謎の縁談
『仮面の王子』
それは王都に住む者なら大人から子どもまで知っている、現王陛下の歳の離れた王弟殿下のことだ。
異母兄弟の王弟殿下は幼い頃からとても優れた能力を持ち、仮面さえ付けていなければ現王陛下に勝るとも劣らないと言われるほどの逸材だという。
ただーーーただその容姿だけが、見る者を震えさせる程醜い為、常に口元しか見えないハーフマスクを付けていた。仮面はシンプルな物故に表情の見えない王弟殿下を最初は遠巻きにしていた周囲の者達も、その人柄に魅かれて集まっていった。忠義に厚い家来も増え、例え王位につかなくとも王弟殿下が元王の臣下に下ったその時に治る領はさぞ豊かになるだろうと言われていたし、実際にそうなった。だが、その仮面の王子には生涯を連れそう妻になるものが唯の1人も現れなかった。
臣には恵まれたが伴侶には恵まれず、前王から頼まれて婚約を結んでいた公爵家の令嬢も、泣き叫んで鬱状態になり、それを知った仮面の王子自らが婚約を解消した。王子は決して、その令嬢と公爵家を責める事はなかったという。そうして婚約解消したその年、仮面の王子は大公という位を拝命して臣下に下り、辺境を自領として引き受けると社交会から姿を消した。
婚約者が自分の容姿に恐怖して鬱状態なるなんて……ショック以外の何物でもないよね……。誰か大公殿下のフォローしてあげたんだろうか。
そこまで考えて、ふと思う。
でも、何故私? 援助は確かにとても嬉しいのだけれど、どうして私に縁談がきたのかしら?
記憶を思い起こせばデビュッタントの年、最初で最後であろうという気持ちで王城に上がった16歳のあの日。仮面の王子様である大公殿下を見たのは、あの日ただ一度だけだった。
会話を交わした覚えも無く、『あれが噂の仮面の王子様』と遠目で認識して終わった気がする。
それよりも社交会の豪華さと人の多さに圧倒され緊張して、ただただ帰りたいと願い半分以上の時間を裏庭のベンチでまったりしていたのは内緒だ。
女性なら華やかな場所を好むのかもしれないけれど、私は自宅で刺繍をしている方が向いている気がする。庭を散歩して花や木々を眺め、穏やかにお茶を飲見ながら本を読むのがどれだけ楽しいか。没落して社交会に出なくても良くなったのだけは、喜ばしい事だとこっそり思っている。人と話す事が嫌いなわけではないが、多くの人と広く浅く付き合うとか表面上笑って腹の内を探り合うというのが苦手なのだ。
つくづく腹芸は出来ないタチなので、大人しく嫁に行くべきだと思っていたし。……水害のお陰で婚約者もいなくなり、そういった未来までなくなってしまったけれど。
父は眉根を寄せて私を固唾を飲んで見つめている。不安気な母と落ち着かない兄。そんな家族に見守られて暫く考えていた私は、答えを出した。
「その縁談、お受けします」
てっきり断ると思っていたらしい両親は驚愕の表情を浮かべ、兄は思わず詰め寄った。
「ベス!? 仮面の大公殿下なんだぞ?! 元婚約者が鬱になる程醜い容姿の方に、生涯を捧げるつもりか?!」
「兄様、その物言いは不敬に当たりますわ」
「没落している我が家に今更何の怖いものがあるというんだ?! 俺達はお前の不幸の上に幸せを望むほど落ちぶれてはいないぞ?!」
「兄様落ち着いて」
興奮している兄を宥めつつ隣に座らせる。母はあまりの事に既に泣いていた。
「確かに容姿は酷いとお聞きしてますけれど、それ以外は有能で人徳もおありな方なのでしょう? そんな方の下に嫁げるなんて、私夢みたいなお話だと思ってるんです」
「でも貴女……そんな容姿の人と夫婦になるという事は、貴女に触れられるという事なのですよ? 耐えられるわけがないでしょう!」
母がまるで自分の事のように泣き喚き、父に慰められている。けれど私にとって容姿はそれほど重要では無いのだ。
「『美人は3日で飽きる』といいますわ。仮面をつけるほどの容姿だとしても、心映えの良い方ならば共に過ごす事で慣れて気にもならなくなるでしょう」
そして母の両手を取って笑ってみせた。
「何より我が家に援助してくださるというのです。家の為に、家族の為になるのですから私はこの縁談を申し込んで下さった大公殿下には感謝しかありませんわ」
「ベス……」
母が感極まったように私にしがみついて泣き始めた。兄は耐えきれなくなったのか、部屋を出ていってしまった。
父が私を強い眼差しで見つめ、口を開く。
「唯の縁談では無い。後から『やはり無理だ』とは言えないのだぞ? それでも本当に良いのか?」
「……はい」
父の目を見つめ返し、ハッキリと答える。大きなため息を1つ吐いて、父は一言「わかった」とだけ言った。
こうして私は仮面の王子、辺境伯大公殿下の下に嫁に行く事が決まったのだった。