ピアルノー氏の友人Ⅱ
思わぬ流れに若干困惑しながらも、オーデンはこの巡り合わせを利用することにし、顔合わせはそのまま、遺産分割協議当日に向けての打ち合わせとなった。
協議は今日から数えて、およそ二月後に南領の旧代官邸で開催される。
エリオンに随行する人員の選定、荷造りをし、道中の宿を手配…… 現地協力者への通達。
全てを最速で行ったとして、会場への前乗りまでに相当の時間がかかるであろう。
相続人達に通告する開催日の 二週間前到着を目指してエリオンの予定を組む事となった。
エリオンが補佐役として証人からの指名を正式に受ける旨の証書に署名すると、オーデンはいそいそとそれを鞄に仕舞い込み、それから、自分はこのまま南領に向けて出立すると告げた。
母と兄をその場に残し、馬車まで彼を見送るためエリオンも一緒に席を発った。
◇◇◇
会合に向けた今後の予定に目処が立ったからであろう、オーデン氏はあからさまに上機嫌だった。
「皆様の献身に感謝を。
このまま南領に戻り、早速相続人達へ会合の日程を告知する段取りを進めたいと思います。
エリオン殿も、すぐに出られた方が良い。
時間は光の如く…… グズグズしていると太陽に置いて行かれてしまいますからな 儂の様に!」
ふと思いつく。
「オーデン殿、もし可能であれば私が証人の補佐役として貴殿から正式に指名を受けていることの証明…… とまでは言わずとも補佐役で有る事を裏付ける一筆、覚書を頂けますか?」
「ほう? それはまたどう言ったことでしょうか?」
「ご存知の通り、今回の協議で…… アンダマン家分家の関係者である私は複雑な立場にあります。
これから南領の伝手への協力要請が不可欠ですが、その所為で足止めを食う事もあるかも知れません。
仮にそうなった時に私の立場が、つまりピアルノー叔父上の遺産分けの補佐役という、重要な使命に就いている事を証明出来れば、余計な手間と時間の空費を省けるでしょう?」
オーデン氏に説明するつもりは無いが、ピアルノー叔父の遺産を狙う連中がいる事を前提に動かなければならない。
それが誰であれ、今回の遺産分割協議が終わるまでに何らかの形で相続人と証人に干渉してくる可能性が高い。
表から堂々と乗り込んで来る相手に対しては、証人から指名を受けた補佐役という立場が露払いに役立つだろう。
裏からくる相手には…… まあその時はその時だ。
ペンにはペンを、剣には剣を。
「ふむ。 おっしゃる通り。
儂の裏書き程度でお役に立つのなら…… と、これはいかん。
公文書用の皮紙は予備を積荷に入れっぱなしになっておりましてな。
少しお時間を頂けますかな?」
「勿論です」
オーデンは頷くと馬車の手摺を掴み、意外な身軽さを発揮して馬車に括り着けられている荷物籠まで登って行った。
「あーこりゃいかん。
エリオン殿、すぐにお持ちします故、良ければ馬車の中で掛けてお待ち下さい」
「いえ お構い無く。 ここで待ちます」
◇◇◇
四半刻ほど経った。
オーデン氏は相変わらず馬車の上で鞄の中身を次々ひっくり返しているが、目当ての物は一向に出てこない様だ。
「ああなると 大叔父は長いですよ」
声が出そうになるのを咄嗟に抑え、ゆっくりと背後を振り返った。
◆◆◆
線の細い若い男性
中性的な顔付
漆黒の髪
両手には書類の詰まった鞄
◆◆◆
「アンダマン家の方ですよね? 申し遅れました、僕はウィル。
ウィル・オーデン。 大叔父の秘書をしています。 お見知りおきを」
飄々とした雰囲気の持ち主。
声をかけられるまで、全く気配を感じられなかった。
「あー…… 驚かせてしまいましたか。
家族にもよく注意されるんです。 申し訳ない」
その若者は エリオンに軽く会釈をすると、滑り込むように軽快に馬車の中に入って行った。
「見られていると、大叔父も焦ってしまいます。 こういう時は放っておくのが一番なんです。
どうぞ、掛けてください。 一緒に待ちましょう」
彼に対する警戒心は解かないまでも、ここで断るのも不躾かと思い、ウィル・オーデンに勧められるまま馬車に入室した。
◆◆◆
窓のない、閉め切られた庫内
にも関わらず心地良い、清潔な空気
外観より明らかに大きい、広々とした空間
天井の四隅と中心に据えられた水晶球は柔らかに、煌々と輝き、全体が木漏れ陽の下にいるかの如く照らされている
◆◆◆
驚いた。 魔法的調整が施された馬車としては最上級。
我が家が所有する最も高級な馬車と比較しても遜色無い…… いやそれ以上かも知れない。 秘宝級の逸品だ。
「凄いでしょう、 この馬車は」
エリオンの様子を見て、ウィル・オーデンが得意気に言った。
「御世辞を抜きに、素晴らしい。
オーデン殿は、本当に有能なのですね。
これ程の品を揃えられる人物は錚々いないでしょう」
ウィル・オーデンは首を左右に振って悪戯っぽく片方の口角を上げた。
「滅相もありません。
なにせ これを下さったのは貴家のピアルノー様です。
仕事に対する感謝の証として賜ったそうですが、大叔父にとっては一番の宝物です」
実用性は言うまでもなく、内装調度も華美では無いが、拘りを感じる……。
見る者が見なければ気にも留めないような統一感。
ごく自然に、エリオンは小さく吹き出していた。
確かに、これはピアルノー・アンダマンが作ったものだろう。
「南領では知らぬ人のない偉人です。
管財業務は地味な仕事ですが、ピアルノー様はそう考えていなかったのでしょう」
ウィル・オーデンは、鞄を座面の脇に積むと、天井を指差してからそのまま、指先を丁度オーデン氏がいる辺りで停めた。
「ですからこれは、大叔父にとって まさに金銭に変えられない〝箔〟なんです。
大叔父は折につけてこの馬車に人を入れたがるんですよ」
ピアルノー叔父が南領の人々にとってどの様な人物なのか、現地の人間から聞くのは新鮮だ。
……まさか、オーデン氏が馬車の中を自分に見せるがために、わざと手間取っているとは思いたく無いが……。
「……紹介が遅くなって申し訳ない。
私はエリオン・アンダマン。 イズーダン子爵アーロン・アンダマンの弟です」
「ああ! 貴方がそうでしたか」
まるでエリオンを知っていたかの様なウィルの反応に、彼は違和感を覚えた。
そんなエリオンの表情を見て、ウィル・オーデンは覗く様にその目を見て言った。
「もしや まだ書状を大叔父から受け取られていないのですか?」
「それを待っていたところです」
「……そうでしたか。
では、もう少々お待ち下さい。 直ぐに戻ります」
ウィル・オーデンはそのまま身を翻すように車外へと出て行った。
◇◇◇
その言葉の通り、エリオンが様子を見に行こうかと考える間もなく彼は戻ってきた。
「お待たせしました。 どうぞ、お納め下さい」
そう言って、エリオンに嵩のある封筒を差し出す。
どうやら、オーデン氏には有能な右腕がいるようだ。
エリオンが礼を言おうとすると、ウィル・オーデンは言葉を制する様に手のひらを向け、声を顰めて言った。
「……今あったことは内密に、エリオン様の胸の中に留めて頂けませんか?」
?
「大叔父は矍鑠としていますが、それでも年齢なりの物忘れがあるんです…… でも、そこは僕と一族の者達の手助けがあれば問題はありません」
エリオンがたった今受け取った封筒を軽く持ち上げると、ウィル・オーデンが頷いた。
「大叔父はピアルノー様の管財人で有る事を誇りに思っています。
それだけに、今回の貴家の遺産分けは大叔父にとって……特別なんです。
恐らく人生最後の大仕事になるこの案件を、自分自身の職歴の集大成とさえ、考えています。
僕も勿論、この仕事に全力を尽くしています。 ……ですから、どうか御安心下さい」
先ほど迄とは打って変わって歯切れの悪い物言いとその態度を見て、エリオンはうっすらとだが彼の事情を察した。
確かに、オーデン氏は経験豊かな文官なのだろうが、大きな仕事を彼一人に任せ切るには、年齢と体力に不安がある事は否めない。
そんな、引退を前にした大叔父の評判を、最後まで守り通したい……それがウィル・オーデンの意向らしい。
恐らくオーデン氏の業務の多くを……否、様々な些事と雑事の殆ど全てをこの若者が処理している。
オーデン氏と、無論 自分自身の為に。
「そうですか。 ……では、引き続き宜しく頼みます」
エリオンが笑顔で答えると、ウィル・オーデンの表情から緊張が消えた。
幾らか要領を得ない部分もあるが、要するに彼は本件でオーデン氏の経歴に一切の瑕疵も残したく無いようだ。
会合の補佐役として云うならば、有能な身内の参加は大歓迎だ。
証人の不足を埋めるのがこの若者だったとして、それ自体は悪いことではない。
一点、懸念があるとすれば、オーデン氏の役割…… 証人に求められる守秘義務は、その親族に対しても例外は無く、違反に対して厳罰が下されることが規定されている。
だが、まあ 帝国司法院も、お目溢しを下さるであろう。
南領の名士を顧客に持つ弁士、代書士、証人……
いずれこの若者がオーデン氏の遺産と職務を継承する事となるかも知れない。
そうなれば、彼と伝手を保っておく事は 我が家にとっても悪い話ではない。
「素晴らしい馬車を見せて貰いました。
オーデン氏にも宜しくお伝えください」
ウィルから受け取った書状を胸元に仕舞い、エリオンはその場を後にした。