ピアルノー氏の未亡人Ⅱ
その晩、旧代官邸でちょっとした晩餐会が催された。
庭園に設けられた宴会場にずらりと並べられた、急ごしらえの長机の列の合間で、イズーダン子爵家の関係者たちと現地の人々が入り混じりながら犇いている。
中には明らかに使用人ではない年齢の子供や腰の曲がった老小人もいる。 派遣されてきた水柳の家の士卒のみならず、その家族も参加しているようだ。
エリオンは、彼らが一緒に料理を運びながら御馳走を眼の前に、陽気に開宴を待っている様子を眺めていた。
そこに並べられている料理はどれも、水柳の家の酋長が選りすぐった料理人が手がけた逸品だ。
子爵領から連れて来られた使用人と衛士たちは無邪気な来客と湯気を上げる馳走に囲まれ、困惑と歓びが半々いったところだろう。
美食の大家として知られる小人族……彼のホビット族の中でも、南の氏族の食道楽は別格と目されており、たしか、当代の宮廷料理人の筆頭、司厨長と副司厨長にも水柳の家の出身者がいる。
格式という点でいえば、高貴な客人への歓待として今夜の晩餐は充分だと云えよう。
「とっても賑やかね。 あんな事があったその日に、こんなに楽しいパーティーに御相伴できるなんて思ってもみませんでしたわ。
でも、本当によろしかったのかしら。 御迷惑ではありませんこと?」
会場を一望できる場所にわざわざ準備された貴族用の(といっても貴族は二人しか居ない)一区画で、エリオンに並びその様子を眺めていたアリシア・アンダマンが言った。
「水柳の家と我が家の部下達、皆の交流のための無礼講の宴です。
叔父上に連なる高貴な御方に列席頂けるのですから、彼らに不都合は無いでしょう。
勿論、私にもありませんよ アリシアさm……叔母上」
アリシアが小さく笑う。
「呼び慣れないのなら無理をしないでよろしくてよ、エリオン」
「申し訳ありません。 叔父上の結婚の事を知ってはいたのですが、まさかこれ程に歳若い方だったとは思っていなかったもので」
「あら、ありがとう。 でも 謝る事なんてないわ。
私たち、少し離れた兄弟くらいの年の差しか有りませんもの。
私の両親も、父は母よりずっと年上なのよ。 子供も私一人だけ。
学園に通っていた頃、兄弟のいる友人が羨ましかったわ。
エリオン、貴方の御家族はどうしていらっしゃるの?」
「そうですね まず、前領主だった父は随分前に亡くなりました。
長子である兄が子爵位を継いで領主となっています。 成人前に兄の後見役だった母は今も補佐として辣腕を揮っています。
二人にはお会いになられましたよね?
それと、私の下に妹と弟が一人ずつ。 二人とも今は帝都の学園に通っています」
「まあ、うちの子も学園にいるのよ。 今度あの子に貴方のところの二人を知らないか聞いてみるわ。
たしか夫の葬儀にご参列下さったのが、お母様とお兄様よね? お二人はお元気かしら」
「ええ、お陰様で」
彼女の質問に他意が無い事は分かっていたが、それでも不意にイズーダンで待つ家族の顔が脳裏に浮かび、胸が締め付けられるような気持ちになった。
それから間も無く、宴の準備が整った。
開宴の挨拶でエリオンは見事な料理を手配した水柳の家の面々を称え、次に、立て続けに起こった事件に対応した衛士達を労った。
「今晩は無礼講で楽しんで欲しい。
では、帝国と南領の発展に尽くした騎士、ピアルノー・アンダマンに」
エリオンが手に持った杯を頭上に揚げると、それに合わせて皆も手に手に杯を掲げた。
「そして、アンダマン家と水柳の家の友誼に 乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
◇◇◇
南領の食材を駆使した晩餐は、帝都でも錚々御目に掛かれないであろう、それはもう見事なものであった。
長机に処狭しと置かれた木皿の上には、野猪の頭の丸焼き、銀梅花葉と血の腸詰め、野鳥のロースト、ツミレと瓜の羹と言った宴会の定番以外にも鮮やかな旬の果実やサラダ、香草を散らした山鳥の肉醤で味付けされたダンプリングやその他見たことも無い数多の料理が並んでいた。
食い道楽の小人族は言わずもがな、職務の都合で指揮官から飲酒を制限されている衛士隊の者たち(そして当の指揮官)も素晴らしい料理の数々に舌鼓を打っていた。
食事が落ち着き、卓を囲む部下達と小人族が和やかに談笑するなか、エリオンは隣に座るアリシアや挨拶にやって来る小人族の上役と他愛のない会話をしつつ、場内に不穏な動きが無いか鋭く目を光らせていた。
「叔母上、これをどうぞ」
すっかり酔っぱらったアリシア・アンダマンの杯に水差しから湯冷しの水を注ぎ、彼女に差し出す。
アリシアは一気に水を呷り、杯を置くとエリオンに御礼を言った。
「ありがとう エリオン」
「もう一杯どうぞ」
そう言って彼女の杯にお替りを注ぐ。
「気が利くわね 貴方は……」
アリシアはフラフラ前後に小さく揺れながら、時折半目になって動きを止める。
「そろそろお休みになられますか?」
「んー……? お酒強いのねぇ」
(酒に強いのは貴女ですよ)
無言の笑顔で返しつつ、目の前にずらりと積まれた空の陶器瓶を横目に、エリオンは思った。
彼は手酌で酒を注ぎ次々と飲み干すアリシア・アンダマンに合わせる振りをして、そうと気づかせないよう炭酸水で薄めた穀物酒を飲んでいただけだった。
再び半目になって俯き、そのままガクンと首を落として頭をぶつけそうになったアリシアを受け止める。
眠っている事を確認してから、すぐ近くに侍っていた女性衛士を呼び出し、賓客用の寝所まで彼女を運ぶように指示を出した。
◇◇◇
アリシア・アンダマンが会場を離れてから半刻ほど経った頃、宴は終了した。
エリオン・アンダマンが閉めの挨拶を述べたあと、人々が満足気にノロノロとそれぞれの持ち場へ歩いていく中、男性が一人彼に近づいて来る。 目が合うと、エリオンに会釈をした。
「これはオーデン殿。 食事は如何でしたか?」
「それはもう、素晴らしいとしか」
「楽しんで貰えたなら良かった」
「もちろんですよ! 何もかも、有り難うございますエリオン様。
ところで、先ほどからアリシア様を探しているのですが、今どちらに居られるか御存知でしょうか?」
「ああ、そうでしたか。 少々飲み過ぎてしまわれた様で、先に寝室で御休み頂いています。
わたしも用が済んだら様子を伺いに行こうと思っていたんです。 ご一緒しましょう」
◇◇◇
衛士は夜警に、給仕は片付け、厨房係は皿洗い。
宴が終わった後、一部の小人族とその妻子だけは使用人邸の広間に準備された寝床に潜り込んで、早々に眠りに就いた。
それ以外の参加者は皆それぞれ、本来の役割へと還って行く。
満腹から来る眠気を圧して粛々と働く人々の間を縫って、エリオンはウィル・オーデンを先導するように旧代官邸本館の玄関口を通り、そのまま応接室へと入っていった。
「どうぞ、お掛けください」
先に着席するよう勧め、それから女給に言付けをして、エリオン自身も対面の長椅子に腰をかけた。
「今、アリシア様の寝所に遣いをやりました。 目覚めておられると良いのですが……
ひとまず、酔い醒ましの茶をいただきましょう」
控えていた小人族の女給が二人用喫茶一式を手配し、御盆ごと向かい合う二人の間の喫茶卓に置くと、そのまま静々と退室して行った。
そうして 応接室にはエリオンとウィル・オーデンだけが残された。
少し待って、エリオンがポットからカップに茶を注ぎ、ウィル・オーデンに渡す。
二人は茶請の乾果を齧りながらそれぞれ深緑の茶を味わった。
「お口に合いましたか?」
「はい、美味しいです」
その言葉通りにゆっくりと、味わう様に飲み干してからウィル・オーデンが応える。
「もう一杯どうぞ。 私も久々に飲んだのですが、良い物ですね。
懐かしい味ですし、心を落ち着かせてくれる」
「はい。 僕も好きです」
和やかな雰囲気の中で生じた一寸の沈黙の後、ウィル・オーデンの目を真っ直ぐ見ながら エリオンは口火をきった。
「ウィル殿、少し答えにくいかも知れませんが一つ お聞きしたい事があります。
アリシア叔母上と貴殿は そういった関係なのでしょうか?」
「へ?……
! いえ まさか、 そんな訳ないでしょう!」
その問いかけに一瞬固まった後、ウィル・オーデンが叫ぶように言う。
意外に大きなその反応に、エリオンは宥める調子で静かに返した。
「ウィル殿。 人払いはしていますが、大声は上げずにお願いします。 本当に男女の仲ではないのですか?」
「すみません。 でも、絶対にあり得無い。 なぜそんなことをお訊きになるんです?」
ウィル・オーデンの表情には、困惑と否定が浮かんでいる。
エリオンは彼に、ピアルノー・アンダマンの葬儀でアリシア・アンダマンに付き添っていた男性、つまりウィル・オーデンがアリシアの愛人と目されている事と、列席したアンダマン本家側の参列者はその事実に対してそれなりの警戒心を抱いているであろうという持論を、掻い摘んで説明した。
「私は話を聞いただけですが、誰もがそう感じると思いますよ。 彼女と貴方の間にそういった関係が無いというのなら、なぜ葬儀に参加されたのですか?」
それも態々 アリシア・アンダマンの横に立って。
「それは、アリシア様がそう望まれたからです」
瞬くような鈴の音がした。
「アリシア様が望まれた?
貴殿の大叔父か貴方自身がアリシア叔母上から依頼されたという事ですか?」
エリオンが語気を強めて返す。
「違います、僕からの提案です。 それに対して同意を頂きました」
引っ掛かりのある答え方だ。
「では、いかなる理由が有って、貴族の葬式に首を突っ込むような真似を?」
ウィル・オーデンはピアルノー・アンダマンの管財人であるナヴィラク・オーデン翁の又甥ではあるが、彼自身は準貴族ですらない。
その行いは、たかが管財人の親族としての領分を明らかに超えている。
「ええと、そうですね まずアリシア様……というよりはピアルノー様の御家族にとって、自分で言うのも何ですが、僕は家人みたいなものなんです」
何も聞こえない。
家人とは住み込みの丁稚から家宰まで、主人とその家族に近しい立場にある使用人全般を指す言葉だ。
「それは、知りませんでした」
敢えて無感情な口調で話の続きを促す。
「エリオン様がこの事をご存知無いのは当然です。 表向きには大叔父も僕もピアルノー様お抱えの文官で、御家族とは接点もありません。
付け加えるなら、貴方がアリシア様をどう思っているか、つまりどんな人物だと考えているのかは分かりませんが、あの方はあまり貴族らしくない個性的な方ですよ」
「そうだとして、それがなにか?」
「……不敬を怖れず、端的に申し上げます。 アリシア様御一人でピアルノー様の御葬儀の取り纏めは出来ませんでした。
今までそうだったように、ピアルノー様の葬儀でも、当家が補佐をする必要があったんです」
「では、それが貴殿が葬儀に参加した理由ですか? 彼女にその程度の才覚がないと、そう謂っているのか?」
エリオンの刺のある言い方を意に介さず、ウィル・オーデンは平然と答えた。
「才覚や能力の有無について、僕には何とも。 というのも、御自分の興味が向かない事柄に対してアリシア様は自発的に動きませんので。
例えば、他家への訪問一つとっても、僕や貴方が当然必要だと考える根回しを面倒だからといって自分でしないんです。
たとえそれが必要で、そのことを理解しているにも拘らず、しないで済む可能性があれば、その遂行に集中できない。 そういう方なんです」
ウィル・オーデンは淀み無く述べた。
鈴は鳴らない。
エリオンには、彼の物言いが、どう好意的に解釈してもアリシア・アンダマンの事を怠惰な放蕩者である、と云っているようにしか思えなかった。
また、仮にそれが事実だとして、その様な家長が今後も能能と居座れるほど帝国貴族家の生業が易しく無い事を身に染みて知っていた。
「つまり貴殿等の助け無くして、これから先も叔父上の遺族が貴族として生きて行く未来は立ち行かない、と」
「へ? いえ、それは違います。 全然そんな事はないです。
ピアルノー様の御家の方々は全員、基本的に自分がやりたい事しかしません。
その上で、どうしても必要な折衝や人付き合いを、大叔父に丸投げしてきました。
大叔父が多忙になって、僕に御鉢が廻ってきたんです」
「君は、それでいいのか?」
「? 良いも何も僕は役割を果たすだけです。 ピアルノー様が望まれる、家族と御家と……使命の為に」
これも、何も聞こえない。
ここに来て、あまりに正直なウィル・オーデンの反応がエリオンの考えを一転させた。
単刀直入に訊こう。
「しかし、貴殿は彼女の信頼を得ていて、その上でアリシア叔母上には処理できない問題を片付けるに十分な実務能力がある。
その気になれば叔母上と家人たちをどうにでも出来るのではないのか?
少なくとも私はそう思った。 だから貴殿の、”使命の為に尽くす”という言い分を手放しに信じることができない」
このエリオンの問いかけに対してウィル・オーデンは咄嗟に無表情になった。
かと思うと次の瞬間、眉間に皺を寄せてエリオンをマジマジと見詰め返し、それから口を開いた。
「本当にご存知ではなかったのですね」
「それは どういう意味かな?」
嘲るでも哀れむでもない、無味乾燥なその言い振りに、訊き返す事しか出来なかった。
「そのままの意味です。 エリオン様はピアルノー様の御家族の事は何も知らされていないんですよね? ピアルノー様からも」
否定しても仕様が無い。 無言で肯く。
「そうでしたか。 では、御本人不在の中で恐縮ですが、アリシア様について説明します。
彼女は魔導師なんです。 ピアルノー様と同様に」




