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回顧3

翌晩。

マリエルに渡されたリストに書かれた名前には全て済の横線が入り、今日は一度報告に戻ろうと思ったものの、気づけば昨日・一昨日と過ごした聖域に降り立っていた。

約束など取り付けてはいないものの、また会える気がしたからだ。


昨晩は恭しい態度を取っ払い、親しく接することを了承させた後、すぐに逃げるようにして仲間の人間たちの元へと帰って行ってしまった。

無理を言いすぎたかとも思うけれど、あれにはちょっぴり傷ついた。


今日は泉の中心まで入ってみる。

泉は浅く、一番深くても腰ほどまでしかない。

雨に打たれても平気なように、翼には多少の(はっ)(すい)性があるものの、個人的にあまり濡らしたくはないので、広げた状態で上向きに傾けて極力濡れないようにする。

身体全体がすっぽり覆えるほどに大きな翼なので、結局三分の一程は濡れてしまうけれど仕方ない。

聖泉の力をたっぷりと沁みわたらせ、泉の中の心地よさに浸っていると、視界の端にその姿をとらえた。

泉の底を軽く蹴り上げ、シンの傍まで飛んでいく。

水を吸って重くなっているものの、この距離ならば余裕だ。


「今日も来たのね」

濃い茶色の瞳を覗き込みながらにっこり笑う。

来ない可能性も勿論頭にはあったので、今日も現れたことに嬉しくなる。

突然目の前に現れたことに現れたことに驚いたのだろう、少し後退し

「はい、まあ」

とぎこちなく答えた。

「天使様、」

「エマ」

「…エマは今泉の中心で何をなさって…していたのですか?」


結局敬語になっているものの、とりあえずは合格としておこう。

喋りながら泉に向かって歩くシンの横をそのまま着いていく。

身体を見ると、今日はかすり傷程度のものしかなくて安心する。


「ちょっと水を浴びたくなったの。でもこれから眠るのに翼を濡らしたくはないから、譲歩した結果身体の半身だけ浸かっていたの」

衣服は濡れてしまっているけれど、薄いのでこれくらいなら何とか乾くだろう。

「そうでしたか」

言いながら座り込み、昨日・一昨日に倣って足を泉に浸した。


その隣に並び座り、エマも再び泉に足を浸す。

その様子を何気なく見ていたシンは、いきなり、不自然に視線を外した。

そこからは一瞥(いちべつ)もくれなくなる。

不自然な挙動に不思議に思い、逸らされた顔を窺い見るとなぜか朱に染まっている。

「どうしたの?」

「いや、その、」


聞いてみても意味のある言葉は返ってこず、要領を得ないので仕方なく自分で考えてみる。

不自然に視線をくれなくなる直前までは、確かに視線を感じていた。

そこで自分の姿を確認してみると、おそらく理由がわかった。

以前他の天使に聞いた人間のある習性を思い出す。


天使が身に纏う衣服は、真っ白な布を巻き付けただけの、ギリギリ服と呼べるかも怪しい代物だ。

人間と違い、着飾る必要も交易する必要もないので服飾文化なるものは天界では一切発展していない。

そもそも天界にあるのは宮殿と、生命樹といのちの泉、それらを囲う果樹たちだけだ。

原料となるものも一切ない。


因みに今身に纏っているのは、自らの翼から抜けた羽で織ったもの。

泉で身を清められる以上着替える必要も基本無いので、天使は皆スペアの服合わせて二着しか服を持ち合わせていない。

そんなわけで服飾に対しとっても疎いので勿論天使たちに下着、と言う概念存在しない。

さっき水に浸かったばかりのぺらぺらの特製白装束は、臍から下が見事に張り付いてしまっていた。

つまりスケスケで、生地が薄い分身体のラインも丸わかりなのだ。

撥水性のある羽で織っているため乾きやすくて重宝しているのだが、流石にこんな一瞬では乾かない。

顔を逸らしたままのシンに、心から謝罪した。


「ごめんなさい、人間は異性に対しお互いに恥じらい、隠すべきところは隠す文化があるのだったわね。気づけなくて申し訳なかったわ」

片翼で隠すように下肢を覆う。

謝罪がお気に召さなかったのかシンは未だにこちらを見ようとはしない。

「いや、そんな、すみません!」

こちらを見るどころかますます茹で上がって首筋まで真っ赤だ。

「謝ることは無いのよ?天使にはそのような文化はないから見られても気にしないし」


言葉を重ねても頑なにこちらを見ようとしない。

これにはカルチャーショックを受ける。

死んだときの性別が反映されて身体が作られるだけで、天使たちの性別は概念的なものでしかない。

始まりの天使たちも中世的な容貌で、人間のような性差に対しての意識なんてないのである。

いったいどうすればいいやら。

「ああそれならここにいる間は衣服を脱いでいることにするわ。そうすればそのうち見慣れるわよね?」


慣れないのならば慣らせばいいのでは?

そう考えた名案だと思ったのに、

「それは駄目です!!!」

と勢いよく振り返ったシンに全否定される。

相変わらず顔は赤いままだったけれど、こちらを向いてくれたのでとりあえずは良しとする。

その後は少しだけ会話を楽しんでから、私の衣服が乾く前にシンが帰り、お開きとなった。




朝目覚めてから天界に戻り、リストを手にマリエルに報告に行くと、(ねぎら)いの言葉と共にまた新しいリストを手渡された。

件数は一枚目の半分に減っていて、少し安心する。

朝食を摂ってから下界に戻ろうとホールでお気に入りの果実に齧りついていると、挨拶もそこそこにジュンが相席してきた。


「あれから見かけなかったけど、下界に連泊してたのか?」

「うん、そうだけど?」

「確かに量は多かったけど、連泊するほどではなかっただろ」

ジュンは目の前で不思議そうに首を傾げる。

「まあそうなんだけど、ちょっと面白いものを見つけて」

ここ三日を思い出して少し表情が緩んだ。

「面白いもの?…まさか、人間か?」

「あら、鋭い」


軽く答えた私にジュンは鋭い目を向ける。

「エマ、あんまり人間に深入りするなよ。規約違反になるぞ」

「んー、ならないと思うけど、気を付けるよ。忠告ありがとう」

ぼんやり規約を思い出しながら答える私に疑う目つきを向けた後、まあ大丈夫か、と呟いてジュンも持ってきた果実に齧りついた。




この天界にはしっかりと定められた規約、つまり掟がある。

そしてそれらを破った者には必ず罰則が与えられた。




―昔々、神は人間をとても愛していた

自ら生み出したその不完全な存在を慈しみ、更に深い情愛を注いだ

しかし人は父なる神に(こた)えることなく離れてゆく

神はそれを深く深く悲しんだ

悲しんだのちに神は人間よりも完璧な存在を生み出した

のちに生み出された者たちは、自らを始まりの天使と呼んだ

神は自らの肉体を保つ力を失い、からだを失った

からだを失った神は始まりの天使たちに力を与え、一つの樹木の中で永い休息についた

神は樹木の中から始まりの天使たちに告げた

人間を見守ること、心から慈しむこと

しかし決して愛してはならないこと

神は完璧な我が子たちに自分と同じ思いをして欲しくはなかった

そして人の世の理を侵す行為を禁じた




この詩は各部署に配属される前、成体になる前に何度も繰り返し読まされ書かされ暗唱させられる。


人間を見守り深く慈しむこと。

人間に慈しみ以上の情愛を向けないこと。

与えられた素晴らしき力を使い人間を害する行為をしないこと。

与えられた素晴らしき力を使い人の世の理を捻じ曲げないこと。


とりあえず特に大切な教えはこの四つだった。

生命樹から生まれた天使たちは成体になるまで皆一定の教育を受けることになっている。

人間に比べたらすさまじいスピードで成長していくので、実際に教育を受けるのは一、二年程度だ。

また、誕生から成体になるまでの世話は生命樹が絡むので、神官たちの仕事になっている。




「耳にしてはいたけど、食文化も発展しているのね、凄いわ!」

天界に一時帰宅し、再び下界へ戻ってから二日。

聖域での逢瀬がもはや日課になり、日々に溶けつつあった。

示し合わせているわけではないけれど、初めて顔を合わせてからこうして毎日のようにここで会う。

まるでそれが当たり前みたいに。


今日は天界では果実ばかり口にしていると言ったらとても驚かれ、では人間はいったい何を食べているのか尋ねたら、様々な食材を組み合わせて作った料理を食べていると教えてくれた。

いつも私が食べている果実も、たくさん煮詰めてジャムと言うものにしたり、酒に漬けてそれを飲んだりするらしい。

人間の食べ物は供物で見たものしか知らないけれど、お酒なら見たことがある。

米や小麦、酒や野菜に果実、魚など素材のままのものが供物としてよく用意されていた。

あとは首をひねったばかりの家畜とか。


「果実ばかりを食べていたことのほうが驚きです…だよ」

「だって天界にはそれしかないし、当たり前だと思っていたから」

シンはぎこちないながらも、私が勝手に押し付けた約束を守ろうとしてくれている。

日に日にほどけていく態度の堅さに、距離が縮んでいくのを感じて素直に嬉しい。

そして毎日のように、人間について知らなかったことを知っていけることが楽しかった。


「あ、でも私が一番気に入っている果実は、もともと下界のものらしいわ。真っ赤で艶があって、甘くて美味しいの」

大きさはこれくらい、と言いながらシンの顔の前で両手を使って丸をつくる。

それを見て、んーと考える仕草を見せてからシンが口を開く。


「林檎、かな。そのくらいの大きさの赤い実はそれしか知らないんで、全く違うかもしれないですけど」

「名前までは知らないわ。でもシンが言うのならそのリンゴ?かもしれない」

なんとなく共通点が一つ見つかったような気になって胸が弾む。

「いつも果実ばかりだけど、シンの言う料理もいつか食べてみたい。美味しいんでしょう?」

「はい、様々な料理があるけどどれも美味しいです」


特に好きなものを聞くと、食べた時のことを思い浮かべているのか、顔を輝かせながら楽しそうに教えてくれる。

魚と米を合わせた寿司や、何やら色々なものを米に混ぜてそれを更に卵で包んだオムライス、肉や野菜をどろっとした液体で煮たシチュー。

見たこともないものをイメージするのは難しかったけれど、シンの話す料理はどれもとても美味しそうだと思った。

話の中で一番気になったのはオムライスだ。

卵、自体は見たことがあったけれど、その卵を焼いたもので米を包む、というのがいまいち想像できなかった。

眉間にしわを寄せながら悩む私にシンも、一生懸命説明してくれたけど余計に悩んでしまう。

けれどそんなやりとりが、新鮮で楽しかった。

結局最後まで卵で包む、が正しく理解できずにオムライスに対してある意味強烈な印象を残したまま、この日はお開きとなった。




天界に一時帰宅し、マリエルへ仕事の報告後。

ホールに向かっている途中で肩を叩かれた。

叩いてきた主を確認すると、いつもより少しだけ堅い表情をしたジュンがいた。


「また連泊か?」

「そうだけど?」

「深入りするなって言っただろ」

「私、別に規約違反なんて犯していないけど?」


どうやらジュンは私が人間と親しくすることが気に食わないみたいだ。

深入りするな、と言った顔は険を帯びている。

確かに自身の楽しさを優先している節はあるけれど、誓って規約違反なんて犯していないし犯す気もない。

ただ気まぐれにできた人間の友人と、楽しく話をしているだけだ。

話ながら歩いているうちにホールに到着し、自然とそのまま相席になる。

エマはいつもの赤い果実を、ジュンは橙の果実を手にしていた。


「人間の話は面白いよ。天界にはない文化のことなんかを色々教えてくれるの」

なんとか好感を持って貰おうと色々と話すも、表情は変わらないままだ。

「たとえばそう、この私がいつも食べているこの果実はリンゴって言うんだって」

果実のみずみずしさを味わいながら、最近衝撃を受けた食文化について話すも、相好を崩さない。

「エマ、もう相当のめり込んでるよ、わかってる?」


溜息を吐きながらジュンは呆れた顔をする。

「もうこれから、その人間と会うのはやめろ。今日はちゃんとここに帰って来いよ」

言い終わると、最後の一口を大雑把に口の中に放り投げ、仕事があるからとさっさと立ち去ってしまう。

言い逃げした本人の背中を眺めながら、言われたことを反芻する。


会うのをやめる?なんで?

シャクシャクと実を砕きながら考えるも答えは出ない。

ジュンが危惧している規約はどれのことだろうか。

人を害するな?理を侵すな?

傷つける気は全くないし、理を侵す気もさらさらない。

慈しむ心はきちんと持ち合わせているし、じゃあ愛するな?

きっとそれもない。


他の天使たちとはお互いに慈しみあい家族のようにここで生きているけれど、人間のように番を見つけ、情愛を元に繁殖する、なんてここにはない。

ずっとこの天界で育ったのだ、慈しみ以上の愛なんてわからないもの抱けるはずがない。

取り越し苦労だよ、ジュン、心配しすぎ。

心の中で、もうとっくに仕事に向かったであろう友人に語りかける。

勿論応答はない。

とりあえずこの日は、心配をしてくれた友人のために自室へと帰宅した。


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