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回顧6

マリエルに連れられて行った先は地下牢だった。

幼体期に宮殿中を探検したと思っていたけれど、このような場所があるなんて初めて知った。

牢のうちの一つに押し込められ、扉には錠をかけられる。


「マリエル⁈どうしてっ」

訳もわからず連れてこられ押し込められ、扉にしがみついて未だ扉の目の前にいるマリエルに抗議する。

「掟を、破っただろう」

「私、そんなことしてない!」

「本当に自覚がない?それとも(とぼ)けているだけ?」


扉をガンガンと揺らし、出してほしいと行動で訴えるもマリエルの険しい顔は相変わらずで、掟を破っただろうと言ってくる。

掟を破った覚えなんてない、規約はちゃんと守っていた、そのはずだ。

本気でわからない、と言う顔をする私にマリエルは一つ溜息を吐き、言った。


「人間を、愛しただろう」


その言葉に扉を揺する手をピタと止める。

人間を、愛した…?私が?

「自覚が、無かったようだな」

呆然とする私にマリエルはただ、そう言った。

「人間を心から慈しむこと。けれど決して愛してはいけないこと。エマがしたことは立派な規約違反だ」

「友愛ですら規約違反だというの⁈」

「友愛?何を言う。エマのソレはとうに友愛なんて越えている。今のお前は人間の男を愛する人間の女と同じだ」


人間の女と同じ ̄その言葉に大きな衝撃を受けた。

シンを気にかけていたことは紛れもない事実で、けれどそんな意識は全くなかった。

固まる私を見て肯定と受け取ったのだろう。

「なぜ自分がここにいるか、理解したようだな。今日中にまた来る。それまでに頭を冷やしていろ」

そう言って牢に背を向け、去っていった。




入れられた牢は、真っ白で無機質な空間だった。

私室より硬めのベッドが一つと、小さなテーブルだけが置かれている。

牢、と呼ぶには些か過ごしやすい部屋に、囚われたという実感がなかなか湧かなかった。


それでもここに連れてこられた当初の、激情した頭は冷える。

冷えたところで宣言通りやって来たマリエルに、「刑は三日後に施行される」と淡々と告げられ、ようやく実感が湧き始めた。


刑の施行日を告げられてから、あれこれとシンとのこれまでを聞かれる。

おそらくここ数日は誰かに監視でもされていたのだろう、確認を取るように何か書き記された紙をチラチラと見ていた。

連泊を怪しんだ誰かに告発されたのだろうか、他の天使がたまたま聖域で話しているところを目撃したのだろうか、それとも…。

唯一人間との交流を自ら告げた馴染みの顔を思い浮かべる。

こんなこと、考えたってどうしようもないけど。


「三日後お前は裁きの門を通る。それがどういうことか、わかっているな?」

「はい」


裁きの門、掟を破った者は必ず通される。

通った者は天使の身分を剥奪され堕天使になるか、またはただ魂が消滅するか。

罪の重さに比例して門が通った者の行く末を決める。

人間に害をなす存在になるくらいなら、消滅したほうがいい。

その代わり、二度と誰にも会うことが叶わなくなるけれど。


今朝シンと別れた時のことを思い出す。

きっともう下界には細い月が浮かんでいることだろう。

もう、彼はあの場にいるかもしれない。

自分から持ち出した約束だったのに、破ってしまったことが申し訳ない。

そして今朝見た予見を伝えられないままなんて。


シンがいなくなる、それがとても恐ろしく、とても悲しいのはやはり知らずのうちに愛していたからか。

そうだとしたら、きっと随分と前から彼に惹かれていた。

結局祈祷師たちと同じだと思ったのは最初だけ。

だんだんと打ち解けあううちに目に映る彼の全てが輝いて見えていた。

話も勿論面白かったけれど、優しい声音も好きでずっと聞いていたくなった。

そして少しでも多く彼に触れたいと、たまらなく触れたいと思い、触れ合わずにはいられなかった。

今朝の会えなくなるという話が出た時も、何故そんな話をいきなりしだすのかと、たまらなく悲しかった。


折角仲良くなれた友人と離れる寂しさからだけじゃない。

こんなにも焦がれる気持ちを、きっと心のどこかでは気づいていたのだ。

一度気づいてしまえば溢れるばかりで止まることを知らない気持ちに、掟があるからと、無意識にわからないと蓋をして。

シンへの愛しさを自覚した途端に、恋しくて、恋しくて、たまらなくなる。

それと同時に、とてつもない切なさに襲われた。

あなたが愛しいと、自覚したのに、会うことは叶わない。


マリエルが牢を去ってから、暫くして焼き(ごて)を持った二人組がやって来た。

何をされるか理解した私は、黙って二人に従う。

二人のうち一人の表情からは、掟を破った私への軽蔑が見て取れた。

もう一人は無表情だったけれど、内心では憎々しく思っているかもしれない。

巻き付けた衣服の前面を開き、一人が私を押さえつけ、もう一人が私の身体に焼き鏝をあてがった。

すさまじい痛みと熱さに堪らず喉を焼く程に叫ぶ。

焼き鏝を身体から離された後、ゆっくりと押し当てられた部位に目をやる。

臍の下には確かに、(とが)の印が焼かれていた。




牢に入れられた当日、烙印を入れられた患部が熱を持ち、痛み続け、到底眠ることができなかった。

正確に言えば、しっかりと焼かれた部分は神経までもが焼き切れたせいかほとんど痛みを感じず、その周りの中途半端に熱に侵された部分が強烈な痛みを持った。

衣服が擦れるたびに酷く傷んだので、一度脱ぎ捨て、真っ二つに裂いて腹を避けて上下に巻き付けた。


「エマ…?」

刑の日まですることもなく、ベッドに仰向けになりただ天井を見つめていた私に、扉から声がかかる。

「サリー?」

起き上がり顔を向けると、扉の前にいたのは親友だった。

扉の傍に寄ると、困惑と悲壮を張り付けた顔が見えた。

そこで最近サリーに会っていなかったことに思い至る。

お互いの忙しさももちろんあったけれど、下界にばかり気を取られ、彼女と全然話せていなかったことを後悔した。

私の身体を見まわし、ある一点に目を止めると、痛々しそうに顔を歪める。


「エマ、それ、」

「うん、昨日入れられた咎の印」

答えるとサリーはその場に(くずお)れ、はらはらと涙を流し始めた。

同じくその場にしゃがみこむと、烙印(らくいん)が引きつれて傷む。

「サリー、泣かないで。私が、悪かったの」

格子になっている扉の隙間から腕を通し、彼女の髪に触れる。

自分と違い癖のない髪は艶があり、するっと私の指を通す。


シンの髪の毛に触れる癖が、いつの間にか移っていたのかもしれない。

しばらくそうしていると、嗚咽(おえつ)をこらえたサリーが顔を上げた。

涙でぐちゃぐちゃになった顔に胸が痛む。

こんなに親友を悲しませているのは、自分のせいだ。


「答えは、見つかったの?」

主語がないその言に、何を問われているか、すぐにわかった。

あの日の約束の続きだ。

「私、神様の気持ちが多分わかったわ。神様は人間に恋をしたの。人間が愛おしくて。だから想いが実らなくても、憎むことができなかったのよ」


それからはゆっくりと、シンとの日々の中で抱いた気持ちをサリーに語った。

人間はとても面白く興味深い生き物であること、不完全であるが故の儚さ(もろ)さ、そんな存在にどうしても焦がれ目が離せなくなったこと。

そうしているうちにいつの間にか愛おしく、失いたくない存在になっていたこと。

シンのことを一つ一つ、思い出しながら話した。

丁寧に思い出すたびに、胸には温かさと、目には涙が滲む。

サリーはずっと静かに聞いてくれていた。


「そう、そんなに楽しい日々を送っていたのね。それなのに私に教えてくれないなんて、酷いわ」

いつの間にか止まっていた涙の跡を拭って、そう微笑んでくれる。

「ごめんなさい、隠していたわけじゃないの。こんな形になって打ち明けることになって、本当にごめんなさい」

サリーと掌を組み合わせ、片手を握り合う。

その掌にぎゅっと力を込めて、今度はサリーが謝ってきた。


「ううん、謝らないで。こうなったのは私のせいかもしれないから」

「どういうこと?」

「私が、ジュンを焚き付けるようなこと言ったから。エマを告発したのは、ジュンなの」

どういうことなのか深く聞くと、しばらく前に交わしたという会話を教えてくれる。

人間にのめりこむ私に不満を抱いていたジュンに、嫉妬心を抱いているんじゃないかと指摘したこと。

振り返ればジュンは二度も私に忠告してくれていた。

人間に二度と会うなとも言っていた。

それはこんな結末にならないように、心配してくれていた言葉だったのに。


「いいえ、こうなったのはサリーのせいでもジュンのせいでもない。ジュンが告発しなかったとしても、いつか他の誰かに告発されていたかもしれない。私が人間を愛したのは、本当のことだもの」

神様が作った掟を破り、神様を裏切っただけでなく、心配してくれていた幼馴染までもを裏切ってしまった。

これは紛うことなき私の罪だ。


「慈愛でも友愛でもなく、それ以上の情愛を人間に抱いてしまった私が悪いの」

サリーは再び瞳に目に涙を滲ませた。

「エマは、それで後悔してない?」

後悔なんて。

シンとあの聖域で過ごして日々はかけがえのないものだ。

交わした言葉も、あの優しい声も、心地の良い温もりも、全てが愛おしくかけがえのないもの、そう思う気持ちも。


「シンは私に大切なものをくれた。知りたかったことも教えてくれた。だから私、あの人を想ったこと少しも後悔していない」

そう言い切った私に、悲しそうに、涙を滲ませたままサリーは笑ってくれた。

「そう、エマが後悔していないならいいの」

身体を抱きしめあえない代わりにぎゅっと掌を握り合う。

また来る、と言葉を残しサリーは地下牢を去っていった。




あっと言う間に刑の施行日がきた。

また来る、の言葉通りサリーはまた牢まで来てくれて、別れ際に最期の挨拶をした。

マリエルもまた一度だけ顔を見に訪れた。

険しい顔つきは相変わらずだった。


首と手首に鎖が繋がれ、錠が施され牢から出される。

私の鎖を引くのは焼き鏝を押しに来たのと同じ二人だった。

そのまま北端にある裁きの門まで向かう。

ジャラジャラと鎖が擦れる音が、やけに耳に響く。


初めて足を踏み入れた北端の崖には、マリエルと神官長がいた。

四人の天使たちに注目を浴びながら裁きの門の前に立たされる。

マリエルがはっきりとした声で、私の名前と罪状を読み上げた。


「この者、天啓の天使エマを、人間を愛した罪により裁きの門に()とす ̄」


マリエルの声を聞きながらもう残された時間が僅かだということを、ヒタヒタと感じ取っていた。

ゆっくりと目蓋を綴じ、最後の記憶を手繰り寄せた。

ごめんねとありがとうを告げた悲痛で温かなサリーの顔。

そして初めて口に出して約束を交わしたあの朝を。

たった数日前のことなのに、もうだいぶ遠い日のことのように思えた。


 ̄また今晩


その約束が叶えられることはもう二度となくなってしまった。

約束を破ってしまってごめんなさい。


 ̄毎日空を飛んでシンを探すわ


それから、この約束も果たせそうにない。

どちらも自分から言い出したのに、とんだ嘘つきになってしまった。


次に会えた時に、あなたに伝えなければならないことがあったの、あなたを失いたくなくて、あの聖域に軟禁しようとまでしていた。

そんなことも伝えられない。

予見した運命の日は、もうだいぶ近づいている。

伝えられなかった私のせいで、シンは。

本当に、ごめんなさい。


届くはずのない言葉を何度も胸中で繰り返す。

最後に見た彼の笑顔を、私ははっきりと覚えている。

優しくて柔らかい、私の大好きだった顔。

きっと忘れることなんてできない、この身が朽ちようとも、きっと忘れることは無い。


牢に入れられてからずっと、何度も繰り返し見た彼の姿を心の、そして頭の奥の奥に刻み付ける。

もう二度と、あなたに会うことは叶わない。

裁きの門の中央に背面で立たされ、堅牢な鎖が外される。

それは、最期の時が来たことを意味していた。


険しさの中に悲愴を滲ませたマリエルが目の前に立ち、何か伝えるように口を動かす。

なんと言ったか問い返したかったけれど、そんな間もなくマリエルにそっと鎖骨を押され、直後、真っ逆さまに落ちていく。


目の前には美しい空が広がっていた。

日々翔けた空、飽きるほど見ていた空だったのに、今までで一番美しく思えた。

澄み渡る青に手を伸ばしながら、私はひたすらに落ちていく。

音も痛みもなく()がれていく自身の翼が、伸ばした両の腕を撫で、舞いながら上空へと吸い込まれていった。


青い空を装飾する無数の羽を見ながら、シンがしてくれた赤い果実の話を思い出す。

私が彼と共に食べていたあの実は、禁断の果実だったのかもしれない。

でも、それでもいい。

シンは様々なことを教えてくれた。


たくさんの人間に関する面白い話、私が知らなかった世界のこと、人と触れ合うことの心地よさ、そして誰かを愛する心。

大切なことを、教えてくれてありがとう。

あなたに会えて、本当によかった。

だから、こんな終わりになってしまったけれど、あなたを想ったことは、微塵も後悔などしていない。

美しい碧に別れを告げ、私は再び目を綴じる。

先ほど刻みつけた姿を、また丁寧に思い浮かべた。

愛しい輪郭に、胸が甘く痺れた。


もう一度、あなたに会えたなら。


淡く叶わぬ願いを抱きながら、私はどんどん沈んでいく。

押されて日の浅い烙印が、私の想いに反応したかのようにジリジリと痛んだ。

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