ピアルノー氏の未亡人Ⅴ
今一度この場所を直属の部下だけで固める。
部外者にはお帰り願うとしよう。
「どうしたものか……立場上、私が職務を遂行する上で、御二人の存在は等しく問題があるとしか言えない。
そもそも貴殿達はここに居るべきではない。 今はまだ」
「仰る通りです」
「何れにしても、私は遺産分割協議の補佐役として、叔母上と貴殿に何らかの処置を……適正な判断を下さなければなりません」
「止むを得ないことだと思います」
「では明朝、貴殿と叔母上にはここを離れてもらいます。 勿論、帰還の道中に私の部下を護衛として随行させます」
「承知しました。 お気遣い有難うございます」
「一先ずチタ・パルマまで御送りしましょう。
くれぐれも、貴殿の大叔父殿から協議開催の報せが届くまで、アリシア様をご自宅に留めて下さい。
それで、今回は目を瞑ります。 貴殿もここには戻って来られますな」
「承りました」
鈴の音。
涼しい顔で嘘をつく相手を前に、エリオンは内心に怒りを燻らせながら独りごちた。
(……何故こんなにも頑ななんだ?)
これまでの会話と囀の鈴の反応を鑑みるに、ウィル・オーデンも恐らくはアリシア・アンダマンも、それぞれ企みがあって旧代官邸へとやって来たのは確実だった。
ところが肝心の動機は、二人がこれ程まで旧代官邸に固執する理由とその目的は、未だに見えてこない。
◆◆◆
エリオン・アンダマンにはアーロン・アンダマンを呪いから解放するという目的がある。
旧代官邸に来たのはその一環に過ぎず、それ故に彼の行動原理は明白だった。
本人も、遺産分けに於いて余所者と自認し、協議の行末には重きを置いていない。
その一方で、最後まで己が目的に合致した魔道具は見つからないかもと知りつつ、その時はその時として次善の策を巡らせ、ネコやレナート達に同時進行でそれぞれの伝手を探らせていた。
”補佐役”という大義名分。
これについても彼は目的の為に過剰に奮うつもりは無く、また、期日前に会合場所にやって来た未亡人アリシア・アンダマンを咎める気も、ここから必要以上に厳格に応じるつもりも無かった。
何より彼は、己の目的が解呪の魔道具の入手である以上、その点では自分も財産を狙う盗人達も同じだと割り切っていた。
ところがここに来てウィル・オーデンとの会話を経たことで、彼の中には一つの大きな疑念が生まれてしまっていた。
それはつまりアリシア・アンダマンとウィル・オーデン両者に共通している、ここ旧代官邸への不自然なほどの執着についてだ。
◆◆◆
そもそも故人の遺産の大部分は彼ら一家が住処としている南都外れにある屋敷に所蔵されており、数からしても質からしても旧代官邸に仕舞い込まれている品物など到底及ばない富と魔道具をアリシア・アンダマンは既に手にしている。
つまり彼女はピアルノー・アンダマンの遺産に対して相続権を持つ遺族の中でも最高位の優先順位を最初から持っており、解呪の魔道具を切望して此処にやって来た私とは前提からして全く違う。
無論、身辺調査をした際にも彼らとその親族たちが金銭的に困窮しているとか、何らかの問題を抱えているといった事実は一切確認できなかった。
だからこそ何より不可解なのがアリシア・アンダマンこそが危険を推してまで旧代官邸へとやって来た一行の代表者であるという点。
そんな事をせずともピアルノー・アンダマンの遺した財産を受け継ぐ正当な権利を有しているにも拘らず、だ。
遺産分けの筆頭権利者である彼女が、何故か旧代官邸に対して説明しようが無い妙な執着心を覗かせている。
その理由は……此処に所蔵された遺言か遺沢品。
彼らは何を知り、何を求めている?
何故焦っている?
旧代官邸に何があるんだ?
そこまで考えてから、エリオンは顔を上げてウィル・オーデンを見た。
飄々として、整った容姿の持ち主。 エリオンから苦言を呈されたからか、表情には翳りがある。
しかしその誠実そうな外面と裏腹に、たとえ追い返されたとしても協議の開催を待たずにここへ戻って来るつもりらしい。
囀の鈴が伝える音と痛みが無ければ、気付きもしなかったであろうウィル・オーデンのついた幾つかの嘘。
彼が時折り覗かせる老獪な一面。
その異質さと凄味が、これ迄の未熟若しくは軽薄な行いに対する不快感と合わさって、エリオンの警戒心を一層煽った。
「エリオン様……宜しいですか?」
「何でしょうか?」
「話を戻してしまいますが、この遺言状……やはり証人が一旦お預かりした方が良いんじゃないでしょうか」
「そうですね。 オーデン殿がこちらに到着されたら相談してみようと思います」
エリオンは頷いてから卓上の封筒を拾い上げると、そこでふと、ある事を思いつく。
彼は開封用ナイフと封筒を一緒にしてウィル・オーデンへと差し出した。
「すっかり忘れていました。 どうぞ」
「え?」
「あ、いや、貴殿に預ける訳ではありませんよ。 そうではなく、このナイフで封筒を開けてもらいたい。 試してみて下さい」
「何故ですか?」
「いやなに、私や家族のほかにも生前の叔父と面識のある人達には試して貰っているんです。
たしか叔父から貴殿への遺言状は無かったと仰っていましたよね?」
「? それは、そうですが」
鈴の音。
「うん。 つまり、貴殿はまだ遺言状を受け取られていないわけだ。
そうなると私には、先ほど話した……何者かによる遺言状のすり替えが実際に行われていたと仮定し、本来の相続人を明らかにする責任が有ります。
であれば、この遺言状を本来受け取るべき人はウィル・オーデン殿かも知れないでしょう?」
「それは、まあ……確かにそうかも知れません」
「勿論、そうでは無いかもしれませんが、私としては会う人逢う人にこうやって確かめていく他ありません。
御協力頂けますよね?」
「僕じゃないと思いますが……それに、開封は出来ません。 問題があります。
証人の立ち会いなく開封された遺言状は、法的な効力を疑問視されてしまいます」
「仰る通り。 しかし、心配は要りません。
言ったでしょう? この遺言状は正統な相続人でなければ開封出来ない」
〝正統な相続人でなければ開封出来ない〟
無論、嘘だ。
◇◇◇
ウィル・オーデンは封筒の呪いを知らなかった。
エリオン・アンダマンが囀りの鈴を駆使して取捨選択した幾つかの情報のうち、この推測はほぼ事実と云って問題無いだろう。
と同時に忘れてならないのは、囀りの鈴の能力で集めた情報は判断材料にはなるものの、それ自体はパズルの一ピースに過ぎない、という点だ。
つまるところウィル・オーデンは本当に、封筒の呪いについて全く何一つ知らないのだろうか?
または、呪いそのものは知っており、それがこの封筒に掛けられていることを知らなかったのか?
それとも、呪いについて知っているにも関わらず、エリオンの説明不足によってこの呪いの存在を正しく識別出来ていないだけなのか?
囀りの鈴は恐ろしいほど正確に嘘に対して反応する。
その一方で些末な勘違いや無意識下の誤認を認識 して、それらを使用者の意図に沿いながら正しく区別する事は出来ない。
要するに、嘘を見抜くだけでは真実に到達出来ない、なんて事が現実に多々ある。
そうなった時、往々にして人は限られた情報から自分に都合の良い真実を見出してしまう。
そうならない為にも、文字通りの〝駄目押し〟が必要となる。
それまで重ねて来た質問の答えを包括した、確証を得る為の、止めの一押しが。
◇◇◇
(さて……それでは現物を前にした彼の反応を見せて貰おうじゃないか)
エリオンは咳払いし、語気を強めて言った。
「ナヴィラク・オーデン殿がこの遺言状を検めたとしても、本来の持ち主を見つけることは出来ません。
お見せしましょう……ピアルノー・アンダマンが定めた、正統な継承者だけが彼の遺言を見ることが許される!」
そう言ってエリオンは封筒を卓に戻すと左腕で軽く押さえ、封の隙間にナイフを走らせ切り開いた。
彼が素早く身を引くと、途端に薄緑色の封筒が茫々と焔を立てて燃え上がった。
◇◇◇
「不死鳥の焔……」
火が収まった後ウィル・オーデンを見ると、彼は呆気に取られた面持ちで応接室に舞う灰を眺めていた。
その様子はエリオンの眼に、彼が純粋に驚いているように映った。
エリオンの視線に気付き口を開こうとするウィル・オーデンを制し、卓の上を指差す。
同時に、そこかしこに散った灰が無風の室内を宙を舞いながら集合し、二人の目の前で再構築されていく。
その最中にウィル・オーデンが漏らした一言をエリオンは聞き逃さなかった。
やはり この男には何かある。
◇◇◇
何事も無かったかの様に、卓上に置かれた封筒を持ち上げると、再びウィル・オーデンの眼前に差し出す。
すると驚いたことに、彼は躱わす如く素早く身を引き、その両手でエリオンの右手を掴んで抑えつけた。
「……これは 何のつもりですか?」
その問い掛けに答えず、無言でその眼を倪するウィル・オーデンの相貌は、それ迄被っていた仮面をかなぐり捨てたと云っていい、緊張と敵意を感じさせるものだった。
「しかし、オーデン殿 見たでしょう? 資格の無い者には何が書かれているか分からない……燃えてしまうために読むことが出来ない、という訳です。
でも、それだけです。 危険では無い」
勿論、嘘だった。
それを知っているからなのかウィル・オーデンはエリオンの右手を掴んだまま、瞬き一つせずに彼を凝視していた。
「協力する気は無い ということかな?」
動かない。
「不死鳥の焔 とは何ですか?」
無言。
「……旧代官邸に何の用があるんですか?」
口先で宥めようにもウィル・オーデンは微動だにしない。
遂にエリオンは埒が開かないとばかりに深く溜息をついて表情を崩し、肩をすくめて言った。
「あぁ……もう、わかった。 分かりました。
無理強いはしません。 話したく無いこともあるでしょう」
彼が眼を細めて口角を上げると、その右手を掴む両手が僅かに緩んだ。
封筒を持つ右手を引きながら、同時に、エリオンはゆっくりと左手を持ち上げた。
そこから、握っていた白い絹布が落ちる。
付着した血は乾き、茶色く凝固していた。
ウィル・オーデンが床に落ちた絹布に目線を取られた刹那、エリオンの左手中指先端がキラリと光り、首筋に触れる。
「ここに何をしに来た? 目的は何だ? ピアルノー・アンダマンの遺産か?」
エリオンの問いかけに合わせて爛々と赤い光を発しながら、囀りの鈴がウィル・オーデンの首の肉に食い込み、彼の血を啜った。
苦痛に歪む表情。
その瞳の中に走馬灯が浮かんでは消え、途切れ途切れの絵と音が、エリオンの頭の中に流れ込んだ。
それは、一瞬の出来事だった。
◆◆◆
見慣れない部屋。 そこに男が立っている。 光を背にして。
眩しい……窓だ。 彼は 何か話している。
いや話しかけてきていた。 私に。 とても大切な事を。
私と男の間にある書物机。 その上には細工品や宝飾品 小物が置いてある。
そこに一つ 口の開いた小箱がある。 私は それをじっと見ている。
男が話している。
話し終わると、左手をさすって……小箱を手に取る。
箱の中に何かを入れる。 蓋を落として鍵を閉めた。
◆◆◆
衝撃と共に、意識を取り戻す。 後頭部が打ち付けられ、鈍い痛みが鼻の奥に抜けていった。
何かが上に覆い被さり、首を締め上げている。
息苦しさと幻視から引き戻された意識の混乱の中で、必死に両手を伸ばして抗うが、相手に届かない。
エリオンの視界がジワジワと霞んでいく。
彼が意識を失いかけたその時、応接室の扉が音を立てて開け放たれた。
と同時に、上にのしかかっていた塊が吹き飛ばされ、窓側の壁に叩きつけられる。
エリオンは大きく息を吸ってから咳込み、涙と目眩でぼやけた視界を奮い立たせて、目の前に立つ人物に声をかけた。
「ッ……ッェン 、 ッベンセン……」
「ご無事で何より」
エリオンに背を向けて立つスヴェンセンが、抑揚の無い低い声で言う。
その直後、滑るような擦音が聞こえた。
エリオンは直ぐに、スヴェンセンが長剣を鞘から引き抜いた事に気づく。
次の瞬間、金属のぶつかる衝撃音が振動と共に、息つく間もなく連続で鳴り響いた。
「ぇだっ……ろすnッ ……殺すな」
エリオンの掠れた声は、轟音に掻き消されてしまう。
徐々に視界が戻り、彼はスヴェンセンの背中越しに立つ相手の姿を、ようやく目の当たりにした。




