ピアルノー氏の懐刀Ⅵ
巨大な黒い塊。
それは眼前のマリオとアリシアを一顧だにせず、一直線にアララックへ襲い掛かかった。
魔精は一撃を何とか堪えたものの、続く二発目の強襲を受けると横薙ぎに倒れ伏す。
その衝撃で石畳が割け、勢いよく砂埃が舞いあがった。
魔精が両手に掲げ待っていた木箱から中身が溢れ出し、無数の魔道具が倉庫の床に転げ落ちる音が響きわたる。
視界を塞ぐほどの砂埃に巻かれつつ、ここで漸くエリオンは濛々と立ち上がる靄の向こうに大きな触腕が蠢いているのを視認した。
それとほぼ同時に、方位磁石さながらゆっくりと旋回していた触手の先端がピタリと止まった。
真っ直ぐに、ちょうどエリオンが身を屈めた場所を指すように。
「イヴォルトォ!」
彼がはっと息を呑んだその時、アリシアが怒声を上げた。
一瞬強い光が庫内を覆い、続いて腹に響く鈍い音。 否、地面が震動した。
エリオンは咄嗟に両腕で顔を覆い、その場に蹲った。
◇◇◇
唐突に、不自然な静寂が訪れた。 音を立てないよう慎重に、静かに腕を下ろし、それからエリオンは目を開いた。
何も見えない。
周囲は暗闇に包まれていた。
エリオンは先ず自分の顔を触り、続いて身体を動かしてみた。 怪我は無いようだった。
次に周囲を見回す。 しかしそこには倉庫棟の隙間から差し込む橙色の夕光どころか、有るはずの光源が何一つ見当たらない。
意を決して暗闇に恐る恐る手を伸ばすと、すぐ近くに壁があった。
つるりとした石……陶器だろうか。 しかし、倉庫の内壁は一面漆喰塗りだ。
少なくともここは倉庫棟じゃ無い。
壁伝いに立ち上がる。 頭をぶつけた。 鈍痛が走り、声を押し殺しながら呻く。
(天井が低い……)
「……エリオン?」
「叔母上?」
アリシアの呼び掛けに返事を返すとすぐ、エリオンは身を屈めて声のする方向へと進んで行く。
彼女はかなり近くにいた。 と言うよりもこの部屋は彼が想像していた以上に狭いようだった。
「御無事ですか?」
「そういうあなたは?」
「無傷です。 マリオは……」
その時、部屋中に低い反響音が鳴り響き、エリオンは咄嗟に口を閉じた。
「声を出しても大丈夫よ……私たちしかいないから。 マリオは……ごめんなさい、あなたを引き込むので精一杯だったの」
残響が途切れるのを待たずにアリシアが口を開くと、エリオンも緊張を解いた。
「では、この部屋は叔母上が?」
「イヴォルト……〝狸穴の魔精〟の能力。 巣穴よ」
「一体何が起こっt……」
再び銅鑼を叩いた様な音が鳴り響くと、エリオンはビクリと身動ぎした。
「安心して、ここは安全よ。 外から入ることは出来ないの」
「この音は?」
「倉庫棟でアララックがウィルと闘ってる」
やられた。 二度にわたって先手をとられた。
「叔母上、ここを出ましょう。 マリオとスヴェンセンが危ない」
「駄目よエリオン。 冷静になって」
「冷静です」
「そうかしら。 今あなたがすべきはこの混乱状態から離脱することであって、執事と衛士長の救援じゃない。
ここから離れて、旧代官邸の指揮官としての責任を果たすこと……号令を掛けなさい。
既存の戦力と情報を集約して、それから闘いに臨むの。 私情に流されないで」
「ですが、先ずはこの場を切り抜け無ければ」
「そう……じゃ、倉庫棟に戻って、ウィルの前に飛び出して行って、それからどうするの?
既に二人がやられていたら?」
「それは、しかし、、いつまでも籠もってはいられません!」
「そうね。 それには賛成。
イヴォルトの巣穴……この空間は外部からの干渉をほぼ完璧に遮断する避難場所であり、通路にもなっている……ッ」
アリシアが小さく呻くのをエリオンは聞き逃さなかった。
「?……叔母上」
「……」
返事は無い。 代わりに口で息をする音が聴こえた。 それも小刻みに乱れている。
明かりが必要だが……駄目だ、封筒は論外。
……? 外套のポケットに何か硬いものが入っている。
エリオンがそれを取り出すと、緑がかった光が煌々と二人のいる空間を照らし出した。
そこはまさに穴倉のような場所だった。
◆◆◆
ちょうど蜂の巣箱を空洞にしたような半円形で、天井は低く無いがそれほど大きな空間では無い。
一面切れ目なく白っぽい素材に覆われており、天井の中心つまりその最上部から床に向かって孤を描くように壁が形成されている。
エリオンが手に持った光で全体を照らし出せる程度の大きさで、窓は一つもない。
灯りがつくまで気が付かなかったが、彼の正面にはこの部屋の主人である狸穴の魔精イヴォルトが身を丸めていた。
そしてアリシア・アンダマンが魔精の毛皮に埋もれながらもたれ掛かりながら、眩しそうに眼を細めていた。
◆◆◆
「……なんてことだ」
エリオンはアリシアの顔と腹部を順番に見てから呟いた。
黄緑色の灯りに照らし出されたアリシア・アンダマンは、半ば横たわったままその身体を力無くイヴォルトに預けている。
彼女の顔色は判別しようも無いものの、額にじっとりと脂汗が滲んでいるのを見てとれた。
その腹部にはきめ細かな織り布がきつく何重にも巻かれ、白い生地には大きな黒い染みが浮かんでいる。
「前言撤回しなきゃ」
アリシアはそう言って小さく口角を上げた。
「何がですか?」
「それ、役に立つじゃない」
彼女の視線の先、エリオンの手に握られていたのは埋樹人の籠形代だった。
「……言ったとおりだったでしょう? これは、良いものだって……」
エリオンは努めて軽い口調でそう言ってから、片膝を着いて叔母の表情を伺った。
彼がアリシアの腹部を照らそうと燐光で輝く人形を近づけると、彼女はエリオンの手を取って、小さく首を振ってから続けた。
「一刻の猶予も無いの、先に聞いて頂戴。
この子の、イヴォルトの能力は敵に干渉されない巣穴を創り出すこと……それと同時に巣穴を繋ぐ通路を。
……通路にはこの空間と外界との出入り口になる扉を設置しておく事が出来る。 必要に応じて、幾つでも。
それで、ね……この二日間、新しい扉を何箇所か創っておいたわ」
「ここに……旧代官邸に魔法の通路を?」
つまり、敷地内の警備など意味を為さない、自分だけが使える抜け道を作っていたというのか?
「謝罪は後でさせて。 でもね、あなたやここにいる誰かに危害を加える為じゃない……」
「何故ですか? 何の目的で?」
「落ち着いて、いつもの事よ。 ピアルノー・アンダマンの財産と留守を任される以上、今みたいな事態はザラにあるの。
わたくしは……」
ふと二人の目が合う。
すると、何を思ったかアリシアは話を止め、そのまま目を瞑った。
「いえ、違うわね……エリオン。 私にも……ウィルとは違うけれど、目的があるの。 旧代官邸に来た理由が」
その告白を思わす唐突な言葉に対してエリオンは沈黙で返したが、アリシアは口を閉ざしたまま彼から目線を逸らした。
「その理由を……お話し下さらないんですか?」
「ごめんなさい、今は話せない。 でもウィルを止めたいのは本当よ。
だから今すぐここから脱出して、あの人に気づかれる前に戦力をとりまとめて」
「叔母上はどうするお積もりですか?」
「あなたがここを出るまで待ってる。 あ、イヴォルトが巣穴の中にいないと外への出入りが出来ないの」
「何故一緒に脱出しないんですか?」
「そうしたいのはやまやまだけどね……少し落ち着いてから、倉庫棟に戻るわ」
少し落ち着いたら?
「その怪我で?」
「見た目ほどじゃないから……まだ動ける。 それにあの子だけじゃウィルの足止めは荷が重いし、マリオとセンちゃんもまだ……」
(センちゃん?)
そこで一際大きな反響音が鳴り、アリシアは一旦口を閉じ、余韻が落ち着くと再び口を開いた。
「……闘ってるかも知れないでしょ?」
「それはそうですが、先にこの魔精の能力でせめて、どこか……治療できる場所まで避難しては?」
「難しいわね。 ここには碌な物がないから」
「では……そうだ! チタ・パルマに戻ってみては?」
「たしかに家に帰れば治癒の道具はあるし、腕の良い癒し手も知ってる。
だけどね……そこまで万能じゃ無いのよ。 イヴォルトの創り出す路は」
「? 南都に扉を作っていないんですか?」
「そういう事じゃなくて、距離を減らせないの。 任意の場所に出口を創り出すことができてもそこに着くまでは自力で移動する必要があるのよ。
地道に歩いて行けなくも無いけど、さすがにチタ・パルマまでは保たないわ」
そう言ってアリシアは腹部に軽く手を置いた。
「……どうして態々囮を買って出るような真似を?」
エリオンには血の染みが心なしか先刻よりも広がっているように思えたが、そんな彼の目線に気付いたのか、アリシアは片腕を着いて上体を起こした。
途端に苦痛で顔が歪む。
介助しようと身を乗り出したエリオンの手を制して、彼女は話を続けた。
「まだまだ奥の手はある。 知ってるでしょ?」
そう言ってアリシアは片手を挙げて軽く腕を揺らした。 黒い腕輪がキラリと光る。
「あとは……そうね、あなたの為……というよりは、お互いの為?
もう隠し事はやめて、言葉を尽くして……行動で証明することに決めたの。 あなたには」
「……隠し事をやめる。 ここに来た目的と理由は話して下さらないのに?」
「それはそうだけど、正直に白状したわ……〝隠し事をしてる〟って」
「馬鹿げています」
「分かってる。 だからあなたの代わりに倉庫に戻るの。
あなたに、エリオンに 私の事を信じて欲しいから」
「……では、目的を教えて下さい」
アリシアは顔を伏せ、首を振る。
「ごめんなさい」
◇◇◇
見間違えではない。 染みは広がっている。
籠形代が放つ燐光の下で顔色までは分からないが、アリシア叔母上が戦える状態にあるとは思えない。
それどころか、このままでは……。
「……誰のためにそこまで?」
エリオンは溜息を吐いてから、小さく、溢すように言った。
アリシアは顔を上げて、エリオンの目を見て言った。
「私の愛する人のため」
◇◇◇
お互い様 という事か。
「……分かりました。 いえ、全く何も分からないが、承知しました。
叔母上、あなたを信じます」
「エリオン」
「白状します。 私にも目的がある。 叔父の遺産絡みの揉め事に関わるに足る理由が」
「……御役目以外に?」
「遺産分けの補佐役は実にやり甲斐のある崇高な仕事ですが……そういう意味では目的に至る手段に過ぎません」
アリシアがフッと笑った。
「愛する者に比べれば、ね」
エリオンはわざとらしく肩をすくめた。
「それはさておきアリシア様、貴女に一つ約束をしていただきたい」
「話せないものは話せないわよ」
「どうぞご随意に。 代わりと言っては何ですが厄介な触手遣いの問題が片付いたら、私の目的にご協力頂きたい」
「それだけ?」
「無論、私も貴女の目的の為に尽力します。 行使し得る全ての力と権限を以て、全面的に」
「じゃあ、教えて頂戴。 あなたは誰のためにここまで来たの?」
「家族のために」
「……ふーん、分かったわ。 全くなぁんにも分からないけど。
エリオン、あなたを信じます。
私の……お互いの目的について訊かない。 でも、協力してお互いの目的を叶える手伝いをする」
「結構。 では早速……叔母上の提案を半分だけ却下します」
そう言ってエリオンは懐中から小瓶を取り出した。




