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まだ養護施設で暮らしていた頃。
物心つく頃には同じ施設の子たちに、お人形みたい、と言われだしたと記憶している。
それは始めパッと見た時のただの感想だったけれど、成長するにつれて言葉の裏に羨望や嫉妬、恐れや畏れをはらんでいくのが子供ながらにわかった。
最初、綺麗だとか羨ましいだとか言われていた時は、自分はとてもいいものなんだと得意気になっていた。
けれどだんだん気味悪がられたり、男の子たちに嫌がらせされるようになってからは、あまりそうは思わなくなっていった。
女の子たちからは直接的な嫌がらせはされなかったけれど、その分よくひそひそとされた。
最初綺麗だと褒められたはずの容姿は、だんだん人形のように作り物じみて見えたのだろう。
おまけに私は対話が苦手で、どちらかと言えば感情豊かな子供ではなかった。
純粋な日本人にはまずいない、青みがかった灰色の虹彩も、まだまだ生きる世界の狭い子供たちには余計不気味に思えたことだろう。
子供たちの中に定期的に訪れる怪談ブームの小噺の中に、人形にまつわるものがあったのも相まってますます気味悪がられた。
元々特別親しいと呼べる友達もおらず、完全に孤立してしばらくした頃に、今の真宮の家に引き取られることとなった。
だんだんと男女の違いを理解し始める、十歳の春だった。
養子に入る関係で、当然住所が変わった私は学校も移ることになった。
環境が大きく変わり、慣れないことばかりだったけれど、それなりに充実していたと思う。
新しい学校に慣れる頃には初めて親しいと言えるような友人が一人できた。
どうして自分を両親が選んだのかはわからなかったけれど、どんな理由でも恩を返せるように、この子でよかったと思ってもらえるように、おうちではお手伝いなどを進み出ていいこにし、学校では勉強を自分なりに頑張っていた。
そんなある日のこと。
その日は週二回のクラブ活動がある日だった。
夏の盛りはとうに過ぎたもののまだまだ夕暮れ時にも暑さが残り、西日が長いことアスファルトを灼く晩夏の頃。
いつも通り友人の紗梨と並んで下校し、いつもより少し遅い時間の帰路を歩く。
今日一日の学校での出来事をああだったこうだった話しているうちに分かれ道に差し掛かる。
数年後に両親どちらかの都合で少し離れた場所に越してしまうものの、この頃はまだ紗梨の家はギリギリ歩いて行けるほど近かった。
手を振って別れた後、先ほどまでの会話の余韻を残しながら明日はこんなことを話そう、家に帰ったらまず宿題を片付けよう、とのんきに考えていた時。
急に強い力で手を引かれた。
驚いて引かれた手の先を見ると、そこには知らない大人の男の人が立っていた。
無言でなめるようにじっとこちらを舐め回すように見て、にやりと笑う。
それがたまらなく気持ち悪かった。
ぞぞぞと感じる怖気を振り払うようにぶんぶん手を振りながら逃れようとするも、子供の力では到底成人男性に勝てるはずもない。
男はニタニタと何か言いながらどこかへ連れ去ろうとする。
幸い住宅地で、必死に抵抗していたおかげですぐに近隣住民によって助けられ、男も住民が呼んだ警察によって連れていかれた。
結果的に何事もなく済んだものの、これが男性に対して恐怖心を植え付けられた最初の体験となった。
それから一年半後。
小学校六年生に上がったばかりの頃。
あと一年で中学生になるんだな、と大人の階段を一つ登れるような気になって少しうきうきとした気持ちでの登校中。
この時期特有の変な虫に突然脇から話しかけられた。
一昨年の事件後しばらくは親の送り迎えがあったものの、今親は迎えのみで行きは自分の足で登校していた。
その分朝だろうと知らない人には注意するように言われているので、警戒しながら声がしたほうをそろそろと振り向く。
男は振り向いたことに満足するようにニタリと笑った後、自分の手を注視するように言ってきた。
視線をずらして言われるがまま見てしまった先には、小学生女子にはまだまだ刺激の強い世界が開け放たれていた。
自らの男性器をみせつけ、さらにはそこに自身の手をあてがって何やら上下に動かしているのだ。
その光景のおぞましさと、何とも言えない喪失感、胸をえぐる吐き気を覚えて思わず叫ぶ、ことはできなかったので、一昨年から持たされるようになった防犯ブザーの紐を思いっきり引っ張った。
そのけたたましい音に気付いた人が駆けつけ、逃げようとした男を抑え、後に駆けつけた警察に引き渡してくれた。
一応そこで事件自体は解決したものの、私はその日から数日、あまりの気持ち悪さに学校に行けなかった。
何もこんなふうに大人の階段を上りたかったんじゃない。
数日後に学校に行ってみると、男子たちの会話がやたらと耳についた。
第二次性徴真っ只中の彼らが話すのは所謂下ネタばかりだった。
先日身に受けた体験を無意識に掘り返され、吐き気をもよおすと同時に、同学年の男子たちにも嫌悪感を抱くようになってしまった。
これをきっかけに中学からは女子校に上がることを決意した。
この進学の相談に、私を案じていた両親は反対せず、むしろ大賛成だった。
中学生になり、被害に遭わなくなるどころかむしろ増えた。
理由はおそらく制服だった。学校がどこであるかは関係なく、制服を着た女生徒が被害者として好まれるようだった。
そして中学生になるにつれ、丸みを帯びた身体へと成長したことも理由のように思う。
心配した両親はできる限り送り迎えをしてくれたが、立っているだけで声はよくかけられたし、たまに乗るバスや電車では体を触られることもあった。
そして迎えに来られない日を狙ったかのように、一人で帰っていると二回に一回は攫われそうになった。
過去気持ち悪いと言われ嫌がらせを受けたこの顔を、綺麗だと褒めそやしどこかへ連れて行こうとする手合いは少なくなかった。
この顔は自分にとってトラブルにしかならないと、ますます嫌になった。
服を剥ぎ取られかけたこともあった。
だから男の人は恐ろしくて、気持ち悪くて、はっきり言って嫌いだった。
でもきっとずっと、このままじゃいけないとも思っていた。
嫌な人ばかりではないことも分かってはいる。
だから最低限、人並みには男の人含めいろんな人と話せるようにと、紗梨と一緒にバイトを始めた。
勿論、バイトの相談をした時両親は渋い顔をしていた。
さんざん自分のことで今まで迷惑をかけていることはもちろんわかっている。
毎度何かに巻き込まれるたびに心配をかけ、自分たちの時間を割いて私の送迎に充ててくれた。
引き取ってくれた恩返しができるようにいい子に、と最初思っていたはずなのに、悲しい顔や辛そうな顔をさせるばかりで、今じゃ理想のいい子には程遠い。
いつか独り立ちした時のために、と言うのもバイトを始めようと思った理由の一つかもしれない。
小学生の頃から仲良しの紗梨も一緒で、帰り道もバス待ち以外で一人になることはほとんどないということでどうにか両親に了承を取った。
結局そのバス待ち中に、今回怪しい建物に連れて行かれそうになったけれど。
もしかしたら今回のことでバイトはやめるように言われるかもしれない。
言われたらもう、これ以上迷惑をかけたくもないし、説得する言葉も見つからない。
できたら、やめられずにいたらいいな。
槙村さんはいい人だし、橘さんも普通に話せる数少ない男の人、それに紗梨と働くのも楽しい。
そして、慎と出会ったきっかけの場でもある。
彼は、今まで会ったどの男の人とも違う。
慎は恐ろしくもなく、気持ち悪くもない、どちらかと言えば温かくて、側にいると心が安らぐ、私にとってとても好ましい人。
きっとこれからもそう思える、唯一の人だと思う。




