嫁ぎ先へ
ガタガタと馬車が揺れる。
私が縁談を受けると返事をした2週間後、まさかの迎えの馬車が来た。
あまりの早さに父が疑ったくらいだったが、馬車にはしっかりとキングフィッシャー辺境伯の家紋が付いており、案内人として同乗したのが、キングフィッシャー家の副執事であるクライブ。代々王家に仕える執事を多く輩出する子爵家の次男で、長男は王家に就き、家長である父親と次男のクライブは大公殿下に就いたと自己紹介してくれた。
キングフィッシャー辺境伯の家紋の透かしが入った手紙を持参しており、内容はこの者が間違いなくキングフィッシャー辺境伯の副執事である事、共に妻となるエリザベス・スターリング伯爵令嬢がキングフィッシャー領へ来るようとの内容が、達筆な書体で書かれていた。
執事が子爵の出なんだ! 伯爵家と一つしか違わない!?
衝撃の事実だったけれど、口にしないで心に留めておく。
にこやかな笑顔を向けながら、父が先ず言わなければならない事を口にした。
「お早い対応、誠にありがとうございます。ですが縁談を決めたのはつい先日、申し訳ないのですが婚姻のための準備もまだ何も手をつけていないのですよ」
少しでも私の出立を先延ばしにしようとした父の言葉に、笑みを浮かべた副執事クライブはさも当然のように答えた。
「主人から言付けを承っております。『エリザベス嬢は縁談を受けてくださったそのお気持ちだけで十分、どうぞ身一つでいらして下さい』との事です」
「身一つ、ですか……。それは何も持ち込んではいけない、というわけでは無いのですよね?」
「はい。婚礼に際して何かをわざわざ準備なさらなくとも良いとの仰せです。順調にいけば半年後には婚姻式を取り行いますので、御家族の皆様にも配慮しキングフィッシャー領で全て整えさせて頂きます。
付きましては御家族様への案内として、こちらから共を連れてまいりました。式当日までの当家とのやり取りを担当させて頂きますーーーロイ!」
新たな侍従が現れた!
「ロイと申します。どうぞ宜しくお願いします」
「結婚式までの詳しい段取りはロイに尋ねてください。
エリザベス様はこのまま私共と馬車にお乗りいただき、自領キングフィッシャーまでお連れいたします。御家族様との連絡にはこちらをお使い下さい」
そう言ってクライブに手のひらサイズの楕円の水晶のようなものが入った巾着を2つ渡された。私と父が各々持つ。
何これ?
「こちらは通信機、『魔道具』になります」
何ですって?!!
2人して驚き慌てて落としそうになったのを受け止めた。落として壊したら、没落した家じゃ弁償しきれない!!
こここれが、『魔道具』……初めて見たかも。
不思議そうに眺める家族の前で、クライブが説明してくれる。
水晶に触れながら念を込めると、遂になる相手側の水晶と対話出来るのだとか。ただこれは時間も15分ほどで回数も送受信合わせて3回しか使えないらしい。それでも十分お高いのだろうけれど。怖かったのでお互いにクライブとロイに預けておいた。
「今すぐ発たなければならないのでしょうか? せめて娘と一晩過ごさせて下さい」
母の懇願にクライブが頷く。
「もちろん私共も攫うように連れて行くわけには参りませんし、馬を休ませるためにも出立は明後日になります。このような素早い対応である事は主人がエリザベス様をそれだけ強く望んでいると、理解していただければ嬉しく思います」
……何故。
どうして特別美人でも無い自分にこれだけ執着してもらえるのか、やはり分からない。しかしクライブに聞いたところで仕方がないので、向こうに着いたら直接大公殿下に尋ねてみよう。もしかしてもしかしたら、刺繍の腕を買われたのかも……ありえないか。
ぐるぐると疑問は残るものの慌しく時間は過ぎ、家族での晩餐の際、母から亡き祖母から貰ったというエメラルドの指輪を託された。押し問答があったけれど、『姉には時間と手間とお金をかけて出してやれたのに、お前には何もしてやれないから』と泣かれてしまえば、それ以上何も言えなかった。
有り難く貰うその指輪は恐らく、最後の最後まで母が金策にも出さなかった代物なのだろう。もし縁談が上手くいって大公殿下と結婚し、援助して貰えたのならその時に母に返そう。
そうして侍従のロイを残して馬車に乗り、私は嫁ぐ為にキングフィッシャー領へと向かっていた。
流石に1日2日で着く場所ではない為途中で宿屋に宿泊する。大公殿下は副執事のクライブだけではなく、私の世話用に侍女までつけてくれていた。クレアと名乗ったその侍女は手際良く身支度の世話をしてくれた。なんでもクライブの身内らしい。私の少し年上ぐらいの彼女は、堅苦しそうなクライブとは違って親しみのある女性だった。
王都を出る前に私の採寸をして、何やら大量の買い物をした別動隊を含めた5台の馬車を伴い、1週間後にやっとキングフィッシャー領へと辿り着いた。
同乗していたクレアが教えてくれて窓から外を覗くと、王都とは明らかに異なる広陵な麦畑が広がっていた。その奥には大きな森見える。
街道を通る馬車の家紋を認めた農民達が、仕事の手を止めてこちらに向かって会釈をしていた。農民達に悲壮感は全くなく、むしろ領主への感謝が込められた表情をしていた。きっとキングフィッシャー領が豊かで民人も安心して暮らせているのだろう。
我がスターリング領の人々とは雲泥の差だ。彼らは確かに私財を投げ打って救いの手を差し伸べた両親に感謝してはいたが、度重なる災害に疲弊して疲れ切っていたから。
私が嫁ぐ事で彼らの待遇がこの人達までとは行かなくとも、少しでも良くなればいいな。
何となくそう思いながら馬車は進む。やがて民家が増え街並みが続き、いつの間にか石畳の上を車輪が走り始めーーー午後半ばぐらいにようやく領主の館に着いた。
やっと仮面の大公殿下との対面だ。
私は色んな意味で高鳴る胸を押さえながら、馬車からゆっくりと降り立った。