ピアルノー氏の未亡人Ⅲ
音は鳴らない。
ウィル・オーデンの言う通り、アリシア・アンダマンは魔導師。
少なくとも、この男はそう信じている。
「ところで……先ほど仰っていた、アリシア様や家人達を ”どうとでも出来るのではないか” というのはつまり……僕が不正行為を働く可能性を憂慮されているんですよね?」
それまで伏せていた目線を上げてエリオンの顔を真っ直ぐに見て言った。
「そうではありませんよ……可能性を挙げただけです」
「なるほど。 確かに、僕がやろうと思えば、現状に付け入って悪さをする事はできます。
任された御役目を利用して、秘密裏に賄賂を受け取ったり……」
ウィル・オーデンは一拍置いて、変わらずエリオンの目を見ながら話を続けた。
「でもそんな事をしても隠しきれません。 僕はそれを知っています。 いつか必ずバレます。
そうなった時に、魔導師であるアリシア様を出し抜くなんてことが出来るでしょうか?」
「どうでしょう。 貴家の事情は存じ上げないもので」
エリオンもまた相手の目を見て淡々と言葉を返した。
「そうですね、でも、アリシア様を出し抜くのは難しいと思います。
色んな意味で大雑把な御方ですが、決して愚かじゃありません。
……そもそも僕がピアルノー様の御家族を害することなどあり得ませんけれど」
ウィル・オーデンはそこで会話を切った。
傷付いた様にも見える表情と最後の一言が、自身へと向けられた疑念に対する彼なりの不快感を表していた。
エリオンは一考するかのように、右手の指を顎に当てながら左手をそっと懐中に入れた。
応接室に入ってから会話中もずっと、彼はその左手を握り込んで掌の中にある物を見られないよう隠している。
上着の胸元に仕舞い込まれた左手。 その中指には、銀色に輝く指貫が嵌められていた。
「叔母上のことは初耳です。 つまり、彼女は帝室から認定を受けた魔導師という事でしょうか?」
「認定は受けていないと思います。 いえ、ご本人に確かめた事はありません。
でも僕が知らない以上、許認可は受けていない筈です」
認可を受けていない?
「では、何の根拠があって叔母上が魔導師であると断言するのですか?」
「それはもちろん、見ているからです。 万事に於いて物臭な方なので、日々の雑事にもやたらと魔法を使っています」
「いや、未認可でも魔法を使える人間はそこら中にいますよ。
彼女の力が導師級というのは、貴殿の見解でしょう?」
「そうです。 学園の諸実科に通っていた時に魔法の基礎は習っていますし、職業柄南領主都の市井で魔法を用いた道具やそれを使う専業術士もそれなりに見てきました。
そのうえで敢えて言いますが、アリシア様に届く実力者はそこら中にはいません。
あの方が本当に導師級の使い手なのか、僕に確認する術はありません。
それでも、僕はアリシア様が術士級や師匠級で納る魔法使いでは無いと思っています」
その返答を聞いたエリオンは、色々な意味で頭が痛くなった。
”魔法を行使する者皆、諸国の宝”
この、帝国が万民に向けて標榜している文言は、魔法を操る才能を持つ人々が帝国内でどの様に扱われているのか、その立ち位置を端的に表している。
同時に、出自を問わず優れた魔法適性を持つ国民に対して、帝国が与える特権と引き換えに”魔法使い”として公的に登録をするよう促すのが、この標語の目的だ。
これによって形式上、魔法適性持ちの帝国民は直接的ないし間接的に帝国軍部か魔法省に属す事になる。
その一方で市井の人々を具に見れば、良民悪徒を問わず世間は未登録の魔法使いで溢れ返っている。
それでも帝国全域に概ね安定した統治が行き渡っている一つの理由は、本当に力のある者達が社会奉仕と自己研鑽の御題目を携えながら、帝室の名の下、国家運営に貢献しているからに他ならない。
「アリシア様は……叔母上は認定を受けていないとの事ですが、取り敢えず術士登録くらいはしてあるんですよね?」
「いえ、一切何もしていないと思います。 帝国側の記録上は魔法が使えない……香具師級と同じです」
ウィル・オーデンの淀み無い返しに対し、エリオンは文字通り頭を抱えた。
過去に下位術士としての申請すら出していない、未認可の魔法使い。
今回の場合、問題はアリシア・アンダマンが帝国貴族家の一員であることだ。
例えば、魔道具を上手に扱えるそこらの店主が、その腕前で評判を買ったがために高い魔法適性を持っている事が発覚する。
自身の才を知ってか知らずか、登録を怠っていた店主は役人にしょっ引かれ、なんやかやあって帝室公認の登録魔法使いとなり、結果的には店の評判も上がる。
こんな風に、庶民であれば箔付にもなる笑い話だが、貴族の場合はそうもいかない。
帝室という権威に裏打ちされた帝国貴族という特権階級。
その椅子に座る者には例外無く、相応の責任と義務が伴う。
ことが露見すれば間違いなく、彼女の生家であるピナスター伯爵家かアンダマン辺境伯家のどちらか……それか、両家共々何らかの責を問われる事となるだろう。
加えて、もしもウィル・オーデンの言うようにアリシア・アンダマンが導師級の魔法使いであるなら……
「出来るだけ早くピナスター家とアンダマン本家に帝室への取りなしを依頼したほうが良い。 魔法適性の隠匿は庶民ならまだしも、貴族が行えば背信罪に問われかねません。 必要であれば、私が仲介しますよ」
「そうですよねぇ……でも僕から言ってもアリシア様に聞く耳を持って貰えないかと。 エリオン様からも直接お話しして頂けますか?」
(こいつは何を言っているんだ?)
ウィル・オーデンが家人の務めを果たせない惰弱な使用人なのか、それともアリシア・アンダマンが思っていたよりずっと傍若無人な主人なのか?
この際、そんな事はどうでも良い。
この男に対する扱い一つに、兄の命が懸かっているかも知れないのだから。
にも関わらず、立場上は魔法適正の話を無視するのも不自然となる。
アーロンの呪いの鍵を握る容疑者を掌中に捉えたのに追い詰めきれず、その後に現れた新情報が邪魔をして、どう動くべきか判然としない。
これまでの所、この男は殆ど嘘をつかなかった。
だが、それでもあの手紙を齎した張本人である事に変わり無い……まだ何かあるはず。
「……当家も無関係とは言えませんから、私からも叔母上に話をしましょう。 無論、貴殿にも同席してもらいますが」
「有難うございます。 エリオン様」
「お礼を貰う筋合はありません。 貴殿はピアルノー・アンダマンの家人を自称しているが、私はそう思っていない」
「え……」
「当然でしょう。 そもそもアリシア叔母上が魔導師だとして、それでもたった三人でこんな郊外まで来るべきではない。
主君への諌言が御者の仕事でないのなら、外でもないあなたが彼女に危険を説いて、その無謀を諫めなければならなかった」
「……」
「それに先ほどから聞いていれば、不手際の責任は叔母上に丸投げするつもりのようだ。
要するに貴殿は、不興を買ってでも主君を危難から遠ざける努力を怠っているに過ぎない」
「そんなつもりは」
「どういうつもりかは関係がない。 心構えを持っていないのだから。
貴殿は従者として、また家人として主人を諫める事が出来なかった失態を棚上げに、自身の責を主人に擦り付けているんです。 恥ずべき事だ」
「……返す言葉もありません」
「特に許し難いのは貴殿の叔母上に対する扱いが、見方によってはそんな伴侶を選んだ、人を見る目の無い故人への愚弄になっていると云う点だ」
エリオンはうんざりした気持ちそのままの表情で、吐き出す様に言った。
「彼を愚弄するつもりは無い!!!」
その剣幕に一瞬肝を抜かれたエリオンに対し、ウィル・オーデンは間髪入れずに頭を下げて謝罪した。
「申し訳ありません」
「……叔父上への敬意をお持ちなら、今後は身の振り方を改められると良い。
結果的に助かったとはいえ、軽率な行動の所為でアリシア叔母上も貴殿も危機に遭った……違いますか?」
「仰る通りです」
ウィル・オーデンが答えると同時に、鋭い痛みと瞬く様な甲高い騒めきが聞こえた。
嘘をついている。
叔父上に対して敬意があるのなら
軽率な行動の所為で
アリシア叔母上も貴殿も危機に遭った
どれだ。
なにに対して嘘をついた?
ピアルノー・アンダマンに敬意は持っていない?
軽率な行動では無く、計画的な行動だった?
アリシア・アンダマンもウィル・オーデンも危機に遭ってなどいなかった?
遂に針にかかった獲物を前に、エリオンは内心の高揚を抑えつけるように ゆっくりと右手で顔を撫ぜる。
そうして考える風を装うと同時に、左掌に走る苦痛が顔に表れるのを隠していた。
中指に嵌められた、その指貫の存在を悟られぬように。
◇◇◇
一羽の鶴が巣に座りながら、胸元に雛鳥を擁えている様子が精巧に彫られた、その金属製の指貫は、所々が色硝子の七宝で装飾されている。
異様なのは、雛鳥たちが親鳥の胸元に嘴を突き立て、滴る血潮を啜っている事だ。
真赤な色硝子の血液を垂らしながら天を仰ぐ親鳥の嘴は、雛鳥より更に鋭い。
その先端が、今やエリオンの左掌に食い込んで、文字通り彼の血を啜っていた。
◇◇◇
「聞かせてください。 貴殿らは一体何が目的でここに来たのですか?」
「それは、アリシア様がここに来たいと仰でしたので」
「貴殿はどうなのです? ここに来る用があったのですか?」
「? いえ、僕はアリシア様の従者ですから。 ほかの理由はありません」
鈴の音。
「しかし貴殿の大叔父殿はピアルノー叔父上の管財人で遺産分けの証人だ。 ここが今どういう場所で私が何をしているのか、御存知なのでは?」
「……」
「その沈黙は肯定と捉えて宜しいのか?」
「耳には挟んで、知っています。 しかし 違うんです! それとは関係ありません」
鈴の音。
「それ とは? 関係が無いとはどういう意味ですか?」
「……ピアルノー様の遺産分けと、此度の訪問は関係ありません」
鈴の音。
指貫の尖った先端、親鶴の嘴がエリオンの左掌に一層食い込んでいく。
騒く鈴の音が彼の頭の中に響き渡るたび、鋭い痛みに合わせて真紅の色硝子が揺らめくように耀いていた。
それと同時に、ピアルノー・アンダマンの声が彼の脳裏で反芻される。 それはかつてこの地で過ごした記憶の一端だった。
◆◆◆
”鋭いだろう? おっと 駄目だ、エリオン。 触ってはならない。
この物騒な指貫は、飲血の魔法使いの手によって造り出されたと謂れている。
使い様によっては極めて危険な代物だ”
”発動する方法は幾つかある。
だがこいつの特徴は、術士の力を消費する代わりに血液を捧げることでも効果を発揮出来る点だ”
”もちろん私も試してみた。 気持ちの良いものではなかったが。
しかし、能力そのものは悪くない。 お前には必要になるかも知れない”
”今はならん、まだだ。 貴族の義務と善悪を学んだ者にしか渡すことはできん”
”まずは学園を卒業しろ、エリオン。 卒業祝いに渡そう。 約束だ。
こいつの名前は……”
◆◆◆
囀の鈴。 それがこの魔道具の名前。
今朝、書物机の引き出しの奥から転がり出て来た金属製の指貫を見つけた時、エリオンは己の眼を疑った。
その奇怪な魔道具は紛れもなく、かつてピアルノー・アンダマンが寝物語に語った蒐集品の一つだったのだ。
ついぞ自分に贈られる事のなかったこの秘宝を予想しない形で手に入れると同時に、彼は一切の躊躇なくこの僥倖を活かす事に決めた。
「では本当に偶々、叔母上の我が儘でここまで連れて来られたと言うのですか?」
「はい。 失敗してしまいましたが、アリシア様を止めようとしたんです」
鳴らない。
囀の鈴は発動に殆ど魔力を必要としない反面、血液を対価に能力を発揮するという、その外観同様に奇妙な性質を持つ魔道具だ。
使用者がこれを指に嵌めながら、自分の身体にその尖端を刺すことで発動するのが囀の鈴の一つ目の能力、嘘の検知。
使用者の発した質問に応えた相手が嘘をついた時、痛みと音でそうだと知らせる。
今まさにエリオンが実行しているこのやり方は使用者に苦痛とそれに等しいストレスを与えるものの、周囲に悟られること無く発動できるという利点があった。
ウィル・オーデンの発言と鈴の反応を照らし合わせると……
彼は従者として連れてこられただけ。 これは嘘。
つまり、叔父の遺産分けとは関係なしにここ旧代官邸にやって来ただけだ、というのも嘘。
この地に来たのはアリシア叔母上の我儘に抗えなかったからだというウィル・オーデンの答えに囀の鈴は反応しなかったのが、唯一気になるところだ。
旧代官邸に来たのはアリシア・アンダマンの意向である。 これは間違い無いのかもしれない。
だが、些細な整合性を追い求めて、掘り下げた質問を重ねる必要はない。
確かめる事は一つ。
結局のところ、ウィル・オーデン自身の目的は何だろうか?
「では本当に、貴殿は叔父上の遺産に用は無いのですね?」
「もちろんです」
ウィル・オーデンが答えた瞬間、囀る雛鳥達の泣声がエリオンの頭の中でけたたましく響き渡る。
それは囀りの鈴がこれまでエリオンに与えてきた不快感の最大値を遥かに上回っていた。
騒めく鈴の音が今までに無いほど激しく一斉に、凄まじい痛みと共に彼の身体を駆け巡ると、その全身は反射的に硬直し、不可抗力のまま内向きに拉げてしまった。
実際にはほんの一瞬、気が狂う程の音量と神経を揺さ振る苦痛の余韻が退き、硬直が解けるのを待ってから、エリオンは俯いていた 上体をゆっくりと起こす。
「ッ ……すみません。 咽せてしまって」
咳き込みながらカップに手を伸ばし、中身を飲んでから口を拭って言った。
すると、その様子を見たウィル・オーデンが突如立ち上がってエリオンに近づき、胸元から絹布を差し出す。
「人を呼びましょうか?」
尋常では無いその表情を見てようやく、エリオンは失態に気が付く。
口元を覆う左手。 指の隙間から血の筋が伸びて、喫茶卓の天板にポタポタと滴り落ちた。
「いや…… 大丈夫です」
自前の絹布を取り出して口元に付いた血を拭き、そのまま掌の傷口諸共左手に握り込む。
エリオンが呼び鈴を鳴らす。 すると、ハーフリングの女給仕が入室して来た。
「水差しを持って来てくれ。 それと、片付けの準備をするようスヴェンセンに伝えて欲しい」
明らかに何事かあったであろうウィル・オーデンとエリオンの様子に対し、彼女は訝しげな表情一つ窺わせず、淡々と喫茶道具を台車に乗せると、応接室から引き揚げて行った。
当然そのまま誤魔化し切れるわけもなく、異様な沈黙がその場を支配した。
予想外に次ぐ予想外。
まずい事になった、とエリオンは思った。 それと共に、彼は為すべき事を考えていた。
今さら騒ぎ立てられるのは宜しくない。
不幸中の幸いにしてウィル・オーデンは囀の鈴の存在には気づいていない。
代わりに、私が吐血したと勘違いしている。
本人は気付いていないが、折角ここまで尋問することが出来た。
この男との話合いは今晩で終わらせて、結論を出すべきだろう。
そして何より、ピアルノー・アンダマンの遺産に対してこの男が抱く強い執着心…… 先ほどの鈴の反応から感じた、あの苦痛に等しいだけの妄執。
その真意を、確かめなければならない。
エリオンは懐から薄緑色の封筒を取り出して、卓の上に置く。
同時に彼は意を決して、絹布の下に隠された囀の鈴諸共、ふたたび左手を握り込んだ。
「オーデン殿、これを覚えておられますか?」
※ 指貫・シンブル・Thimble
洋裁の裁縫道具で、中指の指先に装着して使います。
指輪型のものと指先に嵌めるキャップ型の2タイプがあり、囀の鈴はキャップ型の指貫をもとに作られた魔道具です。




