慎はエマとシン、そして私と自分の関係をどう思うだろう。


出来れば好意的に受け止めてほしい。

再び不安に心が覆われそうになった時、紗梨の言葉が過ぎった。

『今の瑛茉が今の慎さんを好きってだけで充分じゃない』

先刻私の不安を溶かしてくれた言葉は、またもや私の心を救ってくれた。

そうだよ、私が今慎を好きって事実は変わらないんだから。


心の中で静かに意気込んだその時、頭の中で閃きを感じた。

記憶の中の小さなきらめき。

そうだ、あの翼を捥がれただ落ちていくだけだったあの時。

魂だけの存在になる前に確かに願ったのだ。

もう一度、あなたに会えたなら、と。

奇跡が願いを結びつけ、私は今ここにいる。

答えははっきりと持っていたじゃないか。


もう一度彼に会い、再び想いを寄せ、心を通じ合わせた。

ここにいる私が確かに慎を好きで想いあっている、その事実だけで本当に充分だった。

次会った時、いいや今日、帰ってから電話で改めて彼に気持ちを伝えよう。

昨日の私の酷く混乱していた姿を、早く塗り替えてどんな小さなわだかまりでさえも消してしまいたい。

そう決心してすぐに、タイミングよくバスが停まった。


すぐに家最寄りのバス停だと気づき、バスを降りる。

バス停から自宅まではほんの二百メートルほどだ。

予想していた通り空は全てが橙色に染まり、アスファルトに長い影をつくる。

まだ明るいからと迎えを呼んでいない分、両親を心配させてはいけないから早く帰ろう。

目の前の影を踏みながら歩いていると、自分の後ろを誰かが付いてくる気配がした。


バスから降りる時、確かに一人だけ私の後に降りた人がいたと思う。

後ろをわざわざ確認しないのでどんな人かはわからないけれど、バスを降りてからずっとついてきている。

方面が同じだけでどこかの道に逸れるだろうと思っていたのに、未だ後ろで気配がした。

急いで家に帰るか、それとも家バレを防ぐために迂回して帰るか、とりあえず誰かに電話を…と鞄を探り出した時だった。


急に距離を詰められ、肩を掴まれた。

振り向くことはできずに、ただその場で立ち止まる。

一体何なのか。

肩に手をかけたまま、暫く相手も動かず喋らなかった。

羽織ったコートの上から、じっとりとした気配が染みてくるような、嫌な感覚がする。

身体が強張り、手を振り払って駆け出したいのに動けなかった。


「え…」

前触れもなく後方から手に力が加わり、無理やり振り向かされる。

そこには、一見おとなしそうな二十代半ばくらいの普通の男がいた。

男は無言のまま手を振り上げ、力のままに今度は前方から肩を掴む。

予想していたよりも強い衝撃が響き、思わず顔を顰める。

そのままの強い力で引き寄せられそうになり、男の胸板にぶつかる瞬間両腕に精一杯力を込め、思い切り突き飛ばした。


今のうちに逃げなければ。

顔を上げ、私の反抗によろけた男を見やる。

力一杯に押したつもりだったのに、大して距離を稼げていなかった。

それでもとりあえず走らなければ、そう思い(きびす)を返そうとした時、私は信じられないものを見た。


これは目の錯覚だろうか、それとも記憶を全て取り戻したから?さっき丁度話題に上っていたせいもあるかもしれない。

夕陽をバックに立つ男には、逆光により濃い影が落ちている。

その男の顔の(かげ)りに、わずかだけれど赤銅の髪の幼馴染の顔を見た。


「ジュン…?」

そう気づいてしまえばもう、無意識に名前を呼んでいた。

目の前の男が、正確に言えばその翳に潜むジュンが、目を見開いた。

「エマ、俺に気付いたのか」

男の口を借りて言った直後、男の身体から黒い煙が立ち上る。

煙は無表情のまま佇む男の隣に集まり、一つの姿を形作る。


漆黒の髪に、鋭い真っ赤な瞳。

腹の部分のみ露出した真っ黒な衣を纏う身体には、私と同じく臍の下に烙印が押されている。

そして片翼のみの闇に溶けそうなほど真っ黒な翼。

天使時代も合わせ、初めて見る堕天使の姿だ。


でも間違いない。

陽の光に照らされれば鮮やかに輝いた赤銅の髪は光を吸い込む漆黒に、エメラルドの瞳は血のように真っ赤に変貌しているけど確かに。

私の知る、あの頃から全く変わり果てた姿で、けれど確かにジュンがいた。


「本当にジュンなの…?」

「そうだ、久しぶり、だな」

気にかけていた幼馴染との再会に喜びたいはずなのに、あまりにも変わってしまった姿に素直には喜べない。

だって、堕天使は、大罪人だ。

「なんで、堕天使なんかに…?」

「人間を、殺したからだ」


虚ろな顔で紡がれた告白に、もうどんな顔をしていいのかわからない。

ジュンがそんなことをするなんて、信じられなかった。

「エマの刑の後、あの人間を殺したのは俺だ」

「どうして…っ」


あの人間、が誰を指すのか、すぐに察した。

では私が見た予見でのシン達の死因は、ジュンなの?

けれどわからない、何故シンを殺そうと思ったのかわからない、掟を破るなと忠告してきたジュンが何故最も重い罪を犯したのかも、わからない。

責め立てるように叫ぶと、血のように真っ赤な瞳に射抜かれた。

その鋭さに、思わず肩を揺らして後ずさる。


「うるさい!俺にももうわからないんだ!あの果実を食べてから、俺はもうずっとお前が欲しくて欲しくて堪らない」

頭を振り乱しながら叫ぶジュンに呆然とする。

何よりジュンのこんなに悲痛な声を、今まで聞いたことがなかった。

「なあエマ、やっと俺に気付いたんだ。なら俺を助けてくれ、もう解放してくれ!自分が何をしたいのか、もうずっとわからないんだ」

ただただ呆気にとられ、ジュンを見るだけの私に尚も言い募る。

「エマ、お前が欲しくて、たまらないんだよお!けどもうこんな事やめたくて、でもわからないんだ。どうすればいい?どうすれば辞められる?わからない、わからない!」

半狂乱で叫び続けるジュンに、私もどうしていいかわからなくて、恐ろしくて、また静かに後ずさった。

無意識に離れようとする私を、血のような瞳で鋭く射止める。


「幼馴染だろ?逃げるなよ、悲しいじゃないか。なあ、エマ」

瞳の鋭さに身が竦む。

こんなジュンは知らない、どうしてこんなに変わってしまったのか。

堕天使になったから変わってしまったのか、いやその前に何故堕天使になるような罪を犯したのか、何か、言っていなかっただろうか。

悲痛に叫んだジュンの言葉を思い返す。

果実を食べてから、と言っていたけれど関係あるのだろうか。


「ジュンは、何かの実を食べたから、変わってしまったの?」

「わからない、けれどあの果実を食べてからが始まりだったと思う」

ジュンはやっと口を開いた私の問いに、頭を振り乱して叫ぶのをやめた。

先程までよりは落ち着いて見える姿に、少しだけ安心する。

「良かったら話してくれない?その果実を食べた時のことを」

「…長くなるかもしれないけどいいか?」


両親の顔がふと浮かぶ。

空は橙色に染まっていて、まだどこにも紫は差していない。

家までもう少しの距離だし、話だけなら、大丈夫だろう。

頷いて肯定の意を示すと、ジュンは一つ息を吸ってから語りだした。


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