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回顧5

 次第に人間たちの戦争が激しさを増しているらしいけれど、それと反比例して届く祈りの数は減ってきていた。

これは予想だけど、祈祷師たちも前線へ駆り出されるようになって祈れる者が減ったからだと考えている。

断りたくても断ると排斥されるとシンが言っていたから、きっと祈祷師は招集に従う。


私は相変わらず、夜は下界で過ごしている。

シンも未だに戦いの中に立っているらしく、毎日のように深手のものは無いけれど、傷を作っていた。

この日は月が空に浮かばず、いつもよりも暗い夜だった。


月がない分火を灯し、明かりをとる。

そうしてその脇に二人で並んで座った。

始めは近寄ると距離を取ろうとしてきたシンが、肩が触れるほど傍にいても離れようとはしなくなった。

それがとても、くすぐったくて嬉しい。


「私ね、ずっと人間の友達が欲しかったの」

いつも面白い話をしてくれる彼は、私の話もよく聞いてくれた。

優しく相槌を打ちながら聞いてくれる彼の隣は、とても心地が良かった。

「でも基本人間には私たちの姿が見えないし、仕事上交流の多い祈祷師たちは私たちが見えるけど、私たちを神格化しすぎていてとても友人にはなれなかった。だから仕方ないと諦めていたし、友達が欲しかったこと正直忘れていたんだけど。ここでシンに出会ったの」


ここでシンに出会ったことで、もう随分遠いあの日に語っていた願望を思い出した。

隣にいる彼の顔を覗き込むようにして見つめると、もう随分と見慣れた濃い茶色の瞳が、静かに見つめ返してくる。

それに僅かに胸が高揚するのを感じた。

「シンも最初は恭しくて堅苦しかったけど、今はこうして打ち解けてくれているもの。私最近毎日が楽しくて、嬉しい」


そう言って笑うと、少し照れながら頭を優しく撫でてくれた。

シンには幼い妹がいるらしく、よくこうして撫でてやるらしい。

すぐに顔を赤くして距離を置かれていた最初の頃を思うと。驚くほどの進歩だ。


「俺もこんなに天使様と打ち解けあえるなんて思いもしなかったよ。初めて見た時のエマは本当に美しくて、夢でも見ているのかと錯覚した」

そう言うと撫でていた手を、髪を梳くように毛先のほうへ移動させ、そのまま私の髪を一房掴み弄ぶ。

「この亜麻色の豊かに波打つ髪も、曇り空に碧い海を閉じ込めたような色の瞳も、陶器のように真っ白な肌も、まさに神秘的な大きな翼も、全てが美しすぎて、神々しすぎて、絶対に触れてはいけないものだと思ったんだ」

「今、触ってるわね」

クスクスと笑うと、そうだね、とシンも同じく笑う。


「それにシン、髪も瞳もほめてくれたけど、一番熱い視線を送っていたのは翼だったわよね?」

「だってそれは、本物かどうか確かめてみたくて。こんなに大きくて綺麗な翼を見たのは初めてだったから」

触ってみてもいい、と揶揄った時のことを思い出す。

シンもその時のことを思い出したのか、頬を染めた。

その顔と首筋を広げた翼の先でつつっと撫でるとくすぐったそうに身を竦める。


「っエマ!」

「ふふ、ごめんなさい」

反応が可愛くて思わず口を押えて笑ってしまう。

突然悪戯をかましてきた私を困ったように、でも眼差しは優しいままシンは見てくる。


「あなたを含めて人間はやたら私たちを美しいと称賛してくれるけれど、多分私達が持ってる魅了って力の効力ね」

「魅了?」

「そう、魅了。仕事を円滑に進めるために天使は皆持っていて、人間と接する時は無意識にその力を使っているみたい。だから、今もきっと」

ニヤリ、としながらシンを見ると、予想外の真面目な表情をしていて、少し戸惑う。


「…きっと俺は、そんな力が今働いていなかったとしても、エマと親しくしていたと思うよ」

その真剣な顔にドキリとしながらも、ありがとう、とただ返した。

なんとなく、彼の顔を見ていられなくなり、視線を目の前の火に移す。

胸に抱いたよくわからない気持ちを押し付けるように、シンの肩に頭をのせぐりぐりと後頭部を押し付ける。


シンを抱きしめたあの時のように、自分がよくわからなかった。

わからないまま、ただ口を開く。


「シン、私あなたに会えて本当によかった」

彼は迷うように彷徨わせてから、身を寄せるようにして私の身体に腕を回した。

「俺も、エマに出会えてよかった」

私の頭にシンが顔をうずめるのを感じる。


既に二人を覆うように開いていた翼を、更に包み込むようにしてそっと綴じる。

翼を動かした風圧で火は消え、辺りは闇に包まれた。

月の浮かばぬ濃紺の空に、散りばめられた星たちだけが瞬いていた。




結局、昨晩はあのまま眠ってしまったみたいだった。

気づけば陽が昇り、泉を碧く照らしている。

今回は前回と違い、シンは起きてすぐに慌てて離れようとはしなかった。


二人翼の中で目を覚まし、腕の中で眠っていた私と目が合うと、顔を朱く染めたもののそのままはにかんで昨夜のように抱きしめられた。

寝起きで完全に微睡(まどろみ)の中から抜け出せないままの私は、胸の中にしばらく顔をうずめる。

その温もりが心地よくて、どこまでも深い眠りに落ちていきそうだった。


これから仕事があるし、シンも仲間の人間たちの所へ戻らなければならない、そう思い起し何とか再び眠りに入るのを踏みとどまる。

綴じていた翼を開いて体を起こすと、早朝の澄んだ空気がスーッと身体に入ってくる。

名残惜し気に身を離したシンが、昨夜採ってきて脇に置いておいた果実を手渡してくれる。

彼がここに来る途中で、夜の分とは別に私が朝食べる分を多めに採ってきてくれていた。

朝も一緒に過ごすことになったから、多めの果実がちょうどいいかもしれない。


「エマ、きっとそのうちこの戦争は終わる。そうしたら、俺は自分の国に帰る。その時にはもう会えなくなってしまうね」

果実を一緒に齧っていると唐突に真面目な顔をしてそんなことを言う。

哀が少し張り付いたその表情に、私まで悲しくなる。

「そんな悲しいこと、言わないで。私あなたの国まで探しに行く!毎日空を飛んでシンのことを探すわ」

「…ありがとう、じゃあ頑張って探してもらわないとね」


会えなくなることが嫌で、必死になって言うと、柔らかく笑ってそう言ってくれる。

哀が薄れて見えたことに少し安堵した。

「じゃあ、あなたの国の場所を教えて。折角できた人間の友達なの、ちゃんと探す」

「この大陸の東側にある、弓なりの島国だよ」

「わかった、東ね。これは約束だから絶対守る」


果実をいつの間にか食べ終えていたシンが、強く意気込んだ私の頭を撫で、そのまま髪を(もてあそ)び始める。

しばらく髪の毛を(いじ)るシンの手を好きにさせていた私は、果実を食べ終えてすぐにその胸にぎゅっとしがみついた。

もう何度目かわからない、自分でもよくわからない内の衝動がそうさせる。

きっと、戦争が終わったらもう会えなくなるなんて、シンがいきなり言い出したせいで寂しくなってしまったから。

なんとなく理由を探していると、髪を触るのをやめ、シンの腕も背中に回る。


「…そろそろ行かなきゃ」

名残惜しいけれど、彼の言葉にそっと身体を離す。

「シン、また、今晩ね」

完全に身体が離れる前に、顔を見上げながら言う。

「うん、また今晩」

シンはいつもの優しい顔で笑ってくれる。

毎晩のようにこの聖域で会ってはいたけれど、こうして次の約束を取り付けるのは初めてだった。


澄んだ高く青い空。

陽に照らされてきらきらと碧く輝く泉。

今日もきっと一日いい天気だろう。

初めて次の約束を交わした私たちは、また、と言いながら手を振り笑顔で別れた。




天界へ一度戻り、自室に寄った私はそういえば、と思い至る。

シンがいきなり悲しい話をするから、果実のお礼をするのを忘れていた。

シンは別に礼を望んでいるわけではないことはわかっているし、ただの自己満足だけど果実を貰った日はいつもすることにしていた。


それもあって、仲間の爆死以降シンは特に危険にさらされることなく過ごしている。

それに私が伝えた予見のおかげで仲間も命の危険にさらされることが減ったので、シンが毎晩のように仲間たちの元を離れてどこかへ行っていても誰も文句を言ってこないらしい。

お礼は遠回しにシンとの時間を確保するためでもある。


ベッドの横に座り、深く息を吐き出し集中する。

基本的に天啓の力を使う時、祈りを捧げた者の額に触れて願いの先を見るけれど、額に触れなくとも使うことはできる。

額に触れて力を使った時と比べて、疲れやすいけれど。

集中が最高潮に高まったところで、自分が見たい物を見た。


今日含め、先しばらくのシンの運命だ。

そこで信じられないものをみる。

数日後、仲間たちと共に地に伏すシンの姿。

原因が見えない、爆死でもない、銃でもなさそうだ。

何が理由かはわからないけれど、知らせなきゃ。


でも今日はきっともうどこかへ向かっている。

見た光景が起こるのは今日ではないから今晩、そう今晩約束したのだから。

落ち着け、と一人声に出して逸る心臓を落ち着ける。

シンが死ぬかもしれない、最初に爆破される予見を見た時と同様に恐怖がせり上がり、身が震えた。


彼を失ってしまうかもしれない、それは絶対に嫌だ。

とりあえず今日仕事を終えたら、すぐにあの聖域に向かう。

それで予見した内容を教えて、今度はシンが嫌だと言っても何日かは聖域にいてもらおう。

仲間が、と言われたら伝言か何かを夜のうちにしてもらって、私もめちゃくちゃに怒られるだろうけど、難が去るまでシンと一緒に過ごす。


よし、これでいこう。

とりあえず今日の仕事をこなさなきゃ。

思考を思い巡らせ、とりあえずの方針が決まったところで部屋を出る、と。

部屋を出てすぐに誰かが立ち塞がった。

とても深刻な顔をした上官、マリエルだった。


「エマ、今帰って来たのか?」

「はい、さっき丁度帰ってきたところで」

「では、ずっと下界に連泊しているのは本当か?」

「はい、でもそれが何か?」

答えると、考えるような沈黙の後マリエルは一層顔を険しくさせた。

何か、嫌な予感がする。


「えーっと、じゃあ私仕事行くんで」

とりあえずこの場を離れよう、そう思ったのにマリエルに強く腕を掴まれた。

「仕事にはもう、行かなくていい」

「…どういう意味?」

「そんなのは、自分が一番分かっているんじゃないのか?」

「…知りません。私今日重要な用事があるんで」


そうだ、私はシンに危険を知らせなくてはならない。

その前に仕事を終わらせなければ。

でもさっき、行かなくてもいいと言った…?

「用事とは、人間の男に会うことか?」

今度こそこの場を去る為、腕を離してもらおうとしたところで、マリエルに言われた言葉に目を見開いた。


どうして知っているのか。

真っすぐにマリエルの顔を見返す。

その瞳はいつも通り静かで、けれどいつもと違い悲哀と落胆の色を浮かべていた。


「着いてきなさい」

有無を言わせぬ言葉の強さに、私は腕を掴まれたまま渋々と着いていく。

始まりの天使にしか使えない何かしらの力が働いたのだろうか。

今逃げなければならないと強く思うのに、なぜかそのまま従順に、腕を引かれるままに連れられていった。


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