回顧ーシン
出会いは本当に偶然だった。
足りない兵糧を補うため、食料を探していた時に不思議な泉に行きついた。
その泉の縁に、美しい天使が座っていたのだ。
亜麻色の豊かに波打つ髪、曇り空に碧い海を閉じ込めたような色の瞳、陶器のように白い肌、まさに神秘的な大きな翼。
そのすべてが美しく神々しく輝いて見えて、美しい天使様が自分に向けて喋りだすまでは夢でも見ているのかと思った。
あまりにも見惚れすぎて気を悪くさせたのか、早々に追い出されてしまったけれど、次の日もまた会えることを期待して食料を探しながら歩くと、不思議な泉(聖泉らしい)に辿り着くことができた。
ここにいてもいいという言葉に甘えて天使様にまた見惚れながら居座っていたら、突拍子もない提案をされた。
天使様は名をエマと言うらしく、自身を名で呼び、仲間―友人と同じように接しろと言う。
なんとも畏れ多い提案ではあったけれど、今ではかなりその時の申し出に感謝している。
美しい天使様 ̄エマと親しくなる機会を得られたのだから。
自分のエマに対する態度が砕けていく度に、エマの口調もだんだんと解れていくのがわかった。
最初はまさに天使様、と言う感じで触れてはいけないような威厳のようなものも感じていたけれど、どうやら素は無邪気で愛らしい子供のようだった。
そんなエマの姿を見る度に、幼かった妹を思い出し同じように頭を撫でた。
俺と妹の生家は、神職を生業とする家の本当に遠く離れた傍流であったが、妹には早くから強い巫女の力を見出され、本家に養子に入る話が出ていた。
気立てがよく人に愛される子で、両親も俺もとても可愛がっていたし、兄妹仲もよかった。
それが二年前、疫病にかかり、家の者全員に惜しまれながら他界した。
エマに強い力に恵まれた、と言われた時すぐに妹の顔が思い浮かんだ。
元々自分には巫女の力(エマの言葉を借りるなら聖の力)などなく、その片鱗でさえ見えたことは無い。
エマとの出会いは、国へ猜疑心を抱きながらも戦地へ赴かなければならない兄への、妹からの送りものだと思った。
エマはよく俺の話は新鮮で面白いと言ってくれていたけれど、俺からすればエマのする天使の話のほうが新鮮で面白かった。
天使は樹から生まれてくるだとか、生後から仕事に就けるようになるまでを幼体期、その後を生体期と呼ぶだとか。
生まれてからある程度成長した幼体期の天使たちは、人間の学校のようなシステムで教育を受けるということも驚いた。
そしてその幼体期の頃は友人たちとよく悪戯をしたそうで、それを聞いた時は声を出して笑ってしまい、エマが拗ねたような顔をしたのがたまらなく可愛かった。
可愛がっていた妹とどこか重ねるように接してはいたけど、エマに向ける感情が妹に対してのものではないことくらい自覚していた。
あんなに美しく、愛くるしい人に惹かれないわけがない。
天使と言う生き物は、パーソナルスペースの概念がないのか当初から距離が近く、慣れるまでが大変だった。
お互いに砕けて来た頃には、よくエマは触れてくるようになった。
それが嬉しくもあり、悩ましくもあった。
自分は健全な男であると、何度も自覚をした。
けれど、どれだけ親しくなっても距離が近くなろうとも、俺とエマは人間と天使で、いつか別れが来るとわかっていた。
わかっていてエマとの日々を過ごしていたけれど、浅ましさを捨て去れない俺は、あの朝ついエマを試すようなことを言ってしまった。
遠く離れても俺を探すと言われて、どれほど嬉しかったか。
エマの中で俺と言う存在が、確かに根付いていると感じ取れた。
それがいけなかったのだろうか。
また今晩、と言ったのに。
エマはあの夜、現れなかった。
俺の浅ましさを見透かして、嫌気が差したのだろうか。
その日の夜どころか、次の日も、そのまた次の日もエマは現れない。
不安が胸を覆う。
きちんとした約束をしたのは初めてだったけれど、エマは簡単に約束を破るような子ではないことは、ここずっと共に過ごしてきた時間でわかっているつもりだ。
それなのに、あれから朝も夜も現れない。
とてつもない、胸騒ぎがする。
エマの身に何かあったのかもしれない。
いてもたってもいられない気持ちにはなるが、所詮人間、どうすることもできないことが余計に腹立たしかった。
エマには以前天使の力で命を救われているのに、無力な自分が悔しい。
俺のことが嫌になったのだと、言われてもいいからただ一目会いたかった。
最後に別れた朝から四日が経った。
朝起きて、今日一日の支度をし、行動開始前に少し抜けて泉のある場所へ向かう。
今日の空は一面雲に覆われていて、空を映す泉はエマの瞳と同じ色を湛えていた。
今日も、いない。
聖域中を見渡し、落胆しかけた視界の端に大きな純白の翼を捉える。
考えるよりも先に、焦がれていた天使の名前を呼ぶ。
「エマ!!」
振り向いた天使は、エマではなかった。
翼を広げ、近づいてくる天使は中性的な顔をしていた。
瞳の色は今日の空色と同じだった。
目の前まで来ると、灰色の瞳でじっくりと俺を見てくる。
「そうか、お前が」
と独り言のように言い、俺の目を射抜いてくる。
エマに何かあった?あなたは誰?
聞きたいことがあるのに、口元が固まって動かない。
天使が掌を俺の額にかざす。
「すまないな。お前には全て忘れてもらう」
 ̄何を。
口元は動かないまま、いいようにされる。
突風が吹き、木々がざあっと荒く揺れた。
気が付くと俺は泉のある開けた地に立っていた。
「どこだ、ここは…?」
周りを見渡し一人ごちる。
どこか懐かしい気がするものの、全く知らない場所のように思う。
いけない、こんなところで油を売っている場合ではない。
はっと思い立ち、急いで仲間たちの元へ戻る。
今日は重要な作戦がある日だ。
不思議と後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、拠点へと走った。




