ピアルノー氏の懐刀Ⅶ
埋樹人の憑依代を片手に、その燐光頼みで暗闇の中をよろよろと進みながら余計な考え事をしないで済むようエリオンは努めて脱出した先の事にだけ意識を集中していた。
(先ずは衛士隊……小人族でも良い。 最初に会った者に指示を出し、それから叔母上の御者フラムを探し出す……)
そうしていつの間にか、半ば必然的に先ほどのアリシア・アンダマンによる自白じみた告白とその意味について思いを巡らせていた。
◇◇◇
イズーダンから旧代官邸へ、予定を大幅に前倒して到着したその翌日に、叔父の未亡人が突如として現れた。
遺産の正統な相続人であり、その筆頭たる彼女が、遺産分割協議開催を待たずに旧代官邸を訪れた理由……それこそがアリシア・アンダマンの真の目的。
無数の魔精を従える魔導師である彼女がその身を賭してまで捜し求める物とは……ピアルノー・アンダマンの蒐集品?
では、そうまでして彼女を駆り立てる必然は何処にある?
仮にそれが遺産目録に記載されている品物ならば、経緯はどうあれ最終的にはアリシア・アンダマンの所有物となる。
帝国法において未亡人には夫の全ての遺産に対してそれだけ強固な相続権が保証されているからだ。
だから、それがどれほど貴重で強力な魔道具だったとしても、来る協議の場で彼女が堂々とその権利を主張すれば、誰も異論を挿む事は出来ない。 たとえアンダマン家本家当主であったとしても、だ。
つまり、恐らくそうでは無い。 このやり方では手に入らない品物。
故人の細君という立場を持ってさえ、座して待つだけでは手に入れられない特別な遺産。
叔父の蒐集品を狙う者達の中で……有象無象の連中はさておき……ウィル・オーデンそしてアリシア・アンダマン
二人に共通する点。
どちらも魔導師級の使い手だ。
相続協議の補佐役として私がナヴィラク・オーデンから渡された書類にあったピアルノー・アンダマンの財産目録の写し。
その目録に記載されておらず、且つ確実にピアルノー・アンダマンの持ち物だった貴重な魔道具が……私の知る限りでは二つだけある。
一つが〝囀りの鈴〟。
そしてもう一方……魔導師ピアルノー・アンダマンの所有物にして切り札……焔の魔精。
そう 最強の魔精が宿る憑代は、遺産目録に記載されていない。
その存在をアリシア・アンダマンは確実に知っている。
彼女が私にそれを教えてくれたのだから。
しかしもし本当に焔の魔精が自身にとって最強の手札だとしたら、あのピアルノー叔父がそれを持たずに辺境探索に赴くだろうか?
しかもそんなに重要な魔道具をここ旧代官邸に放置していく事など有り得るのか?
結局そうなってくると、この地の何処かに焔の魔精の宿る憑代が隠されている、という推測の根拠がそもそも弱い。
となれば目的は囀りの鈴か?
もしそうだったのなら昨晩私から囀りの鈴を奪った時点で奴は目的を達成していた事になる。
だが依然としてウィル・オーデンは旧代官邸敷地に潜み、襲撃を続けている。 残念ながらそれは無いだろう。
もしかしたら……二人の魔導師は同じ魔道具を巡って牽制し合っていると考えていたが……或いはそれぞれに目的としている魔道具があるのかも知れない。
重要なのはそれが一体何なのか、という点だ。
どの様な姿をしているのか……その魔道具の形状を知る必要がある。
◇◇◇
そんな事を考えている間に、平坦だった魔精の通り路には途中から徐々に傾斜が加わり、気付けば緩やかな坂道を進んでいた。
身を屈めた姿勢のまま、所々で片手を地に着きながら四苦八苦しつつも進んでいくと、遂に彼は開けた空間に這い出た。
そこはこれまで通って来た通路より少し天井が高い程度の円形の小部屋で、他に繋がっている路は無いように見える。
(行き止まりか?)
エリオンが手を上げて全体を撫でる様に隈なく触れると、天井の一画が抵抗感無く動いた。
すぐにその場所の真下に移動して、今度は両手でゆっくりと天井を押し上げる。 同時に明かりと土が彼の肩に落ちて来た。
暗闇に慣れ切った目を細め、僅かな隙間から入ってくる風の音に耳を澄ます。
静かだ。 不自然なほど。
明かりに目が慣れるまで一呼吸置き、意を決して天井の蓋を一気に持ち上げる。
そのまま慎重に這い出て蓋を閉めると、エリオンはゆっくりと立ち上がって周囲を見渡した。
夕陽は既に翳り始め、厩舎内は青白い光に包まれていた。
厩舎には誰もいない様だったが、幸か不幸か戦闘音も聞こえてこない。
ただ衛士隊の軍馬達が数頭、エリオンを見て不審そうに控えめな嗎を上げていた。
二人は無事だろうか。
彼が脚元を見ると、そこには何の変哲もない石畳の地面があるだけだった。 まるでイヴォルトの洞道など最初から存在しなかったかの様だ。
意味があるかは分からないまでも、蓋のあった辺りに目印として埋樹人の憑依代を置いてからエリオンは厩舎の出口に向かった。
「だぁれ?」
厩舎を出てすぐに甲高い声がエリオンを呼んだ。 驚いて声のする方に目を凝らすと、小さな人影が彼の顔をじっと見据えていた。
その人物は恐らく小人族だが、マリオと比べても一際小さい。
子供。 それも女の子に見えた。 人懐こい笑顔を浮かべながら人形のようなものを抱いている。
水柳の家から派遣された小人族の家族だろうか。 確か今朝、旧代官邸を発った筈では……こんな所で何をしているんだ?
「アンダマンのわかさま?」
エリオンが返答しかねていると、その子が更に尋ねた。
「そうだよ、よく知ってるね。 お嬢さんのお名前は?」
「ベチカ」
「ベチカ。 素敵な名前だ。 一人なの? お父さんとお母さんは?」
エリオンが尋ねるとその表情が曇り、口を窄めて言った。
「わかんない」
迷子のようだ。
「じゃあ、一緒に水柳の家の……大人の人たちのところに行く?」
少しの間固まった後、ベチカは小さく頷いた。
エリオンがベチカを抱き上げると彼女は一瞬緊張したものの、すぐ大人しく彼の左腕におさまった。
フラムを探すにしても……取り敢えず使用人邸に向かうか。
「けがしてるの?」
歩き出してすぐにベチカが尋ねる。 彼女はエリオンの左掌に巻かれた包帯を見ていた。
それは昨晩、彼がウィル・オーデンを相手に囀りの鈴を使用した時にできた創だった。
「痛い?」
「痛くないよ」
「おくすりのんだ?」
「えーと……飲んでないな」
するとベチカは人形のようなものに手を突っ込んで中を弄り始めた。
「おくすりだよ」
彼女がエリオンに手を差し出すと、その小さな掌の上に包み紙が乗っていた。
「くれるのかい?」
受け取った包みを開くと中には丸められた土団子が入っていた。 と同時に複雑な甘い香りが彼の鼻腔を搗く。
それは土団子ではなく丸薬だった。
「良いのかな? ベチカのじゃないの?」
首を振る。
「あげる」
「そうか、ありがとう……ゔっ」
丸薬は顔を顰めるほど苦かった。
と同時にそれが昨晩ウィル・オーデンとの話し合いの場で出された乾果と同じ香りがする事に気がついた。
◇◇◇
エリオンとベチカが使用人邸に着いた時、建物の周りには小人族の一団がいた。
「誰かこの子の親を知らないか?」
エリオンが尋ねると皆が一斉振り返った。
「……アンダマンの若様? それぁ……フラフットとこの末娘でねえか! こったらどこで何やってんだ?」
一人年嵩で訛りのきつい男小人がそう言ってエリオンからベチカを受け取ると、他の年若い小人族に声を掛けて女衆を呼びに行かせた。
間も無く数人の女小人がやって来て何やら姦しく口々に小人族の言葉で話をしながらエリオンにお礼を言い、そのままベチカを連れ館内へと去って行った。
「アンダマンの若様、とんだご迷惑をお掛けしてえ。
あらぁフラフットって狩人とこの娘っ子なんですが、どうもついさっきまで寝っこけてたみてえでして。
家族は今朝みんな家に戻っちまってるもんでえ、今ごろ大騒ぎになっとるはずでさ。
ホンに有難うごぜえます」
「連れて来て良かったよ」
「あとでフラフットの奴に伺わせまさ」
「気遣い無用だ。 それにベチカには傷薬も貰ったからな」
そう言ってエリオンは小人族に左手の包帯を見せた。
「薬?……そら紙に包んだまん丸のやつですか? マナの実の匂いがする」
「うん。 多分そうだと思う」
「へえ、飲んじまったんですか?」
「まずかったか?」
「不味いも何も苦くって……いんやそでなくてありゃあオレら小人族用の腹の薬だもんで。
ここの生水が小人族に合わねえってんでマィリョ様が準備して下すったんでさ」
マィリョ。 マリオの事かな?
「そうだったのか。 ところで……ここに当家の衛士隊はいるか?」
「いんや、あっちで建物が壊れたってんで、長人族は全員そっちに行っちまいました。 オレらも応援に向かうとこですぁ」
「倉庫棟か?」
「そうでさ」
「一緒に行こう……当家の衛士隊長かマリオが見つかったらまず私に伝えてくれ」
「へ? マィリョ様ならここの二階におりますが」
「マリオが!? ここに居るのか?」
「へえ。 奥方様も一緒でさ」
使用人邸の扉を入るや否やエリオンは一足飛びに階段を駆け上がり、一直線に二階の応接室へと向かった。
応接室の前に到着するや声も掛けずにドアノブに手を掛け、施錠されているのに気付くと扉を叩きながら声を上げた。
「マリオ! 居るのか!? ここを開けてくれ!」
エリオンの呼び掛けに、すぐ室内から返事があった。
「エリオン様!?」
そうして余りにも長い一瞬の後、扉が開いた。
「御無事でしたか」
マリオは手を引いてエリオンを部屋の中にへと迎え入れ、その無事な姿を確認してから絞り出す様に言った。
対してエリオンは室内を隅々まで見まわしスヴェンセンの姿を探した。 しかしそこに居るのはマリオと長椅子で眠るアリエルの二人だけだった。
目敏く彼の落胆を見て取ったのか、マリオは宥める様に言った。
「衛士隊長殿も御無事ですよ。 倉庫棟でエリオン様捜索の指揮を執っておられます」
「……そうか、無事か」
「まあ、彼女もなかなかに酷い有様ではありましたが」
ここで漸くエリオンはマリオの姿をまともに視界に捉えた。
マリオ自身も幸い大きな怪我はない様子だったが手や頭には一部包帯を巻き、いつもは完璧に撫で付けられている髪も乱れて全身埃塗れになっていた。
「一体何があったんですか? それとアリシア様はどこに?」
「叔母上は……大丈夫だ。 彼女が魔精の能力で私を助けて下さった。 それよりも奴はどこに行ったんだ? ウィル・オーデンは? 倉庫棟は……それにアララックは? 魔道具は?」
「エリオン様、落ち着いて下さい。 さあここに掛けて……」
エリオンを長椅子に座らせてからマリオは話を再開した。
「襲撃のあと奴は直ぐに姿を眩ませました。 恐らく反撃を見越して即時撤退したのでしょうが……大した手際です。
せっかく見つけた魔道具諸共倉庫は潰されました。 文字通りぺしゃんこに」
あの一瞬で倉庫棟を破壊したのか。
「奴の意図についてマリオ、どう思う?」
「余りにも回りくどいやり方ですね。 その気になれば容易く我々を皆殺しに出来るのにそうしないのは……何か理由があるかと」
「アリシア叔母上曰く、叔父上が旧代官邸に残した魔道具が奴の目的らしい」
だが何故倉庫棟を潰したんだ? 奴はあの中に目的の魔道具が無いと確信していたのか? だとしたらどうやって?……
「魔道具……アリシア様がそう仰ったのですか?」
「ああ。 そして彼女はそれを阻止するつもりだ」
「つまりアリシア様こそがウィル・オーデンにとって最大の障害であり、奴の第一目標はアリシア様を無力化する事ですね」
「まずいな」
「アリシア様に何か?」
「ああ、ウィル・オーデンの奇襲は成功していた。 叔母上は負傷し、あの水薬を使うしかなかった。
今は眠りに就いている……癒しの眠りに」
「……彼女の居場所を知られる訳にはいきませんね」
「いやその点は問題無い。 叔母上はいま魔精が創り出した空間にいる。
彼らの許可が無ければ誰も入れないらしい」
「ならば安心しました」
マリオはため息を吐き、横で眠るアリエルを一瞥してから席を立って茶器の準備をし始めた。
そこでエリオンはアリエルの目元に赤らみを……涙の跡を見てとった。
「アリエルがこんな風に日中に寝ているのなんて初めて見た」
「実際珍しい事です。 最初の襲撃以来彼女なりに私達のことを慮って神経をすり減らしていた様なんですが、あまりそういった面を表に出しませんから」
この夫婦は一見対照的な様で、実はお互いによく似ている。 つまりは二人とも愛情深く、恐ろしいほど賢い。
表面的には脳天気で愛情深い妻と賢く冷徹な夫の組み合わせに見えるのは面白い事実だ。
「どうぞ」
そう言ってマリオは茶器と焼き菓子の乗ったトレーを差し出し、カップにお茶を注いだ。
「マリオの淹れたお茶も……初めてじゃあ無いが久しぶりだな」
「ご賞味下さい。 妻には及びませんが」
一口だけ口腔にお茶を含んだ途端にエリオンは強烈な喉の渇きを感じた。
マリオが淹れたお茶は程よく緩くなっており、彼はそれを一気に飲み干してカップをソーサーに置いた。
そうして空いた器にマリオがすかさず御代わりを充がう。
「もう結構だ、有難うマリオ」
満足いくまで何杯か飲んだ後エリオンが制止するとすぐさまマリオはトレーを下げて、そのまま片付けをしながらエリオンに尋ねた。
「これから如何なさるおつもりですか?」
「スヴェンセンと合流する。 マリオはここで小人族たちと非戦闘員を守って欲しいが……可能なら君だけでも官邸に向かってくれ。 あそこでウィル・オーデンを迎え討つ。
用が済んだら私も衛士隊をそちらに集合させるから、防衛に向けて皆を指揮して欲しい」
「その間ウィル・オーデンは如何に?」
「こちらからは何も出来ない。 情け無い話だが叔母上頼みだ」
「ではアリシア様はお目覚めになるのですね?」
「うん。 それがいつになるか分からないから一度彼女の元に戻る。
様子を見てつつ叔母上にも官邸へ移動してもらおう」
「例の魔精の空間に行くのですか? 誰も入れないのでは?」
「そうなんだが、叔母上の従者だけは中に入る方法を知っているらしい。 衛士隊を使って彼を探す」
「では私の方でも捜索させましょう。 どの様な人物なのですか?」
「フラムという名の御者で外見は背の高い細身の男……どうやらかなりの強者らしい」
「承知しました」
「頼むよ。 じゃあ行ってくる」
エリオンが立ち上がると、マリオが手を上げてそれを制した。
「お待ちください、エリオン様。 衛士隊長殿には既に伝令を出しました。
もう間も無くいらっしゃる筈です」
「気が利くな。 でも今は一刻も惜しいんだ。 私も倉庫棟に向かうよ」
「しかし……もし行き違ってしまっては元も子もありません」
一理ある。
「じゃあ、扉の前で待つ事にしようかな」
彼の意見をマリオは激しく首を振って否定した。
「容易に奇襲できるような、目につく場所におられてはなりません」
対してエリオンはフッと鼻を鳴らし、わざとらしい笑顔で言った。
「過保護だな」
「そんな事はありません」
「いいや、過保護だ。 君たちと……君の一族は皆優しい」
エリオンがそう言うと、マリオが顔を上げて彼の目を見た。
老執事の目は潤んで、今にも涙が溢れそうなほどに充血していた。
「! いや、つまり、さっき小さな女の子を……ベチカという名前の小人族の女の子を見つけたんだ。 その子は迷子だったんだが私の手を……この包帯を見て心配したのか、持っていた薬を分けてくれたんだ……確か君が皆に配ったんだろ?
それでどうやら彼女の両親は今朝方に水柳の家に帰ってしまったらしくてな。 心細かっただろうに……
だからその、そんな状況で私に薬をくれて……とんでもなく苦かったが」
「飲んだのですか?」
これは……無思慮にも得体の知れない薬を飲んだ自己管理の甘さを指摘されて……怒られるかな?
「いやいあいや言いたい事は分かる! しかし無垢な子供の厚意を、それも小人族の幼児の気持ちを蔑ろに出来るほど私は……」
そう言いながらエリオンがチラリとマリオの表情を窺うと、彼は目頭を押さえながら静かな長い溜息を吐いた。
エリオンもまた失望を感じ、そこで口を噤んだ。
「……もう行くよ、マリオ」
扉に向かい、ドアノブに手を掛けたところでエリオンが独言るように言った。
「君らを巻き込むような、こんな事になる筈じゃなかったんだ。 でも……もう少しだけ手伝って欲しい」
「それは何故ですか?」
「家族の為だ」
振り返らずにそう言って、エリオンは扉を押し開けた。 しかしそれは何故か壁の如く固まりビクとも動かない。
彼が手元を見ると建具や飾り金具の縁から何かが滴れ……否、扉と壁のあらゆる隙間から黒い塊が滲み出る様に広がっている。
それは意思を持って、応接室の扉を無理矢理押さえ付けていた。
「じゃ もういいかな?」
何処からか聞こえた憶えのある声を耳にして、エリオンの心身は一瞬で総毛立った。




