15
お昼を食べて映画を見終わると六条は帰ろうと言い出した。
まだおやつの時間にもならないような時間だったので私は頬を膨らませて不満を表す。
そんな私を見て六条は苦く笑った。
「今朝あんなことがあったからね。今は気がついてないかもしれないけど栗田さんきっと疲れてるよ」
そう言って六条は乱れた私の前髪をそっとなでつけた。
その優しい手付きにドキドキしながらも私は頬を膨らませ続ける。
「そんなことないもん」
まるで聞き分けのない子供のような言葉に我ながら呆れてしまう。
「でも、明日から仕事でしょう?なにか甘いものでも買って帰ろう」
しかし六条は呆れた様子もなくそう言うとショッピングモールに入っている甘味処を調べ始めた。
「洋菓子と和菓子どっちがいい?」
「…美味しいクッキーが食べたい」
「なら洋菓子だね!何箇所かあるから行ってみてから決めようか」
これ以上、子供のような駄々をこねても仕方ないと思った私は大人しく六条について行った。
いくつか巡った洋菓子店のうちに美味しそうな蜂蜜クッキーがあったためそれを購入すると帰路につく。
六条と並んで歩いていると、ふと疑問を感じた。
「ねぇ、六条君。なんで手繋がないの?」
左隣を歩く六条へ、左手を振って見せながらそう聞いた。
「あ、まだ早いかなって…」
そう言って六条は少し顔を赤くした。
つられて顔を赤くしつつ私はからかう様な口調で答える。
「今朝は繋いでくれたのになー。あ!もしかして呼び方も?今朝は名前呼びですごいドキドキしたのに気がついたら名字で呼んでるし」
「名前呼びこそ早いよ!今朝はカッコつけるためにやったから…」
口元に手を当てて照れている六条を私はニヤニヤしながら見る。
目が合うと六条は恥ずかしそうに目をそらした。
「あんま見ないで、恥ずかしい」
「六条君かわいい!」
思わず私はそう言うと六条にくっついた。
大の大人で、しかも男性である六条へ言う言葉ではないと思うがそう思ったのだから仕方がない。
「わわ!栗田さん!?」
慌てている様子の六条を横目に私は六条と手を繋ぐと体をくっつけるようにして歩く。
顔を赤くしている六条があまりに可愛らしかったので、調子に乗った私はこう言った。
「名前で呼んでほしいなー」
甘えるような声で言って、ココノ直伝の上目使いをすると六条は真っ赤になった。
六条は自らを落ち着けるように深呼吸をして、喉の調子を整えるように空咳をした。
そして改まった調子で私に言う。
「名前呼びはしません」
「えぇー…、なんでー?」
不満に唇を尖らせる私に六条は条件を突きつけてきた。
「栗田さんが名前で呼んでくれたら、俺も名前で呼びます」
六条の条件に私はキョトンとして瞬きをする。
そんな簡単なことでいいのだろうか。
「それで、栗田さんが俺の名前を呼ぶ時は…。その…」
六条は言いにくそうに視線を彷徨わせた。
私は六条を見上げながら勇気づけるように繋いでいる手をぎゅっと握る。
覚悟を決めたかのように六条は私の手を握り返すとしっかりと私を目を合わせた。
「俺と正式に付き合ってもいいなって思った時に呼んでほしい」
真剣な表情で言う六条に私の鼓動が早くなる。
まるでもう一度告白を受けている気分だった。
「つまり、私が六条君のことを名前で呼んだらお付き合い(仮)の(仮)が取れるってこと?」
「そういう事」
伝わったことが嬉しかったのか六条は微笑んだ。
私も微笑み返す。
「なるほど、それならこれからもよろしくね新君」
「えっ!?」
驚き目を見開く新君を見る。
「新君?」
固まってしまった新君の名前をもう一度呼ぶ。
すると新君は繋いでいる私の手を強く握りしめてきた。
あわあわと口を開いたり閉じたりする新君を私は黙って見上げる。
「え?ほんとに?早すぎない?」
そんな困惑している新君の口から出た言葉を聞いて私は新君を睨みつけた。
「なに?不満なの?」
「不満な訳ないよ!すごい夢みたい」
新君は満面の笑みでそう言うと繋いでいる私の手を胸元まで持ち上げた。
「ありがとう、奈々さん。大好き」
まるで大切な宝物のように私の手を両手で包む新君の直球の愛の言葉に恥ずかしくなった私は新君から目をそらす。
「う、うん。私も好き…かな」
曖昧な答えだったが新君は満足そうに笑った。
改めて2人で手を繋ぎながら駅に向かう。
正式なお付き合いになったのだから帰り際に何かあるかもしれないと私は身構えたが、そんな事はいっさいなかった。
家の前まで手を繋いだ状態で送られて、私がマンションへ入るまで見送られただけだ。
少しやらしい事を考えた自分を恥じつつ家で私はクッキーを食べる。
新君の言った通り疲れていたのかその後、私はあっという間に眠くなってしまった。
あくびをした私はいつもより早めの時間に寝ることにした。
次の日の朝、いつもの通りやってきたココノに新君と正式なお付き合いを始めたと報告すると呆れられてしまった。
「そんなに早く付き合う事になるのであれば、告白された時に普通に了承すればよかったではないですか」
全くその通り過ぎて言葉も出なかった。
気まずくなった私は化粧に集中しているふりをしてはぐらかす。
会社へ行く前にココノへ昨日買ったクッキーを手渡すととても喜んでくれた。
今日、会社でも食べようと鞄に小分けにしたクッキーをいれて出勤する。
倉庫の書類整理もほぼ終わり、あとは不要な書類をシュレッダーにかけるだけである。
段ボール7つにも及ぶ不要な書類の山を見ながら私はため息を吐いた。
大量の書類を処分出来るようなシュレッダーは総務のフロアにしか無い。
私は仕方なく台車を取り出すと紙の詰まった重たい段ボールを一つ一つ乗せていく。
乗せ終わったらエレベーターホールへ向かう階段まで台車で向かうと、一度台車から段ボールを降ろす。
まずは台車を持って階段を登り、エレベーターホールに台車を広げて置いておく。
階段下の戻ると段ボールを一つずつ持って階段を登っていった。
普段あまり運動などしない私の筋肉は悲鳴を上げており、すべての段ボールを運び終わったときには腕の筋肉はぷるぷると震えているほどだった。
明日は筋肉痛になるかもしれないと考えてため息を吐く。
段ボールの乗った台車を押してエレベーターに乗り総務のフロアへと向かった。
「すみませんー、地下倉庫保管係の者ですー!」
総務のフロアへと続く扉を開けながらそう言うと総務の方々が一斉にこちらを見た。
「地下のいらない書類をシュレッダーにかけたいのでシュレッダー貸して下さい」
視線に負けることなく私は笑顔で台車の上の段ボールを指差した。
総務の面々は苦笑いをすると私にゴミ袋を手渡す。
確かにこれだけの量の書類をシュレッダーにかければすぐにゴミ袋がいっぱいになってしまうだろう。
私はお礼を言いながらゴミ袋を受け取るとさっそくシュレッダーを始めた。
シュレッダーが紙を切断して粉砕していく音が響く。
私は無心でシュレッダーをかけ続けた。
袋がいっぱいになったら袋を取り替えて台車の上に乗せる。
1階にあるごみ捨て場に持っていくためである。
延々とシュレッダーをかけていた私はいきなり肩を叩かれて驚いて振り返った。
「ようやく気がついた」
そう言って笑っているのは以前居た部署の上司だった。
いつぞやの電話の時以来である。
「あ!お久しぶりです!すみません、シュレッダーの音で全然気が付きませんでした」
「だと思ってたよ。最近はどう?」
相変わらずふわっとした質問である。
以前はオドオドとしてしまったが今の私は違う。
私は笑顔になると「絶好調です」と答えた。
すると上司は驚いた表情になった。
「本当に?地下倉庫どんな感じになったかな?」
「今は備品の数もはっきりしてますし、書類もちょうど分類とファイリングが終わったところです」
私の言葉を聞いた上司は大量のシュレッダーのゴミを見ると納得したように頷いた。
「なるほどー、それでシュレッダーかけてたわけね」
「そうなんですよ、ぜひ見に来て下さい。なんでしたら今からでもいいですよ」
私は冗談のつもりでそう言って笑った。
「そうだね、じゃあ今から行こうかな」
しかし返って来たのは予想外の言葉で私は驚いて反応ができなかった。
「あ、でもシュレッダーが…」
「あぁ確かに」
私がなんとかそう言うと上司は段ボールを見て、時計を確認した。
「あともう少しみたいだし、1時間後に倉庫に行くよ」
「え!?」
「じゃあ、また後でね」
私が引き止める間もなく上司は総務のフロアから去っていってしまった。
唖然としながら私は時計を確認する。
「間に合わせなきゃ」
まだシュレッダーをかけていない書類は三分の1ほど残っている。
私は焦る気持ちを抑えながらシュレッダーをかけ続けた。
1時間後、なんとかシュレッダーとごみ捨てを終えた私は倉庫でお茶を淹れいていた。
不要かもしれないが上司が来るので一応準備しておく。
お茶のセットに付いていた小皿に持ってきたクッキーを盛り付けていると倉庫の扉が開く音がした。
「お待たせしたね」
扉の方へ向かうと上司があたりを見回しつつ倉庫へ入ってきている所だった。
「お茶淹れたんですが飲みますか?」
私がそう言うと上司は少し驚いた顔をした。
「もらおうかな」
私の机に広げたお茶セットで上司と二人でお茶を飲む。
お茶請けとして置いたクッキーを食べたりしている間も上司はキョロキョロとあたりを見回していた。
「随分綺麗になったね」
お茶を飲み終わったタイミングで上司はそう言った。
こまめに掃除もしていたので見た目からして倉庫は綺麗になっている。
蛍光灯も拭き掃除したので以前より倉庫全体が明るくなったような気さえする。
私は微笑んで立ち上がると備品の資料などを取り出した。
「備品の管理は今はこのような感じで、資料は年代と種類別にファイリングしてあります」
資料を元に上司に倉庫内の説明をしていく。
すべての説明を聞くと上司は立ち上がり、備品の箱を確認したり資料の棚を確認したりした。
「栗田さん流石だね!すごい綺麗になっているよ」
確認をし終えた上司はそう言って笑った。
「これで総務に管理を任せられるね」
「ん?」
続けられた言葉が理解出来ず私は首を傾げる。
「栗田さん、お疲れ様。これで戻ってこれるよ」
私はまた驚いて目を見開いた。
「ほ、ほんとですか?」
震える声でそう言うと上司は笑顔のまま頷いた。
「もちろん。そもそも一定期間って話だったし、以前出ていた噂ももう沈静化したから安心して」
詳しい話はまた後ですると言い残して上司は去っていった。
私は閉まった扉を眺める。
しばらくそうして居たがじわじわと実感が湧いてきて私は小さくガッツポーズを取る。
「やったぁー!」
元の部署へ戻れる事も嬉しいが、何より仕事で認められたという事実が嬉しかった。
私はスマホを取り出すと嬉しさを共有するために六条へと連絡をした。
今日はお祝い会である。
正式に移動が決まり、引き継ぎの日程が決まると私はココノに部署が戻った事を報告した。
すると、ココノは自分の事のように喜んでくれた。
「おめでとうございます!良かったですね栗田さん!」
ココノがは嬉しそうに私に向かって両方の手のひらをこちらへ向けてきた。
私はその手のひらに合わせるようにして手を打ち付ける。
いわゆるハイタッチである。
ぱちんと手のひらから音が鳴ると同時にココノが着ているポンチョの裾がひらひらと舞った。
「お化粧も完璧、洋服のセンスも最高、お仕事も出来る良い女ですね!」
そう言って笑うココノに私も笑い返す。
「そうなんですよ!新君とのお付き合いも順調だし!」
「それは何よりです」
2人でしばらく手を取り合っていたがココノは時刻を確認すると私の手を離した。
「栗田さん今までありがとうございます」
「え?」
綺麗なお辞儀をしているココノを私は驚いて見つめる。
もう帰ってしまうのかと時間を確認するが普段ココノが帰る時間よりまだまだ早い時間だ。
ココノに視線を戻すとココノは柔らかく微笑んでいる。
「では、化粧を始めましょうか」
そう言ったココノに私は安心して化粧を始めた。
なんてこと無い話をしながら身支度をしているうちにあっという間に家を出る時間になる。
「今日はお見送りしますよ」
そろそろ家を出る時間だと思っているとココノはそう言って先に家を出ていった。
ココノに続く形で家を出ると玄関先でココノが待っていた。
「では、栗田さんお仕事がんばってくださいね!」
小さくガッツポーズをしながら言うココノに私はサムズアップで答える。
「もちろん!」
それを見たココノは笑うと手を振った。
ポンチョの袖がひらひらとしていて可愛らしい。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
いってきますと言って家を出るのは久しぶりだと思いながら私は駅に向かった。
「さようなら、栗田さん!」
ココノの言葉に私は振り返るとココノと同じ様に手を振った。