ピアルノー氏のかそけき縁者Ⅲ
奇しくもルシャス・アンダマンが辿った運命をなぞる様に、コルゾ・キーリバは魔法の焔に捉われてしまった。
違いがあるとすれば、そこに居合わせたエリオン・アンダマンが以前と違なっていた点。
彼には経験と覚悟があった。
エリオン・アンダマンは炎を消そうと躍起になっているコルゾ・キーリバに足を掛け、易々と床に倒した。
それと同時に彼は厚い外套の袖を噛ませて商人が声を出す事が出来ないようにした上で、完全に組み伏せてしまった。
これは偏に、エリオンが魔法の封筒の呪いをその身に受けた経験から来る冷静さを以って可能となった事であったものの、実際には無数の懸念が彼の脳裏に去来している中での咄嗟の行動だった。
◇◇◇
コルゾ・キーリバは生き残れるだろうか?
生きてさえいれば、アリシア叔母上の魔法で延命処置が出来る。
封筒はどうなっている?
扉のそばに落ちてそのまま燃えているな……いや、いま燃え移った。
僥倖。
賊徒どもはいつ見張りに戻って来るかな? これは考えるだけ無駄だ。
今はコルゾ・キーリバが悲鳴を上げないよう、このまま押さえ続ける。
早く燃え尽きてくれ。
◇◇◇
自分自身も焔に巻かれながら不思議なほどの冷静さで、エリオンは改めてその呪いの作用を観察していた。
焔の呪い。 否、不死鳥の焔。
熱くはない。 寧ろ暖かで心地良くさえある。
眼を塞がれていた、あの時と同じ感覚だ。
これはウィル・オーデンの使う魔法を容易く焼き尽くし、ルシャス・アンダマンにも致命の害を及ぼした一方で、私には一切の傷を残さなかった。
この違いは何を意味している?
……或いは、コルゾ・キーリバに対して呪いはどの様な作用を発揮するのだろうか?
そうしている間にもエリオンの目の前でコルゾ・キーリバの表層は魔法の焔に焼かれ、殻が剥がれる様に消滅していく。
こうして商人の肉体が失われ、そこに隠されていた一際小さな中身が……その正体が露わとなっていった。
◇◇◇
燃やすべきものを燃やし、ほどなく魔法の焔は終息した。
エリオンは身体を起こすと、軽く伸びをして扉の方を見た。
扉を縛りつけていたあの強靭な魔法物質は尽く焼かれ、ひしゃげた礫となって床に散らばっている。
その横で商人が気絶していた。
しかしその身体には火傷どころか傷一つ無い。
どうやら幸運なことに彼はルシャス・アンダマンと全く同じでは無かったらしい。
エリオンは官邸の廊下に一人立ったまま、足下のコルゾ・キーリバをまじまじと眇めた。
染みも皺も無い肌。 きめ細かな長い髪。 例の仕立ての良い礼装を身に纏っている。
だがコルゾ・キーリバは、どう見ても女性だった。
それも若い。
妹と……エルノリアと同じくらいか? あの子より少し年下かもしれない。
彼がその先を考える間も無く、罵り合うような不快な喧騒が階下から近づいて来た。
エリオンは商人を抱え上げると、目の前の扉を滑り込むようにしてルシャスの寝室へと入って行った。
◇◇◇
転がり込むようにして薄暗い室内に潜り込んだ後、目の前の物体にエリオンは眼を奪われた。
黒い巨魁が見えざる力で天井から吊り下がり、ルシャス・アンダマンを寝かせた寝台のあった場所を丸ごと包み込んでいる。
昨晩と同じ、静寂を視覚化したかの如き異様な姿で目の前に鎮座するそれはまさしく、ウィル・オーデンの操る魔法物質の塊だった。
思わぬ光景を目に暫く身動ぎもせず呆然としていたものの、ふと思い立って商人をそっと床に下ろすと胸元に手を突っ込んだ。
封筒が無い。
まさか……扉の外に置いてきてしまった。
取り戻せるか?
今は駄目だ。 扉を挟んだ向こう側の廊下には既に誰か……見張りの気配がある。
封筒はウィル・オーデンに対してエリオンが持つ唯一の攻撃手段だった。
そんな重要な物をコルゾ・キーリバの変容に動揺して置き去りにした愚かさを呪いながらも、エリオンは気を持ち直して頭を上げた。
目の前にウィル・オーデンが立っていた。
忽然と、前触れ無く現れた魔導師に対しエリオンはただ凍りついた様に彼を見つめることしか出来なかった。
しかしウィルはそんなエリオンに敵意も見せず、ボンヤリとその姿を眺めている。
酷く疲れているのか魔導師は一向に動かず、エリオンからすると虚な眼を自分に向けたままその裏で何事か逡巡している様にも思えた。
彼はその隙を逃さず、床に散っていた礫を一握り魔導師の顔面に向かって放り投げた。
魔導師は触腕でそれを防ぐと同時に、もう一本触手を伸ばしてエリオンを絡め取った。
こうして三度捕らえられ、また魔導師の顔を再三見てきたエリオンは確信した。
ウィル・オーデンは酷く憔悴している。
力に溢れたあの自信満々たる不遜な表情は何処へやら、代わりにその眼元には厚ぼったく泣き腫らした跡が残っていた。
「貴殿も人間だったんだな」
その軽口に対してウィル・オーデンは何か言い返そうとしてエリオンを引き寄せたものの、結局そのまま黙りこんだ。
代わりに彼は一枚の紙切れをエリオンに見せて言った。
「これを 知っているか?」
低く嗄れた声で尋ねた。
魔導師の手に握られた紙には何かが書いてある。 エリオンが目を凝らすと、そこには蜘蛛の巣と捕らわれた虫の絵が描かれていた。
「絵解きでもさせるつもりか?」
「答えろ!!!」
怒鳴ってから魔導師は苦しそうに何度も咳をする。
感情を露わにエリオンを睨め付けるウィル・オーデンの迫力に折れて、エリオンは虚勢を張って返した。
「……知らんよ。 何だその絵は? 貴殿が描いたのか?」
「本当か? 知らないの か?」
「初めて見たよ」
エリオンがそう言った次の瞬間、二人の真上の天井に大穴が開いた。
それは文字通りポッカリと、あまりに静かに出現したのでウィル・オーデンもエリオン・アンダマンもその存在に気付いていなかった。
天井に吊られていた多頭燭台が支えを失って床に落ちるより先に、上階から落下して来た大男が両の脚で魔導師の両肩を踏み潰す。
その衝撃でエリオンを拘束していた触腕は折れ砕け、それと同時にウィル・オーデンの足下にも大穴が開いた。
魔導師は成す術なく勢いそのまま階下へと落下していった。
「フラム!」
「エリオン殿、お見事です」
「貴殿の足腰は……いや、いいか。 一か八かだったが上手くいって良かった」
エリオンは起き上がって膝を払うと、恐る恐るウィル・オーデンが落ちて行った穴を覗き込んだ。
床の穴は下の階の天井を突き抜け、その落下地点にはさらに一回り大きな穴が開いていた。
それはまるで獲物を待って口を開けている巨獣の食道を思わせるほど深く、光の届かない暗闇へとどこまでも続いている様に見えた。
「エリオン殿、下がってください」
そう言ってフラムがエリオンを床に開いた穴から数歩分下がらせて間も無く、地を揺らす轟音と共に滝の様な流水が天井の穴から降り注ぎ、先程まで彼が覗いていた階下の大穴の中へと吸い込まれる様に流れ込んで行った。
「これが魔精の……魔導師の力か」
◆◆◆
癒しの眠りから目覚めたアリシアとフラム、そしてエリオンの三者が魔精イヴォルトの洞道に集結した時点まで時は遡る。
衛士隊長スヴェンセンがエリオンに託した魔道具。
一見、役に立つとは思えないそれらの中に、最高峰の魔道具である〝魔精の憑代〟を見つけたとアリシア・アンダマンが声を上げたところから……
◆◆◆
「……それが魔精の憑代だと言うのは本当ですか、叔母上?」
「うん……間違い無いと思う。 ピアルノーが使っていたのを見た事がある気がするの」
アリシアは棘のような突起が一本付いている金属製の輪を手に持って、それを灯りの近くにかざしながらエリオンの質問に答えた。
倉庫に保管されていた財産目録記載の魔道具。 名前はたしか……
「私の記憶ではこれは水を湧出させる魔道具の引水仗ですが」
「そんな名前じゃなかったと思うのよねー……えっと ポ…ポール、ポピー、ポーラ……違うわねー」
アリシアは記憶を探るかの様に眉根を寄せながら独り言を続けた。
「ポール? ちょっと待ってください。 叔母上が触れたのに全く反応が無いのはどうしてですか?」
「どうゆう意味?」
「いえ、ですから仮にこの魔道具が事実魔精の憑代だとして、叔母上の力に反応して能力が発現しない理由は何ですか?
まさか使役するに貴女の力不足という事は有り得ないでしょう?」
「ええ、そこは問題無いんだけど……この子もうちの子達と同じで、上古の魔精なのよ」
「はあ。 それはつまり……?」
「つまり、ただの道具じゃない。 意思があるの。 だから呼び起こす必要が……覚醒のキッカケが要るのよ」
「じゃあ……刺激してみますか?」
そう尋ねたエリオンの横でフラムが拳をボキボキと鳴らすと、アリシアが冠りを振った。
「そういうのじゃなくて……個体によって正解が違うんだけど、本来の契約者不在の休眠状態の魔精を呼び起こして関係性を結ぶ為には新たに人間との繋がりが必要なの。
一番手っ取り早いのがこの子の名前を呼ぶこと」
「今から名付けますか?」
そう尋ねたエリオンの横でフラムが咳払いした。
「んーと、名前を付けることもあるけど……この子の場合はピアルノーが呼んでいた名前で呼ぶのが確実ね。
ポる?……たしかポリ で始まる名前だったと思うんだけど」
引水杖が魔精の憑代?
叔父は魔精が宿っているなど一言も言っていなかった。
名前なんて皆目見当もつかない。
しかし、それはそれとしてアリシア叔母上が叔父上の使役していた魔精の事を覚えているのなら、水薬の副作用である記憶喪失に関しての懸念は若干和らいだ。
「んー……ポリポリ、ポリック、ポリン、ポリカルフラジリスティス・ポリドシアス!」
突然フラムが声を上げた。
「どうしたんだ?」
狂ったか?
「これは要するに、名前当て遊びですよ!
奥方様は断片的に記憶を失っておられます。
ですからせめて魔精の名前を思い出す一助になりましょうぞ!」
「そうねえ。 最後のは絶対違う……四文字か五文字くらいの長さだったような」
「おお早速効果がありました。 エリオン殿も、さあ!」
なるほど……?
「えー、じゃあ……ポリンゴ」
「ふっ ポリンゴ?」
「……なにか問題でも?」
「いえなにも。 どんどんいきましょうエリオン殿。 ポリエノール、ポリリオ、ポリエル」
「ポリ……ポリオン、ポリルー、ポリンノン」
「ポリエチレン、ポリグラフ、ポリンキー」
「ポリ……ーロン、ポリネル、ポリノリア」
「ポリスメン、ポリゴン、ポリニャン「それよ!」
「やりましたぞ! 正解はポリニャン!」
「ううん、ちょっと違うわ。
起きなさい 湧水の魔精 ポリニヤ」
アリシア・アンダマンが引水仗もとい魔精の憑代を指に嵌めてその名を呼んだが、何も起こらない。
しかし突然、拳大の水の塊が突起の先端から飛び出したかと思うと、空中をふわふわと漂い始めた。
彼女がその水球にふフッと息をかけると表面が細波を打ち、次に奇妙な模様が浮かび上がった。
エリオンにもその、どことなく顔に見えるぽよぽよとした目口の様な膨らみが忙しなげに動き、アリシアに向かって語りかけている風に感じられた。
「わぁ……おばうえすごぃ」
「ふふ ありがとう。 ポリニヤ、力を貸してくれる?」
彼女が語りかけるとポリニヤは泡をブクブクと鳴らして応えた。
「ふふ 可愛い子ね」
「叔母上、これは何と言ってるんですか?」フンスフンス
「独自の意思疎通?かしら……まだ良く分からないけど悪い感じじゃ無いから多分大丈夫」
ここで思わぬ新戦力登場……水を生み出す魔精か。
「とはいえ、あまり攻撃性が高い能力とは思えませんが」
「任せて頂戴。 私に考えがあるの」
不安げなエリオンを横目にアリシアは自信満々に言った。
◆◆◆




