ピアルノー氏の未亡人Ⅳ
卓の上に置かれた未開封の手紙。
仄かな緑色に染んだ植物紙で織られたそれは、昨晩エリオンがマリオとアリエルに差し出し、彼らに検分させた封筒だった。
「これは、手紙ですか」
「ええ、初めてお会いしたあの日、貴殿から頂戴しました。
貴殿の大叔父殿の馬車の中で」
「あぁ……あの時の」
呪いの封筒を目にしたにも関わらず、ウィル・オーデンの表情に動揺や後ろめたい様子は見え無かった。
「それで、これが何なのか教えていただきたいのですが」
「? どういう意味でしょう」
エリオンの問いかけに、ウィル・オーデンは不思議そうな表情を浮かべて聞き返す。
掌中にある囀の鈴は反応を示さない。
もう一押ししてみるか。
「では説明致しましょう。
私はあの時、証人直筆の書状を受け取るためにナヴィラク・オーデン殿の馬車の前で待機していました」
「大叔父直筆の書状? それは一体……」
「簡単な一筆です。 私が補佐役であると証明する為の書状……といっても、受け取っていないのですが」
「はあ……」
「何故ならそこに貴殿がやって来て、紙で巻かれ一纏めにされた書状を私に手渡したからです。
それを私は、ナヴィラク・オーデン氏からの書状だと勘違いして受け取りました……その中身がこの封筒です」
そこでエリオンがウィル・オーデンの表情を窺う。 目が合うと彼は即座に口を開いた。
「あの時、僕がお渡ししたのはピアルノー様から貴方への遺言状です。
あれを受け取りに来られたものとばかり」
「叔父が私に遺言状を?」
初耳だ。
「はい。 ピアルノー様は特定の方々にだけ個別の遺言状や遺沢品を準備なさってました。
それを継承者に手渡すのも、証人の御役目なんです」
「ではこれが……ピアルノー叔父上から私への遺言状という事ですか?」
「そうなりますね」
「本当に、間違いなく叔父の認めたものだと断言出来ますか?」
「あの時お渡ししたのは間違いありません。 ……その筈です」
囀りの鈴は沈黙している。
エリオンはあからさまな溜息を吐いてから話を続けた
「……しかし、この手紙を調べてみたところ、私を含めて当家の人間に宛た遺言とは考え難い」
この封筒の中身が遺言状だと仮定して、その相続人が私であるという保証は無い。
と同時に、これが私宛の遺言状ではない、という確証も無い。
……中身が見れないからな。
「じゃあ、エリオン様への遺言状は今どこに?」
(それは此方が知りたい)
エリオンが肩を竦めると、ウィル・オーデンは考えを纏めるかの様にブツブツと独り言を言い始めた。
そんな、狼狽する管財人助手を横目にエリオンは平静そのものだった。
しかし凪いだ表情を貫いてはいても、その実、本心はウィル・オーデン同様に穏やかでは無い。
(なぜ あの場で私に説明しなかったんだ? 一言述べるだけだったろ? “ピアルノー様からの遺言です” と)
喉まで出かかったウィル・オーデンに対する不満を抑えながら、それ以上に、エリオンは己の詰めの甘さに失望していた。
そんな彼の苛立ちを他所に、封筒を出してからこれまで、囀の鈴はその掌中で何の動きも見せようとしない。
少しして独り言が止まると、ウィル・オーデンは顔を上げてエリオンに尋ねた。
「この遺言状……エリオン様宛じゃ無いと仰ってましたが、何が書いてあったんですか」
「さあ? 分かりません」
「? え?」
「ご覧の通り、封を開いていないので」
「……でしたら、一度お預かりしても宜しいでしょうか」
「何故ですか?」
「それは勿論、この遺言本来の相続人を見つけるためです。
作成に立ち会った大叔父が中身を確認すれば、それが誰に宛てて認められた遺言状なのか分かると思います」
「成程。 しかしどうだろう……恐らく意味はありませんよ」
このエリオンの発言に対してウィル・オーデンは怪訝な表情で返した。
そう、中身を確かめる意味は無い。
いや厳密に云うならば、中身を確かめる術が無い。
なにせ開封を試みる度に消し炭になるまで燃えるのだから。
便箋に至っては、素手で触れた途端に燃え始める……。
だから、中身はさして重要では無い。
私が知りたいのはウィル・オーデンがこの封筒に掛けられた焔の呪いの存在を認識しているか否か。
本当に知らないのか、それとも惚けているだけなのか?
「……そういえば、ピアルノー叔父上からウィル殿にも遺言状はあったのですか?」
「いえ、大叔父にならまだしも、僕はただの管財人見習いですから」
鈴の音。 つまりは嘘。
ウィル・オーデンはピアルノー・アンダマンから遺言状を受け取っている。
だが何の意図があって、そんな事を誤魔化すんだ?
……細々と意図の読めない嘘を吐く男だ。
「では、この遺言状の仕掛けのことは?」
「仕掛け?」
「そうです。 呪いです」
「魔法が掛けられているんですか?」
「ご存知無かったかな? その所為で正統な継承者でなければ開封出来ません」
今度は私の嘘。 誰が開けようとしたところで、傷一つつけば途端に燃え始めるだけだ。
「初めて聞きました」
囀りの鈴は沈黙している。 封筒に呪いが掛けられていた事は知らないようだ。
ここまで来て、エリオンはウィル・オーデンが呪いと関係があるとも思えなくなっていた。
囀りの鈴の反応から見るに、彼はこの忌しい封筒の中身が私への遺言状か、さもなければ他の相続人への遺言だと信じている。
管財人助手であり、証人の補佐をしているウィル・オーデンが言うのなら、その可能性は高い。
しかし、封筒に掛けられた呪いそのものについては如何だろうか。
封筒をイズーダンに齎したのがオーデンである事に変わりは無いが、彼らが封筒に掛けられた呪いの存在を知らなかったとしたら?
これまでのウィル・オーデンの発言と囀りの鈴の反応を纏めると、そう考えるに足るだけの理があるのも事実だ。
◇◇◇
ピアルノー・アンダマンの訃報からこれまで、何者かの手によってエリオンの元に届けられたニ通の手紙。
一通目。 開封済み。
部下からの定期報告に加筆された、奇妙な追伸文。
二通目。 開封済み。
破れた手紙に書かれた、意味深なメッセージ。
一通目、二通目ともに封筒は特殊な植物紙で作られており、その両方が同じ印章で封じられていた。
そしてこの、三通目。 未開封……開封出来ない手紙。
ウィル・オーデンが届けた、焔の呪いの封筒。
先の二通と同じ、見たことの無い印章が押された深緑色の封蝋。
先の二通と同じ、仄かな緑糸に染んだ植物紙で出来た封筒。 外見的な違いはただ一つ、宛名が無いこと。
これだけ〝エリオンへ〟の一文が、書かれていない。
三つの手紙の共通点は南領に住む小人族由来の特殊な植物紙。
水柳の家に影響力を持っている者でなければ手に入れることさえ困難な、特別な素材。
ただ一人、南領の名士ピアルノー・アンダマンであれば、その限りでは無い。
◇◇◇
微に入り細を穿つ手の込んだやり方も、エリオンの心中に亡き叔父の面影を偲ばせた。
……それでは、本当にこれは叔父から私への遺言状なのか?
ウィル・オーデンの発言と囀の鈴の反応を比較することで自ずと見えて来る事実。
導き出された結論に対して感じた微かな恐怖と、幾つかの矛盾や不自然な要素を丸ごと飲み込んで、エリオンは目の前の疑問に再度、照準を合わせた。
「遺言状が……相続人に渡す前の封筒そのものがすり換えられていた という可能性はありますか?
宛名が無い以上、貴殿の発言以外にこの封筒が私への遺言だと証明する手立てが無いように思うのですが」
結論を急ぐな。
情報が不足している時は、着眼点を転換する。
なにより、今はこの男への尋問を優先しよう。
呪いの封筒の出自について、ウィル・オーデンが嘘をついていないのならば、彼以外の人間はどうだろう。
三通目つまり呪いの封筒には先の二通と違って宛名が書かれていない。
これ以外の相続人への遺言状も同様に無署名なら、すり替えは可能なんじゃないか?
質問を受けたウィル・オーデンは否定するでもなく少しの間考えて、それから口籠もりつつ返事をした。
「まさか……いや、……可能性は……すり替えが実際にあったかどうかは分かりません。 でも立場上それが出来る人が 大叔父と私以外に一人だけいます」
囀りの鈴は鳴かない。
含みのある言い方に、嫌な予感を憶えたものの、エリオンはこの先を訊かない訳にいかなかった。
「誰ですか?」
「アリシア様です」
その答えにも、鈴の音が聞こえて来ることはなかった。
エリオンは即に応じず、これまで囀の鈴から得た情報を今一度、頭の中で整理していた。
ウィル・オーデンは叔父の遺産を狙っている。 これは間違いない。
それとは別に、叔父の遺言状が相続人に届けられる過程において、アリシア・アンダマンがその手続きに介入できる立場にあったというのも、ウィル・オーデンの認識している真実だ。
とは言え、彼女がすり換えを実行したか否かは判らない。
「それはつまり……何か根拠があるのですか? アリシア叔母上には、夫君の遺言状をすり替えるだけの動機があると? 貴殿はそう考えておられるのか?」
「そこまでは流石に存じません。 立場上、奥様なら可能だと申し上げただけです」
そう言ってウィル・オーデンは首を振る。 同時にエリオンは鈴の音を聞いた。
嘘をついている。
やはり彼はアリシア・アンダマンには夫が自分以外に宛てた遺言に干渉する理由が……動機があると考えているようだ。
しかし、彼女がそんな事をする目的は何なのだろうか?
いや……それを尋ねる意味は無いな。
ウィル・オーデンとアリシア・アンダマンがお互い反目するか、少なくとも利害を異にする様な事情があるのなら、間に入って介入するよりは放っておいた方が面倒が少ないだろう。
……アリシア・アンダマンが本当に魔導師であるのなら尚更だ。
逆に彼らが組んでいるのなら、その目的を知るより先に此処から出て行って貰う方が話が早い。
そう。 遺産分割協議に向けて、関係者以外を会場から放逐する。
これは補佐役の職務の範疇だ。
となれば、どちらにしてもやる事は一つ。
一旦この場所から部外者を排除する。
それから旧代官邸を徹底的に調べよう。 私と衛士隊だけで。
話を聞くのはもう充分だ。




