ピアルノー氏の手紙
「……若様、お目汚しを」
アリエルがハンカチで目元を拭いながら、申し訳なさそうに呟く。
「彼達を思って泣いてくれたのだろう? 家族として嬉しく思うよ」
これは紛れも無い本音だ。
彼らと再会したことで、この地での思い出が……
家族が揃って過ごしたピアルノー邸での記憶と、二度と戻らない時間がエリオンの脳裏で徐々に甦ってきていた。
◇◇◇
それから間も無く、滞在手配が完了したとの報告がエリオンの元に届けられた。
近隣の村落から物資を買い付ける合意が取れた事に加えて、マリオとアリエルを筆頭に水柳の家のハーフリングが明日にも追加で派遣されて来るという。
また、水柳の家からはエリオンの滞在期間中、ピアルノー邸内外を問わず全面的に仕事に協力してくれる旨の書き付けも一緒に届けられていた。
エリオンは内心、胸を撫で下ろした。
これで 南領で最も力のある小人族氏族の協力が確約された。
叔父の訃報を受けてからここに至るまで、家族総出で準備に當った。
誰よりも早く到着する為に 時間の許す範囲で備えては来たものの、万難を排しているとは言い難かったのだ。
派遣されて来る同胞を迎える為に退出するアリエルに、族長への謝辞を託して見送った後、彼は持参して来た資料と諸々の書類に目を通しつつ、これから先に待ち受けるであろう様々な可能性に思考を傾けて過ごした。
夕食後、本館の書斎を検めていたエリオンに、近衛士長が来客を告げた。
「スヴェンセンか。 どうした?」
「夜分に失礼します、エリオン様。 小人族のご夫妻がお見えです」
「通してくれ」
スヴェンセンがニヤッと笑うと その足下から二人が姿を現した。
「さすがスヴェンセン! 仕事が早いな」
◇◇◇
「あの衛士は……迂闊です」
マリオが苦々しく言い放った。
「そうかしら、とても感じの良い人よ」
アリエルが応える。
主の確認を待たずに直接自分達をエリオンの元まで案内した、護衛のスヴェンセンが彼には我慢ならないらしい。
事情を知らない者からは、融通の利かない若い侍従が、いかにも生真面目に苛立っている様に見える事だろう。
マリオはピアルノー叔父の下で数十年の間、執事として仕え、同時に家宰として使用人達を統率しながら、叔父の死によって解任されるまでこの場所を守って来た。
整った顔立ちをした、世間知らずの騎士見習いの様なこの老従者を侮って、痛い目を見た愚か者を 飽きるほど見ている。
彼がその愛らしい外見に見合わない 怜悧で研ぎ澄まされた男である事は 嫌というほど理解していた。
幼い頃は、見た目と中身がチグハグな彼のことを今ひとつ理解できなかったが、今やマリオは私の知る限り 最も優秀な従者の一人だと確信を持って言うことができる。
だから、貴族としての立場で述べるなら、マリオの意見こそが正しい。
しかし、個人的には アリエルに賛成しておこう。
スヴェンセンはああ見えて なかなか頼りになる。
「こんな時間に呼びつけて済まない。
マリオ、水柳の家への取り継ぎを速やかに済ませてくれて、助かった。
お陰で当家の侍従達にも美食と饗の何たるかを教える事ができるよ」
「では、遣わされて来る料理人は 責任重大ですね」
マリオが目を細めながら答えた。 それを聞いてアリエルが笑い声を漏らす。
「そういう側面で見れば、今回の滞在にも楽しみがあるな。
だが明日も、その後も忙しくなるだろうから、今夜は手早く済ませよう。
今日中に取り急ぎ確認しておきたい事があるんだ」
二人が身を正した。
「……知っての通り、今回 私はアンダマン家とピアルノー叔父上の遺族による会合に先立って、彼らの補佐役として派遣されて来た。
一月後、ここ旧代官邸を会場に、相続人達によってピアルノー叔父上が遺した遺産を分割する為の協議が執り行われる」
協議の参加者は、相続の当事者である二つの家からそれぞれ、
・ピアルノー叔父の遺産に相続権を持つ遺族(が指名した相続人)
・旧代官邸の権利を所有するアンダマン本家(が指名した相続人)
ここに、
・遺言状と財産目録の作成に立ち合った証人
を加えた、計三名。
「相続人達は証人立会いの下、各々の立場に基づいて、双方が納得の行くまで遺産の分配について折衝を重ねる事となるだろう。
会合はこの三者が欠けること無く揃ってから漸く始まる。 ここまでは良いかな?」
「存知ております」
「まあ言うまでもなく、下準備は秘密裏に進めなければならない。
協議期間中は私も、アンダマン家に連なる者としてでは無く 中立の立場でいるつもりだ。
証人と相続人が到着するまで、私の事は さながら魔精……実体なき者として扱ってくれ」
「承知いたしました」
「結構。 では 次が最後の確認事項だ」
エリオンが呼鈴を鳴らすと、間もなく書斎の扉が開いてスヴェンセンが入室して来た。
彼女は両手で金属製の盆を持ち、そのままエリオンの対面にいる二人の面前へとそれを差し出す。
◆◆◆
盆の上に置かれていたのは 一通の書簡
仄かに緑色に染んだ 上質な紙で織られた封筒は
深緑色の封蝋で綴じられ
その上に丸い印章が押されている
◆◆◆
「それについて、意見が聞きたい。 手に取って見てくれ」
小人の夫婦はそれを順番に手に取って、隅々まで封筒を検めた。
「……これは」
マリオが 少し困った様子で呟く。
「珍しい印章だろ?」
「ええ。 いや、この印章は見た事がありません。
そちらではなくこの封筒……これに使われている〝紙〟には、見覚えがあります。
恐らく私の縁者が生産している植物紙です」
「水柳の家の特産品なのか?」
「いえ、違います。
この植物紙は少数の職人だけが試作している品物で、まだ水柳の家全体で生産する段階には無いのです」
「そうか……アリエルはどうだ。 何か気づいた事は?」
「紙も蝋も、この印章も初めて見ます」
「……二人とも 有り難う。
実はこの手紙はピアルノー叔父上が私に遺したものだ。 いや、厳密に言えば私にではないな」
マリオとアリエルの視線を他所に、エリオンは盆の上に戻された封筒に視線を留めたまま話しを続ける。
「この手紙を受け取り、それを開封する資格を持つ相続人は、この印章の意味を知る者……その人物にこの手紙を託す。
これがピアルノー・アンダマンから私、エリオン・アンダマンへの遺言だ」