四人目の「感情」
私の告白を、聴いてくれますか?
過去の記憶があるのかと問われたら、私は「いいえ」と答えるでしょう。
時の神官──もしくは巫女に課せられた役目は「見届ける」ことだけ。
「英雄」がどの様に生き、どの様に消えていくのかを伝え続けるためだけの役割。
だから、私の中にあるのは受け継がれた知識だけ。
私が使えるのも癒しと、幾つかの加護を与える力だけ。
出来ることは少ないけども、それでも「英雄」の力になりたかった。
もっと同じ時間を生きていきたかった。
最後の時まで共に過ごしていきたかった。
その最期までをも、私が見届けてあげたかった。
……気付けば、何時の間にか私の中に芽生えていたその感情の名をもっと早くに告げていれば、それが叶ったのでしょうか?
*****
「……セラフィーナ、貴女の思いは良くわかりました」
そう遠くはない場所から、幾重もの魔獣の咆哮が聴こえる。
多くの怒号と剣戟の音。それに混じる幾人かの魔術詠唱と、命辛々に教会まで逃げてきた多くの人々の嘆き声。
それらを見ながらも養い親の言葉に素直に従い、一人の神聖騎士に護られて教会まで辿り着いた少女の訴えに、嘗ての巫女は「ですが」と静かに続けた。
「承服しかねます。もう一度良く考えなさい。ノエルが許すと思いますか?」
事実、ノエルは許さないだろう。
……否、もう一度その選択をさせてしまった自身を赦すはずがない。
「……レイラ様、私が助けたいと思うことは間違いなのでしょうか?」
養い親の名を出されて動揺を見せるセラフィーナに、「いいえ」と彼女は首を振る。
「間違いではありません。その気持ちは尊いものです。そして貴女が言うように、誰かが呼んでいるというのもまた事実なのでしょう。……貴女はその相手が誰なのかを知っている。違いますか?」
「……それが誰なのかはわかりません。でも聴こえるのです。だから」
「だから、その手に剣を取ると?」
レイラの問いに僅かな迷いを見せたが、それを振り切ったのか、セラフィーナは顔を上げてレイラを見みつめた。その瞳が迷いはないと語っていることにレイラは気付いてしまったのだ。
「私が剣を取ることによって救える命があるのならば、私はその道を選びたい」
「それで傷付く者がいるとしてもですか?」
「ノエルはきっとわかってくれます」
「……そうですね。そうせざるを得ないでしょう」
だがそれは、今の関係を壊してしまうものだと少女に教えてあげたかった。
今までのような優しい時間は、二度と訪れないのだと。
(……ごめんなさい)
その謝罪は誰に向けるべきだったのか。
「今一度問います。それでも貴女は選ぶのですか?」
「はい」
「ならば私は止めません」
セラフィーナの強い意志を前に、レイラは道を開ける。
「お行きない、セラフィーナ。原初の英雄と同じ名を持つ者よ」
そして願わくば──最後の英雄であることを。
「英雄」との縁が深い、古より変わらずこの場に在り続けた教会の奥深くへと向かっていく少女の背を見送り、レイラは一つ息を吐くと、共に少女を見送った神聖騎士に指示を出した。
「礼拝堂にある祭壇の下に、地下へと続く通路があります。それを進んだ先に大楯と一振りの剣があるはずです。それをノエルに届けてください。あれは彼が必要とする物です」
元々それらはノエルの物だ。正しく返却するならば、今以外には有り得ない。
「それと、ノエル以外の騎士や剣士達は何人残っていますか?」
「神聖騎士が私を含め二人、魔法剣士が三人です。他の衛兵や聖騎士達はノエル様の指示により、教会と市壁の護りに着いております」
「では、剣士の内、二人は遊撃に出してください。一人は神聖騎士長に連絡を。神聖騎士である貴方達は本領を発揮なさい。今度こそ英雄を護るのです」
「レイラ様はどうなさるのですか?」
「私は、私にしか出来ないことをしようと思います。そこに護りは不要です」
「ですが……」
「ノエルからどの様な指示を受けたのかは想像出来ます。貴殿方の懸念も理解しているつもりです。だから赦して欲しいとは言いません」
ノエルが一度しか耐えられないというのであれば、代わりに私がその一度目になりましょう。
「盾」が使えないというのならば、護りの加護はその代わりになるはずだから。
「万の生命が救われるのであれば、私の命など惜しくはないのです」
だから私は詠いましょう。
それが、あの人を独りで逝かせてしまった私の償いなのです。
「だから私にも、貴殿方を護らせてください」
暫しの沈黙の後、「御武運を」と告げてから礼拝堂へと向かっていく神聖騎士に心の中で礼を述べ、大杖を手に鐘楼へと向かう。
そして「巫女」は願うのだ。
ただ、あの子が悲しまないように……と。
まだ幼いあの子が、どんな娘に育つのかを見守っていてあげたかった。
それが出来そうにはないことが、私の唯一の心残りです。