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幸福復讐推進協会  作者: はつひ
2/18

 私は家に帰るとすぐにシャワーを浴びて擦りむいた膝の消毒をした。

 たまたま家あった大きめの絆創膏を貼り、髪を乾かして身支度を整える。


 気を抜くとすぐに涙がこみ上げてくるため身支度にはいつもより時間がかかったはずなのに、全てを終わらせてもなお寝るには早い時間だった。


 普段だったら樹に電話してる時間だとふと思ってしまい、2人のキスシーンと樹に言われた言葉が蘇ってくる。


 浮気をした2人が悪いはずなのに、まるで私が悪いように言われた。

 それなのに何も言い返せなかった自分が酷く情けなくてまた涙が出てくる。

 いっそ怒りに任せて殴ってしまえばスッキリしたのだろうか。


 起きていてもいいことはないので私は寝ようと電気を消して布団に潜り込んだ。

 抱き枕の代わりにしているぬいぐるみを抱きかかえて丸くなっていると、どうしても樹と先輩のことを考えてしまう。

 今頃2人は樹の部屋で私のことを馬鹿にしているのだろうか。

 こみ上げてくる嗚咽をぬいぐるみに押しつけて私は必死で寝ようとした。


 ウトウトとしては目が覚めるというのを繰り返すうちに、気がつけば朝になっていた。


 薄いカーテン越しの朝日を眺めつつ、鳴ってもいないアラームを止める。

 いつものようにテレビをつけると普段見ないコーナーをやっていて新鮮な気持ちになった。

 洗面所へ行き、冷たい水で顔を洗って鏡を見る。


「うわ…」


 泣きすぎて腫れたまぶたに、寝不足で浮腫んだ顔。

 私の顔は思わず声が出てしまうほど酷いものだった。


「…よしっ!」


 軽く自分の頬を叩いて気合を入れると私はもう一度丁寧に顔を洗い、蒸しタオルを作成する。

 会社に行くまでまだたっぷり時間はある。

 それまでになんとか見れる顔にしなければと思った。


 いつもよりずっと早く起きたはずなのに化粧にいつもの倍以上の時間がかかったため、家を出るのはギリギリになってしまった。

 早歩きで駅に向かい、いつもの電車に乗って、いつもの時間に会社の最寄り駅に着く。


 正直まだ先輩とまともに顔を合わせられる気はしない。

 しかし、休んでしまったら私の情けなさが倍増してしまう。悪いのは先輩と樹だと心で唱えて、自分を叱咤した。

 緊張しながらいつも働いているフロアの扉を開ける。


「おはようございます!」


 私の挨拶にすでに出勤してきていた上司や同僚が挨拶を返してくれる。

 先輩はまだ来ていないようだった。

 ほっとしたのもつかの間で自分のデスクに着いてからは先輩がいつ来るのかとずっとそわそわしていた。


 先輩は遅刻ギリギリにフロアに駆け込んできた。


「おはようございます!」

「あれ?ギリギリなんて珍しいねー、彼氏でも出来たのー?」


 駆け込んできた先輩と仲のいい先輩がからかいの言葉を投げかける。

 先輩はわかりやすくうろたえるとチラリと私を見た。


「そ、そうじゃないよ!ちょっと寝坊しちゃっただけ!」

「え?何?あやしい!」

「はい静かにー、朝礼はじめるよ」


 先輩がさらなる追求を受ける前に上司が立ち上がり朝礼を始めた。

 いつもならなんてことない時間なのだが、先輩がこちらをチラチラ見てくるため居心地が悪い。

 地獄のような朝礼が終わり、仕事を始めようとパソコンに向かう。

 仕事に集中すれば先輩なんて気にならないし、時間もあっという間に過ぎていくだろうと思った。


「奈々ちゃん、ちょっといい?」


 そんな私の思いも知らずに、先輩が話しけてくる。

 こんなに空気の読めない人間だっただろうかと私は顔をしかめる。


「…それは業務に関係のあることですか?」

「関係はないけど、私どうしても謝りたくて」


 刺々しい口調で声を潜めて話す私に構う事なく、先輩はなかなかに大きい声で話始める。


「昨日の事でね、私も悪かったと思うから。ごめんなさい!私、奈々ちゃんのことほんとに好きだから許して欲しくて」


 どうかその場で叫び出さなかった私を褒めてほしい。


 悪かったも何も昨日の事に関しては100%先輩と樹が悪い。

 好きであるとか関係なく謝ったからですぐに許せるような問題でもない。

 しかも声が大きい。


 言いたいことはたくさんあったが、何一つとして私の口からは出なかった。

 手を爪が食い込むほど握りこみ、唇を痛いほどに噛んで先輩を睨みつける。


「…そう、だよね。許してなんてもらえないよね。ごめん、ほんとにごめんなさい」


 先輩は涙ぐみながらそう言うと頭を大きく下げて私の前から走り去って行った。

 泣きたいのは私のほうなのに。


 先輩が出ていった扉を睨み続けていると、視線を感じた。

 周りを見渡すと同僚や先輩、上司がさっと視線をそらしていく。


 私は再度、唇を噛み締めて今度こそ仕事を開始した。


 それから先輩はあからさまに私を避けるようになった。

 周囲も私と先輩の妙な雰囲気に感づいているのか、私のことは遠巻きに見るようになった。

 私も誰かと話すような気分ではなかったので業務のこと以外では会社では口をきかなくなった。


 会社へ行ってひたすら仕事をして、まっすぐに帰る。

 家でももちろん一人。

 何もしないでいると悪い事を考えてしまうので身支度を整えてすぐに寝る。

 誰かと連絡を取るような気分にもなれず、休日は家を掃除した。

 忙しさにかまけて年末の大掃除などを行わなかったため掃除はなかなかやりがいがあり、いくつものゴミ袋が出来上がった。


 樹との思い出の品はすべて捨てることにした。


 少しでも思い出のあるものはすべてゴミ袋に突っ込んだ。

 樹がプレゼントしてくれた物はもちろん、デートのときに着ていた洋服、似合うと言ってくれた化粧品、泊まった時に褒めてくれたインテリア、一緒に買った食器。

 すべて捨てた。

 捨てる時にまた涙がこぼれたが、止まるとさらに涙があふれるためゴミ袋へ突っ込む作業は止めなかった。


 結果として家に残ったのは仕事に着ていく用の洋服などの最低限の衣服と家具だけだった。

 ガランとしてしまった部屋をぼんやりと眺めながらも思うのはやはり樹と先輩の事で、掃除をしても気持ちの整理なんて出来ないんだと感じた。


 2週間ほど経った。


 そろそろ月も変わろうとしている時期になっても、私は相変わらず一人で黙々と仕事をしていた。

 このままではいつか声の出し方を忘れてしまうのではないかなんて考えて自嘲していた時、上司から呼び出しを受けた。


 普段入ることのない会議室に上司とともに足を踏み入れる。

 扉を閉められて、促されるまま上司と向き合う位置にある椅子へと座る。

 上司とは言っても事務の総括をやっている男性になのであまり話したこともなく、緊張した。


「…最近はどう?」


 向き合ってしばしの間を開けて上司が問いかけてきた。

 曖昧な質問に私は首をかしげる。


「最近、ですか?」

「そう」

「えっと…、そうですね年初の忙しさも落ち着いてきましたよね」

「そうだね」

「はい、えーと。最近は定時で帰れていますし…」


 何を聞きたいのかがわからないため私の回答も曖昧なものになる。

 おそらくそういった事が聞きたいわけではないだろうと感じるが他の回答が見当たらない。

 うろたえている私を見て、上司は言いにくそうに話を切り出してきた。


八重やえさんとは、どう?」


 上司の口から出た先輩の名字に私はビクリと反応する。


「喧嘩でもした?」


 八重先輩は私が入社した時に担当してくれた教育係だった。


 八重先輩は短大を出てすぐに働き出したため私より社歴は長かったが、年齢は私と同じだった。

 同い年で話も合い、教育係として話す機会も多かったので私達はすぐに仲良くなった。

 よく一緒にランチを食べに行っていたし、休日に遊びに出かけたこともある。

 会社でもデスクで軽く雑談していたりしたので昔の私達を知っている人から見ると、お互いを避けているような現状に違和感を抱くとは思う。


 さらに2週間前の朝礼後には、先輩が私に大袈裟な謝罪をしている。

 その場には上司はもちろん同僚もたくさん居た。


「…いいえ」


 私は上司に向かって首を振る。


「喧嘩はしておりません」


 喧嘩というような生易しいものではなく、先輩の一方的な裏切り行為だ。


 感情が顔に出てしまいそうになったため、私は俯いた。

 上司は軽くため息を吐いた。


「八重さんにも同じ質問をしたんだけどね」


 私は顔を上げた。

 先輩がなんと言ったのか興味があったからだ。


「八重さんも同じように喧嘩ではない、と。あとは私が悪いんですとしか言ってくれなくてね」


 そう言うと上司は苦い顔をする。

 もしかしたら先輩はまた涙でも流したのかもしれない。


「栗田さんには悪いんだけど、八重さんのことを栗田さんがいじめているって噂が社内に流れている」

「えっ!?」


 上司の言葉に目を丸くする。

 そんな噂聞いたこともないし、もちろん事実無根である。


「最近は栗田さん、誰とも話していないから聞いたことはないかもしれないけれどね」


 今度は大きなため息を吐いて、上司は真剣な表情で私を見る。


「いじめているという噂はデマだろうとは思っている。けれど噂はかなり広まっていてね。給湯室やお手洗いで泣いている八重さんを見たという報告もかなりもらっている」


 驚くと同時に私は呆れてしまった。

 先輩はところ構わず泣いて、色んな人からの同情を引いているらしい。


「関係の修復ができればを思っていたけれど、それは難しそうだからね。栗田さんには移動してもらおうと思う」

「は?」


 唐突な話題について行けない私をよそに上司は持ってきていたファイルから書類を出して机に広げる。


「地下倉庫の保管記録係を一定期間やってほしい。地下倉庫には1回くらい行ったことあるよね?これが現在の備品リスト。だいぶ抜けとかが多いし、資料の保管方法もなかなか雑なんだ。栗田さんの好きにしていいから見れるような形にしてほしいと思っている」

「ま、待ってください!」


 移動を前提でどんどん説明を続ける上司を慌てて止める。


「移動ですか?私が、移動するんですか?」

「そうだね」

「地下倉庫には保管係の人がすでに居たと思うのですが」

「あーその人ね」


 上司は顔をしかめると机に広げた書類を指差す。


「このリストを見てもらえればわかると思うんだけど、管理がかなりずさんなんだ。過去の資料も雑に並べてあって探すのが大変だって言われちゃったし。栗田さんであれば安心だと思ったから移動してそれらの整理をして欲しい」

「決定事項なんですか?」

「どうしても嫌だと言うのであればもう1度考えるけれど、できれば移動して欲しいと思っている」


 どうやら移動することはほぼ決定しているらしい。


「移動したら今の職場には戻れないんですか?」

「戻れないこともない。さっき言った通り一定期間、備品と資料を整理してもらって皆んなが見れるような形に地下倉庫がなって、栗田さんが望むのであれば再度移動を受け入れることも可能だよ。…それに、この移動は不名誉な噂を流されている栗田さんを守るためでもあるんだ」

「守る?」


 私は首を傾げる。


「今はまだ栗田さんの耳に入っていないようだったけど、栗田さんが八重さんをいじめているって言う噂は本当に流れている。それが激化した時に栗田さんに実害が出ないとも限らない。あまり表面化していない今、移動してもらって噂が下火になるのを待つのが得策だと思う」


 上司の言う噂が本当に流れているのか、私には確かめる術はない。

 正直、移動するのは先輩から逃げるようだし、今の仕事に慣れているため嫌で仕方ない。


「…わかりました。よろしくおねがいします」

「ありがとう、助かるよ。それでさっきの続きなのだけれど…」


 結局私は断る事が出来ず、地下倉庫の保管記録係として移動することになった。

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