魂の承継
かなり前に書いたものを修正したので、文章がちょっと下手です。
兼田はアパートの車庫に運んだばかりのボロボロのバイク――GSX250SS・カタナを複雑な心境で見つめていた。
フロントフォークはぐにゃりとリア方向に曲がり、タイヤはラジエーターを突き破りフレームのアンダーチューブに接触している。カウルというカウルは粉砕し、金属部分の到る所に深い傷跡が残っていた。
信号無視で飛び出してきた車に時速70km/hで衝突。カタナはその損傷具合から事故の悲惨さを物語っていた。
勿論、その時カタナに乗っていた兼田の三十年来の親友であった吉田は即死であった。
話しによれば、十メートルほど放り出されてアスファルトに叩きつけられたという。
「避けれんわなぁ……」
実況見分から事故を想像し、眉をしかめながら兼田は呟いた。
二週間前、兼田はいつも通り仕事を終えいつも通りファーストフード店へ入り、独りで夕食を済ませていた。
離婚したのはもうかなり昔の話だ。
初めは自炊をしていた兼田も次第に面倒になり、身体に悪いと分かっていながらもこうして毎日ファーストフードで楽に食事を済ませてしまうのが日課となってしまっていた。
そんな折、吉田の妻から突然の訃報が飛び込んできた。
駆け付けた病院で見た吉田は、穏やかな表情で今にも目を覚ましそうな様子だった。なんでも顔はヘルメットが守ってくれたらしい。
十代の頃からヘルメットの安全性を強く説いていた吉田を思い出し、こんなところで役に立つのも皮肉なものだと兼田は苦笑した。
吉田の遺体を目の前に現実として死を実感できないまま、兼田は遺体に泣きすがる二人の娘に礼をし、久々に会う吉田の妻に挨拶をしてその場を後にした。
死というものは実感するまでに時間がかかるものなのかもしれない。
その後、葬儀と告別式を終え、遺品整理の際に兼田は形見としてカタナを受け取ることになった。
十七歳の時に中古で購入し、コツコツ直してはコツコツカスタムを重ねてきたカタナはそれから二十年以上経った今でも現役であった。
兼田は誰よりも近くでそのカスタムと修理を目にし共に手を加えてきた。
吉田の妻は、何かあったらこれは兼田にと言っていたと兼田に告げ、兼田は二つ返事で引き取った。
改めて目の前のカタナを目にし、ようやく兼田は吉田の死を実感し始めていた。
バイクというものは不思議なもので、長く愛し乗り続けることでその人にしか纏えない「何か」になる。それはまるで長年に渡って着用したレザージャケットのように、纏う者の身体の一部となるのである。
吉田のカタナは自らカスタムをしていたこともありその様相は例え壊れていても一際であった。
引き取ったとはいえ、そのカタナは紛れもなく吉田のものであり兼田のものでは無かった。そして兼田にはカタナが大事な相棒を失って途方に暮れているように見えた。
「お前も親友を失ったんだな」
兼田は引き取ったカタナに不思議な親近感を感じずにはいられなかった。
兼田は久しくバイクを所有していない。
それこそ十代、二十代と吉田や仲間とバイクに明け暮れた時期はあったが、結婚をして子供が生まれるとバイクを弄る機会も乗る機会も激減し、さらに維持にかかってくるコストが家計を圧迫した。
吉田は最後まで兼田がバイクを手放すことを拒んだが、バイクを維持していく費用を吉田が負担するわけにもいかず、兼田は愛車を手放した。
「いくらかかるもんかねぇ」
ひとしきりカタナを眺めてぼやいた兼田は、納得したように頷き部屋に戻り眠りについた。
翌朝、兼田はインターネットで懐かしのバイク屋を検索し電話をかけていた。
「はい、バイクショップ和泉です!」
元気でハリのある高めのトーンの声は昔から変わっていなかった。
「あー和泉さん、兼田です、覚えてますか? ほら、SRXの400に乗ってた!」
受話器の向こう側ではショップオーナーの和泉さんが記憶を辿って兼田を思い出す一瞬の沈黙が流れた。
「あーあー、兼田くんね、久しぶりー。もしかしてリターンかな?」
リターンとは、若い頃にバイクに乗っていた人が様々な事情でバイクを手放し(大体が経済的な理由によるものだ)熟年になってまたバイクに乗ることを言う。
「話しが早いなあ、リターンっちゃリターンなんですがね、ちょっと事情が特殊で。手元に不動のバイクがあるんですが近々見に来れます?」
「あはは、なんかめんどくさそうだなー! 今夜なら空いているよ!」
こういう素直で商売っ気が無い人柄と、豊富な整備知識と信頼出来る技術、圧倒的なライディングスキルなどがお客さんを掴んでいるのだろう。兼田も吉田も若いころから和泉の腕を信頼して、店ともショップとも言えぬようなプレハブ小屋の「バイクショップ和泉」に足しげく通っていた。
「相変わらずですね、じゃあ今夜お願いします」
兼田は住所と連絡先を伝えると、さらにインターネットでカタナについて調べ始めた。
GSX250SS刀。
1990年代にSUZUKIから発売された名車である。
刀と呼ばれるバイクは他にも400cc、750cc、1100ccなどがあり、排気量の大きい車種の発売はなんと今から四十年前に遡る1980年代である。
発売当初からそのセンセーショナルなデザインと機能で爆発的な人気車となった。
本来であれば250ccにカタナのペットネームは付いていないのだが、形はカタナそのものなので、誰もがニーハンカタナと呼ぶ。
その後2000年前後まで製造されたカタナだが、販売終了後もファンの間で根強い人気があった。
吉田は1100発売当時から憧れだったとのことで、1991年製の250ccカタナを1995年にほぼ新車状態で購入。吉田と兼田が十七の時であった。
その頃はまだ街中でもよくカタナは見かけた。しかし今となってはめっきり少なくなってしまった。気付けばカタナも旧車である。
「これは苦労しそうだなあ……」
兼田は中古車サイトから部品のオークション相場、カタナオーナーのブログやホームページなど、時間を忘れて読み耽った。
突然鳴ったケータイに兼田は驚き、もうこんな時間かと暗くなった部屋を見渡した。
外を見ると、シャッターの前で和泉さんが手を降っていたので慌てて外に向かった。
「お久しぶりです、歳取りましたね」
吉田が陰で「チビハゲデブおやじ」と悪態をついていた和泉は相変わらずのチビハゲデブおやじであった。
しかし顔には深いシワが刻まれ、ハゲにうっすらと残った髪は真っ白になっていた。
「久しぶり~、歳取ったのはお互い様でしょ」
愛想の良い笑顔も、昔と変わらない。兼田も笑顔で返事をした。
「それでね、和泉さん、これなんですよ」
そういって兼田がシャッターを上げると、和泉は真剣な面持ちでカタナを眺め始めた。ゆっくりとカタナの周りを一周、二周し、寄り添い、時には離れて、じっくりと観た。
「……直すの?」
和泉は兼田に問う。兼田は無言で頷いた。
「……自分で?」
和泉はバイクを観ながら、その背景までをも観ていた。当然、このカタナが吉田の持ち物であることには知っていたし、何故ここにこのような形であるのかも理解した。そして、兼田がこれをどうしたいのかも。
「出来れば」
兼田は如何にも自信がないと言った風に答えた。
「大変だし、結構良い金額になるよー」
兼田は「概算でいくらくらいか」と聞こうとして言葉を呑んだ。そして代わりに「直るんですか?」と聞いた。
「これなら直るよ、それが聞きたかったんでしょ?」
和泉は、先ほどに比べてちょっと寂しそうな笑顔で微笑んだ。
「ホント、和泉さんは頼りになりますわ、ありがとうございます」
「まずは全部バラしてさ、店にフレーム持ってきてよ。それまでにサービスマニュアルとパーツリストコピーしておくからさ」
「あ、サービスマニュアルとパーツリストは吉田のとこからもらって来てるんで大丈夫ッス」
「そうなんだ、じゃあそうだなー……んー、今バラしちゃおっか! 今日フレーム持っていくわ!」
そう言うと和泉はそそくさと車から工具を下ろし始めた。
「はは、相変わらずだなあ、ほんと」
兼田は小さく呟きながら、昔吉田とその仲間達と一緒に作ったバイクチームの名前が入った整備用のつなぎに着替えた。
和泉は手際よくパーツを外していく。
兼田も初めこそ一緒に、と思っていたが、途中から邪魔にしかなっていないことに気付き、和泉が手を貸してくれという時以外は眺めていることにした。
和泉は初めから使えないものはゴミと割り切っているのか、丁寧に扱う部分とそうでない部分が明確で、兼田は和泉の腕を信用しているものの、時折雑に投げられるパーツにハラハラしていた。
ものの十数分で、カタナはあっという間に外装とエンジンを降ろし、フレームだけになった。
「……はっや」
「バラすだけならね、綺麗にして組むならバラすんでも倍以上時間掛かるよ~」
和泉はフレームをバンに積みながら言う。
「フレームが使えるかどうか検査に出しておくよ、そっちがゴミでそっちが使えるパーツだから!」
てきぱきと動きながら和泉は必要なことだけを兼田に伝えた。
「それと……」
和泉は乗り込んだハイエースの窓から言う。
「まあ何十年もバイク屋やってるとね、結構お客さんでも亡くなった人見るんだよ。でも何人見ても慣れるもんでもないよね」
和泉の寂し気な目に、それが精いっぱいの慰めの言葉というのを兼田は理解した。
「ありがとうございます。こっちも必要な純正パーツの品番まとまったらメールするんで」
「うん、じゃあまた!」
和泉を見送り、ガレージでバラバラになったカタナを見て、兼田は少し不安になった。
「バイクってバラしちゃうと、宿ってた魂が消えたように見えるんだよなぁ。ちゃんともっかい綺麗に組んでやらないと」
カタナまで死なせてしまっては吉田に顔向け出来ないといったある種の責任を、兼田は感じていた。
翌日からパーツ集めが始まった。
まず兼田は必要なパーツのリストを作り、オークションで手に入れるものと和泉に発注する純正部品にリストを仕分けした。
その後、オークションサイトを開いて一通りブックマークリストに入れていったのだが、そのリストを見て兼田はため息をついた。
「これなら中古のカタナを買って移植した方が簡単で安いんじゃないか…?」
そう思えるほどに、リストの数は膨大だった。そして、圧倒的に必要なパーツが足りなかった。
それもそのはずで、カタナは30年以上前の名車である。
SNSを開けばまだまだ古いバイクを乗っている人も沢山いるが、今やキャブレター式のバイク等は全登録台数の何割くらいなのだろうかという話である。
こういった旧車の類を乗っているのは、ファンがその情熱で維持しているのが現状だろう。
ましてや吉田のカタナは、カタナシリーズの中でもさらに少数派の250ccである。
希少価値となったパーツは高騰していたが、金を出して買えるならまだ良い方で、そもそもオークションに出てすらいないパーツもかなりの数があった。
「フラッグシップの1100ccならまだそこそこパーツはあるんだけどな…」
何故吉田は250ccのカタナにこだわったのか。その答えは明白である。
吉田は愛着を持ったバイクを手放すことが出来ないタイプだった。
カタナ以外にも数々のバイクを乗ってはいたが、最初に手に入れたカタナだけは手放さずに乗っていた。
吉田は生前、このカタナの他にもハーレーを所有していたが、吉田が妻とツーリングに行くときは常にハーレーだったし、きっと吉田の妻も夫婦の想い出であるそのハーレーを兼田に譲るのはしっくりこなかったのだろう。
世の中には排気量が大きいほど良い、フラッグシップこそ正義、1100ccこそが本物のカタナ、などと言う風潮が無きにしも非ずだが、吉田はカタナに関してその辺りの社会的評価を全く気にしていなかった。
吉田にとってそのカタナは「自分が最初に買ったバイク」であり「原点」であった。
だから吉田は一人の時間を過ごす時、カタナに乗ることが多かった。
夜な夜なカタナでふらっと走り、コンビニでコーヒーを飲みながら紫煙を燻らせている吉田の姿を、兼田は容易に想像出来た。それは最も吉田らしい姿のように思える。
兼田は自分が吉田のカタナで同じことをしている姿を想像してみたが、あまりにしっくり来ないので苦笑してしまった。
が、天国の吉田がその姿を見れば喜ぶだろうなというのは、確信した。
「まあ、直さないわけにはいかないか」
兼田は気を取り直して、海外のオークションサイトまで手を伸ばした。
翌週、兼田のガレージには段ボールの箱が山積みになっていた。
一週間の仕事を終えた兼田は休日の朝から、ガレージの前にアウトドア用の椅子とテーブル、それに灰皿とコーヒーをセットして、部品の整理を始めた。
テーブルの上には昔ツーリング先で撮った吉田の写真も置いた。一応、直すところを見せてやろうということだ。
こんなことをして何になるという思いも無くは無かったが、それでもその方が良いと思ったのだ。
気持ちの良い秋晴れの小春日和。風は幾分涼しくなったが、日差しは暖かい。
「まあ、順調に行ってもこいつが走るのは来年だろうな」
兼田は吉田に教えてもらって頻繁に聴いていた竹原ピストルの曲を口ずさみながら、作業をする。
最後まで中古のカタナを買って部品を移植するか悩んだ兼田だが、吉田なら「それじゃ意味がない」というだろうなと思って部品を集めることにした。
その辺りは昔から、吉田はこだわりを持つ方であった。
兼田は合理的な考えを持っていたので、度々吉田のこだわりについては理解に苦しむこともあった。
しかし、だからこそ兼田はバイクを降り、吉田は五十年も前の名車とは言え最も小排気量の250ccのカタナを維持出来たのかもしれない。
「合理的であることが人生を豊かにするとは限らない」
兼田は実に、そう思った。
作業は順調に進んでいく。
家族もバイクもなくした兼田のガレージは閑散としていたが、カタナのパーツが入ることで久々の活気が戻っていた。
元来にわかとはいえバイク弄りが趣味だったので、工具は一通り揃っている。
段ボールから取り出された部品は油性ペンで部品名を書かれ、棚に陳列されていく。兼田は几帳面で丁寧な性格だ。
元々カタナについていた部品についても、一つ一つ確認した後、使えるものは部品名を書かれて棚に並べられた。
吉田のカタナの部品については吉田の磨いたあとや整備の痕跡が残っていて、マメに手を入れていたことが伺える。兼田にはそれが嬉しくもあり、寂しくもあった。
昔はこうして二人でバイクを弄っていた。
兼田がカタナから感じたことを吉田に言えば、吉田は照れ隠ししつつも嬉しそうに笑うはずなのだ。
そういうやり取りがもう二度と出来ないと思うと、兼田は寂しくなった。
そして、バイクを降りてしまったことを、後悔した。
原付でも所持していれば、もっと二人でバイクを弄る時間も楽しめたのに。
最後まで兼田がバイクを降りることを頑なに拒んでいた吉田は、そういう「友と楽しみを共有する時間」の貴重さを、分かっていたのかもしれない。
バイクに乗り続け、友がバイクを降りることを拒み、そして夫婦で子供を養っていた吉田。
半面、バイクを降り、離婚してしまった兼田は、自分は一体何を大切にしてきたんだろうかと自責の念に駆られた。
「心から大切にしていたものを受け継ぐってのは、なかなかしんどい作業だなぁ」
兼田はガレージの前の椅子に腰を下ろし、タバコに火をつけた。
吉田のカタナを引き継ぎ、直すということは、吉田の魂に触れることなのだと、兼田はこの時気付いた。
部品の整理が落ち着き、そろそろ昼食にしようと思っていた兼田に和泉から電話が入った。
「あ、もしもしー? カタナのフレームなんだけど、大丈夫だったよ!」
「ありがとうございます、結構心配してたんですよ」
フレームやエンジンはバイクの要の部品、外装部品を新調するしかない上にフレームまで変えるとなると、直したとしても吉田のカタナとは言えなくなってしまうのではないかと兼田は心配していた。
「で、今日持ってきたいんだけど、いる?」
「はい、今日は一日ガレージにいるんで、いつでも大丈夫です」
「じゃあ今から行くわ! 代金は2万円ね!」
相変わらず薄利だな、と思いつつ、兼田は了承し、電話を切った。
「さて、フレームが来るなら組んでいく準備をしていかないとな。まあとりあえず、飯だ」
兼田は家の中でカップラーメンにお湯を入れ、それを持ってガレージの前で、着々と復活への歩みを進めているカタナを眺めながらラーメンをすすった。
あっという間に和泉が来てせわしなくフレームを降ろし、代金を受け取って颯爽と去っていく。
フレームがあればここからはプラスの作業である。やればやるだけ復活に近付くので、モチベーションが違う。
バイクを組み上げる場合、まずは二つのタイヤを付けることが優先される。
フロントに関してはステム、フロントフォーク、タイヤを組んだホイールの順で組んでいけば良い。
リアはスイングアーム、サスペンション、タイヤを組んだホイール。本来チェーンが必要であるが、それはエンジンを乗せてからになる。
状態の良いパーツが揃っているのであればここまでは難なく進むが、中古パーツを買い集めた場合は一つ一つの部品の状態を精査しなければならない。
兼田はまず、ホイールのベアリングを確認した。
吉田のカタナのフロントホイールは歪んで使えそうもなかったので、同じデザインのホイールを入手していた。
リアは吉田が使っていたものなので当然問題なかったが、やはりフロントは交換時期。兼田はノートに必要な部品と個数を書き込む。
次にフロントフォーク。
こちらも中古部品を購入したが、インナーチューブの錆が酷かったのと、オイル漏れを起こしていた。
カタナのフロントフォークは分解するのに、出力のある電動工具かエアツールが必要である。
これは過去に吉田の整備を手伝った時に、二人で難儀した。
そういう経験から、吉田の家にも兼田の家にもそれなりの環境は整っている。
兼田はそんなことを思い出しながら、丁寧にフロントフォークを分解し、パーツを分けて、トレーに入れ、棚に並べて油性ペンで部品の名前をトレーに書き込んだ。
これもまた、サンデーメカニックで得た知恵である。
毎日整備をしないサンデーメカニックは、バラした部品が何の部品か、どっちが左右か、などを忘れてしまう。それを防止するためにこの作業を行う。
ステムレースは吉田がいつだかのタイミングで交換していたようだった。
「まあ、この年数のバイクをこんだけ長く乗ってりゃ、手が入ってないところなんかないだろうな」
兼田は、さすがだなという感想と共に、まあでもそれくらいやってて当然だよな、という想いを、テーブルの上の吉田に投げかけた。
その後も各部品の点検をして交換部品をリストアップし、その作業が終われば中古部品の磨きに取り掛かった。
木々がすっかり葉を落とし、雪を待つのみと言った初冬。
兼田はパソコンの前で頭を抱えていた。
カタナは前後のホイールが組まれ、フレームのみの姿から「二輪」と呼べるまで復活を遂げている。
几帳面でバイクが汚れているのを嫌った兼田は再塗装やウォーターブラスト、ポリッシングを駆使して部品を磨き、現時点でも非常に美しい状態に仕上がっている。
兼田は吉田がこのカタナを見て悔しそうな顔をするのを想像して、嬉しかった。
そこまでは良かったのだが、エンジンを乗せる際に一応見ておくかとヘッドを開けたのが沼の始まり、そこにはピカピカのピストンが顔を出したものだから、これまた一応と採寸すると、純正ピストンと直径が違った。
兼田は即座に「オーバーサイズ」と認識。
早速シリンダーを外すと見たことのない薄さのピストンに「鍛造ね」と理解した。
「あいつ、いつの間にこんなものを…」
社外の鍛造オーバーサイズピストン。兼田はこれを「へぇ」と認知だけしてそのまま戻すわけにはいかなかった。
どこのピストンなのか、兼田は数時間ずっとそれを探していた。
インターネット上では過去にアメリカで販売されていた、リーズナブルなリプロ品のピストンの情報しか出てこない。
しかしそれとは形が違った。
素人目に見てももっと品質の良いものが付けられているのは明白だった。
しかしどう足掻いてもそれ以上情報が出てこない。
兼田は大きくため息を吐いた後、覚悟を持ってこの問題に望むことにした。
週末、兼田はピストンの写真を撮り、サイズを計測してあらゆるSNSでピストンの情報を求めた。
当てずっぽうだがスズキのカスタムで有名なヨシムラにもメールを送った。
SNSからはちらほらと色々な憶測を含めた情報が届いたが、どれも確信に至るものではなく、ヒントを頼りに再検索を試みるも、結果は変わらない。
数日後にヨシムラからメールの返信が来たが、分かる者がいない、とのことだった。
兼田はさらに辛抱強く、吉田のバイクの写真と共にSNSで情報を募り、さらに外国人の集うカタナのグループにも参加し、詳細の翻訳を記して情報を募った。
兼田はどうしても、このピストンの詳細を知りたかった。
吉田のカタナはキャブレターがTMRに代わり、サスペンションがオーリンズになっていた。昔の吉田では考えられないことだった。
言ってしまえば「原点であるだけのバイク」である。
名車と言えどクラス最小排気量の「小刀」である。
普通であればそこまで金を掛ける必要もない。
ハーレーがあるなら尚更そっちに金を掛けるのが筋だろう。
兼田の知る吉田はそういう男だった。とかく金が無いのである。
夫婦で子供二人を育てながら二台もバイクを維持していることそのものが、凄いのだ。
さらに品のない話をするならば、見栄を張るにしてもカタナに乗っているというだけで、もう十分な見栄になる時代なのだ。
そこら中にカタナが走っている時代であれば金を掛けたカスタムも見栄になっただろうが、今のご時世ではそんなカスタムは眼にも止まらない。
カスタムの有無など分からぬライトユーザーや、逆に根っからのバイク好きは「カタナ」というだけで評価するし、古典的なバイクマニア達からすれば「なんで250乗ってるの?」なのだ。
だからこのピストンは吉田の心意気を図るものだと、兼田は感じていた。
TMRキャブもオーリンズも、結局「部品が出なかったから」という理由なら納得がいく。
オーリンズももしかすると中古で安かったのかもしれない。
ただ「オーバーサイズピストン」だけは違う。
オイル上がり、下がりがあったとしても、中古のエンジンやピストン、リーズナブルなリプロ品という選択肢は無数にある。
もしリーズナブルなリプロ品ならばそれでも良い。小遣いの中で二台のバイクをやりくりしているのだ。カタナを維持しているだけでも称賛に値する。
逆にもし、絶版のデッドストックの一流メーカーピストンだったらどうだろうか。
その心意気を、意地を、情熱を確信せずに復活させて、乗る資格があるのだろうか。
「なんか知らんけど鍛造のオーバーサイズピストンが入ってる」
その認識では、吉田に顔向け出来ないだろう。
そう思うと、兼田は調べずにはいられなかった。
その兼田の気持ちとは裏腹に、相変わらず有用な情報は届かなかった。
兼田はエンジンは後回しにして、それ以外のパーツ集めや磨き、消耗品交換に時間を当てることにした。
年末年始の連休を前に、ガレージには新たなバイクが入庫していた。
運良く北海道内で落札出来た、GSX250SSカタナの部品取り車である。
金属部品は錆び、もちろんエンジンなど掛からず、タイヤはひび割れてパンクしていたが、兼田にとっては宝の山である。
まあ、他の小刀ユーザーにとっても同じようなものなので、こんな状態でもそこそこの値が付いた。
走行距離が極端に少ない放置車両というのも、値が張った理由の一つだ。
ピストンの情報は相変わらずだったが、この部品取り車のおかげで復活の目途が立った。
特に外装部品はどう足掻いても入手が困難で、オークションでもタンクに関しては数少ない出品物の錆びて凹んでいるものでもそれなりの値が付くし、カタナの顔であるアッパーカウルに関しては、綺麗なものはなかなか出てこなかった。
「これで正月休みの愉しみが出来た」
兼田は嬉々としてボロボロの小刀を眺めていた。
連休に入った兼田は早速部品取りの小刀を解体し、パーツの仕分けと清掃に取り掛かっている。
一見すると使えそうもないパーツばかりだが、今やどれもがその筋の人にとって見れば宝だ。
それらを丁寧に分解し、清掃し、組み上げて袋に入れ、部品の名前を書き込んで保存する。
いつかまた使う機会があるかもしれないし、無くても売れば誰かの役には立つ。
それとは別に外装パーツは丁寧に緩衝材に包んで段ボールに梱包していた。
こっちは連休明けにペイントショップに発送する手はずになっている。
吉田はソリッドのブラックベースにオレンジのラインの自家塗装をしていたが、同じデザインで塗料を変える。
黒はGSF750のようなブラックにブルーのメタリックを混ぜたもの、オレンジのラインは初期型のGSX-R750のメタリック入りレッド。あの赤は日に当たるとオレンジっぽく輝く。
黒と赤のヨシムラカラーを、スズキ純正色のメタリックで再現する。
「さて、メインディッシュだ」
兼田はエキゾーストパイプを止めるスタッドボルトをガスバーナーで炙りながら、祈るように一本一本緩めていく。
朽ちかけたナットを無事に全て外し終えると、錆びて真っ黒になった集合管とサイレンサーを持ち上げた。
「こいつを錬金し直せば、完成にグッと近づく」
兼田は錆びた管をひと際丁寧に梱包し、段ボールに詰めた。
正月休みが明けようとしている頃、兼田のSNSにとあるコメントが入った。
ピストンに関してではないが、吉田のカタナを知っているというアメリカ人女性からだった。
DMを送ると詳細が返ってきた。内容はこうである。
――――
兼田さんこんにちは。
私はあなたの写真を見て、驚きました。
それは2年前に亡くなった父のガレージに飾ってある写真と全く同じだったからです。
父もモーターサイクルが好きで、沢山のそれを所有していましたが、その中には多数の日本のバイクもありました。
あなたが質問していたピストンについて、私は分かりませんが、父のバイク仲間にもしかしたら知っている人がいるかもしれません。
お友達のお悔やみを申し上げます。
――――
兼田は胸が高鳴った。
(まさかアメリカから買ったのか? あの吉田が? 英語でやり取りしたのか? 輸入したのか? いくら払った…?)
聞きたいことは沢山あったが、メールの送り主も本人ではなかったので、兼田は返事と気持ちを添えて待つことにした。
連休が明けてリペアやペイントのためのパーツを発送したころ、一人のアメリカ人男性からDMが届いた。
兼田は逸る気持ちを抑えて翻訳していた。
――――
親愛なる兼田さん、こんにちは。
ジュリーのパーツを引き継ぐ日本の友人が亡くなられたと聞いて残念でなりません。
彼とは10代の頃からのモーターサイクル仲間で、多くのモーターサイクルに関わる楽しみを共有してきました。
沢山のモーターサイクルを私たちは所有し、乗ってきましたが、その中の一台がSUZUKIのGSX250SS KATANAでした。
私たちの国では1100ccのカタナが主流だったので、当時ジュリーがどこからか持ってきた250ccのGSXを見た時に仲間内では大笑いでしたが、乗ってみるとその面白さに驚愕したものです。
たしかにスピードこそ250ccのモーターサイクルでしたが、まるでF1マシンのように16000回転まで回るエンジンは日本の技術力を尊敬せざるを得ませんでした。
勿論、その遅さを笑う仲間も多くいましたが、私とジュリーはSUZUKIの技術力に感心し、そのエンジンを前に一晩中酒を酌み交わしてモーターサイクル談義に花を咲かせたことを覚えています。
それは私にとって宝物のような時間でした。
さて、ピストンの情報を探しているとのことですが、そのピストンは間違いなくジュリーのものです。
彼はミニGSXに夢中になり、数々のカスタムを試みましたが、1100ccが主流のアメリカでは250ccの部品調達が容易ではなく、後に私が手に入れたFZR250RRに彼も私も夢中になったためにお蔵入りした品物です。
それはUSヨシムラで働いていた友人と遊びで作った鍛造ピストンです。
当時その友人とジュリーと私はアンダークラスの草レースをミニGSXで走っており、なかなかホンダやヤマハに勝てないことに腹を立て、レギュレーション違反ですが大きなサイズのピストンを作りました。
ジュリーはヨシダの「オーバーサイズのピストンを探している」というSNSへのポストを見て、彼のミニGSXのカスタムやスタイルに興味を示し、連絡を取り合っていました。
しばしば翻訳が上手くいかなかったようですが、それでも日本の友人とのやりとりを嬉しそうに語っていたジュリーを覚えています。
ヨシダの訃報は残念ですが、是非ジュリーとヨシダのミニGSXの復活を楽しみにしています。
追伸 我々のミニGSXが直った際には、走る姿の写真や動画などを送ってくれると嬉しいです。Good luck my friend.
ウィリアムより。
――――
翻訳を終えた兼田は込み上げてくる想いに息が詰まり、大きく息を吐いて天井を見上げた。
様々な想いが交錯する中で、兼田が最も感じていたものは悔しさだった。
自分がバイクから離れている間に、吉田はこんなにもカタナに情熱を注ぎ続け、海を越えたエンスージアストと交流し、ドラマを作っていたのだと。
兼田にはカタナを囲んで楽しそうに語る吉田とジュリー、そしてウィリアムの姿が想像出来た。
そして自分がそこにいるのは場違いのように感じてしまった。
彼らは間違いなくバイクを愛するエンスージアストであった。
そして、生前吉田の言葉の端々から感じるエンスージアストへの憧れを、彼はいつのまにか叶えていたのだと感じた。
写真の中の吉田が「どーよカネちゃん、俺のカタナよぉ」と勝ち誇っているように見える。
兼田は自分の感情を整理し、その事実を認めることにした。
「あー、完敗だよ。すげえよ。そして見ててくれ」
兼田はありのままの気持ちとこれまでの経緯を、翻訳に苦戦しながらウィリアムに送った。
翌日から兼田はエンジンを分解していた。
にわかサンデーメカニックの兼田はエンジンの全てを分解したことはない。ミッションの分解やクランクケースの割りなどはブラックボックスのように思っていた節があるが、吉田の心意気への手向けに躊躇している場合ではなかった。
インターネットの情報とサービスマニュアルを頼りにあれこれ模索しながら分解を進め、手順が分からなくならないよう丁寧に写真に撮っていく。
分かりにくいところは写真にアプリでメモ書きも足していた。
分解したパーツは丁寧に清掃され、これもまた丁寧に梱包していった。
「おまえがカタナに出来なかったこと、俺が引き継いでやるから見ててくれ」
兼田が壁に飾った昔のチーム写真の吉田を見て、そう告げた。
雪融けが進み始めた頃、兼田のガレージはまたもや段ボールが山積みになっていた。
「これで全部だな」
兼田は満足そうに腰に手を当ててガレージを眺めている。
今日から三連休。この三日で出来るところまで終わらせる。
130万ほどあった貯金は既に尽きかけていた。
まず兼田はエンジン系の部品から手を付けた。
芯出ししたクランクにバランス取りしたコンロッド、各パーツは用途に合わせてWPC処理を施し、シリンダーはアルミメッキスリーブに変更した。極限までフリクションロスを抑えた仕様である。
兼田は吉田のエンジンを耐久性に全振りした。しかしそれでもフリクションロスを抑えバランス取りしたこのエンジンは、純正では15,500回転から始まるレッドゾーンを振り切り、17,000回転まで軽く吹け切る。
元々重めのフライホイールがスズキらしい独特な中低速のフィーリングを演出していたが、良くも悪くもホンダのようにバランス良く、TMRキャブレターの効果もあって軽く吹け上がっていくエンジンに仕上がっている。
組付ける際にはオイルポンプなどの部品も走行距離の少ない部品取り車から移設した。
ガスケットやシール類は型さえあれば3Dプリンターで複製出来る便利な時代である。それらのデータは有志のカタナ愛好家から安く手に入れてあった。
ベアリング類も高性能なものに新調している。
カムチェーンは新品で出なかったので、走行距離の少ない部品取り車のものを使用した。カムチェーンテンショナー、テンショナーガイドも同様である。
兼田は丁寧に、オイルやグリースを塗布しながら組付け、腰下を無事に組み上げた。
サッと一服を済ませ、腰上部品の梱包を解く。
新品のように美しいピストン、ピストンリング。バランス取りした二本のカム、ロッカーアームにバルブ、その全てにWPC処理を施した。
バルブステムシールは吉田が変えてあったのでそのまま使うが、バルブシートカットは注文した。
シリンダーはアルミメッキスリーブに、プラトーホーニングを施してある。シリンダーヘッド、シリンダーとも面研も怠らない。
各部品の美しさに兼田は思わずため息を吐いた。
「一緒にこういうの組めたらなぁ。まあ、俺がそういう機会を奪ってしまったのかもしれないけど」
兼田は独り愚痴り、腰上を組み始める。
さすがに四気筒16バルブとなるとすぐにとは行かないが、それでも日が暮れるまでにはエンジンが組みあがった。
バルブクリアランスの調整に、最も時間が掛かった。
エンジン内部もだが、エンジンの外装もこだわった。
全てをウォーターブラストで研磨してから、腰下に関してはポリッシング加工で鏡面仕上げにし、耐熱クリア塗装に出した。
ステッカーに関してはデータがなかったので、自身でデザインし直し、ステッカー屋にオーダーした。
内外共、兼田の考えうる最上級の美しさと機能を兼ね備えたエンジンが組みあがった。
エンジンさえ組みあがってしまえば明日にも全て組み上げることは可能だが、兼田は気持ちを抑えきれずにフレームにエンジンを乗せることにした。
慎重にエンジンを乗せ、組み付ける。
ずっと心臓を失っていたカタナは、強靭で美しくなって帰ってきたエンジンを積まれ、なんだか少し嬉しそうに見えた。
「ここまで来ちまったらアレを付けないわけにはいかねぇな」
兼田はひと際長く大きい段ボールの梱包を解き始めた。
それは、まるで新品のように美しく輝く、ヨシムラサイクロンマフラーだった。
部品取り車についていたマフラーである。兼田はそれを神戸の業者に発送した。
錆びたステンレスパイプは研磨された後に金属パテで成形され、その上からステンレス粉末塗装をしてポリッシングし、サイレンサー部分はメッキ処理後に耐熱ステッカーを貼り、耐熱クリア塗装を施された。
見たままではまさに新品である。
吉田のカタナには元々このヨシムラサイクロンが付いていたが、事故で使えなくなってしまった。
兼田はずっと同じサイレンサーを探していたが、たまたま北海道内で出品された部品取りのカタナにこれが付いていて、落札するに至ったのだった。
兼田は逸る気持ちを制してそれを組み付けた。
フレームも再塗装したため、まさに目の前のカタナはフルレストアというのに相応しい美しいバイクに仕上がりつつあった。
あとはキャブレターの取り付けと外装部品である。造作もない作業だ。
兼田は散々迷った末に、我慢出来ずに取り付けることにした。
もう日付を跨いで集中力も体力もかなり落ちてきてはいたが、それでも我慢することが出来なかった。
キャブレターは元来純正のミクニ製で、取り付け、外しはかなり難儀したものだが、吉田のカタナはエアクリレスのヨシムラTMRレーシングキャブレターに変更してあったので取り付けはそこまで難しくはない。
ラムエアフィルターの部品が出なかったのかケチったのかは分からないが、何かのスポンジで代用してあったのだで、こちらは新品を12個ほど購入した。
キャブを取り付け、ケーブル類を繋いでいく。
もうこのカタナは、電気と燃料の供給さえあれば、走り出すのだ。
そう思うと、兼田は感慨深かった。
組みあがっていく過程でなんとなく感じていたが、このカタナは吉田のもの、という感覚が徐々に薄れつつあった。
吉田に捧げるつもりでレストアしてきたが、レストアの方向性を決めているのは間違いなく兼田だった。
おそらく吉田も喜んでくれるに違いない。
そして兼田は、ようやく吉田とジュリー、ウィリアムと肩を並べてエンスージアストとして語れるようになったのではないかという実感を抱きつつあった。
その自信は、自分の作業による経験からというよりは、目の前のカタナの完成度によるものだった。
新たにペイントされた外装部品を並べ、兼田は作業を切り上げた。
外装部品を組めばこれはまごうことなくカタナの姿になる。
それは日の下で拝むべきだろう。
名残惜しさを引き摺りながら兼田は部屋に戻り、ベッドに倒れ込んで泥のように眠りについた。
翌日、ガレージの前には見違えるような美しさの、漆黒に真紅のラインが入ったカタナが佇んでいた。
よく見れば黒の外装は太陽の光を受けて濃紺に煌めき、赤の部分は光を受けたところのみオレンジ色にキラキラと輝いている。
タンク横の大きなSUZUKIの文字も、深紅のラインと同様の塗装だ。
フレームは傷一つないソリッドブラック、そのフレームに包まれているエンジンも錆びや腐食の見当たらない銀のシリンダーに鏡面のクランクケース。
エンジンのエキゾースト側からは新品と見まごう美しい煌めきを放つ手曲げパイプ、ヨシムラサイクロン。
樹脂製のパーツは全て樹脂専用の光沢材により輝きを取り戻していた。アルミ製のハンドルは美しくポリッシングされ、シート表皮はディンプル地のブラックのオーダー品となっている。
ヘッドライトは角形のマーシャル製デッドストック品で吉田が拘ったガラス製のカットレンズ、但しヘッドライトは手に入りやすいLEDの昼光色に代わっていた。
ホイールはリムにポリッシングを施され、純正色ながら美しく光を反射している。オーリンズのサスペンションはオーバーホールに出してそのまま使用した。
ウィンカーは最後まで迷ったが、埋め込みタイプに換装していた吉田とは趣向を変え、純正ウィンカーを採用している。後々変えるかどうかはしばらく乗ってからという判断だ。
ミラーはナポレオン製の純正タイプ。
パッと見はライトなカスタムの純正カタナだが、エンジン内部は全く違う特性となっている。
兼田は再発行して美しくなったナンバープレートを取り付ける。
そして慎重にガソリンを携行缶から給油し、イグニッションキーを捻った。
「無事掛かると良いんだけど。見ててくれ」
アウトドアテーブルの上の吉田の写真に緊張した面持ちで話しかけると、兼田はセルスイッチを回した。
数回セルが回転してから、驚くほどあっさりカタナは息を吹き返した。
さすがにモリブデンショットや各パーツの芯出し、バランス取り、面研やポート研磨などを行っている上に、外気温が一桁なので、事故前とは大きく環境が変わりキャブレターの調整が必要ではあるが、それでもエンジンは掛かった。
しばらくスロットル微開で回転数を保ってから、兼田はとりあえずアイドリングを下げた。安定はしないものの粘り強く回転している。
イリジウムプラグに昇圧コンバータを介入させたので点火が力強くなっているのも一助となっているかもしれない。
「とりあえずは無事に掛かったよ。まあ、まだキャブ調整があるから万全とは言えないけど、復活だ」
兼田は吉田が好んで吸っていたJPSのタバコに火を点け、吉田の写真の前の灰皿にコーヒーと共に置いた。
そして自分のラッキーストライクに火をつけ、マグカップで小さく乾杯する。
吉田がいれば声を上げてハイタッチし、抱き合って喜びを共有しただろう。
気付けば兼田はボロボロと涙を零していた。
兼田はたった独りでカタナを復活させたことが寂しくてたまらなかった。
そして、今になって吉田を失った大きさを実感した。
もっと一緒に走りたかった。もっと一緒にバイクを弄りたかった。もっと喧嘩したり、もっと吉田の先を行って自慢気なドヤ顔を見せ、悔しがる吉田を見たかった。その逆も然りだ。
一晩中語り明かし、徹夜明けの仕事に憂鬱になりたかった。
一緒にカタナに手を入れて、二人でアメリカの友人たちを訪ね、四人でバイクを走らせたり、したかった。
兼田がバイクを降りて、吉田も孤独だっただろう。
その孤独を共有し、もっと互いの存在を大切にしたかった。
このカタナのように自分も愛車と呼べるバイクを本気で仕上げ、その二台で走りに出たかった。
もうすべて、叶わぬ願いであることが、たまらなく寂しかった。
兼田が声を上げながら泣きじゃくる横で、美しく輝くカタナは静かに走り出す日を待っていた。
――その年の夏。
中央道を静岡方面に、一台の黒い小刀が甲高いエキゾーストを響かせながら走っていた。
ホイールは初期のヨシムラGSX-R750Rをモチーフにした、3本スポークのパールホワイト塗装を施されたマグネシウム鍛造ホイールに換装され、フロントブレーキはブレンボの対抗4ピストンに変わっていた。
この日は年に一度のカタナミーティングが静岡で開催される。
40年前のバイクとは言え名車である、全国の愛好家が集えばその数はかなりのものだ。
この黒紅の小刀はSNSを通して一躍“時のバイク”になっていた。
兼田は情報収集の際に詳細や経緯を載せ、その話題性は多くの人の心を掴んだ。
さらにウィリアムの登場により、得られた情報を協力してくれたお礼にと公開したところ、非常に珍しいオーバーサイズピストンの小刀ということ、兼田のレストアに対する姿勢、国境を越えたドラマなどがさらに話題を呼んだ。
そんな折に兼田の元にカタナミーティングの主催から声が掛かり、吉田も自分のバイクが注目されることはイヤじゃないだろうということ、ウィリアムに良い報告が出来そうなことも踏まえて参加を決めた。
どうやら3年ぶりに雑誌の取材も来るとのことで、雑誌の編集者から特集を組みたいとのオファーがあった。
兼田はそれが実現した際には、吉田の家族と、ウィリアムには翻訳付きで二冊、送ろうと思っている。
目的のサービスエリアが近付いてきた。
エンジンは250ccのカタナではあり得ない17500回転を指している。
おそらく聞く人が聞けばCBR250RRやFZR250RRあたりだと勘違いしているだろう。
兼田は、吉田と自分が完成させたカタナがこれから浴びる注目に心を躍らせながら、サービスエリアへと入っていった。