ピアルノー氏の懐刀Ⅷ
声のする方に顔を向ける。 応接室と小人族夫妻の寝室を結ぶ扉が開かれ、男が一人立っていた。
「先刻ぶりですね、エリオン殿」
彼は微笑を浮かべながら丁寧に会釈をした。
勝利を確信しているからなのか、殺気立った雰囲気は鳴りを顰め不自然なくらい賑々しい。
エリオンはその男から視線を逸らさずに全身の力を込めてドアノブを動かそうとしていた。
「無駄だよ」
ウィル・オーデンは焦る素振りも見せず、関心無さ気に言った。
扉は……駄目だ。 マリオはアリエルのそばを離れられない。
窓、背後の扉、暖炉を矢継ぎ早に見て退路を模索する彼の様子を横目に、ウィル・オーデンは急ぐ素振り無く鷹揚に小人族夫妻のいる長椅子へと歩みを進める。
するとエリオンはドアを離れて無意識にその進行方向を遮る位置へと進み出た。
「健気だなあ」
エリオンをまじまじと眇めながら感心した口調で言った。
糞が。 どこか、何か手は無いか。
「二人に手を出すな」
「う〜ん、それじゃ……代わりにすこし話をしようか? 昨晩の続きを」
悪戯っぽく目を細めてから指で長椅子を指し示す。
「掛けてお茶でも飲みながら。 邪魔は入らないから安心して良い」
ウィル・オーデンがパチっと指を鳴らすと同時に奥の寝室へ続く扉が勢いよく閉じる。
黒い蔦のようなものがその表面を覆っていた。
「さあ! 座って……そっちに掛けるんだ」
自分を睨め付けたままエリオンがノロノロと小人族夫妻の居る長椅子に座るのを見届けると、ウィルも対面の長椅子に腰を下ろした。
「どこまで話したかな……覚えてますか?」
「……」
「貴方があの封筒を開けて、そのあと僕を攻撃する直前に……」
「……」
「確か遺言状の行き違いの可能性とアリシア・アンダマンについての話の途中だったかな?」
「……」
「ん? どうしました?」
「……」
「……あのさ、」
「……」
一言も発さないエリオンの態度に剛を煮やしたのか、とうとうウィル・オーデンは両手を上げて開いた掌を見せつけるようにしながら言った。
「いやちょっとは警戒をさあ……見なよ、あの魔道具は持ってないだろ? 君を尋問しようとしてるんじゃないからね!」
「どこにある?」
「? 何が」
「囀りの鈴はどうした?」
「さえず……ああ、持ってない。 失くした」
「……」
「仕方ないだろ? アリシアの魔精に不意打ちされたかと思ったら、そこの滅茶苦茶強い小人族が襲いかかってきたんだ!
どっかその辺に……庭にでも落ちてるんじゃないの? 知らないけど」
ではやはり囀りの鈴はウィル・オーデンの目的の魔道具では無いのか。
「黙りを続ける気なら僕はそれでも構わないよ。 君の代わりにそこの二人とお話をしようかな」
「アリシア様、だろう?」
「なにが?」
「彼女は貴殿の主だ。 仕える相手を呼び捨てにするような不義理な人間と話す事など何も無い」
「少し違うね。 あれは主人の身内さ」
「それは違う。 叔父上亡き今は彼女が貴殿の仕える家の長だ」
「君は僕らの事を何も知らないだろう? ま……話す気も無いがね。 でも一つだけ教えてあげるよ。
アリシアは……彼女が君に何を言ったか知らないが、あれは自分の為に動いているに過ぎない。
その目的の為にピアルノーの遺産が必要なだけだ」
「それこそ自分の事だろう? アリシア叔母上には遺産の大半を相続する権利が有る。 貴殿と違ってな」
「まぁた頼みの〝帝国法が〜〟ってやつね。 全く、盗人猛々しいとはこの事だ!」
「何を言っている?」
「誤魔化そうとしても無駄だぞ、エリオン・アンダマン。 あの魔道具を通してお前が見せた記憶をどう説明するつもりだ?」
「突然訳が分からない事を言うな」
「はぁあ? シラを切るのか? お前がここに来た目的はピアルノーの魔道具を持ち去る事だろうが!」
「事実無根の言い掛かりは止めてもらいたいな」
「事実さ。 囀りの鈴を盗んだだろう?」
「盗んでいない」
「他人の家で見つけた物を許可無く懐にしまう行為を〝盗み〟と云うんだ。 帝国法には書いてないのか?」
……こいつ、あの時どこまで私の記憶を覗いたんだ?
「何故かなぁ? 何で補佐役のエリオン・アンダマン殿は証人ナヴィラク・オーデンとの事前取り決めに反して一週間も予定を早めてここに来たんだろう?
それは遺族達が来る前に遺産相続協議の前準備と称して堂々とピアルノーの魔道具を物色するためさ!」
「馬鹿馬鹿しい」
「違うのか? 魔道具が必要なんだろう? その為にここに来たんだろう?」
「お前の妄想に付き合う気は無い」
「意地でも認めないつもりなんだね……まあいいや。
言わせて貰うけどさ、そこの御夫婦を除けば純粋にピアルノーの為に動いているのは僕だけだ。
彼が暫く居なくなっただけで、皆んなアッサリ掌返しやがって!
帝国法が〜相続が〜なんて尤もらしい事を言いながら、やってる事は飢えた野良犬と一緒さ」
おいおい、証人の助手としての立場はどこへ行ったんだ?
罵倒に対しては何も言わず、エリオンはただ如何にも呆れたように首を振ってからウィル・オーデンを睨めつけた。
対してウィルも負けじと彼を睨み返しながらお構い無しに続けた。
「いや、まるで屍にたかる蛆蠅だ! この旧代官邸にも君を含め嘘吐きと裏切り者と、その追従者しか居ない。
僕だけが一切の私情を交えずにピアルノー・アンダマンの為に全身全霊を賭けて彼の遺言の履行に努めている」
饒舌なことで。 さて、どれだけ時間が経っただろうか。
「まだ続けようか?」
一人で勝手に話し出したのはお前だろ?
「ご自由に」
エリオンは余裕たっぷりに言い返してウィル・オーデンの目を見た。 しかし彼はエリオンを見ていなかった。
代わりにその隣を見すえていた。
「もう十分な筈だ、私の忍耐を試すな。 お前の計画は破綻した」
一方的に語り掛けるその口調はそれまでエリオンに向けていたものとは本質的に違う。
それは昨晩暗闇の中で対峙した、あの魔導師ウィル・オーデンそのものだった。
「水柳の地に住まう者! 覚悟を決めろ!」
エリオンはゆっくりと、豹変したウィル・オーデンからマリオに顔の向きを動かした。
指まで包帯が巻かれたマリオの手。 エリオンは軽く握られたその拳が開くのを見ていた。
そこに丸い染みがあった。 赤黒い滲みが。
「台詞は終わりだ……感想を聞こうじゃないか?」
その様子を見ながらウィル・オーデンが独り言のように呟いた。
老執事は俯いたまま静かに包帯を解いていく。 その手の中で何かが光った。
包帯が取り除かれると彼の親指に銀色の指貫が輝いていた。
鋭い先端はマリオの血に濡れている。
囀りの鈴。 何故マリオが持っている?
「……マリオ……!」
そのままエリオンが言葉を続けようとした刹那、黒い触手が彼の身体と口元を覆い隠してそれを遮った。
「止せ!」
マリオが叫んで静止するも魔導師は意に介さず、あっという間にエリオンは全身を黒い物質に拘束されてしまった。
「お前の出番じゃない」
吐き捨てる様にそう言うとウィル・オーデンはマリオに向き直り話を続けた。
「どうだった?水柳のメリオー。 君が信じた者の裏にあった真っ黒な真実と真っ赤な嘘は!」
「……エリオン様を解放しろ」
一拍置いてからマリオが口を開く。
それを見てウィル・オーデンは少し詰まらなそうに言った。
「却下する。 離せばこいつは騒ぎ出す」
「エリオン様はこの件の当事者だ。 御参加為される権利がある」
「ふぅむ……ならば、その前に言うべきことがあるのでは? 我々の方針について」
「貴殿は正しかった。 謝罪しよう」
「私を信じると言うことだな?」
「ああ。 約束は守る」
◇◇◇
目の前で進行する悪夢の様な出来事に翻弄されながらもエリオンは動かせない肢体の代わりに思考だけを必死に働かせていた。
マリオが囀りの鈴を持っていた! 何時からだ?
先の話、彼が私とウィル・オーデンの会話に対して囀りの鈴を発動させていたとすれば……!
裏切られた。
この一言がエリオンの脳裏を過ったが、言い訳け染みた閃きは直ぐに罪悪感と理性に上書きされた。
どの口でマリオを詰ることが出来る? それなら私はマリオに対してどれだけ誠実だったというんだ?
囀りの鈴は嘘を検知し、苦痛を以て逆説的に真実を知らせる。
事実、ウィル・オーデンの指摘は核心をついていた。 それらに対して、のらりくらりと答えを躱し堂々と嘯いた。
マリオに知られてしまった。
何も言う資格は無い。
◇◇◇
「重畳! が その前に彼に聴かせてあげないか? マリオとウィルの……我々の話を」
「そんな必要は…ない」
「なんだ、不要だとでも言いたいのか? その魔道具を使ってエリオン・アンダマンの秘密を暴いたくせに? だったら君の話も聞かせるのがスジってものじゃないか?
……それとも自分の嘘は特別なのか?」
「そんな事は言っていない、ただ……」
「ただ?……なんだ? エリオン・アンダマンは当事者なんだろう?
彼も我々の取り組みに参加すべきだと、自分でそう言ったじゃないか」
ウィル・オーデンは勢い任せに捲し立ててマリオの反論を封殺すると、最初の飄々とした口調に戻って再度長広舌を奮い始めた。
エリオンに一瞥も寄越さずに語るその姿は、時々熟練した語り部のように見え、またある瞬間にはただの気狂いに見えた。




