ピアルノー氏の小説
不躾な訪問者をスヴェンセンに見送らせた翌日。
その日没前、思わぬ出来事があった。
早馬で子爵邸の詰所に到着したその伝令は、アーロン・アンダマンとリアンノン・アンダマンが既に領境を越えてイズーダン子爵領内に入ったという報せと、二人からの手紙を携えていた。
それは事前に知らされていた予定を さらに四日以上前倒しにした帰還の報告であった。
エリオンは急遽、一日の仕事を終えつつあった官僚たちを呼び戻すと、矢継ぎ早に指示を出して子爵邸に至る街道沿いの馬車宿や要所の村落への衛士派遣に加え、補給と替え馬の手配まで、思いつく凡ゆる下準備をさせて領主一行の到着に備えさせた。
◇◇◇
イズーダン子爵邸内にある行政官用の執務室。
使用人達が一日の仕事を終え、屋敷全体が夜の眠りに落ちてからも部屋の明りは灯され続けていた。
その書物机が、ゆらゆらと明滅する灯りに照らされている。
机上に無造作に広げられ、開封された書簡や端に積まれた紙の束、未開封のまま置かれた封筒。
それを横目に、執務室の壁に衛士が一人背を凭れ、無言で立っている。
さながら置物の様に静かだが、眠ってはいない。
彼女はエリオンの背後、執務室の窓越しに広がる夜闇に目を凝らし、そこに時折現れる仄かな光を 夜警が持つ松明の動きを観察していた。
一方、書物机に向かうエリオン・アンダマンは書類の山から一つを手に取って凝視しているかと思えばその場に放り出す。
かと思えば目線だけを動かして読んだり、ぼんやりと全体を眺めたり、退屈そうにしている。
彼は先刻届けられた手紙を目の前に広げ、その内容について考えていた。
送り主曰く、南領から送れなかった手紙。
そこには、ピアルノー叔父の葬儀を巡ってアーロンとリアンノンが目の当たりにし、各々が書かずにいられなかった、彼等の不審を煽った光景と出来事が簡潔に纏められていた。
そうして齎された情報は、それ自体は具体的な脅威でないにも関わらず、捨て置けない胸騒ぎをエリオンに覚えさせた。
ピアルノー・アンダマンの葬儀。
あの商人、コルゾ・キーリバの言っていた事が頭を過ぎる。
〝実態がどうあれ、富があると聞けば人は集まり、群がって来るものですし……物騒な輩族も少なくありません〟
顔に両掌を当てて、あくびを押し殺す。
蓄積した疲労からくる眠気に抗いつつ そこまで考えてからウトウトと意識を失いかけた刹那、スヴェンセンがエリオンに声を掛けた。
「ようやっとお出ましだ」
◇◇◇
夜警に案内されて執務室に入ってきたその男は、帽子を取って最初にエリオンに挨拶し、それからスヴェンセンと二言三言軽口を交わした。
褐色の肌をした痩身の男性。
法衣貴族が好む 質実で良質な、清潔感のある装い。
艶のある長髪を釵でまとめている。
彼が従者の手を借りるまでも無く自身の外套と帽子をテキパキと衣紋掛に掛け終えるのを見計らって、エリオンが口を開いた。
「お帰り レナート。 帝都周りはどんな様子だった?」
「賑やかでしたよ。 あちらでもピアルノー様は人気者ですね。
それよりも随分と仰々しい出迎えでしたが、何か起こったんですか?」
「領主一行が無事イズーダンに入ったらしい。 予定よりずっと早いが、その出迎えだよ。
先触れも有って無い様な速度で踏破して来たようだ。 道中で何も聞かなかったのか?」
「どおりで慌しかったんですね。
今回は西方から行商をしながらの帰り路でしたが、その途中で大殿御一行については何も。
敢えて言うならどこの酒場でも、大なり小なりピアルノー様の話は聞こえてきましたが」
「叔父上の話か。 どの様な内容だった?」
「ピアルノー様の遺産 主に財宝と……未亡人についてでした。
それらも一応、今回の報告書に纏めてあります。
あ、ピアルノー様を主人公にした小説も売れているそうですよ。 必要でしたら一式揃えておきますが」
「そうか。 では 頼む」
ピアルノー叔父の小説……
叔父の蒐集品に触れる様な内容だとすれば、目を通しておくべきだろう。
◆◆◆
後日、〝ピアルノー・アンダマンの淫靡な探索行 完全版〟全十六巻がイズーダン子爵邸に届いた。
エリオン宛に送られて来たその荷物を、既に南領の旧代官邸に向けて出立していた不在のエリオンに代わって開封したのは リアンノン・アンダマンであった。
その顛末は後程語るとしよう。
◆◆◆
この人物、レナートはスヴェンセン同様エリオンの腹心であり、彼の密偵網を構成する重要人物の一人だ。
普段はとある商会の会頭として、その運営を務めつつ各地で情報収集に勤しんでいる。
エリオン・アンダマンがイズーダン子爵領内に擁する密偵達の隠蓑として設立されたこの商会は当初、イズーダン城下の一商店から始まった。
事業は順調に拡大し、今や領内のみならず帝国各地に支店を置く大店となっている。
それらは全て、レナートの手腕によるものだ。
レナートの報告書を運び入れた後、それぞれ執務室の長椅子に掛けて、エリオン手ずから淹れた珈琲を飲みながら、三人は話を続けた。
「……領主一行の早期帰還は予想外だった。
彼等が南領から送って来た手紙にはその様な事は微塵も書かれていなかったが、今日届いた新たな手紙を読む限り、奇妙な事態になっている様だ。
予定通りであれば、二人は明日にも子爵邸に到着する。
その後の話し合いの内容次第だが、我々の予定にも変更が出る可能性がある。
レナート、今日から暫くはスヴェンセンと一緒に子爵邸内に滞在して欲しい」
「承知しました。
ただ、商会の番頭を同行させて来ています。
この話が終わったら本店に戻したいのですが、問題ないでしょうか?」
「構わない。 ところでネコが見当たらないんだが、一緒じゃなかったのか?」
「いいえ、同行してません。 でも城下で会いましたよ? ここに来る前に。
その時にエリオン様から召集があった事も話をしてあります」
「……まあいい。 報告を始めてくれ」
レナートが頷き、書類を手に話し始めた。
「コルゾ・キーリバという商人とその商会について、取り急ぎ調査しました。 先ずはキーリバ商会から。
これまで当商会と取引はありませんが、以前から度々その名を聞く事はありました。
中堅どころの老舗で、奢侈品、嗜好品を中心に独自の仕入れルートと販路を持っています。
一般民衆向けの店は殆ど持っておらず、主な顧客は貴族家や一部の富裕層。
それら顧客に対しては物売りに留まらず、様々な要望事情に応じた特別注文や御用聞きも行なっているようです。
寧ろ、こちらが主要な〝商材〟……キーリバ商会の売りと云っていいと思います」
……貴族向けの萬屋商売といったところか。
「誰と どの様な取引をしているんだ?」
「家格が伯爵以下の貴族家とそれに準ずる家々が顧客ですが…… 特別注文の内容までは、知れませんでした。
周到に、見事な手際で隠されています」
「我々と彼等では運営方針に違いがある様だな」
客層の貴賤を問わず、広域な販路を築く事が我々の会是だ。
これは帝国全土と諸外国の主要都市という、広大な地域を股に掛けて情報収集を行なう上で、必然的にそうなっている。
要するに情報網を広く浅く張り巡らせる必要に駆られての事であり、そこに富裕層や貴族の顧客が求めるところの信用……つまり、顧客情報の徹底した隠匿性を備えるのは難しい。
だがキーリバ商会は顧客を選別し、窓口を絞る事でそれを可能にしている。
「ええ。 商圏も、主要な客層も我々とは大違いです。
それにつけ加えるなら、キーリバ商会には会頭以下多数の準貴族が在籍しています」
準貴族。 世襲権の無い、一代限りの爵位。
帝国の準貴族は世襲貴族家の推薦を受けて帝室から授与される階級で、同じく世襲領地を持たない法衣貴族が帝国運営に不可欠な文武の官僚としての職務を担う一方、そういった義務も無い特殊な爵位だ。
一部の大商人や高位聖職者、高名な学者、それ以外に強力な魔法使いや他国の要人にも与えられる事がある。
文字通り貴族に準ずる階級ではあるが、帝国貴族同様の特権や利権がその称号に付属しているわけではなく、名誉と箔付の意味合いが強い。
また、授与の条件として一定額の献上金を納める必要がある為か、帝室が売僧の真似事をしていると揶揄する声も聞かれる。
「キーリバ商会は 貴族家との婚姻で勢力を維持しているのか?」
原則として貴族の婚姻は同じ帝国貴族家出身者の間でしか認められていない。
しかし、準貴族に叙任された者は帝国貴族の末席に数えられる為、その出自を問わずに貴族と婚姻関係を結ぶ事ができる。
これこそが準貴族と市民を隔てる最大の違いだ。
「手元の情報でそこまで言い切る事は出来ませんが、大体は御推察の通りかと。
キーリバ商会に属する家々から貴族家に養子や惻女の輿入れがあった事実は確認できました。
相当数の貴族と伝手を持っているのは間違いありません」
「まさか その中にアンダマン本家も含まれているのか?」
「私の調べた限りでは、そういった事は有りませんでした。
しかしアンダマン家は大身ですから、家系図の端っこに書かれている様な、傍流の誰かがキーリバ商会の息の掛かった養子や愛妾を迎え入れている可能性は 否定出来ません」
そうなると、あの男が自称していた アンダマン本家の遠縁 と言う話も強ち出鱈目ではないのだろうか。
「コルゾ・キーリバについてはどうだ?」
「……それが、殆ど何も。
その名を持つ商人は、確かにキーリバ商会の一員です。
ですが、私の方ではそれ以上に詳しい事は判りませんでした。
キーリバ家の人間は商会の中枢を担っている一方 極々一部の管理職を除いて、全く表舞台に出て来ません」
謎の多い老舗商会。
ピアルノー叔父の遺産分割に関わろうとして来た様に、これまでも貴族間の相続や揉め事に介入してきたとすれば、貴族相手の商いは連中にとって御手の物なのであろう。
しかし、貴族は市井の人間より金は持っているものの 客として相手をするには気を遣う手合いだ。
顧客情報の秘匿然り、相続一つとっても関係者全てが納得する形で軟着陸させる事が出来なければ、次は無い。
ましてや、そこに介入し利鞘を稼ぐ為には多大な労力と根廻しが必要となる。
並の商会では到底履行不可能な案件だ。
彼等が有能な会員を揃えている事は謂う迄も無いが、貴族家と婚姻を結ぶ事でその影響力と販路を伸長させているのが事実であれば、認識を改めるべきかも知れない。
恐らくキーリバ商会には、相応に強力で、後ろ暗い側面がある。
果たして、コルゾ・キーリバを追い返したのは早計だったか否か……
「……エリオン様。 一体この男と何があったのですか?」
「うん……。
ああ昨日、ここに来た。
アンダマン本家及びピアルノー叔父上の遺族と証人に対して、自分を遺産協議の補佐役として推薦して欲しいという依頼の為に。
〝受諾すれば追加〟の心付け持参でな」
「ははっ それは大胆ですね。
承諾したんですか?」
「冗談じゃねえ」
エリオンに代わって返事をしたのはスヴェンセンだった。
エリオンは片方の眉を上げてから頷いた。
「そうだな。 ここからはお前が見てきた事を話してくれ」
「胡散臭い野郎でしたよ」
そう言ってスヴェンセンは報告を始めた。
◇◇◇
スヴェンセンが話し終わる頃には、日が替わりつつあった。
エリオンがイズーダンを出発する直前まで、二人には更なる情報収集と精査を進める様にと指示を出し、翌日に控える領主一行との会合に備えてその日は解散した。
◇◇◇




