ピアルノー氏の未亡人Ⅰ
スヴェンセンは速度を落とさず衛士隊本営がある城壁内の詰め所まで一気に走り抜け、エリオンを降ろしてからその場に詰めていた副官の一人に声をかけた。
「何があった?」
二人に気づくと、その副官は片手を挙げて号令を出す。
「傾注!!」
途端に、周囲の衛士達が一切の動きを止めて副官に注目した。
「馬車が一台、騎兵に襲われています。
襲撃者の中に、先ほど取り逃がした連中が何人かいるようです」
「それだけか?」
「それが、どうも真っ直ぐこちらに向かって来ています。
まだ距離は有りますが、ここの正門に馬車を追い立てているのかと」
「クソ!……物見に行く。 正門開く準備をしとけ!」
その命令を合図に、静止していた衛士達はスヴェンセン諸共一斉に動き出し、瞬く間にエリオンの視界外へと消えていった。
◇◇◇
スヴェンセンに遅れること数分、エリオンが城壁に登った時、その馬車は肉眼でも姿を捉えられる距離にまで接近していた。
既に正門は開かれ始めており、そこに向かって一直線に突っ込む軌道で走って来ている。
御者は必死に鞭を打って馬を駆けさせているが、追走する騎兵にジリジリと差を詰められていた。
敵の刃が届くところまで迫られようかという所で、城壁の各所から空気を切る音がしたかと思うと、馬車に最接近していた騎兵が崩れ落ちる。
二波三波と続けざまに矢が放たれ、馬車を追跡していた後続の騎兵も次々と馬から落ちて行った。
間も無く、最初の矢が弓から放たれる直前に正門から出撃していた軽騎兵の一群が、怯んで馬車から離れた敵騎兵達に迫り、その射程に捕えた。
増援に気付いて踵を返し、散り散りに退却するも時既に遅く、軽騎兵の素早い騎射攻撃によって無法者達は一騎ずつ討ち取られていく。
そうして、掃討は呆気なく終わった。
止めの残党狩りに打って出た騎兵に先導され、馬車は無事に門を通過した。
一連の流れを双眼鏡越しに注視していたエリオンは、馬車の側面に描かれている紋章を認め、そこから来客の出自を理解した。
彼は内心に擡げる疑念を宥めるかの様にキビキビと周囲の部下達に指示を出すと、己が職務を全うする準備を始めた。
◇◇◇
従者に付き添われて馬車から出てきたのは、血と埃に塗れた衛士達が行き交う場所には不似合いな人物であった。
スヴェンセンには届かないまでも、エリオンと同じか、彼より背が高い女性。
見たこともない様な飾りの付いた黒い鍔広帽を被り、漆黒から深い黒紫まで程度の異なる黒布を組み合わせた極めて上質なレース生地をふんだんに使用したドレスを纏っている。
体のシルエットが浮き彫りになる、黒いドレスに型どられた豊満な胸元と臀部……血の気のない白い肌と、艶のある黒色の豊かな長髪が衣装と装身具に溶け合い、非人間的な存在感と色気を放っていた。
男性衛士達の視線を欲しいままにしていたその貴婦人は帽子を外し、迎えに出て来たエリオンにお辞儀をする。
しかし、エリオンは反応しない。
彼の目は彼女ではなく、その従者に釘付けとなっていた。
黒髪で線の細い整った顔の若者。 ウィル・オーデンに。
相手もすぐエリオンに気が付き、そこで二人の目が合った。
すると、ウィル・オーデンはその女性と言葉を交わし、その場に彼女を置いてエリオンの方へと歩き出した。
「エリオン様!」
手を振って叫ぶと小走りになって、エリオンの目の前まで着くや両手でその右手を掴み、絞り出すように言った。
「……星の女王に感謝を。 エリオン様、本当に……本当に有難う御座います」
それから、小さく震えて泣き出した。
「星の女王に感謝を。 間に合って良かった」
潤んだ眼で感謝を述べるウィル・オーデンを前に、エリオンは和やかに、内面を一片たりとも覗かせずに、その手を優しく握り返す。
演り様と裏腹に、彼の思考は流れに抗って逆巻く渦潮さながら、ゆっくりと、力強く、激しく動いていた。
仮に、馬車に乗っているのがこの男だと知っていてたのなら、私は彼等を助けただろうか?
そもそも、この涙は本物か?
この場で私が率いる武力を恐れ、注意を逸らす為の芝居だろうか?
エリオン・アンダマンを排除したつもりで、意気揚々と遺産漁りに来たは良いものの、野盗に襲われ、その上始末したはずの相手を前に身の振り方を変えたのか?
まさか、そんなやり方が通用するとでも考えているのか?
それとも、いや待てよ……ある意味では、先に捕り逃した輩族がこの男を連れて来たとも云える。 後で地下牢の生き残りを尋問しよう。 一人残らず。
結果如何であの二人の取り扱いも考え直すとしよう
いや……そんなことより、あの手紙。 この男が、イズーダン子爵家に落として行った悪意に満ちた罠の事だ。
こいつを尋問にかければ、無実無関係を貫けるような、気の利いた言い訳を披露してくるのだろうか……。
そこまで考えてから漸く、エリオンはこの予想外の遭遇によって思いがけず感情が昂っている事に気が付いた。
と同時に馬車の傍で御者に付き添われて待つ黒尽くめの女性を視野に捉えると、脱線した己の考えを力尽くで引き戻し、即座に方針を固めてウィル・オーデンに切り出した。
「無事で何よりです、オーデン殿。 ですが、これは一体どういった巡り合わせでしょうか。
如何用でこのような町外れに?」
「いえ、その、私はただの付き添いです。 あちらの御方がここを、ピアルノー様の旧居を見ておきたいと仰られたので……」
ウィル・オーデンは居心地悪そうにそう言うと顔を少し横に回して、後方に立つ女性へチラリと目線を遣った。
「それでは、その御方の御紹介に与かっても宜しいでしょうか?」
エリオンがそう尋くと、ウィルは我が意を得たりと言わんばかりに即受諾し、馬車へ戻って行った。
◇◇◇
「御初に御目にかかります。
私はアリシア・アンダマン。 両親はピナスター伯爵家前当主パンピナス・ピナスターと第三夫人ウディト。
……夫はアンダマン本家当主カリバン・アンダマンの直弟、ピアルノー・アンダマンですわ。 御見知り置きを」
顔を上げて目が合うと、エリオンにニコリと笑いかけた。
それに対してエリオンは片膝を地に着いて深くお辞儀をし、そのまま自己紹介をした。
「先の無礼をお許し下さい。 アリシア様。
私はエリオン・アンダマン。 アンダマン本家当主カリバン・アンダマンの実弟アエル・アンダマンのニ男にして、イズーダン子爵アーロン・アンダマンの実弟です。 お見知り置き下さい。
……よもや、貴女様が御運びになるとは存じ上げず……」
この顔を伏しての表敬は、家格の違いを明確に示す為の儀礼だ。
同時にこれは、家格の劣るエリオンが高位の相手を呼び寄せたことに対する謝罪も兼ねている。
勿論エリオンはアリシア・アンダマンの自己紹介以前に彼女が乗って来た馬車に描かれた紋章から、搭乗者がピアルノー・アンダマンの親族である事は知っていた。
行方知れずのピアルノー・アンダマンでない以上、公にこの紋章を使用出来るのは未亡人かその嫡男以外にない。
「無礼な事なんて何一つありませんわ! 感謝します、エリオン・アンダマン卿。
それと、この御礼は必ずさせて頂きます……貴方の望むかたちで」
アリシア・アンダマンはドレスの裾をグイと引き上げるとツカツカとエリオンのもとまで来て、向かい合う様に地面に膝を着き、彼の手を掴んで言った。
しかし彼女のこの突然の行動によって、その場で最も位の高い二人が互いに跪いて手を合わせた形になってしまい、結果、周囲の人間はどうしたものか決めかねて動けなくなってしまっていた。
相手が一向に立ち上がる素振りを見せないのを見兼ねて、已を得ずエリオンが先に立ち、手を貸してアリシア・アンダマンを支え起こす。
「過分の光栄ですが、私に対してこの様なお戯れは不要です」
周りに漏れ聞こえないようアリシア・アンダマンの耳元で、出来るだけ小さな声でエリオンは言った。
貴族家にとって家格は絶対視されるべきもので、子爵家出の自分が伯爵家出身の彼女に態度でそれを示すのは当然の事…… それが喩え、叔父の妻君相手であったとしても。
これは謂わば帝国貴族の常識であり、当然個人の関係性より尊く重視されている……筈なのだが……彼女はどういうつもりなんだ?
自身の常識から外れたアリシア・アンダマンの行動に、エリオンは面喰らってしまっていた。
しかし、それ以上に彼を困惑させたのは自分に向けられる、親しみの籠った屈託の無い笑顔と彼女の態度であった。
そんな彼の内情を知ってか知らずか、アリシアは構わず続ける。
「戯れではありません。 重ねて御礼を申し上げます。
エリオン様、助けて下さって有難うございます。
皆様がいらっしゃらなければ、私達の命は潰えていましたわ」
そう言って彼女は周りの衛士達を見回し、その愛嬌のある笑顔のまま彼等に手を振る。
ある者は恍惚を目に浮かべその場に立ち止まり、ある者は笑顔で返し、またある者達は小さく手を振り返していた。
主人と厳格な隊長の目があるのも忘れて初心な騎士見習いよろしく惚けている部下達を見て、エリオンは怒りや呆れ以上に驚きと警戒心を抱いた。
それと同時に、事前に家族から聞いていた情報を基に想定していた人物像とは掛け離れた、現実の彼女の振舞いは、彼の心にある種の懐かしさを湧き上がらせた。
まがりなりにもピアルノー・アンダマンが選んだ女性ということか。
「では遠慮無く御礼を頂戴しましょう。 アリシア様。
此度の褒美に貴女を叔母上と呼ばせて頂きたい。 許されるなら、私のことも名前でお呼び下さい」




