本当は怖い七五三の真実 (1000)
「この泥棒女、許さないわ!」
住宅地の角を曲がった途端、知らない女が体当たりしてきた。
突き飛ばされて尻もちをつく私の上に、髪を振り乱した女がのしかかる。
その顔に見覚えはないが、強い敵意は伝わってきた。
女は手にしたナイフを振り上げる。
もうダメだ!ツキのない人生だったが、こんな終わり方なんて。神様助けて!
次の瞬間、周囲の雑音が消滅し世界がフリーズする。
「ほっほっほっ、大ピンチのようじゃなあ。」
視界の端に白髪頭の老人が出現した。口を大きく開き、楽しそうな顔で高笑いする。
「あなたは誰?なぜ私の体は動かないの?」
私が矢継ぎ早に質問すると、老人は口を大きく開けたまま答える。
「ワシはおぬしの守護神じゃ。おぬしが幼い頃からずっと見守ってきた。時間を止めたのもワシじゃ。」
「守護神ですって?じゃあ、この女を何とかしてよ!」
老人は楽しそうな顔のまま、少し困った口調で言う。
「この女はおぬしに強い怒りを持っておる。ワシの手には負えん。」
老人は続ける。
「人生とは選択の連続じゃが、そなたはどこかで誤ちを犯したのじゃ。今からそれを修正するチャンスを三度だけ与える。それがワシにできる精一杯じゃ。」
老人の言葉は信じ難かったが、私に選択の余地はない。
「さて1つ目はどうする?あまり長くは時間を止めておれんのじゃが。」
急に言われて当惑した私は、自分の身だしなみに目をやる。
プラダのバックにベルサーチのスカート。指にはめた指輪はどれもブランド品だ。
私は六本木でも指折りのキャバ嬢。身にまとっているのは、全て客からの貢ぎ物だ。
男ってバカな生き物。
奥さんや恋人がいたって、私がねだれば大概のものは手に入った。
きっと世の女性達には恨まれていることだろう。
でも私だって好きでこの仕事を選んだわけではない。元々は区役所勤めの公務員だった。
あの出来事さえなければ、今でも堅実な人生を歩んでいたはずだ。
そう思った次の瞬間である。私は区役所2階にある「何でもやる課」にいた。
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「今すぐハチの巣を撤去しろ。俺が刺されたらどう責任とるんだ!」
目の前の男が大声を上げている。うちの役所でも有名なクレーマーだ。
市で駆除するから申請書を書いてくれと頼んだのだが、さっきから怒鳴ってばかりだ。
助けを求めて振り返ると、気弱な課長はデスクの陰で息をひそめている。
男はそれを目ざとく見つけ、今度は課長を攻撃する。
「おたくの教育がなってないんじゃないのか!」
消えりそうな声で課長が謝ると、男は調子に乗って言い放つ。
「お前らは市民の奴隷なんだよ!」
思い出した!この一言で、私の中の何かが壊れたのだ。
次の日、私は退職願いを提出し市役所を去ったのだ。
だが今の私は違う。多くの男たちを手玉に取り、夜の世界を登り詰めた女。
他人への攻撃心に満ちた男。
これは劣等感の裏返しで、プライドを傷つけぬよう承認欲求を満たしてやればいい。そして今の私には、そのスキルが備わっている。
1時間後、男は上機嫌で帰って行った。申請書もきちんと仕上げてある。
課長はそれを、おっかなびっくりといった様子で受け取った。
そんな課長の耳元に私はささやく。
「今日はお疲れ様。この次は、もうちょっとだけ逞しい姿を見せて下さいね。」
赤くなった課長を見て思う。この仕事向いてるかも。そして私は目を閉じる。
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目を開けると、私は住宅地の曲がり角にいた。
紺のスーツの上下に事務鞄。先程とは打って変わった堅実な身だしなみだ。
まだ公務員続けてるみたいだわ。
ほっとした私だったが、目の前を見上げて愕然とする。
髪を振り乱した女が、まだナイフを振り上げていたのだ。
「ほっほっほっ、読みは外れてしまったようじゃな。」
白髪頭の老人が高笑いする。
「まだチャンスはあるぞ。次はどうするね?」
私は自分の左手に目をやる。中指と人差し指にはファッションリングが嵌まっているが、薬指は空っぽ。まだ独り身のようだ。
そう言えば、大学時代は男をとっかえひっかえだった。クラスメートにサークルの先輩。他人の彼氏を奪うのだって日常茶飯事だった。私を恨む女がいてもおかしくない。
だがどれだけ多くの男と付き合っても、私の心は満たされなかった。
本当に好きなのは、あいつだったから。
あの時、もっと素直になっていれば、、、そう思った次の瞬間、私は大学1年の夏のさなかにいた。
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「あんた本当にヒロアキ君に会いに行かないの? 留学したら一年帰ってこないのよ。」
母親がその質問をするのは三度目だ。
ヒロアキは幼なじみで小さい時から、ずっと一緒に育ってきた。
高校に上がる時それは愛情へと変わり、私たちは清い交際を始めた。
ところが大学1年の春、ヒロアキは突然アメリカへ行くと言い出した。
出発はその年の夏、期間は1年。
事前の相談がなかったことに私は腹を立てて喧嘩別れ。旅立ったヒロアキの穴を埋めようと、次々に男を変えていったのだ。
今日はヒロアキがアメリカに出発する日だった。
彼を手放してはいけない!私は全速力で走り出す。
「あんたに言いたいことが2つある。」
スーツケースを父親の車に積み込んでいたヒロアキは、息を切らせた私の姿に驚く。
「1つ目はこれ!」
そう言って私はヒロアキの左ほほを引っぱたく。
「勝手にアメリカなんか行きやがって。許さないわ。」
「だってお前に話したら、きっと反対されるじゃん。」
ヒロアキは左ほほを痛そうにおさえながら、しかめ面で答える。
「それから2つめ!」
観念した表情で目をつむるヒロアキ。そして私はその右ほほにキスをする。
「絶対浮気すんなよ。一年で帰って来いよ!」
笑顔が戻ったヒロアキが答える。
「当たり前だ。俺は勉強しに行くんだ!」
そして彼は旅立った。
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次に我に返った時、私は住宅地の曲がり角にいた。
左手の薬指には、小さいダイヤの付いたリングが嵌っている。
ヒロアキの好みと私は確信する。
幼なじみとの恋愛結婚、市民に奉仕する公務員。もう他人から恨まれるような過ちは犯してないはずだ。
ところが目の前を見上げて呆然とする。
そこには、まだナイフを振り上げた女がいたのだ。
「ほっほっほっ、いよいよ最後になってしまったな。」
白髪頭の老人が、楽しそうな顔で言う。
私の気持ちも知らずに笑ってやがって。
しばしその顔を睨みつけていた私だが、徐々に幼い日の記憶が蘇ってくる。
この顔には見覚えがある!
そうだ、確かあれは私が三才。地元の神社に、七五三のお参りに行った時のことだ。
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次の瞬間、私は神社の境内にいた。
赤と紫の着物を身にまとい、手には千歳飴の袋をぶら下げている。
ゴマ供養が始まるのを待っているらしく、大人たちは世間話をしている。
退屈そうに周囲を歩き回っていた私は、それにも飽きて一人境内の外へ出た。
そこには、何軒かの屋台が並んでいた。
私は他の店から少し離れた場所にある、お面を売っている屋台に興味を覚える。
おかめ、お多福といった定番のお面が並ぶなか、隅の方に老人のお面が一つだけ置かれていた。
白髪頭で大きな口を開け、高笑いするかのように楽しげな表情だ。
何かの神様だろうか?
幼い私はその表情に惹かれ、手を伸ばす。
もう少しで手が触れるという時、お面の口元が緩む。それはほんの一瞬の出来事であったが、醜く卑屈な笑みが浮かぶのを私は見逃さない。
「これは神様なんかじゃない!」
私は叫び、手を引っ込める。
突如、老人の口から大きな牙が現れ、幼い私に襲い掛かる。
無我夢中の私は、手にした千歳飴をその口へと突き刺す。周囲に響き渡る甲高い獣の呻き声。
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目を開くと、私は曲がり角にいた。
ナイフを振り上げた女はもういない。
傍らでは老人が苦しそうに呻いている。
近づいた私は、その顔に触れてみる。それはお面だった。
力をこめて引き剝がすと、獣の顔が現れる。
「かつては七五三参りが終わるまでの子供は、人として認められなかった。神に返すといって、間引きや人身御供に供されることもあった。」
「俺たち人外はそんな子供達が目当てでな。あの日も神社の外に罠を仕掛け、お参り前の子供を待ち伏せしていたのさ。」
そして幼い私はその罠にはまってしまった。
獣はかなり苦しそうだった。千歳飴でそんなに深手を負うのか?
「ただの飴じゃない。幼い子供が千年生きるよう強い願が掛けられている。お前はそれを俺の急所に刺したのだ。」
獣の姿は少しずつ薄くなっていく。声も聞き取りづらくなってきた。
「この傷は深い。癒えるまで時間が掛かりそうだ。」
獣は短い遠吠えを上げ、姿を消した。
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大荒れだった私の人生は、あの日を境に平穏を取り戻す。
ヒロアキは良い夫だし、市役所勤めも順調だ。
最近犬を飼い始めた。あの神社の近くで見つけた捨て犬で、コマと名付けた。
夕方コマと散歩に行くのが新しい日課となったが、あの神社にもたまに訪れる。
そんな時、決まってコマが激しく吠える場所がある。あの屋台があった場所だ。
もしかしたら、もう復活しているのかもしれない。
老人の面を被ったあいつが。