ピアルノー氏の弟子Ⅱ
◇◇◇
旧代官邸の廊下を急ぎ足で歩いていた。
扉に行き当たり、そのまま部屋の中に入る。
埃とカビの匂い。
書物机の引き出し、小物棚、ガラス戸付きの薬品棚、展示棚、暖炉の中。
思いつく凡ゆる場所に手をつっこんで、ひっくり返した。
見つからない。 碌な物が無い。
本棚を見ると、薄緑色の封筒。
封を破って中身を取り出す。
畳まれた紙を開くと、真ん中には箱の絵が描かれている。
飾り細工が彫られた小箱。
それを囲むように四隅に男性の胸像画。
この顔は……ピアルノー叔父さん。
これだ。 隠し場所が書いてある。
やっと見つけた。
◇◇◇
エリオンが目を開けると、そこは旧代官邸の寝室だった。
「エリオン様。 お目覚めですか?」
上体を起こすと、ベッド傍の椅子に座るマリオと目が合った。
彼は読んでいた豆本を懐に仕舞ってから掛けていたレンズを外し、テーブルに置いてあったカップへ水を注いで盆に乗せ、エリオンに差し出す。
それを受け取って一口飲んでから、溜息をついた。
夢か……
「……おはよう、マリオ。 済まない、いつの間に眠っていたのかな? 記憶が曖昧なんだ」
「さぞお疲れだったのでしょう。 あの後すぐ、目を離したら椅子に掛けたまま寝て居られましたよ」
「叔母上とスヴェンセンは無事か?」
「あの御方は……アリシア様、いや奥方様とお呼びするべきでしょうか。 彼女は問題ないでしょう。
昨晩エリオン様に運んで頂いて、そのまま賓客用の寝室にて休んでいらっしゃります。
衛士長殿も御無事です。
先ほど目覚められて、医官の診察を受けていましたよ」
マリオの答えにエリオンは安堵した。
「それでは昨日、私達の留守中に何があったのか、教えて下さりますか?」
「……ああ、そうだな」
エリオンは夫婦が旧代官邸を空けた一日の間に起こった出来事を……二組の訪問者と昨晩の宴会、そこからウィル・オーデンとの最終的な敵対に至る流れを、ざっくばらんに説明した。
ただし、囀りの鈴と呪いの封筒の詳細は伏せたままにして。
その内容を咀嚼するように暫く押し黙った後、マリオが椅子から降りて呼び鈴を鳴らした。
それに応え、小人族の女給が入室して来る。
「叶うなら本日はご静養頂きたかったのですが、それも難しい様ですね。
先ずは御食事をどうぞ。 それが済んだら腹ごなしに館内を見廻って下さい。 ご一緒致します」
◇◇◇
エリオンはマリオをお供に旧代官邸の様子を一通り見て廻り、最後にアリシア・アンダマンの寝室を訪れた。
特に上等な彫刻と装飾が為された立派な木製扉の前まで来ると、マリオが部屋の中に向かって声を掛ける。
すると返事が聞こえ、扉が開いてアリエルが顔を覗かせた。
「エリオン様、おはようございます。
マリオ……アリシア様はまだ、お加減が良くないみたいなの。 飲み物と軽食を持ってくるわ」
「私も一緒に行こう。 さあ、エリオン様」
エリオンがアリエルに続いて寝室に入ると、アリシア・アンダマンはベッドの上で上半身を起こして、彼に挨拶をした。
「おはよう」
見るからに気怠げな様子で、昨晩ほどではないものの調子は良くない様に見える。
「おはよう御座います」
エリオンがアリシアに会釈を返すと、マリオとアリエルは二人に暇を告げてそのまま退室した。
「叔母上。 お加減は如何ですか?」
ベッドの横に置かれている椅子に腰掛け、アリシアに話しかける。
彼女はエリオンの目をチラリと見ると、居心地悪そうに言った。
「見ての通りよ……それよりも、昨日はごめんなさい」
明言しないまでも、昨晩彼女が泥酔してから起こった一連の出来事を言っているのだろう事は推測できた。
「私が御礼を云わせていただくことは有っても、叔母上が謝罪為さる道理は一切ありません」
「……有難う」
「いいえ、滅相も無い。
……結果から言うと、昨晩の食事と酒に薬物が盛られていたんです。
ここに来る前に屋敷を一回りして来たのですが、宴席に参加した使用人や衛士は尽く深い眠りに……というより昏酔状態に在ったようでした」
実に大胆なやり方だった。
犯人の目論み通りに、エリオンは知らずの内に孤立無縁の闘いをする羽目に陥っていた。
もしもスヴェンセンとアリシア・アンダマンの救援が無ければ、マリオの帰還が後もう八半刻でも遅かったら、全く違う状況になっていただろう。
「ですから叔母上の体調不良の原因も、薬効が酒精と反応した結果だと考えられます。
幸い、今の所は誰にも後遺症など見られませんでしたが、回復する迄は此処で安静にお過ごし下さい」
「道理で……昨日はお酒の廻りが早いと思ったのよ! ッツ……」
「大丈夫ですか?」
エリオンは頭痛に面を歪めるアリシアへと、カップに注いだ水を差し出す。
「んー……ありがと。 あなたは休まなくても大丈夫なの?」
エリオンから受け取った水を一口含んで飲み下してから、アリシアが尋ねた。
「私は大丈夫でした」
宴会に参加して皆と同じ食事をとったにも拘わらず、私が昏睡することは無かった。
昨晩からこのかた、寝不足と疲労以外の不調は無い。
恐らくは解毒されたのだ。
犯人の手によって。
「アリシア叔母上。 ウィル・オーデンが何者なのか、説明してもらえますか?」
そう問われたアリシアはカップの水を飲み干して一息つくと、ゆっくりと話し始めた。
「……そうね。 じゃあついでに、私自身についても説明させてもらうわ。
昨晩貴方に私は魔法使いだと言ったけれど、あれは半分だけ本当なの。
私もウィルも魔法を使えるけれど、正式には……帝室の記録上は、魔法使いじゃないのよ。 未登録だから」
アリシア・アンダマンは未登録の魔法使い……昨晩ウィル・オーデンが話していた内容と一致している。
「彼は、叔母上は魔導師だと言っていました。 それ相応の力の持ち主だと」
「そうみたい。 ピアルノーのお墨付きよ」
「では二人とも何故登録をしていないんですか?」
このエリオンの何気ない質問に、アリシア・アンダマンは考え込んでから独言るように言った。
「……あの子の理由は知らないけど、必要がないんでしょう。
私にとっては帝室への奉仕義務に比べて、与えられる特権が見合わないから、かしら。
……私みたいな女にとっては……」
遠くを見る様な目でそう言ったきり、アリシアは黙ってしまった。
エリオンはこの質問を取り下げ、話題を変えることにした。
「ウィル・オーデンは恐ろしい力の持ち主でした。 彼も魔導師級の魔法使いなのですか」
「確か、ピアルノーはそう言っていたわ。 あの人もウィルを頼りにしてた。
相棒というか、弟子みたいな……まあ、お互いに特別なのよ。 あの二人は」
ウィル・オーデンはピアルノー・アンダマンの相棒にして弟子、か。
◆◆◆
エリオンが憧れた偉大な魔導師。
賢く、勇敢で、不屈の冒険者。
それがピアルノー・アンダマンだった。
帝都で魔法を学び、叔父の様な探究者になる事がエリオン・アンダマンの嘗ての夢だった。
しかし故郷を離れて学園に入学し、その最初の試験で自身の魔法適性を知った時、彼の夢に初めて払拭できない深いヒビが入った。
それでも諦めず、尊敬する叔父を目標にエリオン・アンダマンは座学と実技を極め、同時に異郷への冒険に不可欠であろう語学、歴史、医学、薬草学と思いつく凡ゆる分野を学んだ。
自身の非才を知ったことで、時を経るにつれて萎縮し折れそうになる意志を、その度に憧れと希望で奮い立たせ、夢に向かって邁進した。
そうして卒業目前に、エリオン・アンダマンに与えられた最後の機会。
彼の魔法適正を診る、最初で最後の再試験の結果、その等級は〝香具師級の上〟。
それは、魔法を繰り、魔道具を発動させる上で必要となる力が、魔術士に満たない者に与えられる等級。
エリオンが目指す、異境を旅する冒険者のような、魔法の習得を必須とする役目に就くには不適格とされる、魔術士未満の最低位の魔法適性。
仮に残りの生涯を費やしても、彼が幼少より懐いてきた夢が叶う事は無い。
学園を卒業した時エリオン・アンダマンの手元に残されていたのは、夢を追う若者にとっては耐え難い、残酷なほど退屈な現実だった。
◆◆◆
「叔母上は彼の目的を御存知なのですか?」
「……多分、知ってるわ」
「叔父上の遺産ですか」
「ご名答。 それも、魔導師ピアルノー・アンダマンの遺産の中でも最も価値がある秘宝……魔精の憑代よ」
「魔精、ですか」
魔精。
上位と下位の神々、清浄と汚濁に生じる魍魎、善と悪の霊、自然に宿る精霊、人造生命の精髄。
元々はそういった実体を持たない魔法的存在を指す言葉だが、今では専ら術士に使役される人造精霊を総称して魔精と呼ぶ。
魔精の憑代とは読んで字の如く、それらを器物に綴じ込めて、魔法の触媒や動力として活用する魔道具の総称である。
帝国において魔法研究を主導する二大学派の一つ、源泉派が至上に据えている学問つまり魔精学の主要な研究主題としても知られている。
(しかし…… 魔精の憑代か)
体系化された魔法技術のなかで魔精学は実践的な部類の学問ではあるが、利用するにも応用するにも根本的な技術上の制約が存在し、充分な資金と資材が無ければ実用に耐え得る品質を保つ魔精の憑代を作成するのさえ難しい。
ましてや、秘宝級の魔精の憑代など聞いたこともない。
そんな訝しげなエリオンの表情に気付くと、アリシアはフッと鼻を鳴らしてから呟いた。
「おいで、アララック」
彼女の首飾りが一瞬強く輝いたかと思うと、エリオンの隣に巨大な影が顕われた。
「っわーー!」
我ながら間抜けな声を上げ、椅子から転がり落ちた。
突如出現した巨人。 天井に頭が着くほどの大きさのそれは、昨晩黒い触腕と死闘を演じた、あの二体の片割れだった。
「こ これは……」
「魔法の根源から必滅の世界へと産み落とされた至宝…… 本物の魔精よ。
ヘソを曲げるから、帝国の魔精主義者が作った魔道具なんかと一緒にしないようにして頂戴。
さ、もういいわ……アララック 戻りなさい。」
巨人はアリシアの命令に応じるかの様にゆっくり頷くと、靄となって掻き消えた。
呆けた様にアララックが消えた場所を見ているエリオンに構わず、彼女は話を続ける。
「公にはされていないけど、魔導師ともなれば一つは魔精の憑代を所持しているものよ。
……上古の時代に造られた、この子みたいな本物をね。 貴方の家にも一つくらいあるんじゃなくて?」
「いいえ、まさか。 生まれて初めて見ました……こんな秘宝が存在するだなんて」
「あら……でも、アンダマン家にも何人か魔導師はいらっしゃるでしょう?」
「本家にはいますが、私の家にはいません。
イズーダンは父が立ち上げた単立の子爵家で……お恥ずかしい話、私は香具師級の力しか持っていないんです」
「そうだったのね……でも気にしないで。
魔精の憑代は魔導師にとって切り札だけど、手の内を知られることは弱点にもなるから、必要に迫られない限り秘匿するものなのよ。
上古の魔精の存在自体も、ある程度の水準に達した魔法使いだけが知る公然の秘密ってやつね」
昨晩からこのかた、驚かされてばかりだ。
「それでは、ピアルノー叔父上も魔精の憑代を持っていたのですね」
「ええ。 力ある魔法使いほど、強力な魔精の憑代を所持している。
当然、帝国有数の魔導師であるピアルノーも何体もの貴重な魔精を使役している……いえ、していたの。
その中でも最も稀少で強力な魔精を封じ込めた憑代を手に入れるのが、ウィルの目的だと思うわ」
つまり、ウィル・オーデンはまだ目的の品を手に入れておらず、遠からず再襲撃を加えてくると言う事に他ならない。
同時に、あれ程の魔法使いが求める秘宝が、本当にここ旧代官邸に在るのならば……。
「では叔母上がここに来た理由は……」
「そう、ウィルよ。 あの子は何かを隠していた。
目的がこの場所に隠されたピアルノーの魔道具を手に入れるだと知ったのは、つい最近のことだけど」
「やはり、守りを堅める必要が有りそうです……また食事時に伺います。 それまで、ご静養下さい」
「ふぁァ……お言葉に甘えて、そうさせて貰うわ……また後で」
部屋を出ようと席を立ったところで、エリオンはアリシアに訊こうと思って、これまで忘れていた事柄を思い出す。
「叔母上、もう一つだけお答え下さい。 〝不死鳥の焔〟というものを御存知ですか?」
「どこでそれを?」
「昨晩ウィル・オーデンが話していました」
「ふうん……勿論知ってるわ。 ピアルノーが使役していた最強の魔精、〝焔の魔精〟が作り出す魔法の炎」
燃え尽きるまで……燃やし尽くすまで消えない、危険な魔法よ」
そこまで言ってからアリシアは毛布を被って横になり、ヒラヒラと手を振って大きく欠伸をすると、そのまま目を瞑った。
発つ前にカーテンを閉めて部屋の中から陽光を閉め出すと、エリオンはすぐに応接室へと向かって行った。
不死鳥の焔。
薄緑色の封筒が燃え尽き、そこから再生する様子を目の当たりにしたウィル・オーデンが漏らした一言だ。
※魔法適性の等級について
↑上位
↓下位
導師級 (魔導師) ピアルノー、アリシア、ウィル
ー師匠級ーー(魔術師)ーーこれより上を魔法使いと呼ぶ
術士級 (魔術士)
ーーーーーーーーーーーーー越えられない壁
香具師級 (称号無し) エリオン




