ピアルノー氏の忘形見Ⅱ
ルシャス・アンダマンは最初、自分の身に何が起こっているのか全く認識できていないようだった。
アーロン・アンダマンの時と同じく、封筒を握った手から焔が彼の全身へと移っていくのを目にした時、どういう訳かエリオンにはそれが酷くゆっくりと、鈍重に広がっていく様に感じられた。
焔がじわじわとルシャスの全身を取り巻き、呑み込まれた場所の皮膚は、火に触れた順に焼け爛れていく。
そこまで来るとその相貌は苦痛で歪み、彼は凄まじい叫び声をあげていた。
甲高い叫び声。
焼かれて黒ずんだ表皮が灰に変わり、剥がれて宙へと消えて行く。
次々と剥がれては灰になり、そこには……何も残っていない。
ルシャス・アンダマンの身体の中身は、空っぽだった。
我が目を疑いながらも、エリオンはその有り得ざる現象から目を離せずにいた。
すると、その空間の中に……ルシャスの抜け殻の中に何かを見つける。
小さな人影。
そこに見た物を理解するのに数迅を費した後、彼は口だけを動かして声高に指示を出した。
「スヴェンセン!! アリシア・アンダマンを、叔母上を呼べ!
ここに連れて来るんだ!!」
◇◇◇
少し経ってからアリシア・アンダマンがスヴェンセンに担がれたままエリオンの待つ部屋に飛び込んできた。
「っ……お待たせ……はぁっ……間に合ったかしら……」
「ご静養中のところを邪魔してしまい、申し訳ありません」
「別にいいのよ、充分休ませて貰ったわ。 まだ寝起きで……ありがと……っと」
スヴェンセンの手を借りて床に立つと、アリシアはエリオンの蒼白とした面持と雑然とした寝室の一区画を交互に見て、それから、息を落ち着かせるように静かに尋ねた。
「私は何をすればいいのかしら?」
「彼を助けて下さい」
床に膝を突くエリオンの目の前には、濡れたカーテンを被せられた膨らみがある。
それが弱々しく上下動していた。
「怪我をしてるの?」
「はい。 火傷です」
「ここで?」
そう言って周りを眺めながら、アリシアが訝しげに片方の眉を上げる。
犠牲者の周囲に置かれていた家具にも、その下に敷かれた絨毯にも、焼け焦げた跡はない。
「はい。 魔法の焔で全身を灼かれました」
「焔の魔法?……それって……」
エリオンは布越しに持った薄緑色の封筒をアリシアに見せた。
「魔法の封筒、と言ったところでしょうか……封を開けるたびに燃え上がり……開けた者を焼くのです。
彼と揉み合いになり、奪われまいと……その時に破れてしまい……」
「……詳しい話は後で聞かせて。 創を見せて頂戴」
エリオンがゆっくりとカーテンを持ち上げると、ルシャスは苦しそうに、弱々しく呻いた。
赤黒い体組織が剥き出しになる。
あまりにも痛々しい光景に、エリオンは思わず顔を背けた。
対してアリシアは目を背けることもなく、屈んで全身の患部を検めると、最後に無感情な口調で言い放った。
「残念だけど、私にこの子を助けることは出来ないわ」
その一言は重く、エリオンの心にのし掛かった。
昨晩、ウィル・オーデンを退けるのにこの呪いの焔が一役買ったことで、彼は呪物本来の恐ろしさを忘れてしまっていた。
すると、アリシアがエリオンの肩にそっと手を置く。
「治療に特化した魔法使いか魔道具が必要よ。 エリオン、心当たりはある?」
「残念ながら……しかし、もしもこの場所に所蔵されている叔父上の蒐集品を見ることができれば、或いは」
「良かった。 じゃあ、それまでは私が何とかしてみましょう。 おいで、アララック」
彼女の呼びかけに反応して首飾りが光り、瞬く間に忠実な巨人が姿を顕す。
エリオンが顔を上げるとアリシアは彼にウィンクをしたものの、その表情は傍目に分かるくらい引き攣っていた。
それから彼女はルシャスに向き直り、謳うような調子で魔精に語り掛けた。
◇◇◇
神樹の蜜を 注ぎ為せ
変じて 朒を 肥やし成せ
光を遮り 火を封じ
死国を 停滞させ賜
大祖の窼房 興し成せ
紡いで 創を 塞ぎ為せ
凍土の奥で 死の王を
命の石ごと 喰い賜
死出の路逝く愛し子を
絡めて 眠りに 落とし為せ
焔と腐蝕と悪疫を
魔精の銀糸で 綴じ賜
◇◇◇
アリシアが言葉を繰り返すと、それに合わせて魔精の身体から無数の白い繊維が生じる。
それは意志を持って規則的に、几帳面に、流暢に糸を撚り合わせ、肌理細かな織布を編み上げていった。
彼女が謳い終わる頃には、横たわるルシャスの全身を純白の織り物が遍く包み、痛々しい焼け痕は一片の隙間無く覆い隠されていた。
「……ん! 上出来じゃなくって?」
アリシアが振り返ってエリオンとスヴェンセンを見た。
しかし二人とも無表情にアリシアを見ているばかりで、何の反応も寄越さない。
「あれ? 駄目だったかしら……」
「……ぇ」
「? え? なに?」
「…………すっげええぇぇぇ! 凄えよアリシア様!」
「え?え、……ふふ。 ありがとう」
「おっぱいもお尻もバツンバツンで凄えけど、それどころじゃねえ!!
な、エリオ……じゃね、旦那!!」
「……何よそれぇ。 喜んで良いのかしら?」
スヴェンセンの度を超えた無礼を諌める事も出来ずに、エリオンはただ呆然と突っ立っている。
アリシアが実演して見せたそれは、彼が直接目にした、久方ぶりの高度な魔法だった。
学園を出て以来、努めて見ないように、触れないようにしてきた魔法の世界。
どれだけ想い焦がれても決して届かないと避けてきた魔法使いの領分に再び触れた事で、彼は一種の恍惚状態に陥ってしまっていた。
美しい……。
これだ。 これぞ真の魔法だ。
昨晩の様な暴力装置としての力では無く、魔導師が使う本物。
そうだ、私の気持ちを、この感動を叔母上に……!
「アリシア叔母上、貴女は…… ンフッ、本物です。 帝国魔法省の認可など必要無い疑う余地なく紛れも無く、一流の魔導師。 その魔法は先人の研鑽を土台に幾重にも綿密に編まれ即興で織り成される芸術品。 まさに理想の魔法だす。 ……叔母上は理想の体現者だす!……?……そして貴女の魔精が作り出す嫋やかな、あの、「エリおn」輝く繊維で織られた布は、まるで神代のエルフが纏うころm「そこまで! ちょっと待ってエリオン」
「え? はい」
「……あなたってばもう、すごく褒めてくれるのね! 嬉しいわ……でもね、さっきも言ったけどこれは延命に過ぎないの。
早く本格的な治療を施さないと、死ぬわよ、この子」
このアリシアの一言は 惚けて興奮しきっていたエリオンと震えながら笑いを堪えていたスヴェンセンを、立ち向かうべき現実の問題の面前へと引き摺り降ろし、二人は瞬間的に我に返った。
「……叔母上、この施術はどれくらい効果が続くのでしょうか」
「どうかしら。 全身を灼かれた人間は……それがエルフやドワーフだろうがオークだろうが、魔法的治療が無ければほぼ確実に死ぬわ。 遅かれ早かれ。
その上で、長くて半月くらいかしら? 程度に依るけど、短ければ数日ね」
平時ならまだしも……
「厳しいですね」
「私もそう思う。 この子が馬車での移動に耐えられるかは、また別の話だし……
ウィルの件が片付かない限り、この場所を離れる気は無いんでしょ、エリオン?」
「そうですね……代わりに少勢で彼を囲ってチタ・パルマまで送り出すことも出来ますが、そこを奴に狙われたら抗う術は有りません。
現実的では無いでしょう」
「どうするつもりなの?」
「やはり旧代官邸にある物で賄う他無いですね。 ここにある魔道具を。
調査に協力して下さいますか? 叔母上」
「もちろん、喜んで」
「では早速始めましょう……スヴェンセン、衛士と給仕一名をこの部屋に。 ルシャスの看病を任せよう。
それから、使用人頭と衛士隊の士官……いま敷地内にいる、主だった顔役を全員召集してくれ」
指示を出しながらエリオンは頭の中で先ほどの光景を反芻していた。
哀れなルシャス。 彼がここに来た目的はこの封筒だったのだろうか?
しかし、仮にどれだけ酔っ払っていたとしても、ルシャス・アンダマンのそれは、呪いの恐ろしさを知っている人間の挙動ではなかった。
もし事前に呪いの存在を知っていたのなら、あの様な取っ組み合いを挑んだりせず、封筒を盗み出す機会を待つ筈だ。
私ならそうする。
エリオンは両手で封筒を握るルシャス・アンダマンの姿と、これまで目にした歳不相応で子供のような態度を思い浮かべた。
それから寝台の上に横たわるルシャスを……一回り小さくなったその身体を再び一瞥するとすぐに顔を逸らし、椅子にかけたまま一時の思索へと落ち込んでいった。
◇◇◇
旧代官邸本館の代官執務室。
館内の個室の中で最大にして、最も豪奢な区画の中心に在る、主人の座所。
その最盛期、ピアルノー・アンダマン在りし日には室内に所狭しと並べられていた最高位の秘宝の数々も今は無く、閑散としている。
官邸で起こった事件から間も無く、エリオン・アンダマンは各部署の責任者達を一堂に集め、今後の方針を協議していた。
「……従来の遺産分割協議の準備に加え、物資面に不安はあるが今後の戦闘も考慮して備える必要がある。
再襲撃を見越して 、敷地内の非戦闘員は……昨晩の宴席に参加していた小人族の家族達は、今朝、水柳の家へ送り出した。
随行した士卒達が追加物資と共に帰還するまで、衛士隊と留守役の小人族で警戒にあたる。
敵は一人だ。 敷地内の密な巡廻と壁外への監視、何より出入りを厳しく制限して奴を侵入させないのが、当面の方針となる。
ここまで、意見のある者は?」
そう言ってからエリオンは順番に参加者を見回した。
衛士隊長であるスヴェンセンと彼女の副官二名ほかエリオンの使用人頭達、小人族士卒の統率者四名とマリオ。
最後にアリシア・アンダマンと、その膝の上のアリエル。
昨晩の襲撃そして、ウィル・オーデンの失踪について。
ピアルノー・アンダマンの遺産相続をめぐる状況が混迷に向かっていることは、誰の目にも明らかだった。
正体不明の敵が旧代官邸に侵入し、エリオンの命を狙った。
食事に薬物を盛り、屋敷の警備を機能不全に陥らせ、強力な魔法使いを館内へと引き入れた。
それら全ての手引きをした裏切りの容疑者が、行方不明のウィル・オーデン。
この件についてアリシア叔母上の無罪を証明するため、彼女にも会議への参加を依頼した。
目下の課題は犯人一味の捜索。
これが、参加者に対してエリオンが行った表向きの説明。
「では次に……」
「お待ち下さい、エリオン様」
マリオが手を挙げて発言する。 エリオンは話しを切って頷いた。
「ご懸案に関して方針に異論はありません、しかし……御客人を同席させている理由をご説明頂きたく」
御客人。 つまりアリシア・アンダマンの事だ。
「私がアリシア殿に御参加下さるよう願い出たからだ。
その理由を知りたければ後で個別に説明しよう……ただし、命を賭けて秘匿してもらう事になるが、問題無いな?」
途端に執務室は静まり返った。
アリシア・アンダマンが魔法使いだと知っているのは、私とスヴェンセンの二人だけだ。
この場にいる者のうち、一対一でウィル・オーデンに対抗できるのは彼女だけだろう。
だからこそアリシア叔母上に防衛への協力を依頼した。
しかし、それはそれとして彼女が無認可の魔導師であることは事実であり、それをこの場で共有する腹積りは無い。
エリオンの不穏な返答に対し、マリオはいつもの様子で平然と切り返した。
「ご説明いただく必要は有りません。
ただ私には、高貴な御方を態々防衛に組み込む必要性が見出せません。
また、遺産分割協議に於ける最重要人物と言っていい御方を防衛の為とはいえ危険に晒すのは、エリオン様の職務上は寧ろ問題が有るかと。
そのように愚考した次第です」
返す言葉が無い。
「……彼の言う通りね。 私は失礼しますわ」
アリシアは膝上からアリエルをそっと下ろすと、執務室の出口に向かった。
「それでは皆様、ご機嫌よう」
不服ではあったものの、エリオンはマリオの意見を無碍に退ける道理が無い事を理解して、歯痒い思いで彼女の背中を見送った。
致し方無い……水柳の家はあくまで協力者であり、イズーダン子爵家の私兵ではないのだから。
こちらの面子を立てる為に、万一、彼らの協力を失う羽目にでもなっては本末転倒だ。
「……他にはなにか?」
「はい。 早々に偵察を兼ねた南領への伝令を選出する必要があるかと存じます。
我々から一隊を派遣しますので、御許可頂けますか?」
「魔導師級の使い手だぞ? 小隊でまともにやり合える相手じゃ無い」
「やり合う気は一切ありません。 追跡されても森の中を行けば対応出来ます」
「……分かった、マリオに一任しよう」
「御意」
「では次に、具体的な人員の配置について……」
◇◇◇
そうして、会合は無事に終わった。
参加者それぞれが持ち場へ帰っていくなか、スヴェンセンと話していたエリオンにマリオが声を掛けた。
スヴェンセンが席を外そうとすると、マリオが彼女を引き留める。
「衛士長殿もご同席下さい。 エリオン様に報告があります」
エリオンはスヴェンセンに目配せすると、マリオに話の続きを促した。
「報告とは?」
「……昨日私達は水柳の家に帰還し、その際に現地の巡回部隊から周辺の情報収集の結果と報告を受けました。
こちらに戻って来る途上、斥候に同行し周辺の山谷にある集落や農村を回ってきたのですが……」
「それは聞いた。 何事も無かったんだろう?」
「はい。 ただ道中、木々の樹皮にやや多めに掻き傷があり、密猟者の野営跡が点々とあるばかりで」
「勿体ぶらずに話してくれ。 何を見たんだ?」
「証拠らしい証拠は何も……何もありませんでした。
しかし、懸念があります」
「懸念とは?」
「臭いです。 ピアルノー様と旅をしていた時、ドワーフ、エルフ、辺境人、他氏族の同胞……他にも様々な種族と会いました。
その時と、同じ臭いがするんです」
「ふーん……まあ確かに、この辺りは南領でも比較的山深くて森も古いし、入植地もまばらで開墾が進んでいない地域も多いが」
「そうではありません」
「一体何が言いたいんだ? 報告と言う割に要領を得ないぞ、マリオ」
「確たる証拠は無いのです。 しかし、微かな痕跡は有る。
そして臭いは益々強くなっている様に感じます」
「つまり?」
「残されている痕跡に対して強過ぎるんです。 奴らの、オークの臭いが」
「何?」
「オークです。 オーク族」
オーク族。
同系の矮性種ゴブリン族と共に、帝国領内では絶滅した種族だ。
辺境域では氏族単位の集落を作って生活していると聞いたことがある。
それにたしか、神代には邪神に仕えて善神達と敵対したとか……。
まあ、これは眉唾物だが。
「帝国領内にオークが侵入していると?」
「そうは言っていません、しかし……この臭いの出所について私の経験上それ以外の説明が難しいのです」
いくらマリオの意見とはいえ、流石に根拠が薄いのでは?
「じゃあ、どうすべきだと思う? 近くにオークがいるとして」
「それは私が決める事ではありません」
「……」
エリオンの困った様な呆れた様な気持ちを汲んだのか、返事を待たずにマリオは話を続けた。
「私がお伝えしたいのは、オーク族が本当に恐ろしい、血も涙も無い戦士だと言う事です。 そして同時に、彼らの群れは洗練された軍隊です。
血と鉄の規律で動き、必要とあらば徹底的に己の痕跡を消して行軍します……戦いの、その時まで」
「スヴェンセン、どう思う?」
エリオンが背後に立つスヴェンセンを振り返って尋ねると、彼女は眉を顰めて難しい顔をした。
「そりゃぁ……装備も知れない数も知れないんじゃあ 下せる判断は無えっすね」
それもそうだ。
「つっても小人の旦那がそこまで言う程の相手なら、戦わないのが一番いいんじゃねえかな」
? なるほど。
質問した人間の意図を欠片も汲んでいない点に目を瞑れば、なかなか意表を突いた正論だ。
だがまあ、今ここでどれだけ考えたところで、この程度の情報ではオークが本当に南領に居るのか見当もつかない。
そうは言っても、他ならぬマリオの意見だ……。
「分かった。 助言を無視すべきでは無いと思う。
警備体制に不足が有れば、緊急時に備えて再編成してくれ。
君の采配で 適宜対応してくれて構わない。
あとで報告だけ忘れずに」
「よろしいのですか?」
「そう言われると自信が無いな。 でも君には確信があるんだろう?」
マリオは静かに頷いて返した。
結局マリオとアリエルの二人以外に帝国領外の実情を知っている者すら今のこの場所には居らず、衛士隊長はじめ私の指揮官の誰も、彼の語るオーク族の恐ろしさを理解出来ない。
であればその意見を容れて、マリオに任せるか否か。 それだけの事だ。
「今後も何かに気が付いたら直ぐに教えてくれ」
「承知しました。 ……微力を尽くします」
そう言って彼が首を垂れる直前、エリオンの目に入ったマリオの表情は一瞬僅かに綻んで見えた。




