13
自宅の玄関前で、私はドキドキとしながら慎を待っていた。
慎を家に連れてきなさいと言われた朝から約一週間。
今日がその日だ。
最初伝えた時、驚きのあまり電話をかけてくるほどだった。
因みにこれが初電話だったので、少し残念やら嬉しいやら不思議な感情が飛び交った。
いきなりの提案に引いている様子はなかったので、とりあえずは安心した。
伝えてからは一度だけカフェで会ったけれど、気恥ずかしくて目も合わせられなかった。
久しぶりの連れ去り未遂の件でバイト勤務はどうなるかと思っていたけれど、迎えに行くので続けてもいいと言ってくれた。
迷惑をかけたくない、とそれなりに気を巡らせていたこれまでとは違い、素直に甘えることができた。
まだまだぎこちないけれど、これからちゃんと親子らしくなっていく、はず。
そうこう考えているうちに、以前見たスカイブルーの車が見えてきた。
咄嗟に軽く自分の身だしなみを確認する。
今日はデートではないのでカジュアルめに、水色のボトルネックのサマーニットに白いデニムのショートパンツ、上に丈の長い白いレースの羽織を合わせていた。
化粧も軽くしている。
車が目の前まで来ると、空いているスペースに車を停めるよう促した。
車から降りてきた慎は、緊張を顔に張り付けている。
会いたいと思ってはいたものの、まさかこんな形で叶うとは思っていなかった私も、朝から色々な意味でドキドキしていた。
服装はネクタイこそ巻いていないものの、カジュアルスーツな出で立ちだった。
ナチュラルではあるけれど、スマートで格好いいなと素直に思う。
「おはよ、今日来てくれてありがとう」
「おはよう、すごく緊張しているんだけど、僕本当に来てよかったの?」
左手には手土産とみられる紙袋が下げられている。
そういったものは、どちらかと言えば助けてもらった上に呼びつけたこちら側が用意するべきだと思うのだけれど、律儀にもわざわざ用意してくれたみたいだ。
突然の呼び立てにかなり気を使わせたことが読み取れる。
「勿論。父と母が慎と話してみたいって言ってたから。こっちこそ呼びつけちゃったりしてごめんね」
玄関に入り、お邪魔しますと言った表情は当然だけれど硬いままだ。
出迎えてくれた母に粗品ですが、と持っていた紙袋を渡した後、すぐに父が待つリビングへと通された。
定位置に座る父も、心なしか緊張を顔に浮かべているように見える。
お互い軽く会釈をした後、父に勧め(すすめ)られるがまま躊躇いがちに父の目の前の席に慎が着く。
私はその隣に座った。
受け取った紙袋をすぐにキッチンカウンターに置き、母が用意していたアイスティーを人数分注いでテーブルに置いてくれる。
昨晩のうちに作っておいたルイボスティーだ。
飲み物を置き終え、母も父の隣に座る。
少し間を置いて父が口を開いた。
「改めて、先日は娘を助けてくれてありがとう。本当に、本当に娘が無事でよかった、とても感謝している」
「いえ、とんでもない。むしろ見つけるのが遅くなってしまって申し訳ないくらいです」
突然両親共に頭を下げられ、わたわたとしながら慎も頭を下げる。
何度か同じやり取りを重ねた後、慎は思い出したかのように改めて自己紹介をした。
「自己紹介が遅れてすみません。改めまして僕は成瀬慎と申します。よろしくお願いします」
「慎君か、いい名だね。君はとても勇気ある若者だと思うよ」
「ありがとうございます。ですが僕もただ無我夢中だっただけで」
少し照れたように笑う慎の側で、自分のことを話されているのにも関わらず、私はただ聞くことしかできないまま、やり取りを横から眺めていた。
「何か武道の心得が?」
「大学に上がる前までは、合気道をやっていました」
「なるほど、それは凄い」
私も初耳で驚いたけれど、あの時の身のこなしに納得がいく。
父は何度か頷いた後、一層真面目な顔をして話し始めた。
「見ての通り、娘はとても可愛らしい容姿をしているだろう。そのせいか先日のような事件には、よく、巻き込まれてきた」
え、と確認するように私を見た慎に、こくりと頷いて肯定する。
突然過去の話を持ってこられたことに内心驚いたけれど、母との会話を思い出しなんとなくではあるけれど、これから父が何を言いたいのか予想をつけた。
「そういった理由で娘は男が苦手…というより嫌いになってしまってね。当然の結果だけど」
父の言葉を静かに聞く慎の顔は、緊張が解けるどころか強張っている。
私も父がこの先言うことに、悪いことは言われないとわかってはいるけれど、緊張で少し身を固くしてしまう。
「けれど、君のことは違うみたいだね。恩人だから、とも思うけどそれだけじゃないんだろう。…瑛茉さんが親しくしている男の子を私達は一緒に暮らし始めてから初めて見た」
父が、瞳を潤ませている。
その隣では母も同様に瞳を潤ませていた。
当の私はいきなり暴露じみたことをされて少し身体が熱くなる。
慎のほうは少し怖くて見られなかったけど、ちらり、とこちらに一瞬視線を寄越したことはわかった。
「私達はずっとこの子の将来を心配してきた。けれど、君のような心を許せる青年と出会えて本当に、良かった。だから先日のことも勿論だけど、余計に慎君に感謝しているんだ」
「…すみません、突然のお話になんと言ったらいいのかわからなくて。でもそう言っていただけてとても光栄です」
間をあけて言った慎の言葉に、頬を少し火照らせたまま彼の顔をそっと伺い見る。
緊張がまだ残っているものの、柔らかい表情をしていた。
一旦話が落ち着いたのを見計らって、母がお茶菓子を持ってくる。
一口サイズの甘味を会話を交えながら四人で摘まんでいると、自然と空気が和やかになっていく。
慎の緊張もだいぶ解れてきたところで、父がいきなり爆弾を落とした。
「それでその、一応確認なんだけど、二人は恋人同士なのかな?」
「お父さん⁈」
突然のことに思わず大きな声を出してしまった私の横では、「え⁈」と同じく大きな声を出した慎がそのまま固まってしまっている。
二人して赤くなってフリーズしているのを見て、母はにこにことしていた。
先日初めて見たものと同じ笑みだ。
「どうなんだ?」
再度問う父に、あの、その、ともごもごしたまま答えられないでいると、固まったままだったはずの慎が、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「あの!今お付き合いとかは、していないですけど、僕は瑛茉さんと恋人になりたいと思っています!」
「し、慎…?」
突然の申し出に思い切り戸惑う。
勿論嬉しい申し出ではあるのだけれど、今ここで⁈と言うのが正直な気持ちだった。
真っ赤に染まったその真剣な表情に、初めて連絡先を聞かれた時のことを思い出す。
母はあの笑みのまま、まあ、と言っていた。
父は慎の勢いに驚いた表情を見せた後、すぐに表情を戻して私のほうを向く。
「…瑛茉さんは、どう思っているのかな?」
「え、あの、」
驚きの展開に思考がまわらない。
本当の親子、というものはこう開けっ広げに恋人云々も申告するものなの?
つい最近、これから改めて関係を築いて行こうと思い立ったばかりで、これまでそれなりに距離の空いていた親子だったのだ。
いきなりこれは難易度が高すぎる。
いやきっと本当の親子間でも基本こういうやり取りしない、多分。
結婚の挨拶並みに難易度が高いものなのでは…?
いや、でもここは、ほら、慎がおそらくかなりの勇気を出して言ってくれている。
ほぼ初対面の私の両親に。
ぐるぐると回り、纏まらない思考の中、俯きながら何とか声を絞り出す。
「あの、私も、同じ気持ちです、」
顔をあげ両親を見ると、私の答えに満足したのか、うんうん頷いていた。
「本当に?」
静かに座り直しながら慎がか細い声で聞いてくる。
私はそれにただ頷いた。
慎は首筋まで真っ赤にしながら、驚きと喜びを交えた何とも言えない表情をしている。
「…とりあえず、恋人と言うことでいいんだね」
父の言葉に、何も言えず、二人でただ首肯する。
「うちの娘を、これからもよろしくお願いします」
「いえこちらこそ!いきなりすみません。改めてよろしくお願いします」
頭を下げる父に、慎も合わせて頭を下げる。
「せっかく恋人になったんだから、二人きりで少し話してきたら?飲み物とか新しく持って行ってあげるから」
現実感がなく、突然の展開にまだ頭が追い着かないでいる私に、母がにこにことしながら提案する。
それって私の部屋でってことだよね?
一応片づけはしてあるけれどこんなことになるとは思わなかったし、心の準備が…。
「二時間だけ、だからな」
「お父さんも言っていることだし、ほら早く案内してあげて」
悩んでいるうちにテンポよく椅子から立たされ、リビングを追い出されてしまう。
覚悟を決め、横に慎がいることを確認してから自室のある二階へ上がった。
緊張の極致でどうぞ、と言いながら部屋の中へ招き入れる。
慎は最初家の中に入って来た時よりカチコチになっていた。
部屋のおよそ中央にあるローテーブル脇に座るよう促し、向かい合わせになるように自分も座った。
お互いにお互いの顔も見られず、母が宣言通り新しいお茶とお茶菓子を持って来るまで、無言だった。
ごゆっくり、と母が言い残し部屋を出てしばらく。
沈黙を破ったのは慎だった。
「さっきは、勢い任せに両親の前であんなこと言ってごめん。だから、改めて言わせて。…僕の恋人になってください」
こちらを真剣な目で見つめてくる慎は、相変わらず首筋まで真っ赤だった。
きっと、私も同じ顔をしている。
部屋に二人きりになって初っ端の会話がやり直しだなんて、それがなんだか可笑しくて、愛しくて、ストン、と心に落ちるように気づいたら「はい」と口から洩れていた。
私の返事にほっと安心したように、柔らかい表情で笑む。
それが胸の奥をきゅううっとさせた。
「良かった、会話の流れで勢いで言っちゃったから、空気を呼んであの場では受け入れた、とかだったらどうしようかと思った」
「確かにかなり吃驚したけど、あれは本当の気持ちです」
「こんなに可愛い子が僕の彼女なんて、本当に、夢みたいだ」
他の人に言われる可愛いは、心の奥で冷めて聞こえるのに、慎に言われる可愛いは、なんだかむずむずする。
感慨深そうに言う慎に、くすっと笑ってからルイボスティーを一口飲んだ。
「私と、両親を見て、何か違和感とか、感じなかった?」
「え?うーん…挙げるとするなら、容姿、かな」
聞かれて何かを感じたのか、言葉を選ぶようにして慎は答える。
「まあ、それが一番わかりやすいよね。これから、ちょっと重いこと話すかもしれないけど、いいかな?」
晴れて恋人になってすぐにこんな話をするのも少し憚れるけれど、さっきの会話で父が概ね言ってしまったようなものだし、今話しておいたほうがいい気がする。
「うん、聞くよ。僕は聞かなきゃいけないと思うから」
真剣に頷いてくれた慎にありがとうと返してから、また一口ルイボスティーを飲んで一拍おいて話し出す。
「まず始めに、気づいているとは思うけれど、私養子なの。十歳の頃に引き取ってもらって今の両親と暮らし始めたの。だから、全然似てない」
「…本当の両親は覚えてる?」
「ううん、全く。気づいた時には私は養護施設にいたから、産みの親たちのことは何も知らない。そして、私は自分のこの容姿がずっと嫌だった」
自虐気味に笑って言う私に、少し驚いたような表情は見せたものの、慎は静かに聞いていてくれた。
「父がさっき言ったように、ああやって連れ去られかけたことは初めてじゃないの。これまで何度も、あったことだよ」
容姿が嫌だと思う原因を最初に作った養護施設時代の頃から、特に被害に遭った中学時代の頃までを言いにくいことは途中ぼかしながら大まかに話した。
「でもいつもギリギリのところで間一髪、助けが入るの。この前の慎みたいに」
少し険しい顔をしていた慎に明るい声音で言う。
険しさは消えたけれど、どこか悲しげな表情になった。
「…こんな女、やっぱり嫌かな?」
正直にこれまでの身の上を語っていたけれど、やっぱり話すべきじゃなかっただろうか。
居たたまれないような表情でいる慎に、不安になる。
身の上に引かれ、やっぱり今日のうちに言を撤回され返品されてしまうんじゃ。
「そんなわけない。ただ、瑛茉のこれまでを思うと辛くて。ご両親はきっと、今僕が抱いている感情の倍のものをずっと感じてこられたんだね」
不安を切り取るように言ってくれた慎に、静かに頷く。
「本当に、両親には心配や迷惑ばかりかけてしまって。でもずっと本当の娘ではない私のこと、大切にしてくれてたの。とてもいい人たちに引き取られて、私本当によかった」
思わず涙が出そうになるのをこらえて、ルイボスティーを一口啜る。
グラスを置いたところで丁度慎が口を開いた。
「…隣に行ってもいいかな」
驚いて顔を見ると、これまでのシリアスな表情は何処にもなく、少しだけ頬を染めたいつもの彼がいた。
はい、と返事をした私にも頬の赤みが伝染する。
返事を聞いてぎこちなく私の隣に腰を下ろした慎に、気づいたら抱きしめられていた。
優しく包み込んでくれるその体温に、自然に、安心を覚える。
「ごめん了承も取らずに。でも無性にこうしたくなって」
そう言う慎に答えるように、私もそっと身体に腕を回す。
恋人、と言う関係に実感をまだ持てずにいたけれど、理由もなく抱きしめあえる関係になったことを今理解した。
理解したことで何故だか無性に愛しさがこみあげてくる。
擦り付けるようにして肩口辺りに顔を埋めて思わず
「好き」
と口から零れていた。
私を抱きしめる腕に力が入ったのはきっと気のせいじゃない。
「…僕も好き」
気持ちを言葉にしてくれた彼がどんな顔をしているのか、とても気になったけれどお互いに顔をあげられず、しばらくの間ただ抱きしめあっていた。
顔をあげられるようになってから、名残惜しさを感じつつも回していた腕を解いて、隣に座りなおした。
それからの時間はあっと言う間で、お菓子を摘まみつつ話していたら、いつの間にか約束の二時間が経っていた。
グラスとお菓子の入っていた器を持って階下に降りると、先程と同じように父が座って待っていた。
「話はちゃんとできたかしら」
と言う母に、場を設けてくれたことを二人で感謝する。
今日はこれからバイトがあるのでもう帰らなくてはいけない、と言う慎に
「また家に来てくれるかい?」
と父が言ったのには少し驚いた。
でも自分の家族が恋人に好意的なのはとても好ましいことだと思うので、同時に嬉しくもある。
「じゃあまた今度」
車に乗り込み我が家を出ていく彼を三人で見送ったのだった。
今日は情報量の多い一日だった、とその日の夜ゆっくりと湯船につかりながらぼんやり考えていた。
入浴剤はお気に入りのベルガモットの香りだ。
今まで距離を置いていたせいか、父があんなに(ある意味)お茶目な性格だとは思わなかった。
ふふっと一人思い出し笑いしてしまう。
そのおかげで家族公認の恋人になれたわけだけれど。
部屋での抱擁を思い出し、そっと自分の肩を抱く。
安心できるあの腕の中が、すでにちょっぴり恋しかった。
ゆっくりと浸かり、身体も温まったところで湯船から出る。
軽くシャワーを浴びてから、身体を拭くためバスタオルを体に巻き付けようとしたその時。
鏡越しに、自分の身体に今までなかったはずのものがあることに気付いた。
臍の下、丁度そこに薔薇の花のような痣が浮かび上がっている。
今まで意識していなかったせいか感じていなかった引きつれを、痣のあたりに今は感じる。
突然現れた痣とその不気味さに、焦りながらも隠すように手早く服を着る。
幸いほぼ見られることのない場所でよかったけれど、これはいったい…。
わけのわからないものに対する不気味さと恐ろしさでいっぱいになりそうだったけれど、何とか追い払う。
突然現れたのだから、突然消えたりもするかもしれない。
本当に情報量の多い一日だ。
とりあえず今日はもう寝てしまおうと考えた私は、両親への就寝の挨拶を済ませ、さっさと眠りについた。