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回顧4

早朝。

昨晩はいつもの聖域に寄らずに天界にある自室へと帰宅したため、なんとなく朝からこの場所を訪れていた。

朝起きて部屋を出た後、気づいたらこの場所へ降り立っていたため朝食を摂り損ねた。

今日も供物をあてにしよう、そんなことを考えながら陸の傍の、泉の浅いところを歩く。

当たり前ではあるけれど、夜と朝では全く雰囲気が違う。

ここ最近毎晩のように見ていた月明かりにきらめく藍色の泉は、今は陽の光を浴びてより眩しく、きらきらと碧く輝いていた。


爽やかな朝だ、と深く深呼吸しながら思う。

碧を湛える泉は生命の漲りを感じる。

足元から広がる波紋がきらめきながら波を描くさまを見ながら、そろそろ今日の仕事先へ向かおうかと翼を開きかけたその時、視界の端に見知った人影を捉えた。

「おはよう、朝に会うなんて珍しいわね」


少し驚いた顔をするシンを見て、夜と朝で雰囲気が異なるのは泉だけではないんだな、としみじみ思った。

武装しているのを初めて見たので余計かもしれない。

重そうな装備を身に着けたまま、泉に佇む私の傍へ寄る。

水に濡れることを危惧したのか、少し離れたところで銃器を下ろし、装備を少し外す。


「…エマが昨日来なかったから、なんとなく寄ってみたんだ。そしたら本当にいて、少し驚いた」

いつのまにか完全に砕けた態度で接してくれるようになったシンは、はにかみながら言う。

その表情と言葉に、自然と顔が綻んでいた。

「もしかして待っていたの?そしたら悪いことしたね…」

「いや、そもそも約束してたわけじゃないし、すぐに帰ったから気にしないで。それより…これ」

そう言ってシンが懐から取り出したのは、艶々と輝く真っ赤な果実だった。

「林檎ではないんだけどさ、少しだけ似てるのを見つけてエマを思い出して。よかったら食べて」

「え、ありがとう!実は朝食を食べ損ねてて。とってもありがたいわ!でも本当に貰っていいの?」


タイミングの良すぎるサプライズに舞い上がりはしたものの、取ってきたのはシンなのでちらりと顔を覗き込んで確認する。

「いいんだ、元々エマのために取ったものだし。それに俺の分はあるから」

少し照れたように笑いながらさっきとは逆側から取り出したのは翠の果実だった。

「じゃあ、遠慮せずに頂くね。時間があるなら一緒に食べない?」

「少しだけなら、大丈夫かな」


悩むそぶりを見せつつ頷いた彼に安心し、とりあえず隣に行こうと足を踏みだしたその時、何かに足を取られ、視界が傾いだ。

「あら?」

高く弾けた飛沫が、朝の光を受け視界をを輝かす。

眩しい朝陽と青と碧とが重なって目を灼いた。

光を孕んだ粒たちが、澄んだ空の青と泉の碧に溶けあって消える。


このままじゃ、翼が濡れる。

そう思うと同時に大きく翼を開いた、はずなのだけど。

宙に舞うはずだった身体は泉に縫い止められていた。

視界の端には、さっきシンが両手に持っていたはずの真っ赤な果実と翠の果実が、並んで水面に浮かんでいる。


そして自身を包む何かの温もり。

意識を巡らせてみれば、片腕はがっちり掴まれ、背中には腕が回されていた。

少し早い気もするけれど、規則的な心音が聞こえる。


「…シン?」

問いかけると勢いよく身体を離された。

見上げると、さっき見せてくれた果実のように、顔が真っ赤に染まっている。

「助けてくれようとしたの?」

「いや、あの、はい…」

恥ずかしそうに目を逸らし、視線を合わせてくれない。

「でも私、翼があるよ」

「ですよね、わかってたはずなのに、身体が勝手に…」


さっき勢いよく広げたせいで、翼が二人の周りをほとんど囲っている。

空とシンの背後に見える碧以外、視界は真っ白だった。

真っ白な空間の中未だに顔を染め上げているシンの頬に何気なく触れる。

先程まで己を包んでいた温もりよりも熱く感じたそれに、何故か胸の内から温かいものがこみあげてきて、クスリ、と笑みがこぼれた。


「助けてくれて、ありがとね」

「…どういたしまして」

泉に投げ出してしまった果実を掬いあげて陸地に上がった後も、顔の赤みが引くまでシンはしばらく目を合わせてくれなかった。

シンが持ってきてくれた真っ赤な果実は、リンゴではなかったものの、甘酸っぱくて弾ける様な実の食感がなかなか美味だった。

食べ終わってすぐに、もう行かなくちゃ、と腰を上げたシンを引き留めた。


「待って、果実を貰ったことだし、折角だからお礼をしてあげる」

貰った果実を供物に見立てた、完全なる気まぐれだった。

「お礼?」

「うん、だからとりあえずそのままでいて」

不思議そうな顔をしたままとりあえずその場に座りなおす彼の前で、膝立ちになる。

そっと額に手を当て、聖力をこめた。

「…今日は何か大きな作戦があるのね。でもそれは中止したほうがいいわ」

「っなんでそれを!」

「今、見えたから」

弾かれたようにしてこちらを見上げたシンに言葉を続ける。


「何か、罠があるみたい。それに巻き込まれて今日…多分全員死ぬわ。だからシン、今日はここいて」

「…これがエマの力?」

「そうよ、こうやっていつもお仕事してるの。望んだものを見通して、教えてあげるの」

今見たのは近い未来の出来事。

敵の陣地に踏み込んだ途端皆爆散した。

グロテスクな未来、それを今予見することができた、突拍子もない自分の気まぐれに感謝だ。

これを教えなければ、生きたシンとはもう会えなくなっていた。

そんなの、考えるだけで恐ろしい。

想像するだけで身が震える。


「やっぱりエマは、天使様なんだね。教えてくれてありがとう。でも俺だけここにいるなんて駄目だ、仲間に知らせてくる」

一瞬寂しそうな表情を浮かべた後、これまでに見たことがないような真剣な顔でそう述べる。

急いで外した武装を付け直し、銃器を抱えた。

「ここにいればいいのに」

「それは、できない」

もう一度ありがとうと言い残し、走り去っていく背中を、ただただ見送った。




今朝走り去っていった背中がどうしても気になって、天界には帰らずいつもの聖域に降り立つと、シンが既に来ていた。

泉の傍で、一人座っている。

そっと隣に座ると、ぽつぽつと今日あったことを血の気の引いた顔で話してくれた。


聖域を去ってすぐに仲間たちに予見のことを話したけれど、説得の甲斐なく仲間たちの半数は予定通りに作戦を実行し、私が見たとおり皆爆死したらしい。

シンは止められなかったことを悔い、自分を責めていた。

そんなこと考えたってどうしようもないのに。


それでも生気を失った顔で悲しみに浸るシンをどうにかしてあげたくて、もどかしくて、気づいたら翼を広げて抱きしめていた。

膝立ちで両翼の先を合わせ綴じ、背中を包み込む。

自分の額を、シンの額に合わせた。


「エ、エマ⁈」

驚いて離れようとするシンに、いいから、と言って抑え込む。

割とすぐにおとなしくなった。

「自分でもよくわからないけど、どうしょうもなく、こうしてあげたくなったの」

膝を折りたたんでその場に座り、額を今度は彼の肩に埋めた。

人間はよくわからない、と思っていたはずなのに、今は自分がよくわからなかった。

よくわからない、と思うままに背中に回した腕に力を込める。

そうしているといつの間にか自分の背にもシンの腕が回されていた。

朝と同じく聞こえてくる心音に安心する。


「人間ってよくわからない。どうして同族同士で争いあうの?」

愚かだと言ったジュンの言葉を思い出す。

私も本当にそう思う。

「俺も、本当は戦いたくなんてない。こんなのはただ上の奴らの見栄に付き合わされているだけだ」

「じゃあ辞めればいいじゃない」

「そうしたくても、少しでも否定的な態度を見せると排斥(はいせき)されるんだ。だから皆、嫌でも正しいことだと思い込んでやるしかないんだ」


やっぱり人間は愚かで、わからないことだらけだ、とシンの言葉を聞いて思う。

「天使様方からしたら地上にいる人間は皆同族に見えるかもしれないけど、そう思ってない人間が大半なんだよ。だからこうやってお金や土地なんかを巡って争いが起きる」

嫌な祈りばかりが続くここ最近の仕事を思い返す。

他を陥れるにはどうすればいいか、先を見てほしいとさんざん言われる。

間接的に人間の命に関わるような願いが本当に嫌だった。

掟では人間を害することを禁じてはいるけれど、ただ先を見てそれを教えることは禁ではない。

ちょっとした占い感覚とか、そういう平和な祈りばかりになることを切実に願う。


腕に力を込め、厚めの胸板に顔を擦り付ける。

シンの腕の中は心地よく、安心の匂いがした。

そうして二人で抱きしめあっているうちに、気づけば私の翼にくるまったまま眠ってしまっていた。




朝目覚めてすぐ、隣に私がいることに気付いたシンは驚いて飛びのいたみたいだ。

飛び上がってそのまま距離を取ろうとしたシンは、私たちを覆う私の翼にすぐぶつかり、結局元の位置に戻る。

私はその翼への衝撃で目を覚ました。

身体の上から翼をどけて起き上がると、すぐに距離を取ったシンが何か食べ物を取ってくると言って出て行ってしまった。


訳も分からないまま一人にされた私は取り合えず泉に足を浸し、昨日泉に入り損ねた分身体を癒す。

気持ちよさに身を(ゆだ)ねていると、シンが昨日と同じ果実を持って戻ってきた。

手渡された真っ赤な果実をお礼を言って受け取ると、その実にすぐに齧りついた。

隣で私が果実を頬張っているのを見ていたシンは、そういえばと話し始めた。


「人間はみんなそれぞれの地域ごとにそれぞれ神様を祀っているっていう話はしたよね」

「うん」

果実をしゃくりながら答える。

人間たちが考えたたくさんの神様がいて面白いって言った記憶がある。

神様は一人なのに、様々な神を創造する人間はすごいって。


「その中で赤い果実が出てくる話があってね。ある時、天界に一人きりだった神様は自分の身体から一人の人間を生み出すんだ。その人間と過ごす毎日が楽しくて、神様はもう一人の人間を生み出した」

「それで?」

いつも面白い話を聞かせてくれるシンの話は絶対面白い、わくわくしながら先を促す。

「しばらくは三人で楽しく暮らしていたんだけど、二人目の人間がある禁を破ってしまう。その禁と言うのが沢山ある果実の中で、真っ赤な実だけは食べてはいけないというものだった。二人目は何処からか現れた蛇に唆されてその禁じられた真っ赤な果実を食べる。食べてしまったあと、あることに気付いてしまった」


残り少なくなった果実に齧りつき、続きを待つ。

話に夢中になりすぎておろそかになった口元から、一筋果汁が滴る。

指ですぐにそれをぬぐった。

「あることに気付いた二人目は、一人目にも真っ赤な果実を食べさせた。そして一人目も気づく。自分たちは人間で、男と女だということ、神様と自分たちは決して交わらない存在だということ。自分たちが人間の男と女だということに気付いた二人はごく自然に恋に堕ち、同時に天界を去ることを決意する。禁を侵したことを告白された神様は、怒り、悲しみ傷ついたのちに二人を望み通り地上へと追放した。その追放された二人が、地上で初めての人間となった」


おしまい、と締めくくりシンも持っていた果実をようやく齧る。

このお話の神様はいったいどこの神様なんだろう。

天界で暗唱させられた詩に少し似ているような気がした。


一人樹に宿った神様を想い、たまらず

「その後神様はどうなったの?」

と聞いていた。

シンは頭を傾げて少し考えた後

「そこまではわからないんだ、ごめんね」

と申し訳なさそうに言う。

「ううん、面白い話今日もありがとうね」


 ̄禁断の赤い果実、ねぇ


手の中に一口ばかり残った真っ赤な果実を見つめた。

規約―掟のことが頭をよぎる。


 ̄神様を裏切る?まさかね


頭を振り、浮かんだ(もや)を打ち払う。

きらきらと碧く輝く泉を眺めながら、残った果実を口に放り込んだ。



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