ピアルノー氏の義妹Ⅱ
「……ネコ 立っていないでこっちに来て、アーロンを診てくれ」
扉の横に立って母子の様子をまじまじと観察していたネコに対し、エリオンが気恥ずかしそうに言った。
エルフは音も無くベッドに近付くと、横たわるアーロンを綿密に調べ始める。
意識不詳のアーロンを触ったり、包帯を一部切り取って眺めたりと 一通り嗅ぎ回った後、エリオンに声を掛けた。
「のろ」
ネコの発言に不可解な表情をしているリアンノンに対し、エリオンがすかさず補足をする。
「彼女の見立てによると、アーロンの火傷にはやはり魔術の痕跡があるらしい。
何らかの効果……呪いも掛けられているんだな?」
ネコが頷く。
「治すことはできるの?」
リアンノンが尋ねると、ネコは困り顔になった。
「ネコに出来るか?」
エリオンが問い直す。
「むり」
「アーロンを治療する事ができるか、その方法を知っている者。
その人をここに連れて来る事は出来るか?」
再び 困り顔。
「……原因を特定できないから、今は治せるとも治せないとも断言出来ない?」
頷く。
「解呪できるかも知れない者を知っているか?」
頷く。
「その人物を連れてくる事は出来るか?」
三度 困り顔。
「じゃあ、見つからなくても構わないから探して貰えるか?
時間がかかっても構わない」
少し困った顔で、ゆっくりと頷いた。
「分かった。
ネコ、その人を探し出し、ここに連れて来てくれ」
頷くと、流れる様な足取りで扉を抜けて行った。
「エリオン、あなた 随分彼女と仲が良いのね」
「ネコとは長い付き合いだから。 レナートとスヴェンセンも似た様なものだよ」
実際はネコとの付き合いの方が長い。
「あら、そうなの?」
含みのある笑みを浮かべている。
やれやれ……
「そうだった 二人を待たせているんだ。
一旦 領主室に戻るよ。 兄さんの意識が戻ったら知らせて」
母を部屋の中に残し、エリオンは寝室の扉を閉めた。
「エリ」
心臓が飛び出るかと思った。 扉の陰に ネコが立っていた。
「どうした? 今の話か?」
ネコが首を傾げた。
「いや なんでもない。 何かあった?」
「ロン」
アーロンの事だ。
「アーロンがどうした?」
「しぬ」
「アーロンが? 何故だ」
「がし」
がし? がし…… 餓死か。
「アーロンには飢餓か餓死の呪いが掛けられているのか?」
ネコが首を横に振った。
餓えの呪いではないが、餓死する……
まるで謎解き遊びをしている様だが、ネコも私も至って真剣だ。
ネコは二音しか喋らない。
以前、その理由について彼女に聞いた事がある。
これはネコ本人にも判らない、何らかの呪いの影響らしい。
この呪いの所為でネコは幾度と無く侮られ、誤解されてきた。
それ故か彼女は寡黙で、言葉遊びをしない。
ネコが言葉を発する時、そこには明確な根拠と確信がある。
「じゃあ、衰弱の呪い?」
人は衰弱しすぎると、食べ物を口にしてもそれを血肉に換える事が出来ずに餓死する。
首を振った。
衰弱では無いが、何らかの原因で栄養を補給できずに餓死する。 理由があって、食べられない。
まさか……
「アーロンは、このまま目醒めないのか?」
頷いた。
「眠りの呪いか」
首を傾げる。
「昏睡の呪い?」
難しい顔をして、さっきと反対側に首を傾げた。
ネコが勿体ぶって揶揄っている訳では無い。
彼女は私の推測が正答のとき、或いは誤答であれば、そうだと教えてくれる。
その逆に、此方から投げた質問に対して明瞭な肯定か否定で返答出来ない時は、縦にも横にも首を振らない。
つまりこの場合は〝眠りも昏睡も正解では無いが間違ってもいない〟という意味になる。
「へた」
下手。 これも、私の質問が下手だと言っている訳では無い。 多分。
「……下手の呪い?」
一拍置いてから、小さく ゆっくり頷いた。
出任せを言ったつもりだったが、一応正解らしい。
しかし、どういう事だろう? 下手……
「……呪いの掛け方が下手?」
頷く。
成程。 要約すると……
「……アーロンに掛けられているのは、下手で歪な呪い。
だが、眠りや昏睡に近い効果を齎しており、解呪するまでは目醒めない。
その間は食事も取れない為、一定期間内に起こす事が出来なけば 何れは死んでしまう。
……飢えで」
笑顔で何度も頷いた。
正解だ!
……いや、喜んでいる場合ではない。
◇◇◇
アーロン・アンダマンの寝室に戻り、エリオンはネコが解き明かした呪いの概要を母に説明した。
領主室に置いてきた封筒と便箋、あの植物紙の事も。
「……このまま待っていてもアーロンが目を覚さないというのは、間違い無いの?」
話を聞いて押し黙った後、静かに深い溜息を吐いてから リアンノンが尋ねた。
そう問われたネコが、困った顔でエリオンを見る。
「確実では無いが、その可能性は高い。 歪で不完全な呪いなんだ。
その効果が今後どう作用するか、エルフのネコにも読めない」
「そう……」
「何れにせよ、この呪いを解く為に凡ゆる手段を講じる必要がある。
直ぐにでも治療師の捜索を開始しよう」
「ええ。 これ以上ピアルノーの遺産分けに関わるべきでは無いかも知れないわね」
「逆だよ、母さん。 関わるべきだ」
「……何故?」
「治療師が見つかるとは限らない上、見つかったとしても時間がかかり過ぎていればアーロンは助からない。
だから、もう一つ手立てを打つ。 叔父上の遺産だ」
「それは……余りにも危険よ」
「勝算はある。
その為に予定通り南領へ向かい、遺産分割協議の補佐役として旧代官邸に入って下準備を進めようと思う」
叔父の蒐集品。
子供の頃、旧代官邸で叔父から聞いた無数の物語の内容は全て、頭の中に刻まれている。
証人が所有するピアルノー叔父の財産目録に書かれているのは表題だけだ。
名札と額面に過ぎない。
しかし私ならば、その一つ一つに叔父が語った物語が秘められている事を知っている。
それらのどれが秘宝や呪物で、どの様な効果を持っているのかも。
「協議が終わる迄の間に叔父上の遺産からアーロンを救う品物を見つけ出し、イズーダンに届ける」
「ピアルノーの事は……証人の補佐役は、別の人間に託しても問題ないでしょう?」
首を振って答える。
「私が唯一の補佐役であるという、今の状況こそが重要なんだ」
何事も無ければ、会合は期日通りに旧代官邸で執り行われる。
こちらが騒ぎ立てない限り、補佐役就任も解消される事は無い。
相続人達より一足早く旧代官邸内に入る事が許される、補佐役という大義名分が有ればこそ、現地での下準備の過程で大手を振って館内の財物を確認する機会が作れるのだから。
リアンノンはアーロンの額に手を置きながら、エリオンを見て言った。
「オーデンは最初からこちらを裏切るつもりで、あの手紙を渡してきたのよね?
じゃあ、今でもあなたが補佐役であるという保証はどこにあるの?
仮に、彼らが既にあなた以外の補佐役を立てていても、御丁寧に知らせてくれたりしないでしょう?」
的を射ている。だが……
「母さんの言う通り、私が補佐役である事を保証する物は無い。
と言うよりは、必要が無いんだ。
オーデンが新たに補佐役を準備していたとしても、そいつが旧代官邸にやって来たら捕縛するか、追い払う。
奴らが私達に対しそれを知らせていないのだから、当たり前だろう?
小細工は問題にならない」
ナヴィラク・オーデンに補佐役就任を依頼され、それを受諾した張本人である私 エリオン・アンダマンが誰より先に旧代官邸に入りさえすれば。
秘匿されている会合場所を知っていると云う事実そのものが、私が補佐役である事の証明になる。
「……でも、例えば そう、そのキーリバという商会に声をかけても良いし、本家に助けを求めても良いじゃない!」
エリオンはこの、母からの懇願にも似た提案を決して受け入れられない事を知りながら 穏やかに続けた。
「キーリバ商会とは組まない。
コルゾ・キーリバの態度を見る限り、彼等の目的は叔父上の遺産だ。
私と目的が同じである以上、途中で敵対するかも知れない。
それに、アーロンも言っていただろ? あの商会は信用出来ない。
……何より、母さん。
もう既に、アーロンを救う為に一刻を争う事態になっている。
今更アンダマン本家に泣きついて、彼らに希望を託すのは愚策だ。
他人を巻き込んでも、状況が好転する事は無い」
これから自分がしようとしている事は、黒に近い灰色……流れによっては紛れも無い違法行為に成る。
目的の為に、当事者は少なければ少ない程良い。
勿論、アーロンの事は誰にも知られてはならない。
だから、アンダマン本家にも現段階では協力を仰ぐ訳にいかない。
兄の命が絡んだ、時間との戦い。
その糸口は旧代官邸にある。
あの地に行かなければならない。
「……分かりました。
ここで貴方の帰りを待つ事にするわ。 アーロンと一緒に。
せめて、万全の準備をして行ってらっしゃい」
◇◇◇
数日後、馬車と騎馬の一団が南領に向けてイズーダン子爵邸を発った。
領内視察行を装い巧妙に偽装されたその一群を率いるのはエリオン・アンダマン。
首元に黒い鍵を下げ、その懐中に二通の封筒と一枚の便箋を忍ばせていた。




