ピアルノー氏のかそけき縁者Ⅰ
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旧代官邸で迎える久々の朝。
南部の青々とした平野と林、その上に青い空が広がっていた。
放牧されている家畜達が青草の絨毯に点々と散らばり、広大な穀物畑が織物の様になだらかに地平まで延びている。
出立当初の懸念を他所に、イズーダン子爵領から南部諸都市を経て旧代官邸に至る道程は、極めて穏やかなものであった。
目的地に到着したその日の内に首尾よく現地協力者との契約を取り付け、その晩には彼らの代表者であるマリオ・アリエル夫妻と話をすることもできた。
にも関わらず、執務室に立つエリオンは窓辺から外を見ているかと思えば目的も無くグルグルと室内を歩き回ったり、逸る気持ちを抑えられないのか、どうにも落ち着きが無い。
昼食を終えた後も何処か陰鬱な表情で、美しい景色も彼の無聊を慰める役には立たなかったようだ。
(当然のことではあるが……)
屋敷の内装は、エリオンの記憶とほぼ遜色の無い様子だった。
が、当時は館のあちこちに陳列若しくは放置されていた叔父の蒐集品の殆ど全てが何処かへと運び去られていた。
移送先は恐らく、叔父とその家族の住む南領の家屋敷だろうが、あの膨大な数の品々全てを新居に動かしたとは考え難い。
何割かは、旧代官邸内の施錠された部屋か、敷地の倉庫棟に保管されている筈だ。
この件でマリオとアリエルに話しをする必要がある。
しかし二人とも、早朝に旧代官邸を出てから、まだ戻って来ていないらしい。
一夜明けて、昨晩の二人への対応は間違いだったのでは無いか、と言う懸念も生まれていた。
彼は小さく溜め息をついてから振り返って窓に背を向けた。
その目線の先、机の上には緑色の封筒がある。
〝エリオンへ〟とだけ書かれ、開封された封筒。
その横にはあの裂かれた手紙が置かれていた。
エリオンは胸元から薄緑色の封筒を取り出し、その上に押された封蝋を改めて眇めた。
二通の封筒と一枚の便箋。
マリオの言うように、この植物紙は水柳の家で生産された物に間違い無いのだろう。
全部で三通ある封筒のうち、奇妙な追伸文付きの報告書が封入されていた一通目だけは、この植物紙の見本としてイズーダンに残るリアンノン・アンダマンに預けてきていた。
エリオンが旧代官邸に持参したのは残りの二通、裂かれた手紙が入っていた開封済みの封筒と未開封の一通……焔の罠が仕掛けられた呪いの封筒。
南領に到る道中、彼はそれらを肌身離さず愛用の外套の懐中に潜ませ、時折読み返しながら常にその意味を考えていた。
ただし、触るだけで燃える便箋だけは直に触れないよう、内側に隠し縫いしたスリットに閉まってある。
(この印章の出自とその意味を知る者こそが、この封筒の受け取り人である。
それがピアルノー・アンダマンがエリオン・アンダマンに遺した遺言、……か)
当然、これはエリオンがでっち上げた作り話だった。
続々とイズーダンに届けられた薄緑色の封筒について、ピアルノー・アンダマンは遺言など遺していない。
そもそも状況証拠とエリオンの推論以外に、彼の叔父とこの封筒即ち緑色の植物紙を結びつける要素すら何も無い。
それでも態々彼がこんな事をした理由は、遺産分けを前に自身に接触してくるだろう、オーデンとその協力者を惑わし攪乱するため。
まずは旧代官邸に出入りする者たち。 追って相続人と証人、彼らの同行者、侍従。
幾人かを相手にこの偽の遺言を示して、可能な限り遺産を狙う裏切り者を炙り出すのが 真の目的だった。
しかし、そんな疑心を抱えつつ、目下エリオンに出来るのは悶々と考え込む事だけだった。
それにしても、スヴェンセンの従者としての態度……マリオがその有り様に対してあからさまに不審を表明しているのも宜しくない。
どこかでアーロンの事を説明すべきかも知れない。
道中の様子から見ても、今のところ南領には目に見える脅威も敵もいなかった。
可能なら証人と相続人達が到着する前に小人族を味方につけておきたい。
そこでふと、エリオンは正門の周りに人が集まりだしている事に気がついた。
間も無く、衛士がエリオンを呼びに来た。
「閣下、隊長がお呼びです。 確認したい事があると……」
その若い女性衛士は妙に緊張した表情で言った。
◇◇◇
見通しの良い小高い丘の上に建つ旧代官邸は、堅固な石造りの外壁で周りを囲われている。
その内側には、かの動乱期に建造された古い石造りの遺構が点々と残っていた。
遥か昔、ここに小規模な戦時要塞が建てられていた事の証左だ。
数十年前、永らく見捨てられていたこの地に来た一人の男、ピアルノー・アンダマンは風化の始まっていた旧城壁を撤去するどころか、私財を投じて要塞機能を再建する。
旧代官邸を中心に一回り大きく巡らされた新城壁。
城壁を繋ぐ結節点には、一際高い物見塔が建てられている。
◇◇◇
登りきった先、物見塔の最上部に立つスヴェンセンは頭頂から足先まで完全装備に身を固めている。
梯子から登って来るエリオンに手を貸して引き上げると、望遠鏡を覗きながら話し始めた。
「馬車が一台と……騎士じゃねえな。 馬に乗ったゴロツキが……十三、いや ……十五。
ぼちぼちココに到着しそうです。 皆殺しにしますか?」
「先に話を聞きたい。 傷付けずに城壁まで通してくれ」
エリオンとスヴェンセンは、そのまま物見塔の上で来訪者達の動向を観察する事とした。
土煙を上げながら旧代官邸に迫っていたその一団は、新城壁の上で張っていたエリオンの衛兵達を視野に捉えると速度を落とし、停止する。
その間、エリオンは携行双眼鏡を目に当て、彼ら一人一人を具に調べていた。
二頭曳きの馬車と騎兵達。 いずれも目印になるような物は着けていない。
それどころか、騎兵の装備さえバラバラで統一感が無い。 何者だろうか。
そこから馬に乗った伝令が一人城壁前までやって来て、城内に向かって口上を述べた。
それを受け、壁上の衛兵一人が進み出ると返答を述べた。
すぐに来訪者側から伝令が返って来る。 今度は長々と喋っているようだ。
と、そこで衛士隊の副官が報告を届けに物見塔まで上ってきた。
報告によるとその一団は、アンダマン本家〝極秘の遣い〟を名乗っているようだ。
彼等から我々への要望は ここ旧代官邸の明け渡し……曰く、諸君の行為は不法占拠に他ならない為、即時開門しこの地を離れる様に、との御達しらしい。
「アンダマン本家の遣いか」
どこかで聞いたような話だ。
「どうします?」
公的な使者であれば、書状を持っている。
そうで無くとも徽章や旗、馬車に描かれた紋章などでその立場を証明する。
しかし傭兵崩れの騎兵を伴ったこの極秘の遣いとやらは、何一つ身分を証明する物を持参していないらしい。
つまりはどう贔屓目に見ても、開門を迫る不審な集団に過ぎない。
争う程の事もないが、かと言って相手の要望に従う道理が無い。
「こう伝えてくれ。
我々がアンダマン本家に確認を取るまで 入城は許可出来ない。
二週間後に再訪するか、アンダマン本家公認の遣いを連れて来るように、と」
少しして、衛士が来訪者に向かってエリオンの返答を読み上げた。
対して、向こう側からまた伝令が出て来る。 大声で何かを言っているが、どうやら怒っている様子だ。
もう一度、こちらから衛士が応じたが、一言二言言って直ぐに戻り、それきり返答を止めた。
しかし諦めがつかないのか、来訪者は正門前をウロウロしながら延々と放り続け、中々引き揚げようとしない。
その時、風を切る音がしたかと思うと、伝令の脚元に何かが落ちた。
矢だ。
それを見て一瞬固まった後、伝令は慌てて馬車の方へと走り戻った。
エリオンがスヴェンセンを見ると、彼女はその様子を眺めながらニヤニヤ笑っている。
「スヴェンセン……」
「大丈夫ですって!」
取り繕うような素早い返事。
矢を射かけられた伝令が戻り、来訪者の一団は俄に騒めき出す。 それに続いて、馬上の兵士が手に武器を取って一斉に掲げた。
その瞬間、無数の矢雨が彼等の周りに降り注ぎ、途端に一団は恐慌状態に陥った。
馬は凡ゆる方向へ逃げ出し、騎乗の兵士たち数人が転がり落ちた。
馬車は転倒し、曳き馬は逃げ去った。
惨憺たる有様だ。
「おい! スヴェンセン!!」
スヴェンセンはゲラゲラと笑っていた。
……マリオが旧代官邸に居なくて、丁度良かったのかも知れない。
◇◇◇
エリオンの足音が湿った地下道に反響した。
その岩塊と礫を埋め合わせて造られた地下道の左右に並ぶ牢獄には、男達が詰め込まれている。
先ほど衛士隊の攻撃で混乱に陥って逃げそびれた騎兵たちだ。
あの後、不審な一団は衛士隊によって捕捉され、旧代官邸敷地に設けられた地下牢へと囚われていた。
中でも特に身なりの良い二人には、個別の牢屋が充てがわれている。
「御機嫌良う」
牢屋の前で立ち止まると、エリオンは獄中の人物に話しかけた。
酷く怯えたその男は、恐る恐る項垂れていた顔を上げ、エリオンを見る。
纏められた髪は乱れ、張り付いた笑顔は……あの不遜で慇懃な態度は鳴りを顰めていた。
「大事無いかな? キーリバ殿」
驚いているものの、コルゾ・キーリバはまだ事態を飲み込めていない様子だ。
まるで、エリオンを初めて見るかのような表情をしている。
「おやおや……彼女の事も忘れてしまったのか?」
「ゴキげんよう!」
エリオンの後ろに立っていたスヴェンセンが歯を剥き出して言う。
コルゾはヒィッと小さく声を上げて顔を覆った。
その余りの怯え様に、エリオンは少し違和感を覚えた。
「私の連れに手を出すな。 エリオン・アンダマン」
呼ばれて、エリオンが背後を振り向く。
牢屋の中で男が一人、エリオンを睨みつけながら両手で格子を掴んで立っていた。
「失礼。 貴殿は何方だったかな」
「私はルシャス・アンダマン。
アンダマン本家当主カリバン・アンダマンの実妹シゼル・アンダマンの四男だ」
ルシャス・アンダマン。 名前を聞いた事はあるが、会うのは初めてだ。
コルゾ・キーリバが言っていたアンダマン本家の遠縁という話は真実だったのか?
それにしてもこの男は何故私がエリオン・アンダマンだと知っている?
「御初に御目にかかる。 私はエリオン・アンダマン。
アンダマン本家当主カリバン・アンダマンの実弟アエル・アンダマンのニ男にして、イズーダン子爵アーロン・アンダマンの実弟です。
ルシャス殿、此処には一体何用で来られたのでしょう?」
「貴様こそなぜここに居る?
ここはピアルノー・アンダマンが管理している場所だぞ」
同格の貴族相手に〝貴様〟呼ばわりとは、口の悪い男だ……
「仕事です」
「仕事? どんな仕事だ?」
「貴殿には関係が無い仕事です」
エリオンの素気無い答えに、ルシャスは顔を赤くして返した。
「私はルシャス・アンダマンだぞ!」
「ええ、疑ってはいません」
ルシャスを捕縛した時、彼が羽織っていた外套を没収している。
そこに刺繍されていたのは、間違いなくシゼル・アンダマン一族の紋章だった。
「ならば、ここから出せ! さも無ければ母シゼルが黙っていないぞ!」
見た目より幼い男だな、とエリオンは思った。
歳は二十くらいだろうか? しかし、もっと若いのかも知れない。
一瞬、私はエリオン・アンダマンだぞ!私を貴様呼ばわりすると母リアンノンが黙っていないぞ!と返そうかとも思ったが、馬鹿馬鹿しいので止めた。
「もう一度だけ聞きます。 ここに来た目的は?」
「……貴様には関係が無い」
「そうですか。 話す気が無いのなら、私が仕事を終えるまで牢獄に居てもらいます」
「貴様にそんな権利はない!」
「それはどうでしょうか。 ……御安心下さい、貴方達の処遇については良い様に計らうつもりです」
不敬だ!本家に報告するぞ!と叫ぶルシャス・アンダマンを残してエリオンは地下牢を後にした。
◇◇◇
「旦那、あれで良かったんですか?」
地下牢から旧代官邸執務室へと戻る道すがら、スヴェンセンが尋ねた。
「キーリバだけならまだしも、本家筋の人間を尋問する訳にもいかないからな」
補佐役の立場に付帯する特権は遺産分割協議の為にしか行使できない。
先刻は相手側に旧代官邸への侵入と攻撃の意思があり、ここを脅威から守る必要に迫られて武力を行使した、と云える。
だが、その際に捕縛した貴族を尋問にかけるのは、補佐役の仕事に含まれていない。
まあ尋問するまでもなく、彼らの目的はピアルノー・アンダマンの遺産だろう。
コルゾ・キーリバが帯同している時点で……。
「俺もそっちは大した問題じゃ無えと思います。
ただ、大将二人はヘボでしたがゴロツキ共は本物……殺人強姦何でもござれって目をしていやがる。
逃げ出した奴らの中に本当の親分がいたかも知れません」
エリオンは振り返ってスヴェンセンと目を合わせた。
彼女はエリオン・アンダマンの筆頭護衛であると同時に、その衛士隊つまりイズーダン子爵家私兵部隊の指揮官でもある。
帝国の北方にある集落の生まれで、出自も考え方も、典型的な帝国貴族として生まれ育ったエリオンとは本来相容れない。
しかしエリオンは出自と性別を超えてスヴェンセンに全幅の信頼を寄せている。
それと同時に、一見粗雑で不可解な彼女の性格と考え方を高く評価していた。
特に人を見るに独特の基準……エリオンには理解出来ない拘りを持ち、直感的な判断を下すところを。
今回、子飼の部隊から選り優りの猛者達を南領に連れて来ている。
全員が領内の孤児や流民からスヴェンセンが選び出し鍛え上げた者達だ。
その指揮官含めて彼等の仕事ぶりに失望させられた事は(結果的に)一度も無い。
彼女が敢えて言葉にするという事は、入牢している者達は相応の危険人物なのだろう。
「とすると、二人組をあのまま地下牢に置いておくのは危険かな?」
「なんかの弾みで隣に入ってるゴロツキにぶち殺されるかも知れません。
トロそうだし殺ろうと思や格子越しでもいけるでしょうし。
許可頂けりゃ、離れに移しますが」
「そうしてくれ。 それと、警備態勢も強化しよう……特に夜警の巡廻を。
逃げて行った連中が戻って来るかも知れない」
「了解」
その時、警備の衛士が喇叭を吹き、旧代官邸敷地に警鐘が鳴り響いた。
「旦那、 失礼!」
そう言うやスヴェンセンはエリオンを抱え揚げ、そのまま猛然と走り出した。




