回顧1
眠りから目覚めた私は、最初に身体を起こしてから、身をぐっと伸ばした。
ぼんやりする頭で、これからの予定をざっと確認する。
と言っても、最近はずっと同じ仕事ばかりでわざわざ確認することもない気がするけれど。
割り振られた地区で行く先のわからない浮遊する魂を導く、それが最近のエマの仕事だった。
軽く身支度を済ませ、水を一杯飲んでから部屋を出る。
本来静かな場所であるこの宮殿では、もうここのところずっと、慌ただしく働く天使たちが行きかっていた。
原因はここの下の世界で、人間たちが大きな戦争を始めたためである。
人類が文明を築いて以降、二度目の大きな戦禍に地上は覆われていた。
毎日毎日、昼夜関わらず多くの人間が死ぬ。
よって地上に住まう人間たちの魂の管理が主な仕事である天使たちは、それこそ昼夜を問わずに多忙を極めていたのだった。
最も夜という概念が存在しないこの天界では、仕事をする時にのみシフト制が採用されている。
他は基本的に自由に寝て自由に食べる生活だ。
ともかく、天界は今歴史上最大の繁忙期である。
本来この天界では、神官・天啓・先導・審判・転生の五つに部署が分かれているが、有事である今、魂を取り扱う部署はどこも人手不足、もとい天使不足なので一部の天使は管轄外の部署を手伝っている状況だ。
エマも例に漏れずその一人。
ここ最近では特に手が不足している先導の天使たち、通称お迎え係のお手伝いをしている。
お迎え係はその名の通り地上に浮遊する死した魂を迎えに行き、天界まで導くのが仕事だ。
常時であれば先導は魂一つずつ行うのだが、今は手がかなり不足するほどの有事なので、各々が導けるだけの魂を連れて天界に戻り手続きを行う。
先導の天使が魂を迎え導き、その後名前などを確認する手続きを経たのちに審判の天使へと引き継がれ、生前の行いに対し裁判を受けることとなる。
そこで余程の悪人でなければ転生の天使へと引き継がれ、魂を輪廻の輪に還される。
そうやって魂は巡っていく仕組みだ。
因みに裁判で著しく芳しくない結果が出てしまった魂は聖泉である≪生命の泉≫にて丸一日清められ、邪なものを浄化したのちに真っ新な状態で輪廻の輪に組み込まれていく。
大きなホールに着くと、おそらくエマと同じシフトでこれから仕事にかかるであろう天使たちで席が埋められていた。
端に並べられているバスケットの中から適当な果実を取り、空いている席に適当に座る。
両手で包み込めそうな大きさの真っ赤な果実を二つ選んだ。
そのまま齧り付くと、じゅわっと瑞々しくその実がはじける。
しゃくしゃくと租借音を立て、喉元を潤わしながら腹も満たす最高の食事だ。
あっと言う間に平らげると、今日も仕事をこなすべく、宮殿の東端にある天界と下界とを繋ぐゲートへと向かった。
複数の魂を連れて天界へ戻ってきたのは、これで何度目だろう?
ここ最近毎日のことだけれど慣れることなく、さすがに今日も疲れてきた。
地上でずっとドンパチやられているせいで、キリがなく、終わりが見えない。
引継ぎが終わり、また東端のゲート目指し歩いている途中、無意識のうちに溜息がこぼれてしまう。
とぼとぼ歩いていると、行く先から見知った顔が見えた。
「あなたもだいぶお疲れみたいね」
ぽん、と肩を叩きながらそう言ってきたのは同期で一番仲良しのサリーだ。
少し垂れたヘーゼルの目元は、彼女の雰囲気をそのまま表している。
「サリーもお疲れさま。もう毎日何往復もしてくたくただよ」
サリーの管轄は元々転生で、魂を輪廻の輪に還すことが仕事だ。
この繁忙期の中、現在は審判から転生へ受け継がれるまでの諸々の事務作業も請け負ってるらしく、彼女も彼女で忙しそうだった。
「お互い大変ね。今たった一瞬の休憩から持ち場に戻るとこだったの」
簡単にお互いの現在について言葉を交わしたところでサリーは言う。
どうやら食事のみの休憩からの帰り道だったみたいだ。
私は今日いつ休憩に入れるのだろうか。
そもそもちゃんと休憩取れる?
さっきまでいた地上のことを思い出してみるけれど、今日の激しいドンパチ具合からして、休憩までの道のりはだいぶ遠い気がする。
「じゃあ私も一旦下界に戻るね」
「あー、無理かも」
「え、なんで」
お互い忙しい身の上、このまま軽く手を振ってすぐ別れるかと思いきや、サリーはお土産を一つ置いて行った。
「今地上の禍がどんどん広がっていってるでしょ?それをどうにか食い止めるために祈祷師たちが祈りを捧げているみたい」
祈祷師、とは神の声を聞くために祈りを捧げる人間たちのことだ。
数は決して多くはないが、世界中に存在する。
実際に声を届けるのは、神の遣いである私たち天使だけれど。
どうしてこの祈祷師の話がお土産になるのかと言うと、私の元々の管轄が天啓だから。
天啓とは導き。
天の声を求めるものに時に未来を告げ、時に助言を与えるのが仕事だ。
簡単に言うと、人間のお願いを叶えられる範囲で叶えてあげる仕事。
「さっきホールで上官たちが話してるのを聞いたからそろそろ…」
『天啓担当の者たちに告げる。至急現在の持ち場を離れ、生命樹のもとに集まるように』
サリーが言い終わらないうちに伝令が聞こえてきた。
最高位の天使のみが使えるテレパシーのようなもので、直接脳に語りかけるような形で伝わる。
「今丁度連絡来た、生命樹のもとに集まれって」
「そっか、それじゃ私は持ち場に戻るね」
お互いに励ましの言葉を掛け合い、じゃあまた、と軽く手を振って今度こそその場で別れた。
宮殿の東端へ向かう予定だった身体を方向転換させ、生命樹のもとへと向かう。
生命樹には主である神様が宿っている、と言われている。
始まりの天使以外はその姿を見たことがないので、その辺の認識はあやふやだ。
始まりの天使、と言うのはある事情で実体を無くしてしまう前に神様が自ら生み出した五人の天使のこと。
五人の天使を生み出し、完全に実体を無くして概念のみの存在となった神様はある大樹に宿った。
そして神様は五人の天使たちにそれぞれ役目を与えた。
自ら宿る木や聖泉含む天界の管理をする神官、神の御業を一部受け継ぐ天啓、人の子の魂を導く先導、生前の行いを裁く審判、再び魂を次の生へと繋ぐ転生。
最高位の天使である初まりの五人が、現在各部署の長を務めている。
そうして神様が大樹に宿ってからしばらく経つと、時折大樹の中から新たな天使が生まれるようになる。
このころから大樹は生命樹と呼ばれるようになった。
白く輝く光に包まれ、何重にもなった葉から生まれてくる天使の子らは、元はこの世に生まれずして死した人の子の魂だという。
どうしようもなく人間を愛した神様が、この天界のシステムを作った。
そして今、たくさんの天使が住まうこの宮殿を作ったのも実体があった頃の神様。
生命樹は、この天界を形作る宮殿の中心に大きくそびえ立っている。
この宮殿は神殿とも天宮とも呼ばれているけれど、正しい名称は存在しない、らしい。
神様がここを天界そのものとして作ったため、名前をつけなかったからだ。
私とサリーは、そのまま宮殿と呼んでいる。
宮殿の中心は丘のようになっており、そこだけ他の場所より高い。
その丘のもとをぐるっと囲むようにして宮殿は建っている。
そしてその宮殿をさらにぐるっと囲むようにして様々な種類の果実の木が生えていた。
一部は元々下界にあった果実だという。
仕事で下界へ赴いた天使が、休憩中摘まんだ果実の味を相当気に入り、上官へ相談し許可を得たのちに実を天界へと持ち帰って植えたものだそうだ。
私が今日食べていた真っ赤な果実も元々下界のものらしい。
とても美味しくてお気に入りの果実だ。
ここにある果実たちは毎日、ホールに並ぶ籠いっぱいに入れられる、私たちの大切な力の源。
一度刈り尽くされた果実は、一日経つとまた同じだけ枝に実りをつけるので、なくなることは無い。
生命樹のもとへ着くと、もう半数の天啓の天使たちが集まっていた。
半数と言ってもその仕事内容の特殊さゆえ、天啓の天使自体それほどいないので数は少ない。
他部署は事前に希望を聞かれそれをもとに割り振られるが、天啓だけは希望では就くことができない。
全員が神の御業の一部を受け継げるわけではないからだ。
その判別はわかりやすく、この天界に生れ落ちる時に、天啓の天使だけは白い光ではなく、青い光に包まれて生まれてくる。
ゆえに天啓の天使だけは成体になってからの所属が、生まれた時に決まる。
何気なく丘の上をぐるっと見渡してみると、神官の天使たちによって今日も綺麗に整えられていた。
丘の頂に生命樹がそびえ立ち、その南側に聖泉であるいのちの泉がぽっかりと存在する。
その二つを囲うようにして様々な種類の植物が植えられ、綺麗な花を咲かせていた。
そしてその植物たちの側に等間隔でベンチが置かれている。
ここは天使たちの憩いの場所でもあるので、呼び出しで集められた私たちを避けるようにして他の天使たちもちらほら。
自分の一番近くにあった、香りのよい桃色の花に見惚れていると、樹の側にいた上官が話し始めた。
「全員集まったようなので話を始める、皆こちらを向いてくれ」
貫禄ある美しい上官に、ビシッと皆一斉に視線を向ける。
「もう聞いている者もいると思うが、今地上ではこの戦禍の中我らに祈りを捧げる人間が多くなっている。数は普段の十倍である。リストを既に作成済みなので、各自宛てられた場所に今から向かい仕事を成すこと。いつもとやや趣が違っているがしっかりやるように」
上官のマリエルは簡潔にそう述べ、全員に異なるリストを配っていく。
渡されたリストには、文字の反復練習でもしたのか?と思うぐらいにずらーっと人間の名前が並んでいた。
こんなにインクで染まったリスト、天使生で初めてだ。
前にも一度、かなり大きな戦禍に地上が覆われた時も同じようなリストが配られたけれど、その時だってこれほどじゃなかった。
それに人間の中でも天に届く祈りを捧げられる者、祈祷師の数は限られているはずだ。
普段はそう多くない祈りがここまで重なっていることが、そのまま下界での異常を現していた。
「本当愚かだよなー、人間って」
リストを確認しながらゲートに向かっていると、横から幼馴染でもある同僚のジュンに話しかけられた。
エメラルドの瞳を細めながら赤銅色の髪を掻き上げている。
彼の持つリストにも、模様かと思うほどびっしりと名前が連なっていた。
「なんで同族同士で殺しあうんだ、理解できない」
「そんなの私だって知らないよ。マリエルに聞いてみたら?」
「マリエルにはそんなこと考える必要はないって言われたよ」
厳しく優秀な上官らしい返しだ。
正直どんな事情が人間たちにあろうと、私たち天使にはどうすることもできない。
「じゃあ考えなくていいんじゃない。ちゃんと仕事するほうが大事」
「まあそれはそうだけど。エマはどの地区の担当になったんだ?」
んー、と言いながらもう一度リストを確認する。
人名の書かれた一番上にEと記されていた。
「E地区」
「Eか、じゃあ結構離れるな。俺はA地区担当」
AとEは海を挟んで離れた場所にある大陸同士だ。
「そう、じゃああなたも頑張ってね」
「まったく相変わらず冷たいな」
冷たいと言いながら笑う彼はなかなかに私を理解している。
管轄が同じでよく顔も合わせるジュンとは付き合いも長いので、サリーの次に仲がいい。
「この戦争の中じゃどの祈りも同じようなものよね」
「まーな、あんま乗り気にはなれないよな」
いつもならまだ色々とある祈りの中で、今回集中している祈りは大体の予想がつく。
平和か、己がいる地の利益か、禍はいつ遠ざかるのか、そして戦争の結末などだろう。
これからリスト一覧分の似たような祈りを聞いて回るのかと思うだけで気が重い。
でもまだ先導の天使たちの手伝いで、魂たちのお迎えのためにずっと天界と下界を行ったり来たりするよりはましだろうか。
単純作業の繰り返しは割ときついものがある。
「とりあえず、やるしかないわね」
「そうだな、お互い頑張ろうぜ」
互いに声を掛け合ってから下界へのゲートをくぐり、別々の場所に降り立った。
祈りの内容は大方予想通りだった。
『神よ、この地に平和を』
『この地に光が差すのはどれくらい先になりましょう』
というような平和を希う(こいねがう)声に始まり、
『敵国の心臓部は何処に』
『他の者どもを陥れ、この地のみに潤いの蜜をお与えください』
等、他を踏み落とす醜い声。
『この地以外での戦況をどうぞ事細かく見せてくださいませ』
『この世界はどんな未来を迎えるのでしょう』
等わかりやすく状況確認手段に呼び出した者、簡潔に結果のみを求める声もあった。
私たちはまず、天界にまで届いた祈りの主の元に赴き、その願いに触れる。
祈りを天界にまで響かせられるような祈祷師はまず聖の力が強く、普通の人間たちには見ることができない私たち天使をはっきりと視認できる。
なのでまずは会話をし、細かい要望のある者の話をそこでしっかりと聞く。
祈りの内容を正確に聞き取った後、目を瞑り祈祷師の額に触れて未来を見たり、人間には見ることのできないような角度や高さで願われた地を詳細に覗き見る―――そうやって見えた内容を言葉を添えながら同じく祈祷師に見せて教えてやる。
供物、と言うものを用意されている場合も少なくはないので、自分好みの果実があるときだけ願いの先を見る前に食べたりすることもある。
必ずしも必要と言うわけではないけれど、この与えられた力は結構体力を食らうのだ。
こうした一連の流れで天啓の天使のお仕事は行われていくけれど、今回は人間側にとってあまり芳しい未来が拓けるとは思えない。
常時であればそのような憂いはほぼ感じる必要ないと思うけれど、今はどこもかしこも似たような祈りが捧げられている。
同じような願いを、別々の場所で別々の天使が文字通り聞いて回っている。
禍の終わりについての答えであれば、きっとどの地域でもだいたいずれることは無いだろう。
けれど、自己の地の利を願い他を貶める(おとしめる)ための願いであれば、確実に導きの結果にずれが生じる地が出てくる。
一方の利が一方の不利になるのは当然のことだから。
けれど困ったことにこの類の醜い祈りが一番多いのだ。
赤子が生まれえ来る正確な日付を教えてほしいとか、性別はどちらかとか、日をたくさんまたぐ程の長距離の移動ではどの道を通るのが一番安全で怪我をしないのか、などもっと平凡な祈りを聞きたい。
婚姻の儀式を執り行う最も適した日、とかでもいい。
『幸せ』と言う人間の感情に繋がる仕事のほうが普通にしたい。
人間たちの言葉で『ご利益』というものがあるらしいけれど、天啓の力同士がぶつかり合って、そんなもの有って無いようなものじゃないだろうか。
一件終わったところでリストを確認し、完了のしるしをつけた。
リストに書かれた名前のおよそ半数が横線を引かれて消してある。
この辺で一旦休憩を入れよう。
しばらくぶりの自分自身の仕事に軽くはしゃいで、初日から飛ばしすぎて一気に疲れてしまった。
…ここからなら聖域の泉が近いはず。
そう思い立ち、すぐに泉へと向かった。
下界にはいくつか聖域と呼ばれる場所がある。
天界と近しい場所で、基本的に人間は入ってこられない。
聖域には必ず泉があり、聖泉である天界のいのちの泉と繋がっているためこの場で休む天使は多く、仕事関係で下界に長居する場合は聖域に泊まることもある。
もうとっくに陽は落ちて、空高くにぽっかりと月が浮かぶ。
休憩、と思っていたけれど、気づけばかなりの時間が経っていたみたいだ。
今日はもうこの泉で朝まで休もう。
明日の朝食は、祈祷師の元に良さそうな果実が供物としてあることを期待しよう。
泉のほとりに降り立ち、静かに泉に足をいれる。
それだけで疲れが癒えていく、流石聖泉。
触れるだけでその身を癒す、天界のいのちの泉の効力がそのままこの泉にも行き渡っていた。
ふーっと息をつきながら泉の中に根を下ろした樹の元に座り、ぱしゃぱしゃと足で水を掻く。
自分の足先から広がっていく波紋をぼうっと眺めた。
澄んだ藍が月明かりに照らされきらきらと輝いている。
泉の温度の心地良さに、屈んで手も浸そうとした時だ。
「天使様…?」
声のしたほうをゆっくり見やると、ここにいるはずのない、人間の男が一人立っていた。




