婚約破棄したい彼女と、彼女を溺愛したい僕の攻防戦
9/27 一文ではありますが、最後に付け加えました。
「婚約破棄をしてください、殿下」
そう彼女に告げられたのは、久しぶりに会えた午後のお茶の時間だった。
この2週間、僕の婚約者であるカメリアは原因不明の高熱にうなされ続けた。国中の名医を呼び寄せ診察したが、よい手立てが見つからぬまま月日は経ち、そして昨日、突然、彼女の熱は下がり、意識を取り戻したのだった。
それに喜び、無理やり執務を終わらせ、愛しい婚約者の元に駆けつけた。
元気な顔を見れて、一息ついた時だった。彼女が「婚約破棄したい」などと言ったのは。
僕は動揺を隠して笑顔で答える。
「まだ熱があるようですね。ゆっくり休んだ方がいいですよ、カメリア」
「いいえ、殿下。私の熱は下がりました。熱が出る前よりむしろ、頭の中がハッキリとしています」
まっすぐ僕を見つめる彼女の眼差しは、迷いが一切なかった。この射抜くような強い瞳が昔から好きだった。いつまでも見ていたい気がするが、婚約破棄などと言う彼女の気持ちを聞く方が先だ。
まぁ、どんなことを言われようとも僕は絶対に、婚約破棄などしないが。
「カメリア、理由を聞かせてくれますか? 僕たちは今まで上手くやってきたと思っているのだけど」
うつむく彼女にささやきかける。
「君は知識が豊富で聡明だ。僕が携わる実務においても様々な助言をくれた。僕はそれを元に国の改革を推し進めてきたはずだ」
「そのことに関しては殿下には感謝しております。『本に取り憑かれた令嬢』と言われ、社交界では見向きもされなかった私と婚約してくださり、素晴らしい事業にも携わらせていただきました。感謝の言葉しかありません」
そう言って彼女は頭を下げる。しかし、顔を上げた時、彼女の瞳は変わらない強い意思を宿していた。
「事業と婚約は別物です。私は王妃となる器ではありませんし、可愛げもありません。殿下もお年頃ですし、世継ぎの心配もありましょう。どうか、殿下にふさわしいお相手を見つけてください」
深々と頭を下げた彼女を見て、まいったなと思う。
確かに彼女は昔『本に取り憑かれた令嬢』などと言われて、社交界から遠ざかっていた。
感情を表に出さない涼やかな横顔に、物怖じしない態度。何より弁のたつ様が、噂好きのご婦人方や、見栄だけしかない貴族から、やっかみの対象となっていた。
社交界から遠ざかっていた彼女を強引に婚約者にして、国の事業に関わらせた。
最初は謙遜していた彼女を根気強くなだめ、事業を共にすることで信頼関係を築いてきた。
最初は表情が固かった彼女も、僕の前では微笑んでくれるようにもなった。
ここまでくるのに8年かかった。
全てはカメリア、君を愛しているからこそできたことなのに……
なぜ、君はわかってくれないんだろうね。
「君の言い分はわかりました」
わかってくれないのなら、わかるまで教え込むのが愛ってものだろう?
「でも、僕は婚約を破棄したくはない」
「っ。殿下、ですから私は……!」
「君は王妃の器ではないと言ったが、それは違いますよ」
今度はまっすぐ彼女を僕が見つめる。
「君が進めてくれた事業はどれも国民のためのものです。君も知っての通り、我が国は小国。しかも冬の時期が長く、作物を育てるのも困難。冬に生まれた子は、冬を越せるかわからない。そう言われていた我が国に君は天然の湯殿を見つけ、そこに誰でも入れるように整備しました。診療所も作りましたよね。あれで冬を越せる子供や老人が増えました」
彼女のした事業の中で、一番の功績だ。渋る王を説得し、気が寄らない職人たちを説得し工事をさせ、訝しげに湯殿を見る国民に何度も重要性を解き、長い年月をかけてここまできた。
今では湯殿は温泉と呼ばれ、この国で最も愛される場所となっている。
「君は温泉に今も足しげく通っていますね? 不満はないか、してほしいことはないか聞いている。君の熱心さ、人を思う優しさは国中の人が知っています。君のために手を貸したいという職人達も後をたたない」
トドメと言わんばかりに、声に熱を込める。
「これでも、君は王妃の器ではないと言うのですか?」
笑顔で反論した僕に、言葉をつまらせるカメリア。これで諦めてくれるかな? 可愛い僕の婚約者。
しかし、どうやらまだ諦めてくれなかったようで、彼女は上目遣いなり、僕を睨んだ。
「でも私は、愛想がありません。他国の方や、王族の方とのきらびやかな交流の世界を渡り歩けません」
頬を赤くして、目を潤ませて訴える彼女。その全てが男の僕を刺激してくる。ベッドもあることだし、このまま世継ぎを作ってしまえば手っ取り早いのでは?と一瞬考えるが、彼女に嫌われたくはないのでやめておく。
さてと。
この頭でっかちな可愛い人をどう口説き落とそうか。
「外交や社交界でのことを気にするのであれば、問題はないです。僕が表に立ちカメリアを守ります。ご存知の通り、僕は社交術に関しては秀でているとの自負があるので。煩わしいことは全て、僕にまかせればいい。
カメリアは自分のしたいことをすればいい。君がそばにいてくれるだけで、僕は幸せで、力が出るのだから」
極上の笑みを作って見せると、彼女は真っ赤になった。これだけ、赤くなる彼女も珍しい。ニコニコと上機嫌で彼女を見つめていると、ふいに花が萎んだように彼女がうつむく。
「でも……私は殿下にふさわしくは……」
拳をぎゅっと握りしめ、ポツリ、ポツリと話す彼女。ふぅと息を吐き出して、立ち上がる。そして、彼女の前に跪き、小さく震えていた拳を優しく包んだ。
ビクリと、彼女が反応したが、気にせず見上げた。
「君は可愛い人だよ、カメリア。出会った頃から、この気持ちは変わらない。国中、いや、世界中探しても、君以上に愛しい人は見つからないよ」
「っ……」
「それにね……照れると緊張して拳を握りしめてしまう。そこが堪らなく可愛いよ」
いたずらっ子のように話しかけると、真っ赤になった彼女は手を振り払った。
そう彼女は表情があまり変わらないが、しぐさで感情を出す。照れると拳を握ってしまうのもそう。限界まで緊張すると小さく震え出す。無意識のしぐさなんだろうけど、それを気づいた時、なんて可愛い人なんだろうと思った。
それ以来、彼女の小さなサインを見つけるのは僕の楽しみの一つだ。
「お戯れはやめてください」
そう言って、呼吸を整えるためか、彼女はお茶に手を伸ばす。
「ああ、すっかりお茶がさめてしまったでしょう? 淹れなおしますか?」
「け、結構ですっ……私にはちょうどいい温度なので」
「そう?」
意地をはる彼女を見て、僕は席に座った。すっかり冷めているお茶をすする彼女。ティーカップが握られていない方の手を見ると、しっかり握られており小さく震えていた。可愛い。
それに笑みがこぼれる。彼女が気づかないよう笑って、お茶時間は過ぎていった。
この一件で、婚約破棄などという世迷い言を彼女は諦めてくれたはず。そう思っていた僕だったが、どうやら違っていたらしい。
彼女との攻防戦、第2回戦は、舞踏会で踊っている最中に始まった。
「カメリア、今日は一段と美しいですよ」
「ありがとうございます、殿下」
彼女の手をとり、ゆったりとした曲に合わせて踊り出す。ダンスが苦手だという彼女を巧妙に説得して、ふたりだけで何度も踊った。いまや社交界の華と言われるほど彼女とのダンスは美しく洗練されたものになっている。
それに彼女とは呼吸が合う。踊っていると心地よい。何より恥ずかしがり屋な彼女の体に堂々と触れられる。それが何より楽しみだった。
心地よく踊っていると、また真剣な顔で彼女が話しかけてきた。
「殿下、先日のお話の続きですが」
「あぁ、君が照れると拳を作ってしまうとうアレですか?」
彼女のステップが乱れる。それをうまくフォローして踊りを続ける。気を取り直したらしい。彼女がまた真剣な眼差しで言う。
「いいえ。婚約破棄のことです」
「あぁ、そのことですか」
「こんなところで失礼だとは思っていますが……あの時はうやむやになってしまいましたので、今日はハッキリ私の意思をお伝えしようと思います」
彼女の手を繋ぎ高く上げると、彼女がくるりと体を回す。そして、回転が終った彼女の腰をすかさず引き寄せた。
彼女の顔が間近になる。
「それはぜひとも聞かせてください、カメリア」
笑顔でそう言ったのと曲が終ったのは同時だった。
僕たちは次の曲を辞退し、王族のみが入れる特別なバルコニーに向かう。月夜が綺麗な場所に椅子が二脚。他の者たちは踊りに夢中になっているため、誰もいない。
「ここならゆっくり話せますよ」
「ありがとうございます、殿下」
彼女を座らせ、僕も席につく。月夜に照らされた彼女はより美しかった。夜の女性独特の色気をまとわせている。うっとりと見つめていると、彼女は一つ咳払いをして、話し出した。
「殿下は私が温泉を良きものにしたいと思っているということをご存知ですよね?」
「知っていますよ」
「私はもっともっと温泉を充実させ、諸国に広めたいと考えています。我が母国は、産業が盛んではありません。ですから、外貨の流入が少ないです」
確かにカメリアの言うとおり、我が国では目新しい産業もなく、観光も乏しい。大国との通過点であるため、旅人や冒険者が来るが、町の宿に止まっていくだけだ。その滞在日数も少なく費用も微々たるものだ。
「私は温泉の近くに『旅館』を作りたいのです」
「旅館とはなんですか?」
「町の宿より広い寝床でお客様に寛いでいただく場所です」
「ほぉ」
「その場所は我が国の美しい風景が見られ、食事も振る舞われます。しかも、温泉から近いため、何度も好きな時間に通えます」
「我が国の温泉は滋養強壮の効能があります。旅に疲れた商人や冒険者の皆様には願ってもない場所になるはずです」
彼女の力説は続く。
「ゆくゆくは、その場所で旅に必要なポーションや武器を修繕する技術者を集めて、旅をするなら我が国を通る方がよいと諸国に広めたいのです」
夢を語る彼女の頬は上気し、少女のように瞳を輝かせる。その姿もまた可愛らしい思い眺めていると、彼女はまた真剣な顔になる。
「殿下、私は旅館の経営に後の人生を全て捧げたいのです。ですから、婚約を破棄してください」
そうきたか。彼女の夢ならば是非とも叶えてあげたい。それに彼女の話は夢物語で終わらせてはいけないものだ。この国を豊かにする素晴らしいアイディアだ。
「わかりました、カメリア。君の夢を是非とも叶えたい」
「わかってくださったのですね、殿下」
彼女の顔が綻ぶ。その顔は可愛らしくついほだされそうになる。
しかし、この時、僕は笑顔でいながらも非常に怒っていた。まだ、婚約破棄したいなどという彼女に。僕が君を自由にするわけないのに。自由にしたら他の男に奪われてしまうかもしれない。それだけは許さない。さて、どうしてくれようか。
「ではカメリア。今すぐ結婚しましょう」
「………………殿下、私の話を聞いてくださいましたよね?」
張り付いた顔になったカメリアに極上の笑顔を見せる。
「はい、聞きましたよ。実に素晴らしいアイディアです」
「それならなぜ!」
「君の目的は新しくできる旅館と温泉の素晴らしさを諸国に広めることですよね? 僕と婚約破棄して、どうやって諸国に広めるのですか?」
「それはっ……」
彼女の顔が段々、青ざめていく。それをうっとり見つめながら僕はトドメをさす。
「諸国に広めるなら王族として招かれた時に大々的にアピールすればいいでしょう。その方が宣伝効果も高い。ですからカメリア」
僕はにっこりと微笑む。
「僕とすぐに結婚しよう。そして、ふたりで君の夢を叶えよう」
さぁーっと分かりやすく青ざめるカメリア。ちょっと可愛そうだけど、これはお仕置きだよ。僕の可愛い婚約者。
「さて、そうなると式は早い方がいいね。一年は準備にかかると言われているけど、半年もあればなんとかできるだろう。その間に旅館の構想も進めておこう。式の日に旅館の着手を発表すれば、国民の期待値もあがるし、諸外国へのアピールにもなるな。さっそく、結婚の意思を父と母に伝えに行こうか、カメリア」
そう言って手を差し伸べる。
「大丈夫だよ。父も母もずいぶん君を気に入っている。母なんかは君と結婚しなければ男ではないとまで言われているだよ。何も心配いらない。ふたりの未来のために行こう」
はたからみれば、この時の僕たちは仲睦まじくみえたかもしれない。僕はものすごく笑顔だったしね。
でも、カメリアから見たら悪魔に見えたんじゃないかな? それくらい意地の悪い笑顔だという自覚はある。
「で、殿下!」
珍しく焦る彼女に笑みを深める。最近、彼女の珍しい顔が増えて、この上なく嬉しい。
「幸せにするからね、カメリア」
さぁ、手をとって、カメリア。
期待に満ちた顔でいると、突然、彼女が立ち上がる。
「き、着替えて参ります!」
ちょうどダンスの曲が終わる。舞踏会では、新調したドレスを多く見せるのがステータスとなっている。彼女もそろそろお化粧直しの時間だ。
これが、今の彼女にできる精一杯の抵抗だろう。
「では、エスコートしましょう、婚約者殿」
そう言うと、彼女が涙目で睨んでくる。その顔があまりにも可愛いので、手をとった彼女を引き寄せ、耳打ちした。
「そんな顔をしたらダメだよ。キスしたくなる」
真っ赤になった彼女に「自重してください!」と言われてしまったけど、僕は笑いが止まらなかった。
こうして彼女との攻防戦は僕の勝利で終わった。
さすがに彼女も諦めただろう。
それに、彼女との結婚を早めるいい口実までできた。実に順調だ。
しかし、3回目の攻防戦は突然、やってきた。しかも、彼女が婚約破棄を言い出した本当の理由とともに。
あれ以来、旅館の話をすると「まだまだ考える余地がありますので!」と言って彼女は逃げてしまうので、今日もまた全力で追いかけていた。そして、息を切らせた彼女を追い詰めた時だった。
「殿下、もう私のことは諦めてください!」
「お断りします。僕は君を愛しているし、君以外の人とは結婚しない」
彼女は泣きそうな顔になっている。そんな顔をさせたいわけではないのに。
本当は、甘やかして甘やかして、甘やかしたい。
僕の愛で君を捕らえて、ずっと笑っていてほしい。それなのに……なぜ、君は笑ってくれないんだろう?
「では殿下、本当のことをお話します」
姿勢をただし、覚悟を決めたように彼女が話し出す。
「殿下にとっては突拍子もない話だと思いますが、私にとっては真実ですので、お聞きください」
今までになく真剣な面持ちに僕にも緊張が走る。
「実は私、前世の記憶があるんです」
それに僕は目を見開いた。
「高熱でうなされた時期がありましたよね?あの熱が引いた後、唐突に前世のことを思い出したのです。前世の私は日本という国におり、会社という場所で仕事をしておりました。マーケティングという仕事でよいものをアピールする仕事でした。仕事はとても楽しく充実しておりました。でも一つ……」
悲しげに僕を見つめる彼女。
「私にはライバルとも言える人がいました。その方は隙がなく実に素晴らしい業績を残していました。私も彼に追いつきたい一心で仕事を頑張っていました。でも、今一歩、彼には及ばなかったのです」
「それどころか彼は私を見下し、常に『そんなんじゃ俺には勝てないよ』と言い、私に絡んでくるのです」
わなわなと今度は彼女の顔が怒りに満ちる。
「そればかりか日頃から嫌がらせをしてきたのです! 食事もとらないまま仕事をしている私の横で食事をしたり、風邪で寝込んでいる時に嫌みを言いに来たり……! 本当に嫌な人だったんです」
カメリアが顔をあげる。その顔は悲壮感でいっぱいだった。
「その嫌いだった人に、殿下は瓜二つなんです!」
そう彼女が叫ぶと、さぁと風が吹き抜けた。
「だから申し訳ありません。殿下とは違う方だと分かっているのですが、殿下を見ると、嫌いなあの人を思い出して耐えられないのです。だから、どうかどうか! 私のことは諦めてください!」
頭を下げる彼女を僕は見つめていた。
あぁ、彼女が頭を下げていて本当によかった。
だって、こんな歪んだ笑顔、見られたら怖がらせてしまうかもしれない。
「顔をあげてください、カメリア」
そう言っても彼女は首を振って下を向いたままだ。それに大きく息を吐く。
「顔をあげろ。下宮」
彼女が驚いて顔をあげる。信じられないという顔をしている。それに不適な笑みで答えた。
「下宮カナでは、久しぶりだな」
「そんな……まさか……」
「散々な物言いだったな。そんなに俺のことが嫌いだったなんてな」
皮肉を込めて笑うとカメリア、いやカナは驚きつつ口を開く。
「あなたは……松林なの……?」
「そうだ。松林ルイ、本人だ」
その言葉にカナは大きく息を吸い込んだ。
俺、松林ルイはルイスとしてこの国に生まれ変わった。それに気づいた時は10歳の頃だ。カナと同じように高熱で何日もうなされ、目を覚ました時、前世のことを思い出した。
最初はひどく混乱して、誰も信じられなかった。だってそうだろ? 32歳の男がいきなり10歳の子供になるんだ。10歳までの記憶はあるとはいえ、心は大人。しかも、全然違う別世界に生きなくてはいけない。それは地獄だった。
気持ちを悟られないよう敬語を使い、誰にでも優しく接するようにした。本性を殺して生きる日々。それは虚しいものだった。
そんな時だ。カメリアを見つけたのは。『本に取り憑かれた令嬢』と言われていたカメリアに興味本意で近づいた。
姿を見て一目でわかった。下宮カナだと。
下宮は前世で俺の好きだった女性だ。でも、あの頃の俺は下宮の気を引きたくて子供みたいな意地悪をし続けていた。
だから交通事故で死んだとき後悔した。
どうして、もっと優しくしなかったんだろうって。優しくして好きだと言えばよかった。
深い後悔の念を抱いていた俺の前に現れた下宮。俺は思わず神に感謝した。
彼女が前世のことを思い出していないか注意深く探った。でも、どうやら彼女は思い出していないらしい。
これ幸いと俺は前世でできなかった事を全てやろうと思った。
慎重に彼女の心を開き、愛を囁いて甘やかした。
実際やってみると案外うまくいくもので、彼女の警戒心が薄れていくのが嬉しくてしかたなかった。
前世では見れなかった笑顔を見せてくれるようになり俺は幸せだった。
ずっと思い出さなくていい。ずっとこのままで。そう願っていた。
でもどうだ。結局、彼女は思い出してしまった。そして、前世の俺が嫌いだったから婚約破棄したいとまで言い出した。神は皮肉なことをする。
ーーーだが、それがどうした?
今の俺はカナの婚約者であり、ゆくゆくは結婚できる立場にある。この機会を逃す手はないだろ?
「カメリア、いやカナ」
びくりとカナの体が震える。一歩前に出てゆっくりと跪いた。
「悪かった」
「えっ……」
「前世の俺はどうしようもない愚か者だった。許してほしい」
真摯に頭を下げた。戸惑う気配を感じる。よし、逃げないな。まずは、これでいい。
「信じられないかもしれないが、前世の俺はカナのことが好きだった」
「えっ!」
「カナの気を惹きたくて、子供みたいな意地悪を繰り返した。残業している横で食事をしたのも、本当は差し入れをしたかった。カナの分も用意してあった。気恥ずかしくて渡せなかったが……それに、風邪を引いたときも本当は心配だったんだ。ただお見舞いをしたかっただけなのにな。嫌な思いをさせた。ごめん……」
再び頭を下げる。すると少ししてからカナが近づく気配がした。そして、俺の肩に手がおかれる。
「もう、いいから……顔をあげて」
顔をあげると、しょうがないなという風に困った顔のカナがいた。
「許してくれるのか?」
「……私も誤解していたところが多いし。謝ってくれたから……」
ポツリポツリと話す彼女にいとおしさが込み上げる。人に優しくて甘いカナ。簡単に俺の罠にかかる君が大好きだよ。
「ありがとう。本当に」
立ち上がり、カナの手をとる。
「じゃあ、式はいつにしようか?」
「は?」
ポカンと口を開ける彼女を前に、俺はいつもの極上の王子スマイルをする。
「俺たちの誤解は解けた。婚約破棄をするための障害はない。なら、早く結婚すればいい。旅館の話も進めたいしな」
たっぷり数秒固まったあと、カナはわなわなと肩を震わせ顔を赤くする。怒っているんだな、これは。しかも激怒だ。久しぶりに見るな。
「結婚はお断りいたします!」
「なんで?」
「なんでって、それはその、色々整理をつけたいし!」
あたふたするカナが可愛くて、つい苛めたくなる。
「カナは僕のことが嫌いですか?」
しおらしく王子の顔をしてみる。カナはこの顔になんだかんだで弱い。
「っ! 王子になったってダメですからね!」
ちっ、バレたか。まぁ、いい。彼女はまだ混乱している。これからゆっくりと攻め落とせばいい。
こうして、3回目の攻防戦は俺の勝利でまたも終った。
それから数日後、お互いに前世の記憶があるもの同士、話は格段にしやすくなった。
カナも俺の前では堅苦しい敬語はやめて、くだけた口調になっている。かくゆう俺もカナの前だけは敬語をやめ、自分のことを「俺」というようになっていた。
それに呼び方も変わってきた。殿下と呼んでいた彼女が恥ずかしながらもルイと愛称もかねて俺の前世の名前を呼んでくれる。
俺も二人きりの時だけ、カナと呼ぶようになっていた。
まだ婚約者のままだが、結婚にむけて外堀を確実に埋めている。
ついこの間もカナの家に招待された時、カナの父親が「早く花嫁姿を見たい」とこぼすので、「僕も早く見たいです。そうなる日が一日でも早く来るように願っているのですが、どうも彼女がまだ恥ずかしいようで」と、言ってきた。
あの父親のカナの見る目ときたら…あの後、かなりのプレッシャーをかけられたに違いない。
つい先程会った彼女の目はかなり怒っている。その顔も可愛らしいので全然、怖くはない。
「殿下、父をけしかけるのはやめてください」
「けしかけたつもりはない。お父上が花嫁姿を見たいと言うから同調したまでだ」
「それがけしかけているというんです!」
怒る彼女の唇に指を一本つける。
「ルイだ。それに口調が仕事中みたいになっている」
「それとこれとは!」
「変えなければ、話は聞かない」
顔を近づけると、彼女は押し黙った。そして、顔を少し赤く染めながらポツリと言う。
「ルイ……結婚の話は……もう少し待って」
弱々しい言葉と態度に心臓が鷲掴みになる。ちょっとこれはマズイ。クラクラしそうだ、可愛すぎて。
「わかった。ゆっくり考えて。気持ちが固まるまで待つから」
コツンとおでこをくっつける。それにこくりと彼女は頷いた。
婚約破棄するしないという攻防戦は俺の勝利で終わった。
次はいかに早く結婚するかだ。
まぁ、次の戦いも俺の完全勝利で終わるだろう。
俺の可愛い婚約者。
前世からの分も含めて、君を愛し抜くよ。
だから、一生、俺に捕まっていろ。
お読みくださりありがとうございます。
この話は前にアップした婚約破棄したい女と彼女を好きな男の異世界バージョンになります。
女から婚約破棄→男が食い止めるという大まかな流れは一緒になってます。
そして、書いてみたかった転生の話もいれました。
こぼれ話 その1
王子の口調がわりとコロコロ変わってます。
「しませんか?」などの丁寧口調
→王子の仮面をかぶっている。
「ほしい」などの断定口調
→感情が出ている。熱くなってる。
「俺」の一人称が出ているややそっけない口調
→素。本心ただもれ。
そんな風に一応、書きわけています。
こぼれ話 その2
本に取り憑かれた令嬢とありますが、その説明を書く暇がなかったので補足を。
カメリアは、出てきてはいませんが、兄がおり、王国騎士団で活躍しています。愛国心が強い彼女は兄を尊敬し、自分も何か国のためにできないか考えた末、知識(本)を求めます。
それだけでは飽きたらず、社交界で顔が知られていないのをいいことに町に繰り出し庶民の生活を肌で感じとります。
人がなにを求めているのか探る。それは彼女が前世でマーケティングの仕事をしていたからなんだろうなと思います。
あと温泉、温泉いうので本当に行きたくなりました。いいですよね、温泉。寒くなってきましたし。
それではこの辺で。
最後までお読みくださりありがとうございました。