ピアルノー氏の忘形見I
不死鳥の焔。
焔の魔精。
燃え盛る封筒を目にしたウィル・オーデンが溢した言葉。
その直後、奴の態度は豹変した。
その正体を知っていたからだ。
あの封筒に掛けられていたピアルノー・アンダマンの魔法……術者の意図を、ウィルはどのように捉えたのだろうか。
アリシア・アンダマンが話した、知られざる叔父の一面。
預かり知らないピアルノーの弟子。
エリオンはそんな事を考えながら本館の廊下を行き交う人々の間を縫って、昨晩の事件現場である応接室に向かい真っ直ぐ歩いて行った。
その表情は固く、声を掛けられても無言で、会話どころか会釈すらも返さない。
自身でも原因を把握出来ない軽い不快感と、同じくらいの動揺を胸に抱いていた。
◇◇◇
彼が破壊された応接室に到着した時、室内では衛士と使用人達が一時凌ぎの修理に精を出していた。
疲労を押して四苦八苦している部下達のほとんど全員が、昨晩の宴会に参加していた者達だ。
彼らは未だ薬の影響から脱し切っていないにも関わらず、懸命に作業に打ち込んでいた。
その中心に一際目立つ人物が居る。 長身と、燃える様な赤毛。
「スヴェンセン!」
呼ばれて振り向いたスヴェンセンは、顔の傷に包帯を被せてあるものの、それ以外全身のどこにも大きな怪我は無い様子だった。
戦闘の際に相当の傷を負って気絶した様に見えたが、今思えばあれはアリシア叔母上同様、夕食に盛られた薬物が彼女にも効果を及ぼしていたのだろう。
ただ流石に甲冑は脱いでおり、代わりに鎧下の上から肩掛け外套を纏い、いつもの調子で部下達を叱咤していた。
「もう起きてきたのか?」
「お陰様で回復しました」
あの全身鎧が修復不能なまでに破壊されたのだから、一晩で回復する訳が無い。
「医官はなんて?」
「えーとたしか、クソして寝ろと」
「じゃあ、なぜ寝ていない?」
「クソしてないんで」
「スヴェンセン……」
「こいつをどうぞ」
エリオンが小言を云おうとすると、スヴェンセンはそれを遮って、布に包んだ封筒と便箋を差し出した。
「瓦礫の中から見つけときました」
流石、仕事が早い。
直接触れないよう手袋を着けてから封筒と便箋を受け取り、懐中に仕舞い込んだ。
振り上げた拳の落とし所を失って黙ってしまったエリオンに、スヴェンセンが梳かさず畳みかける。
「んで、あの爪みてえな魔道具の方はまだ出てきてません。
部屋の直しと合わせて引き続き探してますが……奴に持って行かれちまったかも知れやせん」
「そうか……」
昨晩から、囀りの鈴は見つかっていない。
ウィル・オーデンの足跡に沿って捜索しているものの、恐らくはスヴェンセンの言う通り、このまま出てこない可能性が高いだろう。
先々の予定を考えると、囀りの鈴を奪われたのは致命的と言っていい。
「分かった。 見つかったら知らせてくれ」
次の目的地へ向かおうと身を翻して応接室の扉を抜けたエリオンは、背後にスヴェンセンが付いて来ている事に気がつくと立ち止まって彼女を制止した。
「ついてくる必要はない。 捜索を続けてくれ」
「護衛無しって訳には行かんでしょ。 それとも小人の旦那がどっかに隠れてるんですか?」
「マリオにはアリエルと一緒に叔母上を看てもらっている。 それに……ヴェン、怪我が回復していないんだろ?」
「そりゃ万全じゃねえっすけど、うちのヤツらもまだ薬が抜けてませんから頭数が出せねんで。
適当に一人つけるよか、俺がついてった方がマシですよ」
「いや、不要だ」
そう言ってエリオンは手をヒラヒラと動かした。
すると、そのぶっきらぼうな主人の反応に対してスヴェンセンは一瞬沈黙してから ハー、っとワザとらしい溜息を吐いた。
「あのですねえ、エリオンさま。 大丈夫な訳ねえんすよ。
魔道具もねえ武器もねえアンタなんて、今の俺でも五人まとめて返り討ちに出来ますよ。 ……いや、八人はいけるか。
だから、俺の立場だったら、黙って行かせたりしない。 って分かるでしょ?」
確かに、エリオンは荒事が得意では無い。 だから度々腹心達(主にスヴェンセン)にその事を遠回しに揶揄われる事はあれど、一々それに腹を立てたりはしない。
しかし流石のエリオンも、このスヴェンセンの余りの言い様には閉口してしまった。
しかもそれでいて、彼女の表情はエリオンを侮るでもなく真剣そのものだったから、尚更いたたまれない。
またエリオンが同行を断ったのは寧ろスヴェンセンを休ませる方便だったのだが、衛士隊長の立場からの進言と考えれば彼女の意見は何も間違ってはいなかった。
護衛を連れずに今の旧代官邸を動き回ろうとする私の言い分こそが非常識で、正しいのはスヴェンセンだ。
「分かったよ。 宜しく頼む」
「合点」
◇◇◇
旧代官邸敷地内に建つ、下級官僚用施設。 通称官邸と呼ばれるこの建物を、ピアルノー・アンダマンは客人用の別宅として使用していた。
今ここを利用する者は無く、エリオンはごく一部の使用人と衛士だけに出入りを許可している。
スヴェンセンが声を掛けると、上階の窓から衛士が顔を出す。 程なく玄関扉が開き、出て来た衛士が二人を建物内部へと案内した。
◇◇◇
「彼らの様子はどうだ?」
廊下を先行して歩く衛士にエリオンが尋ねた。
直言に驚いたのか、衛士はエリオンを見て、それからスヴェンセンに目線をやる。
スヴェンセンが頷くと、彼はそこで漸く口を開いた。
「ええと……互いの様子をちょくちょく聞いてきますが、それ以外は何も。 大人しいものです」
「不審な動きは無かったか? 特に昨日の晩あたり」
「いやー実は、見張りの者が眠ってしまいまして、実際のところ誰も二人を見ていなかったんで、分からんのです。
つっても……じゃねえ、と言いましても、二人とも俺らと同じ飯を食べてましたんで……」
彼らも昏睡していた、と言うことか。
「ここだ。 到着しました」
その部屋の前には見張りの衛士が二人立っていた。
一方が扉を開けると、先ずスヴェンセンが入って中の様子を確認し、それからエリオンを招き入れた。
「ご機嫌よう、キーリバ殿。 新しい部屋の具合はどうかな?」
部屋の中には男性が一人、椅子に掛けていた。 彼はエリオンが入室するとそれに気付いて立ち上がり一礼をする。
昨日、地下で話した時に比べると大分落ち着いているように見えた。
「え、エリオン殿。 とてもいい部屋です、有難うございます」
「どういたしまして。 では早速、貴殿に聞きたい事がある。
……とその前に、ご存知かも知れないが、昨晩不逞の魔法使いによる襲撃があった。 そのため目下この旧代官邸全域が厳戒態勢にある」
ここでエリオンは相手の目を見た。 驚きと戸惑い。
「……よって私は非常に忙しい。 だからお互いに腹の探り合い無しに、率直に話をしたい……宜しいかな?」
コルゾ・キーリバは緊張した面持ちで頷いた。
「結構、ではここに来た目的を話してくれ」
「それは……その、私では無くルシャス様にお聞きになられてはどうでしょうか。 私はあの方に付いて来ただけですので」
その返答に、エリオンは笑い出さずにいられなかった。
「どこの従者も似た様な言い訳をするな。 流行りなのか?」
笑いを抑えて問いかけるエリオンに対し、コルゾ・キーリバは曖昧な笑顔で返した。
「……はあ、や 失礼した。 ところで、夕食はどうだったかな?
小人族の料理人が腕を振るったんだが」
「とても美味しかったです」
一旦戸惑ったものの、コルゾ・キーリバはエリオンからの毒気の無い唐突な質問に、控えめに返答した。
そのややぎこちない様子を見たエリオンは今までに無い違和感を覚える。
初対面から一貫してコルゾ・キーリバに対して彼が抱いていた、あの商人然とした世慣れた印象からすると、随分と素直な反応だったからだ。
「……それは良かった。 ところで、昨晩の襲撃の時に何か気づいた事は無かったかな? 相当の騒ぎだったが」
「その 襲撃ですか?申し訳ないのですが昨夜は寝床に入ってから朝まで特に何も……」
「そうか。 だが事実襲撃はあった。 幸運にも死者はいない。
それでも、もし一人でも私の部下が命を落としていたら、この場所に居る部外者は……不審なところのある人間は残らず拷問にかけただろう」
コルゾ・キーリバの笑顔が凍る。 エリオンはその背後にある白漆喰の壁に焦点を合わせながら話を続けた。
「そのつもりは無いから安心してくれ。
ただし付け加えると、件の襲撃者は一度撤退したが恐らくは……いやほぼ確実に諦めていない。 遠からずまた来るだろう」
そう言ってから漸くエリオンは相手と目を合わせた。
「キーリバ殿。 地下牢で君たちに話した時とは情況が変わっている。
もしも貴殿らが私達の敵で無いのなら、包み隠さず答えて欲しい。
旧代官邸を預かる者の責務として、敵と味方を明確にしなければならない。
来る戦いを前に後顧の憂いを残すような危険は冒せないんだ」
荒事は少ない方が良いし、無しに済むならそれが一番良い。
「……分かりました、エリオン様。 お話しします」
その言葉に対してエリオンがあからさまに安堵すると、コルゾ・キーリバはそれを抑えるように両掌を上げて首を振った。
「しかし、お話ししたように、ここに来る必要があったのはぁr……ルシャス様です。
先にあの方とお話し下さい。 私にご説明下さった事を、彼にも聞かせて下さい」
あからさまにガッカリしたエリオンを見てコルゾ・キーリバが続ける。
「エリオン様が仰ったような緊急事態にあって駄々を捏ねる人では無いと思います。
ルシャス様が許可すれば直ぐにでも、全てお話しします……信じて下さい」
(信じろ、か)
あらためて囀りの鈴が手元に無い事が悔やまれた。
イズーダン子爵邸からこの男を追い返した時、追々こんな事を言われるとは予想できただろうか。
しかしナヴィラク・オーデンとウィル・オーデンを信じた挙句に貶められ、彼等とは敵対している。
あの時と条件は違うが、この胡散臭い男を信じてみるべきか? 仮に謀られたところで失う物も特に無い。
それにコルゾ・キーリバの態度が軟化している今、尋問するよりは話が早いかも知れない。
「……では、そうさせて貰おう」
◇◇◇
エリオンが入室した時、ルシャス・アンダマンは寝台の上で飲み食いをしていた。
酒も飲んでいるようで、顔が赤らんでいる。
衛士が持ってきたのだろうか?
着崩した衣服とボサボサの髪……行儀良く待っていたコルゾ・キーリバとは大違いだ。
キーリバには悪いが早速約束を反故にしたくなってきた。
「エリオン・アンダマン、ようやく来たな。 忘れているのかと思った」
いちいち苛つかせようとしてるのだろうか?
「ご機嫌よう、ルシャス殿」
タダ酒は美味いか?
「ん……何かあったんだろう? 庭が騒がしい……」
「昨晩襲撃があった。 強力な魔法使いによるものだ」
「何だって!?」
ルシャスは大声で悪態を吐くと、グイと酒瓶を煽った。
「そいtあ、何者だ」
駄目だこいつ……。
「おい……程々にしておけ」
「? 何おだ」
「酒を飲むのをやめろ」
「酒なんて飲んでない」
「……じゃあ今飲んでいるものは何だ?」
「これか? 小人族の果実水って言ってた」
小人族の果実水……果実酒の事だ。
「それは酒だ」
「へぇ はじめて飲んだ」
そう言いながら酒瓶を口元に運ぶ。
「飲むのを……止めろ!」
ルシャスの手から無理矢理酒瓶を奪い取ると同時に、かなり強い酒精の匂いが漂っていることに気が付く。
エリオンは酒瓶から手の平に、中身を数滴注いで確かめた。
黒ずんだ色。 蒸留酒に近い酒精の濃さ。 嗅いだことの無い不思議な香り。
小人族の果実水じゃない……。
「誰がこれを持ってきた?」
「置いてあった……」
……相当酔っているな。
「ルシャス殿……いやもういいか、ルシャス。 水を飲め。 私の質問に答えるんだ」
エリオンは杯に並々と水を注ぎ、ルシャス・アンダマンの口元に持っていって飲ませた。
「ルシャス・アンダマン。 何故君達が旧代官邸に来たのか、教えてくれ。
ここは今、危機に晒されている。 この場に居る事情を明かせないような人物を置いておく事はできないんだ。
どの様な理由であってもここから追い出したりはしない。
コルゾ・キーリバも同意してくれた……だから君の話を聞かせて欲しい」
「……キーリバ。 どこにいるんだ?」
「この建物の中の別の部屋に居る。 君と同じで無事だし、元気だ……いや、彼は素面だが」
「そうか……」
寝た。
「寝るな!」
「んフッ……」
エリオンとルシャスのやり取りを離れて見ていたスヴェンセンが、耐えかねて噴き出した。
「暇そうだなスヴェンセン。 こいつを椅子に座らせるから手伝ってくれ」
「あいよ」
エリオンはルシャスを衛士隊長に預け、そのあいだに寝台の側まで椅子を持って来る。
と、そこで彼はスヴェンセンが奇妙な行動を取っている事に気が付いた。
彼女はルシャスを持ち上げた後、何故か半酔状態の彼を寝台に戻したかと思えば、持ち方を変えて抱え上げ、それをまた寝台へと戻す。 そんなことを繰り返していた。
「何をやってるんだ?」
「こいつは変です」
それは知っている。
「私もそう思う」
「ハッ、違いますよ」
鼻で笑ってからスヴェンセンは持ち上げたルシャスをエリオンに預けた。
「ちょっ、待て待て」
あたふたとしながらも反射的にルシャス受け取ってから、エリオンは彼女のいう違和感を理解した。
「スヴェンセン……これは」
「でしょう?」
ルシャスは相当に飲んでいたのか意識朦朧と言って過言ではない状態だったが、そんな弛緩しきった状態の彼をエリオンは軽々と抱え上げている。
「こいつは……レンにも見せてやりてえな」
当人より上背に勝る男を抱えるエリオンの姿を見てスヴェンセンが思わず呟く。
対してエリオンは内心苛立ちつつも、彼女に同意せざるを得なかった。
スヴェンセンの言う通り、普段の自分にはルシャスを抱えて立つなんて真似は出来ない。
それどころか自身と同程度かそれより大きな男を突然手渡されれば倒れてもおかしく無い。
しかし、そんな事は起こらなかった。
ルシャス・アンダマンはその図体に不釣り合いなほど、不自然に軽いのだ。
「どう言う事だ?」
「さあ?」
「ゥンン……」
「起きたか?……っと、よせ、あ!」
ルシャスがエリオンの外套を掴み身じろぎすると、バランスを崩してそのまま床に落ちた。
「ったく……ほら、立て」
エリオンが手を貸そうと差し出すも、ルシャスはそれを払い退けた。
「?……何だいきなり」
彼が覗き込むと、ルシャスは手に持った何かを見つめたまま座り込んでいた。
それはエリオンが外套の懐に入れていた緑色の封筒……あの呪いの封筒だった。
「触るな!」
それを見たエリオンの目から全身に鳥肌が波紋のように走り、彼は咄嗟にルシャスの手からその封筒を奪い返していた。
「……やはり貴様が持っていたのか」
ルシャスは空になった両手から奪われた封筒に目を移してそう呟くと、 酔いも醒めぬまま苦々しい面持ちでエリオンを睨めつけた。
「何の事だ?」
「それは、僕の手紙だ」
「これが? それならそれで 「返せ!!」
ルシャスがエリオンに飛びかかり、二人はそのまま床に倒れ込む。
「っ痛! 落ち着けルシャス、危険だ! これは……」
宥めようにも届かず、ルシャスは彼の手から封筒の一端を掴むと、力任せに引っ張った。
ほぼ同時に、スヴェンセンが払うようにルシャスを投げ飛ばす。
エリオンは直ぐに体勢を正し、ルシャスに向き直って声を掛けた。
「話を聞け! そいつは危険なんだ、手を離……」
エリオンと対面するルシャスの、その手に握られた緑色の封筒。
それが捻られ、千切れていた。
「ルシャス!!!」
エリオンの叫びも空しく、ルシャス・アンダマンの全身が見る間に焔に巻かれていった。




